第二話:ファーストコンタクト
マンションの一室から飛び出した兵治は、電力が供給されていないせいで動かないエレベーターを尻目に、非常階段で階下へと向かっていた。兵治がいた部屋は、マンションの五階だった。
「声は一階、地上から聞こえて来てるぜ」
兵治の後を追って来ているガルが、そんなことを言った。
「女の泣き声と、呻き声に……ああ、下衆野郎の腐った声も聞こえるな。こりゃピンチだ」
「ガル、そんなの俺には聞こえないぞ」
「ただの人間と俺様を一緒にするな。信用しろって」
出会ったばかりで信用も何も無いような気もしたが、兵治は黙ってガルの言うことを信じることにした。あまり足音を立てないように、それでも素早く下りて行く。訓練の賜物だった。
女の泣き声と呻き声、それに下衆野郎の腐った声とは……先程の銃声や悲鳴も付け加えると、暴漢に女性が襲われているのだろうか。呻き声はひょっとしたら負傷者がいるのかもしれない。
「静かにしろよ。下りてすぐの場所だ」
ガルが小声で告げたので、さらに用心深く兵治は進んでいき、やがて一階に到達した。非常階段の陰に隠れて外をうかがうと、どうやらここはマンションが集中している場所らしく、コの字型にマンションが配置されていた。コの開いている部分が道路に面していて、兵治はその反対側の縦に配置された底のマンションから出て来たことになる。
ちょっとした中庭になっている場所の一角、植えられた木の陰に三人の人間が見えた。木に崩れるようにもたれかかった男がひとり、それに付き添っている若い女がひとり……そして、それを見下ろすように立ち、黒光りする物体を二人に向けている男がひとり。
「……ったく、手間掛けさせやがって」
黒光りする物体……拳銃の筒先を二人に向けている男が、吐き捨てるように言った。若い女性はうずくまったままの男性をかばうようにしている。
「まだサツに生き残りがいるとは思ってなかったぜ。俺が今殺してやるけどな」
サツ――警察、警察官か。よく見れば倒れている男性は、紺色の制服を着ているように見える。その制服の右足部分が、やけに黒くなっている。あれは血に染まっているように見えるが。
「やめて、撃たないで!」
女性の悲痛な叫び声が聞こえた瞬間、兵治は非常階段の陰から飛び出した。足音も気にせず一気に男に走り寄る。
「な、なんだてめっ……ぐふっ!?」
振り向いてこちらに銃口を向けようとした男の、先手を取った。身体をこちらに向けた男の胸へと、飛び膝蹴りを喰らわせてやったのだ。勢いに乗った膝蹴りを胸にまともに喰らった男が、まるでおもちゃの人形のように吹き飛び、倒れた。
蹴りで強引に肺の空気を吐き出された男が、一時的な呼吸困難でもがいていたので、兵治はさらにもう一度胸を蹴ってやった。相手は蛙が潰されたときのような、気味の悪い呻き声をあげて気絶した。その男の手から離れた拳銃を回収すると、兵治は襲われていた二人の方へと戻った。
「動くな……!」
押し殺した脅迫の声が聞こえ、兵治はぴたりと動きをとめた。見れば倒れていた警官が、震える手で自動式の拳銃を構えている。もっと早く構えていれば、兵治が助ける手間が省けた気がする。
「撃つな!銃はここに置く。他に武器は持っていない、頼む!」
兵治は右手で握っていた拳銃を、慎重に足元に置いた。さらにスーツの上着をめくりながら、武器を持っていないことをアピールするために一回転した。
「あなた達を助けたい。本当だ。傷の手当てをしたいんだ」
両手をあげたまま、頼むから紳士的に聞こえているようにと願う。我ながら陳腐な言葉だ。もっと他に言うことがあった気がする。
しかも何がむかつくって、後ろにいるガルが失笑に聞こえるような唸り声を出していることだ。あの野郎、馬鹿にしているのか!?
「伏せろ!」
警察官が叫び、直後に発砲。銃声が鳴り響き、兵治の後ろで起き上がって銃を拾おうとしていた男の、頭に弾丸が炸裂した。あれでは即死だろう。
その動作で力尽きたかのように、警官は拳銃を下げた。兵治はなおも用心しながら、ゆっくりと近づき、警官のそばに屈みこんで傷を見た。すると女性が何をするのと言った、非難めいた視線を向けて来たので、兵治は出来る限り丁寧に言ってやった。
「貫通銃創だ……大きな血管は傷ついていないから、大丈夫。圧迫止血を今する」
兵治は射殺された男のところに戻ると、そいつの腰から黒い革ベルトを抜き取った。それを手に警官のもとへと戻る。
「痛いだろうが、うっかり引き金を引かないでくれよ?」
そう言うと警官が頷いたので、兵治は右足の銃創の上をきつく縛った。これだけでも、ある程度は出血が弱まるはずだ。もちろんこのまま縛ったままだとまずいので、定期的に緩めたりして後程ちゃんとした手当てをしなければならないが。
「ちょっと待っててくれ」
俺は二人にそう言うと、再び男の死体を調べに戻った。男の全身を調べてみるが、出て来た使えそうなものは、大型のサバイバルナイフだけ。後はゴミクズばっかりだったので、男が持っていた拳銃も、もう一度拾い上げて見る。それは日本の警察官用のリボルバーだった。きっと死んだ警官から奪ったのだろう。
ニューナンブM60――国産の三八口径の回転式拳銃だ。60という数字が示す通り、一九六〇年から配備が始まった旧式のリボルバー。貧乏でそれゆえに物持ちがいい、日本警察のおかげでいまだにこうしてお目にかけることができる。
サムピースという銃の後ろ、茶色いプラスチック製のグリップの左上辺りにある三角形のボタンを押してずらすと、横にレンコンのような形の弾倉を出す。そこで兵治は思わず舌打ちをしてしまった。なんとこのニューナンブ、装填されている五発全弾を撃ち尽くしてしまっているのだ。あの馬鹿は撃ち尽くしたことに気づいていなかったのか、本当に馬鹿みたいな話だ。
空薬莢しか詰まっていない弾倉を元に戻し、苛々しながらニューナンブをスーツの内ポケットに押し込む。弾が手に入れば使えるかもしれないが、難しそうだったので、とりあえずサバイバルナイフを鞘ごと腰のベルトに備えておく。
「この犬、あなたが飼っているの?」
二人のもとに戻った兵治は、そこで寝そべって女性に頭をなでられ、気持ち良さそうにしているガルを見た。思わず撃ち殺したくなったが、弾は無い。
「ああまあ、そんなところ……ガルっていう名前なんだ。気をつけろよ、そいつ雄だからな」
「いい仔じゃない。大丈夫よ」
あのスケベ犬め!いや、狼だったか。どの道、何か非常に腹が立つ。
「俺は氷川兵治だ、よろしく」
「私は南方怜です。こちらのおまわりさんは、草加昭さん」
どちらも二〇代だろう。ひょっとして夫婦だろうか……いや、そういう雰囲気じゃないな。
南方怜は、若いがしっかりした女性に見える。短髪で服も男物なのは、ろくでもない輩に女性ということで襲われないようにするためだろう。ただちょっと、胸のふくらみを隠すのに失敗しているせいで、兵治に一発で見破られていたが。それに声は女性そのものだ。
草加昭、どうも階級は巡査らしい警察官。若く正義感と責任感に溢れるタイプだと、ひと目でわかった。人間、目を見れば大体わかるものだ。兵治は仕事柄、警察官と接する機会が多かったから、この手の判断はお手の物だ。
「氷川さんか。先程の身のこなしといい、拳銃の扱いもよく知っているみたいだが……ひょっとして、同業者か?」
「いや、俺は自衛官だ。ちょっと事情があってここに」
俺がそう話し出した途端、ガルが唸り声をあげて道路の方を示した。すると明らかに不良っぽい男達が、うろついているのが見えた。さっき射殺された男の仲間に違いない。
「話は後で!ここは一旦逃げましょう。南方さん、草加さんに肩を貸してこちらへ!」
「わ、わかりました!」
足を撃たれている草加に手を貸して、南方が兵治の指示した非常階段へと逃げ始める。しかし、その動きはあまりに遅く、非常階段に隠れる前に男達に見つかってしまった。
「いたぞ!あそこだ!」
「追いかけろ!女だぞ!パーティーだ!」
下品な言葉を口々に話しながら、男たちがこちらへと走って来る。
「いいですか、きついと思いますが草加さんを連れて五階まで逃げて下さい。五階に扉の空いたままの部屋がありますから、そこは安全ですので、ドアに鍵をかけてそこで待機していて下さい」
「氷川さんはどうするんですか!?」
「あいつらを撃退します。あいつら、暴徒か何かですよね?その、殺しても問題無いですよね?」
階段をのぼって逃げながら、ちょっと心配になったことを聞いてみた。殺さないで手加減するのは、意外と難しいのだ。相手が複数いる場合は特に。兵治の腕ならば問題無いだろうが、ここは必殺の覚悟で挑むのが一番だろう。
「当たり前です!草加さんを撃って、私に乱暴しようとした人達ですよ!他にも今までもっとひどいことを」
「わかりました。自分が戻るときは、ドアを三回ノック、これを同じく三回行います。もしそれ以外だったら、ドア越しに相手を撃ち殺すつもりでいてください」
最後の撃ち殺すというのは、草加に向けて言った。草加は足を撃たれてはいるが、応急止血もしたし、拳銃を持っているからそれでなんとかして貰うしかない。出来れば拳銃を貸して欲しかったが、知り合ったばかりの相手にそれは無理だろう。
「氷川さん、気をつけて下さいね!」
「自分はこういうときのための自衛官です。さぁ、早く!」
三階の非常階段の踊り場で、兵治は先に二人を行かせた。三階の廊下へと繋がる扉を開くと、その後ろに身を潜める。うるさい足音と怒鳴り声とともに、四人の男たちがそこへ姿を現した瞬間、兵治は迅速に行動に移った。
まず後から扉を思い切り押して、先頭を走って来た男を鋼鉄の扉でぶん殴った。顔面を扉でぶっ叩かれ、鼻血を噴出させながら男は吹き飛んで、後ろの三人に激突して倒れた。よろめく男たちへと、飛び出した兵治がさらに迫る。
よろめいていた男の胸へと、肋骨の向きを考えながらサバイバルナイフを深く突き刺した。心臓を一突きされて、男は即死。兵治はサバイバルナイフを抜こうとはせず、刺殺した男が持っていたナイフを奪い取る。こういうときに一番大事なのは、リズミカルなスピードだ。
奪取したナイフで、次の男の頸動脈を狙って刃を一閃させた。頸動脈を絶ち切られ、踊り場に鮮血の即席シャワーが降り注ぐ。シャワーの提供者は急激な血圧低下で意識を失い、そのまま地獄へと旅立っていった。
その次の男は、刃物ではなくリボルバーを持っていた。いきなり先頭を走っていた男を倒され、二人の仲間を瞬殺された男は、何事か喚き散らしながら銃口を兵治に向け、引き金を引こうとした。が、リボルバーはうんともすんとも言わなかった。それもそのはず、兵治がナイフを捨て伸ばした右手でリボルバーの回転式の弾倉を掴み、撃鉄には指を挟んでいたからだ。こうなるとリボルバーの構造上、発砲は不可能となる。
リボルバーが撃てず恐怖に硬直した男の顔面へと、左手で兵治はパンチの連打を浴びせた。強烈な打撃を立て続けに顔面に貰って、男が思わずリボルバーの引き金から指を外したのを兵治は見逃さなかった。一瞬の隙を突いてリボルバーから手を離すと、素早く右手で男の手首をねじり上げてリボルバーを奪い取る。そのまま奪い取ったリボルバーのグリップの底で、思い切り男の頭を殴りつけた。
鈍器で脳天をやられた男は前後不覚に陥り、そのまま非常階段の手すりにぶつかると、バランスを崩して悲鳴とともに真っ逆さまに落ちていった。兵治は振り返りながらも、奪ったリボルバーが装弾されていることを確認。振り向くと同時に、最初に扉で弾き飛ばした男が起き上がって拳銃を撃つ寸前、一瞬で照準し引き金を絞った。発砲の反動が腕に伝わった直後、男の頭が後ろに仰け反り、血と脳の混ざり合ったものが背後へとぶちまけられた。
――轟いた銃声が、戦いの終了を告げるゴングとなった。
はじめての感想を貰って、テンションが凄く上がったので、その勢いのまま第二話も一気に書いてしまいました!
やる気とネタと時間さえあれば、一日一話ぐらいなら書ける。
本当にたった一言でも貰えるとやる気が一気に出て書き進められるので、ご意見やご感想、なんでもお待ちしています!