第五話:脱出行
「おはようございます、草加さん。気分はどうですか?」
朝になり、兵治はベッドから起き上がった草加にミネラルウォーターを差し出して、そう質問した。
「頭痛がするよ……もちろん二日酔いだろうがね」
苦笑して答えた草加は、ミネラルウォーターを受け取るとごくごくと一気に飲む。出血のせいで、喉が渇いていたのだろう。
「その様子なら、傷は大丈夫みたいですね。朝食を取ったらここを出ましょう」
笑って空になったボトルを受け取ると、ツナのサンドイッチも渡す。これも他の部屋で見つけたツナ缶と食パンでつくった即席のものだったが、草加は疑うことなくぱくぱくと食べてくれる。
どうやら兵治が来る前に、南方が自分の事情について話を通してくれていたらしい。おかげで草加相手にまた嘘八百を並べ立てる羽目にならずに済んだ。草加も兵治を信用することにしたようだ。
「では、俺は出発の用意をしていますね」
「ありがとう……何か手伝えることがあったら、言ってくれ」
「まだ傷は完全に治ってないんですから、無理をしては駄目ですよ」
そう言った後、兵治は寝室から出た。リビングで朝食の後片付けをして、荷物をリュックサックに詰めている南方が、すぐに声をかけて来た。
「草加さん、どうでした?」
「油断は禁物だけど、一応俺の治療はうまくいったみたいだ。これなら大丈夫だろう」
「じゃあ、予定通りに出発出来ますね!」
「本当は夜の闇に紛れて移動するのが一番なんですが……子供たちが待っている以上、一刻を争いますからね、準備が出来たらすぐに出ましょう」
「はい!」
兵治は出発前に改めて武器の点検をした。左腰にナイフ、右腰のホルスターにS&W・M37が一丁。腰の後ろの上着で隠したホルスターにもM37がある。さらに内ポケットにも装填されたニューナンブをうまく仕舞ってあるし、予備弾もバッチリだ。昨夜はガルが見張りをしてくれたおかげでそれなりに眠れたし、これでいつでも行ける。
やがて南方がリュックサックを背負い、草加に肩を貸して出て来た。本当はいろいろな物が入って重たいリュックは、兵治が背負うつもりだったのだが、戦いの際に動きが鈍ったら大変だからと言い張って、南方が背負うことになった。本人によればそれなりに鍛えているから、たとえ草加に肩を貸していても問題無いとのこと。もちろん足が完全に治っていない草加に重いリュックを背負わせるのは、論外だったが。
「準備出来ました、行きましょう」
「了解です。自分が先行しますから、お二人は必ず自分より先に行かないで下さいね」
「わかりました」
意を決して、ドアを開けてマンション五階の廊下に出る。ガルが兵治よりも先に出た。
「ガル君、危ないから私たちと一緒に行動しましょう?」
ガルをただの大きな犬だと思っている南方は、先に出たガルのことが心配らしい。
「大丈夫ですよ、こいつには優秀な猟犬の血が流れているんです。悪党をすぐに見つけ出しますから」
そう告げて非常階段に出たところで、唐突にガルが耳をピンと立てて、唸り声をあげはじめた。
――おいおい、いきなり悪党のお出ましかよ!?
慌てて後ろの二人にも姿勢を低くするように指示を出しながら、非常階段に腹ばいになって伏せ、階下の様子をうかがった。誰もいない……いや、エンジン音がする!
最初は静かったエンジン音がどんどん大きくなり、三台の乗用車がマンションの前の道路に姿を現した。そのまま道路を走り去ってくれるかと思ったが、急停止して中からそれぞれ四人か五人ほど、合計一三人が降車した。どうやら中庭で最初に殺した男を見つけてしまったらしい。車の見張りに三人残して、あとはこちらへとやって来る。
明らかに昨日の暴徒の仲間と思われる男たちは、大声で話し合いながら、周囲の探索を開始する。そして、今度は昨日非常階段から落下して死んだ男を見つけると、非常階段に注目したようだ。念のためか一階の中庭にやはり三人残すと、残る七人が非常階段を使って上へやって来る。このままだと、昨日三階の踊り場で始末した三人も発見されてしまうだろう。そうなれば、さらに警戒される。
困ったことにエレベーターが使用不可能な現在、このマンションから出るには唯一この非常階段を使うしかない。しかし、このままでは暴徒どもと鉢合わせだ。なんとかしてやり過ごすか、あの連中を倒すほかない。
相手は七人、五発しか装填されていないリボルバーでは、一発必中でやったとしても二人残す。すぐに予備で撃てばいいかもしれないが、それでもリスクは高くなる。ここは何か、あの連中の不意を突いて一気にやるしかない。急げ、奴らが三階に達して死体を見つけ、警戒を強める前に何か手立てを!
――よし、あれだ!映画みたいなことをする羽目になるが、俺の知っている通りならうまくいくはず!
「ここで待っていて下さい。やばくなったら、またあの部屋に戻って」
背後の二人にそう声をかけた後、兵治は廊下の隅に設置されていた赤く塗装された金属箱から、備えつけの消火器を取りだした。裏のラベルを見て、消火器の種類を確認。幸運にも兵治が求めていたタイプのものだった。
消火器を手に急いで非常階段を下りると、ちょうど三階の踊り場で奴らが仲間の三人の死体を見つけ、驚いて調べているところだった。
「おい!ぐあっ!?」
上階から姿を現した兵治に気づき、大声をあげ銃を構えようとした男へと、渾身の力を込めて兵治は消火器を投げつけた。腕力と重力でスピードに乗った消火器が、男の顔面を直撃。消火器は男の顔をクッションにしたことで、一時的に勢いを消され、空中に跳ねあがった。
――うまく当たってくれ!
必中の念を送りながら、兵治は空中の消火器を狙い、ホルスターから抜いたM37の引き金を絞った。乾いた銃声に続いて、腹の底に響くような爆発音が響き渡る。銃弾で撃ち抜かれた消火器が、内部の空気圧に負けて、内側から炸裂したのだ。内部に空気圧がかかっているタイプの消火器は、損傷したり劣化したりすると外壁が耐え切れずに内側から破裂し、周囲に被害を与えることを兵治は知っていたのだ。
暴徒どもの目前で爆発した消火器の効果は、絶大だった。一人が爆圧で非常階段から叩き落とされ、さらに二人が鋭い破片に顔や首をズタズタに引き裂かれて物も言わずひっくり返った。残った四人も破片で傷を負ったり、まき散らされた白い消火剤で目潰しをされている。
この千載一遇の好機を、兵治が逃すはずがなかった。白い消火剤のせいで視界は悪いが、人の形のシルエットは見える。その人影へと確実に一発ずつ叩き込んでいくと、四人分のシルエットはすぐに倒れて見えなくなった。
「どうした!大丈夫か!?」
空になったM37をホルスターに戻し、素早くスーツの内ポケットに仕舞っていたニューナンブを構えると同時に、消火剤の白い煙幕の向こう側から声が聞こえて来た。足音は三人分。おそらく一階に残った三人が、今の騒ぎで駆け付けて来たのだろう。
しかし、彼らはもう少し待つべきだった。何も考えずに咳き込みながら白い消火剤の中を抜け出た彼らは、銃火の出迎えをまともに受ける羽目になった。ニューナンブを構え待ち伏せていた兵治が、ひとりにつき一発ずつ銃弾を撃ち込んだのだ。消火剤から出た後の無防備な三人は、射撃の的もいいところで、確実に胸か頭を撃って殺すことが出来た。
消火剤の煙幕が消える頃、そこに無傷の者は誰もいなかった。かろうじて消火剤越しに撃たれて急所を外された二人がもがき苦しんでいたが、兵治は顔色一つ変えず容赦なく残った銃弾を使って、確実に射殺した。敵にとどめを刺し忘れて、痛い目に遭った人間は数知れない。兵治はその中のひとりになるつもりはまったくなかった。
銃声が止んだその場には、昨日の分も含めて合計一二体の死体が転がることとなった。狭い非常階段に折り重なるようにして倒れた死体のせいで、足の踏み場もない。まさに死屍累々とはこのことだった。訓練された特殊部隊員である兵治を前にして、急襲を受けた暴徒どもは一発の銃弾を放つこともなく、文字通り全滅してしまったのだ。
撃ち尽くしたM37とニューナンブに弾を込め直すと、兵治は道路の方の様子をうかがった。道路からは離れているので、こちらの様子はよくはわからないはずだが、爆発音は聞かれただろう。やはり車の見張りとして残った三人は、何やらこちらを指差してもめている。おそらく向かうべきか否か、言い争いでもしているのだろう。
「やられた!早く来てくれ!」
兵治は一か八か、そう大声で叫んでみた。ここから道路までは遮蔽物が無いから、あの三人に見つからずに接近することは難しい。となれば、やはり向こうから来て貰うのが一番だ。距離が離れているから、声は届いてもそれが誰なのか判然としないだろう。きっと仲間が助けを求めていると勘違いして、やって来てくれるはずだ。
兵治の予想通り、三人は呼びかけに答えて手に武器を持って急いでこちらへと駆けて来た。兵治は今度は非常階段の二階で待ち伏せた。後は同じだった。大急ぎで非常階段を駆け上がって来た三人は、いきなり兵治にM37の銃口を突き付けられ、凍りついているうちにあっという間に射殺された。これで車に乗ってやって来た暴徒どもの増援は全滅だ。
――昨日の四人も含めれば、確認殺害戦果は一七人か。やっぱり素人を虐殺してもいい気分はしないな。
暴徒を全滅させたことを誇るでもなく、ため息をつくと兵治は三発撃ったM37の、空薬莢を三つ抜き取ると新しい弾薬を三発装填。新たに倒した一三人から、武器を回収した。
ニューナンブとM37がそれぞれ二丁ずつ、合計四丁も回収出来た。ガルに頼めればいくらでも増やせるのはわかっているが、銃を残したままにするのはまずい。猟銃も一丁あったが、落下の際に壊れてしまっていて、残念ながら使いものにならなかった。あとはナイフや手製の槍、金属バットなどだったが、持ち切れない分は先程の壊れた猟銃と一緒に、近くのマンションの空き部屋に放り込んでおいた。
「連中は片づけましたから、もう大丈夫です。こちらへ来て下さい」
上の階で待っていた南方と草加にそう声をかけて来て貰ったが、二人とも死体の山を前にして絶句してしまった。ガルはそれがどうしたと言わんばかりの涼しい顔をしていたが。
「すいません、やらなければやられると思ったので……」
「あ、いえ!氷川さんは悪くないですよ!」
「そうです。この連中が今までに何人の人を殺して来たか、それを思えば些細なことです」
兵治が申し訳なさそうにすると、二人とも慌ててフォローに入ってくれた。どうやらただ単に兵治が単独でこの人数を皆殺しにしてしまったことに驚いていただけらしい。てっきり引かれてしまったのかと思ったが、さすがにこのひどい世界でこれまで生きて来た人間だ、二人とも死体の惨状は気にしていないらしい。
「わかりました。せっかくですから、連中の車を使いましょう」
三人でマンションから道路に出て、三台の中から一番燃料の残量が多かった一台の四輪駆動車を選ぶ。南方が後部座席に草加を乗せている間、兵治は他の二台から使えそうなものを片っ端から回収し、さらにエンジンキーを抜いておいた。またここに戻って来る機会があれば、この残った二台の車も回収できるだろう。
後部座席に草加を乗せ、南方が助手席に乗り込んだことを確認すると、兵治は運転席に乗り込んだ。ちなみにガルはちゃっかり後部座席に乗り込んでいて、草加の足元で寝そべっている。本当に寝そべるのが大好きな奴だ。
とにかく全員が乗車したので、兵治は差さっていたエンジンキーを回した。エンジンが始動し、兵治はハンドブレーキを解除。セレクトレバーをDにするとアクセルを踏み込み、四輪駆動車を走らせ始めた。
サイドミラーで遠ざかっていくマンションを眺めながら、ようやく兵治はひとつの区切りがついた気がした。
またまた励ましの一言を貰えたので、頑張って書き上げました!
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本当にたった一言でも貰えるとやる気が一気に出て書き進められるので、ご意見やご感想、なんでもお待ちしています!