第四話:会話
「草加さんはどうなんですか?」
リビングに戻った兵治に対して、南方は開口一番にそう尋ねて来た。ちなみにガルは相変わらず、カーペットの上でぐうすかと眠っている。心底だらしない奴だ。
「治療はうまくいきましたよ。今はもうおやすみになっています、ほら」
「あ……本当、ですね」
薄く寝室のドアを開け、ベッドで眠っている草加を見せると、南方は安心したようだった。
「銃創は縫合しましたから、後は感染症を併発したりしないことを願うだけですね。とりあえず、今日のところはゆっくり休ませてあげましょう」
そう言いながら、兵治は持って来た携帯ガスコンロをリビングの机の上に置き、キッチンにあったヤカンを置いた。その中にミネラルウォーターを注いで、点火。また湯を沸かしはじめた。
「すいません、カップラーメンぐらいしかご用意できなくて」
苦笑いしながら、兵治は他の部屋で手に入れたカップラーメンの包装を解き、蓋を半分まで開けて中のかやくや液体スープの小袋を取り出した。
「いえ、それはいいんですけど……あの、やっぱり今日はここに泊らないと駄目なんですか?」
「草加さんが動けませんからね。大丈夫ですよ、俺が変なことをしようとしたら、渡したピストルで俺を撃てばいいんですから」
兵治は南方が会って間もない自分と同じ屋根の下で寝るのが嫌なのだと、そう思った。が、ちょっと違ったらしい。
「そうじゃなくて……その、子供たちのところに戻りたいんです」
「え、お子さんがいるんですか?」
兵治はまた勘違いして驚いてしまったが、これも違った。
「そうじゃなくて、私は小学校の先生なんです……まだ新米ですけど」
「ああ、はい。先生だったんですか。それで教え子さんのところに戻りたい?」
「そうなんです。病気が広がって、親を亡くした子も多くて……私、草加さんと一緒にそういう子供を保護してたんです。あと食べ物も探していて。その途中で暴徒に襲われて、草加さんが撃たれて……後はご存知の通りです」
「そうだったんですか……」
南方の話を聞きながら、沸騰したのでガスコンロを切り、ヤカンの熱湯をふたつのカップラーメンに注いでいく。両方とも五分だ。兵治は腕時計を持っていなかったが、幸いにして壁掛けの時計があったのでそれで時間を確認できる。
「今頃あの子たち、私と草加さんが戻って来ないことでどんなに不安がっていることか……それに外は暴徒がたむろしていて、すごく危ないのに」
「あの連中、まだまだいるんですか」
「はい、もしも子供たちがあんな人たちに見つかったら……一応世話役として、学生さんを残したんですけど」
「他に大人はいないんですか?」
「私たちのところでは、子供ばかりを保護してたので……他の避難所なら、逆に大人ばっかりだと思います」
時計で五分経ったので、兵治は閉じていた蓋を開けて、中にかやくと液体スープを入れた。一緒に調達して来た割り箸を添えて、ひとつを南方に渡す。
受け取った南方は、猫舌なのか慎重にカップラーメンを食べ始めた。それを横目に見ながら、兵治も豚骨のカップラーメンを食べ始める。味は悪くなかった。
「氷川さんは自衛隊の人なんですよね?」
「はい、そうですけど?」
「どうしてこの林町に?ここには自衛隊の駐屯地なんてないですし、治安が悪くなってからも来てないはずですよ」
「あ、それはですね……」
「それに迷彩服って言うんですか、あれも着てないですし。機関銃とかも持ってないですよね。あと警察や自衛隊の人って、お医者さんと並んで病気で一番大きな被害を受けて、ほとんど生き残っていないって。草加さんも自分が生きていることが奇跡だって言ってましたし」
兵治はまずいなと思った。なにしろ兵治にはここがどこの都道府県かすら知らない。ガルに問いただしておくべきだったか。しかし、後悔は後先に立たずだ。
内心の動揺を一切顔に出さず、兵治は一応あらかじめ考えておいた作り話を語ることにした。馬鹿正直に別世界からそこのガルに連れてこられました、なんて言った日には狂人扱い間違い無しだからだ。
「病気が広まったとき、俺は休暇を取ってこっちの方へ遊びに来てたんです。そうしたら、あっという間に病気のせいで、どこもかしこも大混乱になったじゃないですか。部隊に戻ろうとしたんですけど、途中で電車も動かなくなってしまって……車も持ってなかったので、この林町に取り残されてしまったんです」
よくもまあ、ペラペラとここまで嘘が喋れるなと思ったが、嘘も才能のひとつだ。
「駅にいても仕方ないですし、外に出たんですけど、当然ホテルなんか営業していない。病気のせいで治安が悪くて、その辺を迂闊に出歩くわけにもいかなくなって。それでこの辺りの空いているマンションや家に逃げ込んで、転々としながら過ごしてたんです。そうこうしているうちに、あなた方と出会ったというわけで……」
立て板に水とばかりに、兵治はすらすらと喋った。嘘をつくときは、ためらったりしてはいけない。それが本当のことであるかのように、矛盾なく流れるように嘘をつき続ける。これが一番大事だ。
兵治の鮮やかなまでの嘘を、見事に南方は信じてくれたようだった。疑い深い自分を恥じるかのようにして、言う。
「お休み中にこの災厄に遭われたんですね……ごめんなさい、それなら迷彩服とか銃とか、持ってるわけないですよね。この林町についても、あんまり知らないでしょうし」
心底申し訳なさそうにしている南方を見て、兵治はむしろ罪悪感を感じてしまった。嘘をつくほか無かったのだが、やはり嘘は居心地が悪い。
「せっかく助けて貰ったのに、疑うようなことを言ってしまって、本当にすみません」
「いえいえ、お気になさらずに。こんな世の中ですから、まず疑うのは正解ですよ」
慌てて兵治はそう言った。なにしろ嘘をついているのはこちらなので、本当に申し訳ない。
「さあ、麺が伸びてしまいますから、とりあえずこれを食べてしまいましょう」
「あっ……そ、そうですね」
ひとまずそれで、話を切り上げさせた。互いに冷えて伸び切ったまずいカップラーメンになる前に、急いで食べてしまう。食べ終えたら、南方にこの林町という場所について尋ねることにした。
ここはどうやら関東か東海辺りの、太平洋に面したどこかの県らしい。らしいというのは、さすがにどこの県ですかなどとは聞けず、ある程度の推測になってしまったからだ。この林町はその県の海からはやや内陸にある、人口三万人程度の町らしい。近くにはそこそこの規模の地方都市もあるらしいが、この災厄がはじまってからは、そちらの治安が悪くとても近寄れないらしい。
他にも南方の話に寄れば、レッドの流行がひどくなり、学校や大きな公共施設に最初は避難所があったらしい。ところが、警察が無力化すると同時に暴徒が勢力を増し、食料などを求めて避難所を襲うようになった。それで主要な避難所は軒並み全滅するか解散となってしまった。
南方が子供たちといた避難場所も当初は勤め先の小学校の体育館にあったらしいのだが、そこの警備に当たっていた草加がこのままでは危険だといち早く判断し、人口が密集している場所からそれた公民館に移した。そのおかげで暴徒の魔の手から、今のところは逃れられているらしい。
ただ避難所にいるのは親を亡くした子供か学生ばかりで、大人は南方と草加だけとのこと。他の避難所と違い、南方と草加の避難所では身寄りの無い子供を引き受ける専用の避難所だったらしい。他の大人はみなレッドか暴徒にやられてしまったようだ。それで大人であるこの二人で、危険な外へ生存者の救出や食糧の調達に行くしかなかったというわけだ。
「なるほど……それで一刻も早く戻りたいのですね」
「ええ、明日にはなんとか戻りたいんです。氷川さんも一緒に来てくれませんか?」
「もちろん俺は構いませんよ。子供たちがいるとわかって、断るわけないじゃないですか」
兵治がにっこりと笑って言ったのを見て、南方はかなり安心したようだ。
「よかった……草加さん、頑張り過ぎて倒れそうだったんです。氷川さんが来てくれれば、きっと楽になります」
「俺もある意味では助かりましたよ。この先どうしようか、途方に暮れていたので」
食べ終えたカップラーメンを片づけつつ、兵治が応じる。
「とりあえず、今日はもうやすみましょう。南方さんは草加さんと同じ部屋でおやすみになって下さい」
後片付けを終えて、草加が眠っている寝室に入りながら話す。ベッドの下に仕舞われていたマットと毛布を引っ張り出して、草加のベッドのすぐ横に即席の寝場所を用意した。
「よければ草加さんのご様子もたまに見て上げて下さい。自分はリビングのソファーにでも横になりますから、何かあればすぐに来て下さいね」
「すみません……本当に何から何まで、気を使って頂いて」
「あなたと草加さんに何かあったら、待っている子供たちが大変だ。ですから、当然のことですよ」
「ありがとうございます、おやすみなさい」
「おやすみなさい」
兵治は笑いかけながら南方を寝室に送ると、おやすみの挨拶を言ってからドアを閉めた。
「よう、さすがだな。とっても紳士的だ」
「お前起きてたのか。あんまり声を大きくするなよ、隣の部屋なんだから」
いつの間にか起きあがっていたガルが、リビングに戻って来た兵治に声をかけて来た。まあ、これくらいのちょっとした会話なら、隣の部屋にまで響かないだろう。
「お前もちゃんと寝ろよ。見張りは俺様がやってやる」
「散々今まで居眠りしてたのにか?」
「おかげで全然眠れなくなっちまったんだよ。俺様の聴覚や嗅覚を舐めるなよ、悪党が来たら一発だぜ」
自信満々に語るガルを見て、確かに見張りはこいつに任せてもよさそうだと思った。それにこいつ、眠れないとかなんとか言っているが、なんだかんだで俺のサポートをしてくれるみたいだ。素直じゃない奴だな。
「何をにやついてやがんだ。気持ち悪いからさっさと寝やがれ」
「わかったよ、お言葉に甘えて寝させて貰う……実はいきなりの連続で、結構疲れちまったよ」
「情けねぇな。俺様に任せて、早く休めよ」
「ああ……任せた」
玄関の方で見張りに入ったガルの後ろ姿を眺めながら、兵治はリビングのソファーに横になった。ガルに語った通り、いくら兵治が鍛えられているといっても、限界がある。
――死んだと思ったら別世界に連れて来られて、いきなり人殺しをする羽目になっちまった……これで疲れない方がおかしいよな。
そんなことを考えながら、兵治は瞼を閉じて眠りに入った。
今回はちょっと会話ばかりになってしまいましたが、やっぱり信用されるためにはお互いの事情説明が大事かなと。
しかし、次回はまたドンパチやるつもりなので、お楽しみに!
本当にたった一言でも貰えるとやる気が一気に出て書き進められるので、ご意見やご感想、なんでもお待ちしています!