第一四話:兵士の魂
穴の中を歩き続けること数分、やっと出口らしき明かりが見えて来た。青年は特に緊張もなく出ようとしているようだが、念のために兵治は右手のM37を構えなおした。物騒な銃弾の歓迎会は、兵治はお断りだ。
警戒する兵治とともに、青年は穴の外へと出る。素早く兵治は周囲に視線を巡らせたが、脅威となるものは何もなかった。そのことにひとまず安心した兵治は、今度は周辺の観察に入った。
広い穴から出た先は、今までと打って変わってよく手入れのされた森の中だった。適度に木が間引いてあるため、雲を通して注ぐ陽光が満遍なく入ってきている。そして耳を澄ませば、かすかに水音も聞こえてくることから、近い場所に川も流れているらしい。
「ええと、こっちに来て下さい」
「ああ」
少しは兵治のことを命の恩人と理解できたのか、青年の口調は丁寧なものとなっていた。その言葉にうなずくと、兵治はおとなしく青年の後を追う。
またしばらく森の中を進んでいくと、唐突に拓けた場所に出た。そして、そこには古めかしい木造家屋が一軒、ぽつんと建っていた。
――なんでこんな場所に、こんな家が?
またひとつ疑問が増えたが、とにかく今の兵治には青年に従うほかない。落ち着いたら、あれこれたずねる必要があるだろうが。
引き戸を開けて青年が家の中に入り、兵治もそれについて中に入ったが、見た目通り中もまた古めかしい。電化製品などひとつもなく、薪を使って煮炊きをするかまどがあり、まるで大河ドラマの農家の家をそのまま持って来たようだった。
中央に囲炉裏まである畳に上がった青年が座り込んだので、兵治もその前に座ることにした。あれこれ青年に問いただしたいが、まずは自分から名乗ることにする。
「まあその、なんだ。まずはとにかく自己紹介からいこう」
畳の上でさっさと横になり、もう目を閉じているガルを横目で睨みつけたが、話は続ける。
「俺の名前は、氷川兵治という。ここには林町から来た」
「やっぱりあっちの方にも生き残っていた人が……どれぐらいの人がいるんですか?」
「二〇〇人以上は生き残ってるし、まだまだ探せばもっと増えそうだ。こっちはどうなんだ?」
あまり脈絡のない会話だが、追々整理しながら話していけばいいと思い、とりあえず兵治は話し続けた。大事なのは、とにかく情報を得ることだ。
「こっちは田舎だから、病気自体で死んだのは全体の半分くらいで……でも、あっというまにライフラインとかが全滅しちゃって、そういう混乱でさらに一割か二割の人が死んでしまったと思います」
大雑把に沼田村の人口を一〇〇〇と見積もると、その半分の実に五〇〇人が病気で死亡。その後の混乱で一〇〇人から二〇〇が死んだということらしい。
そこそこ自給自足のできる田舎ならある程度はもっているかと思ったが、規模が小さい分、ライフラインや自治体組織の壊滅が早く、それが死者を増大させたらしい。利点も欠点もあったというわけだ。
「それでもまだ一〇〇人や二〇〇人は生き残っているんじゃないのか?」
「生き残っている人は、全員あいつらに捕まるか殺されるかしたに決まってるじゃないですか!?」
いきなり怒鳴った青年を、とりあえず兵治は落ち着かせることにする。どうもこの青年、あのとち狂った連中に並々ならぬ敵意を抱いているらしい。
「おいおい、落ち着け。そのことも俺は聞きたいが、その前に君の名前ぐらい教えてくれ」
「え……あ、はい。俺は、有坂徹平っていいます。こうなる前は中学生でした」
兵治と似て、なんとなく兵士っぽい名前だった。
「そうか。俺は林町を守っている自衛官だ。この沼田村には、ちょっとした偵察で来たんだが、あのカルト宗教団はどこからあんなにわいて来たんだ?」
一番尋ねたかったことをいうと、途端に有坂が苦虫を噛み潰したような顔になった。念のために兵治が教団について知っていることはすべて話しておいた。
「あの頭がとち狂った連中ですけど、病気の流行が終わってその混乱も大分治まった頃、いきなり現れたんです」
少しは気分を落ち着けたのか、順を追って有坂が話し始める。
「わけのわからない教義を唱えて、逆らう人はマシンガンで皆殺し、それで結局生き残った人は一〇〇人ぐらいになってしまって……その人達もみんなあの建物に連れてかれて、奴隷みたいな扱いを受けてます」
有坂によれば、生き残った人達はやはりあの灰色服の集団だったらしい。監視付きで店や家から食料を探して来させられたり、いろいろと教団にいいように使われてしまっているとのこと。
なにしろ相手はほぼ全員が密造したAKで武装し、おまけに手榴弾まで持っているとなれば、生き残った一般人が敵うはずもない。逃げ出そうとしても山道を封鎖され、どうしようもなかったらしい。兵治が行きに見たあの倒木で塞がれた道路と大破した乗用車は、やはり教団の仕業だったというわけだ。
「あの連中、何人ぐらいいるんだ?」
「五〇人いるかいないか、だと思います」
先程の銃撃戦で、兵治が一〇人ぐらいは撃ち殺したが、それでもまだ四〇人近く残っている計算になる。
「なんでそいつらだけ、そんなに生き残っているんだ……連中、病気からどうやって身を守ったんだ?」
「あの建物には広い地下室があって、そこに隠れて病気をやり過ごしたとか。でも、地下室に入れたのは特に頭がおかしくなってた人ばかりで、三〇人ぐらいだったらしいです。残りは地下室に入れなくて、みんな死んだみたいですね」
「じゃあ、残りの二〇人はどこから?」
「村の方で生き残ってた人の中に、信者がいたみたいで……この村、あの連中に好き放題にされてましたし」
なんでもこの沼田村には、相当教団がお金を落としていたらしい。たくさんやって来る信者が地元経済を一部支えていたし、かなりの信者がこの沼田村に定住するようになり、過疎化に喘いでいた沼田村はなし崩し的にそれを受け入れていた。
「村長が教団から賄賂を貰っていたという話もありましたよ。その村長、病気で死んじゃいましたけどね」
「とんでもない話だな……おかげで今、手痛い目に遭ってるがな」
教団を拒絶できなかった沼田村は、今まさにその代償を支払っていることになる。やはり世の中、悪をのさばらせるとろくなことにはならない。
「この村のことは大体話しましたけど、氷川さんはどうしてこんな小さな村に偵察に来たんですか?」
「実はな……」
隠すことでもなかったので、兵治はこの沼田村に来た目的を正直に話した。いざというときに、避難できる場所が欲しいということと、その理由を語る。
現在、林町は一応は兵治達が制圧下に置いているが、それも薄氷を踏むような状況だ。たかだか二〇〇人程度ではとても町全体を守りきれず、避難所と主要道路のみを押さえているのが現状で、外敵に襲われたらひとたまりもない。
そこで危なくなったときには林町を放棄して、自給自足のできるこの沼田村へ逃げ込むことを計画。そのために兵治が、まず偵察にやって来たという事情を一からちゃんと話した。
「そうだったんですか……氷川さんは自衛官なんですよね、銃の扱いがすごかったのも、納得できました」
「自衛官が銃を撃てなかったら、洒落にならないからな。俺のことは以上だが、そろそろ君のことも話してくれないか?」
そういうと、有坂は怪訝な顔をした。すぐに兵治にたずね返す。
「俺のことですか?」
「そう、あの穴やこの家のことも俺は知りたいし、君が病気から生き残って今まで何をしていたのか、できれば事情を教えて欲しい」
「あんまり愉快な話じゃないんですけど……いいですよ、順を追って話します」
改めて兵治に向き直ると、今度は有坂が話し始める。聞いていれば、驚くことも多い話だった。
有坂の両親は林町の方で仕事をしていたらしいが、病気の流行が広まってから交通網が麻痺して戻れなくなり、二人とも病気に罹り病院に収容されたという連絡を最期に、音信不通。有坂はもう両親は死んだのだと諦めていて、心の整理も時を経たおかげでそこそこついているらしい。
両親を失った有坂は、祖父を頼りにすることにした。その祖父の家が今いる場所で、ちょっとした事情から世捨て人になっていた有坂の祖父が、ここで自給自足の生活を送っていたとのこと。
「こんな山奥でか……すごいな」
「裏には畑もありますし、近くの川で魚も取れます。それにじいちゃん、鶏も飼ってたから……あとここから森を抜ければ、県道に出られます。定期的に俺と親で、どうしても必要なものを届けたりして、様子を見に行ってました」
孤独な生活を送る祖父のところに逃げ込んだ有坂は、病気の流行が治まるまでそこで暮らすことになった。ところが運悪くその祖父も持病に倒れ、またしても有坂は独りになった。
それからは祖父が残したもので暮らしつつ、あの穴を通って沼田村の様子を見に行っていたりしたらしい。教団が現れたときもいち早く山に逃げ込んだことで難を逃れ、こっそりと教団の様子をうかがうことができたようだった。
「あの穴、戦争中の防空壕と飛行機の地下工場跡なんです。山の中のあちこちにそれが張り巡らされていて、今でも中を知っていれば自由に通り抜けできます」
それを聞いて、兵治はなるほどと思った。穴が年月を経ていた理由も、これで説明がつく。
「教団の建物がある沼田村側とは、ここは山を挟んで反対側になります。俺達、山の中を穴を使って通り抜けて来たんですよ」
「よくそこまであの穴の中のことを知っているな」
「俺、ここのじいちゃんのところにはよく遊びに来ていて、中を知り尽くしているじいちゃんに案内してもらってましたから」
特に矛盾のない説明に、兵治も納得だ。ただ、まだ気になることがあった。
「それなのに、どうしてあの連中に捕まってたんだ、危うく殺されるところだったじゃないか」
この質問を投げかけると、有坂はびくりと震えた。明らかに様子の変わった有坂を注視していると、震える声で有坂が質問に答え始めた。
「その、俺の……幼馴染が、奴らに捕まってるのが見えて、それで……」
気持ちは兵治にも理解できた。親しい間柄の女の子があんな連中に捕まっているのがわかったとなれば、捨て身で挑みたくなるものだろう。そうしたくなるような相手だ。
「武器も持たずに飛び出して、とっ捕まったと……そういうわけだな」
「そんなこと!?武器は持ってました!……あ」
露骨に有坂の表情が、しまったという風に変わったので、これは何かあるなと兵治でもわかった。
「ほう、どんな武器を持ち出したんだ?」
「いや、その……」
「もちろん包丁です、なんて言うわけじゃないだろうな?」
兵治が問い詰めると、有坂は観念した様子で、口を開いた。
「俺が話すよりも、実物を見て貰った方が早いと思うので、ついて来てくれませんか?」
「よし、わかった」
再び家を出て、また山中に入る。家からそれほど離れていない場所に、別の防空壕跡があり、そこに有坂は案内してくれた。
またマグライトを灯して、真っ暗な穴の中に入った。先導する有坂がいくつかの分岐を進み終えたところで、足をとめた。マグライトの明かりの中に、青い防水用のビニールシートに覆われた何かがあった。
「これです」
「まさか爆弾をこっそりつくってました、とかじゃないだろうな」
そんなことを言いながら、兵治はビニールシートをめくりあげた。するとそこには、細長い木箱と小さな四角い木箱が並んでいくつか並んで置かれていた。木箱の蓋の隙間からは、油紙と思しきものがはみ出している。
まさかと思いながらも木箱の蓋を開けた兵治は、そこにあったものを見て、今度こそ本当に絶句してしまった。
「おいおい、どうしてこんなものがここにあるんだ……!?」
古い新聞紙が詰め込まれた細長い木箱の中、そこに油紙に包まれたそれはあった。まるで槍のように長く、木と金属で造り上げられたそれは、半世紀以上前の戦争で使用されたことで、これ以上ないほど有名な国産小銃だった。
「三八式歩兵銃なんて、とんでもない骨董品だぞ……」
ぼやきながら、兵治はかつての日本兵が愛用していた小銃を手に取った。装弾数五発のボルトアクション式ライフルは、つい最近まで入念な手入れが行われていたようで、ぴかぴかの状態だった。
今でも十分に撃てそうな三八式歩兵銃を一旦木箱に戻すと、今度は四角い木箱の蓋も開けてみた。予想していたが、こちらには拳銃が収まっていた。これも旧日本軍の制式拳銃だった。
細く突き出た銃身と、スマートな銃把が特徴的な自動拳銃は、十四年式拳銃という制式名を持つ。前期型と後期型があるが、これは後期型のようだった。ぶつけたり落としたりした際の暴発を防ぐために引き金を覆っている用心鉄が、寒冷地で手袋をはめたままでも扱えるように卵型に大きくなっている。装弾数は八ミリ南部弾が八発だ。
ちなみになんとこの十四年式拳銃、名が示す通りに大正一四年に日本陸軍で制式採用となった軍用自動拳銃だ。それ以来終戦まで、日本軍において拳銃を必要とする兵科で使用され続けた、歴戦の拳銃ということになる。
問題はそんな旧日本軍御用達の小銃と拳銃が、どうしてここにあるかだったが。別の木箱には弾薬まであったし、他の木箱にもまだ小銃や拳銃が収まっていそうだった。
「俺のじいちゃんが遺してたものです。じいちゃん、戦争中にいろいろとあって、それでこんな山の中に……」
旧日本兵やその遺族が銃器を隠し持っていることはままあることだったが、実際に目の当たりにすると驚きだった。いずれもきちんと手入れが行き届いていて、油紙を使って空気から遮断するなどの工夫が施されていた。
そのために、ここに隠匿されていた旧軍銃器は、今でも射撃可能な状態だった。もちろん同じ処理が施され、使用可能と思える弾薬もある。
「……なんとかなるかもしれないな」
「え、なにがですか?」
「連中がこのまま俺達を見過ごすとは思えないってことだ。たぶん明日、態勢を整えたら山狩りに絶対やって来る」
木箱を開けて中身を確認しながら、兵治は言った。銃剣やら信号拳銃やら、そんなものまであった。
「そんな……あ、そういえば、これどうしましょう?」
「忘れてた、ちょっと見せてくれ」
射殺した教団の信者のひとりから、肩掛けバッグを奪っていたことをすっかり忘れていた兵治は、有坂からそれを受け取った。中身を確認すると、嬉しいことに銃の清掃道具やメンテナンス用の工具が入っていた。
他にもよくバッグの中を探すと、何やら怪しげなパイプまで収納されていた。それの正体に気がついた兵治は、思わずにやりとしてしまった。これでまたひとつ、教団と戦うための道具が増えたことになる。
「この穴の中を、俺に案内してくれ。あの連中を撃退するのに、使えるからな」
「でも、まだ四〇人もいるんですよ!全員がマシンガンを持ってるし、爆弾だって……」
喚きかけた有坂を、兵治は三八式歩兵銃のボルトハンドルを引いた乱暴な金属音で、黙らせた。
「いいか、俺達の御先祖様は、これを使ってあの強大な米軍と戦ったんだぞ。あんな連中にやられるなんて、日本男児の恥だと思わないのか」
そう言い、兵治は笑いかけた。ただその目は笑っておらず、獲物を見つけた狼のような鋭い眼光があった。
「ここはひとつ、日本兵の血筋を見せてやろうじゃないか」
作者が風邪を引いていたせいで、更新遅くなり、申し訳無いです。
連休中は遠出したりとまたバタバタするのですが、頑張って出来る限り早く更新できるように頑張ります。
本当にたった一言でも貰えるとやる気が一気に出て書き進められるので、ご意見やご感想、なんでもお待ちしています。