第一二話:狂信者の楽園
緑に包まれた山の中を縫うように走る道路を、一台の黒い四輪駆動車が走っていた。エンジンは軽快に動き、アスファルトをタイヤで噛みながら四駆は進んでいる。
「さて、もう少ししたら到着だな……ガル、お前寝過ぎじゃないのか、馬鹿になるぞ」
「うるせぇな、俺様の勝手だろ」
運転席に座っていた兵治が、助手席で寝込んでいたガルにそう言った。対するガルはといえば、一言だけ答えるとまた寝始める。
「まったく、どうやったらそんなに寝られるんだ……?」
ロードマップを仕舞いながら、兵治は呆れてつぶやいた。頭のおかしいカルト宗教団がいるかもしれない場所に偵察に向かっているというのに、ガルには緊張感の欠片もない。兵治としては、ガルにももう少し緊張感を持って貰いたいところだ。
沼田村へと通じる一本の曲がりくねった道路は、うまく封鎖出来れば、旧ソ連軍機甲部隊でも通行が困難になるだろうと兵治には思われた。林町から逃げ出す羽目になったときには、ここを封鎖して沼田村に立てこもるのも悪くない、と兵治は考えながら車を走らせ続ける。
ところが、快適なドライブはそこまでだった。カーブを曲がったところで、大きな倒木が道路を塞いでいたからだ。兵治がカーレースよろしく速度を落とさずに曲がっていたら、派手に突っ込んでいるところだった。
「トラブル発生だぞ、ガル」
「頭のネジがぶっ飛んだ連中の仕業だったら、俺様の睡眠を邪魔した罪は死刑だ」
道路を塞ぐ倒木の前で、兵治は車を停め、慎重に警戒しながら下車。倒木を調べにかかった。倒木は一本だけでなく、太い倒木が数本横に転がっていて、見事に道路を塞いでいる。
「これは……間違いない、人為的だな。考えることは皆同じか」
倒木の根元を見た兵治が、そう断定した。明らかにチェーンソーか何かで、切り倒されてここへ運び込まれた形跡がある。兵治が先程封鎖を考えたように、沼田村の方でも同じことを考えた人間がいたらしい。
「こっち来て見ろ、ちゃちなホラー映画みてぇなことになってるぞ」
兵治がやって来た方とは反対側、つまり沼田村から林町へと向かう方だが、そこに一台の普通乗用車が倒木に突っ込んで大破していた。倒木を軽やかな身のこなしで乗り越えたガルが、その乗用車の運転席を覗き込んでいる。
兵治も近寄ってみたが、乗用車はひどい有様だった。倒木に突っ込んだ衝撃でエンジンルームは滅茶苦茶に壊れていて、フロントガラスも木っ端微塵。運転席や車内には、赤茶けた染みがべっとりと残っている。
「弾痕だ……まだ新しいな」
ぐるっと乗用車を見回った兵治が、乗用車の後部にあちこち弾痕が穿たれているのを発見した。兵治は左腰の鞘からナイフを抜くと、その刃先で弾痕を抉り、中に潜り込んでいたそれをほじくり出した。
「五・四五ミリ……いや、それよりも少し大きいな。五・六ミリぐらいか」
ひしゃげた弾頭を眺めながら、兵治が考え込む。散々実弾に触れて来た兵治だから、ほんのわずかな違いでも見分けることが出来たのだが、あまり見かけない口径の弾丸だ。
「これだけ撃っているということは、おそらく連射できる銃火器だ……何にせよ、ヤバそうだな」
「相当ここで乱射したみたいだな。火薬の臭いがまだ残ってやがる」
兵治はさらに周辺をよく調べた。そのおかげで、この乗用車以外の別の車両のブレーキ痕を発見したりした。この乗用車、どうも銃を持った追っ手に追いかけ回された挙句、ここに追い込まれてやられてしまったらしい。
さらにブレーキ痕以外で、もうひとつ発見があった。空薬莢を発見したのだ。やはり口径は見慣れたロシアン五・四五ミリ弾よりもやや大きい、五・六ミリクラス。
「刻印が無いから、やっぱり密造されたものっぽいな」
空薬莢はお粗末な材質でつくられた安っぽいもので、製造元を示す刻印などが何も打刻されていなかった。兵治の見たてでは、どうも密造銃か何かが使われたらしい。
「ガル、例のカルト野郎ども、まだ生き残っているみたいだぞ」
『落日の教団』とやらが、本拠で武器の密造を行おうとしていたという草加の話を思い出しながら、隣のガルに兵治は言った。
「いいねぇ、皆殺しだ」
それに対してガルは気にも留めていないようで、不敵にニヤリと笑って答えた。つくづく狼にしては感情表現豊かな奴だ、と兵治は思う。
「仕方が無い。ここからは徒歩で、隠密行動を重視して行こう」
「ま、そもそも偵察はそういうもんだしな」
一旦兵治はガルを連れて四駆に戻り、元来た道をバックで戻った。その途中でガードレールが途切れ、路肩に外れられる場所を見つけ、そこへとハンドルを切った。そのまま木陰の中に四駆を突っ込ませて道路から隠し、轍も折った草木で消し去っておく。
四駆を隠し終えた兵治は、必要な物を詰め込んだリュックサックを背負うと、ガルを連れて歩き始めた。道路をただ歩くのは危な過ぎるので、脇にそれて山の中を歩いて行く。
敵と出会いたくないなら道を歩かないのが原則だが、逆に道から離れ過ぎて迷子になるのも大問題だ。道からは一定の距離を保ちつつも、付かず離れず進んでいくのがポイントとなる。沼田村まであと数キロ、その道のりを兵治とガルは黙々と歩き続けた。
眼下に沼田村を望める山の中腹、そこに兵治とガルはいた。兵治は岩の上で腹ばいになって伏せ、小型の高倍率双眼鏡を構えている。
双眼鏡の拡大された視野の中の沼田村は、中央に小さな駅があり、それを囲むようにして商店や住宅地が盆地の中に広がっている。さらにその外縁には、たくさんの畑や水田がつくられていて、周囲を囲む山の中にも果樹園などが散見される。
「誰もいない……?」
沼田村の様子を探っていた兵治だが、なにひとつ動くものを見つけられなかった。山間の村は不気味に静まり返っている。
兵治が調べた限りでは、過疎化が進んでいたとはいえ沼田村の人口は千単位、生き残っている人間がいないはずはないのだが。例のカルト教団の姿も見受けられない。
「いよいよホラー映画だな、どうする?」
「他にどうしようもないしな。ちょっと村に入って調べてみよう」
ガルと話した後、兵治は村に入ってみたが、それでも現状は変わらなかった。人がいた形跡はあるのだが、相変わらず誰一人として見つけられない。まるでゴーストタウンだった。
「これは……?」
兵治は村の中で、一枚のポスターを発見した。黒い紙面に白で描かれた幾何学的な模様と文字がのたくっている。どうやらこれは噂の教団の布教ポスターらしい。
「……入信者はここへ来いって書いてあるな」
ポスターには小さな地図が添付されていて、それを見る限りこの沼田村の中心部から外れた、山の方に教団の本拠があるらしい。兵治はそれを持っていた地図に書き写した。
「なんだ、お前も入信する気かよ?」
「そんなわけないだろう。連中の本拠を調べに行くためだ。そこでなら、何か手がかりを得られるはずだからな」
兵治はやはり例の教団が諸悪の根源にある考えている。ならば、その教団の本拠を調べに行かない手はないというわけだ。
兵治は村の中心部から出ると、先程写した地図を頼りにガルを引き連れ移動を開始した。今度は山奥の教団本拠を目指して、またひたすら歩き続ける。
そこで行われていることの後ろ暗さを示すように、いつの間にかそこへ辿り着いたときには、曇天下となっていた。鈍い灰色の空と似た色合いの、コンクリートで形成された安普請な建物が、その存在感を誇示するかのように地面の上に居座っている。
山奥の一本道を進んだ先に、忽然と教団の本拠は現れる。兵治は本拠の周辺を囲む林の中に、ガルとともに身を潜め、様子をうかがっていた。
「ビンゴか……あの頭のネジを月まで吹っ飛ばしてる連中、しぶとく生き残ってたみたいだ」
兵治の視線の先、教団本拠周辺で白い人影が蠢いていた。学ランを白くしたような詰襟の服を着た、信者と思しき人物が周囲を歩いている。服の白さとは対照的に、信者は鈍く光る黒と銀の金属工業製品を手にしていた。
「見た感じ、AK74をコピーした密造銃みたいだな。質はともかく、数は揃えてる」
教団本拠を見回っている信者は、全員が密造AKを手にしていた。予備弾倉も腰に持っている辺り、弾薬も行き渡っているのだろう。
さてどうしたものかと兵治が偵察を続けていると、変化があった。教団本拠に設けられたスピーカーから、意味不明な呪文めいた言葉が流れ出し、すると周辺を警戒していた信者たちが建物の正面へと集まって来る。
そのまま様子を見ていると、正面の扉が開いて、またぞろぞろと信者が出て来た。ただ今度の信者はなんというか、みな一様に沈んだ表情で、どうにも覇気というものがない。武器も手にしておらず、着ている服も白ではなく灰色だ。
白い服の信者に銃口を向けられた灰色服の集団、ざっと一〇〇人ぐらいはいるかもしれないが、その全員が教団本拠の前の広場に整列させられる。整列が終わったところで、スピーカーの呪文がやみ、今度はやたらと壮大な背景音楽が流れ出す。
その音楽に合わせるようにして、これまた無駄に偉そうな純白のローブを着た中年男性が、建物から姿を現す。ゆったりとしたローブを着てはいるものの、そのでっぷりと太った腹は隠せておらず、兵治は即座に脳内ランキングの一般人が想像する最悪な男性像トップにそいつを持ってきた。
教祖か何かだろうと目星をつけた男の脇には、卑屈から生まれて来たような小男が付き従っている。補佐か何かだろうと兵治は考えたが、それよりも注目すべきは、その二人を守る純白の服に金色の装飾を設けたものを着込んだ数人の護衛だった。
親衛隊と思しきその信者たちは、密造AK以外の武器も装備していた。卵型の黒い金属容器の上部に、リングの付いた短い棒を突き刺したような、無骨な形状の物体を腰に身につけている。
――あいつら、ロシア製のRGD-5対人破片手榴弾なんか持ってやがる。
凶悪な爆発物も備えた親衛隊に守られた二人の男は、ご丁寧にも白服信者が用意した壇上に上がった。教祖ではなく、小男が眼下の灰色服の集団に話し始める。
「文明の灯火が落ちたこの落日の世界で、我々の唯一の光であられる教祖様が……」
兵治にとってはどんな子守唄よりも強力な睡眠作用を伴う演説が、小男の口から垂れ流され始める。某北の半島国家の将軍様万歳演説と負けず劣らずだった。後ろにいる教祖様は、威光を損なわないために黙っていることになっているらしい。
「なあ、あの連中はヤクでもやって幻覚見てんだよな。頼むからそうだと言ってくれよ」
「俺もそうだと言いたいが……ここに精神病院を建てる必要がありそうだな」
ガルが腐った生ごみを見るような眼差しを教団へと向けながら、隣の兵治にささやいた。兵治もそう信じたくなって来るが、現実は現実だ。
そして演説が延々と続き、いい加減に兵治が睡魔と戦い疲れた頃、小男が気になることを言い出した。よくはわからないが、不信者がどうのこうの言っている。
「……残念ながら、教祖様の気高き霊力でも、うら若きこの者の邪気を祓うことができなかった。よって、この者には黄泉の世界へと」
そんなことを言いながら小男が合図をすると、例の親衛隊員に引きずられるようにして、男の子がその場に連れて来られた。両腕を縛られた中学生ぐらいの青年は、猛烈な勢いでわめき始める。
「うるさい黙れっ!この人殺しども!俺は絶対にお前らの言いなりになんかならなうぐうぅ!?」
わめいている途中だったが、青年の口に丸めた布が突っ込まれた。うーうーという呻き声しか出せなくなる。
「世に満ち溢れているこの狂気の青年が、我等が信徒を傷つけた罪は重いが、それでも教祖様はこの者を救おうと……」
また演説だった。親衛隊や白服信者は直立不動で目を輝かせながら話を聞いている。無性に銃を連中目掛けて乱射したくなり、兵治は困ってしまった。隣でガルも牙を舌先で舐めているあたり、相当苛立っているようだった。
それとは反対に、灰色服の集団は見るからに辟易としていた。この集団は元々の信者ではなく、沼田村で生き残っていた人たちが無理やり信者に仕立て上げられているという予想を兵治は立てている。
「この者を黄泉へと旅立たせる聖なる儀式は、この後ただちに行われる。儀式を受けたくなければ、諸君らも霊力を高める修行に励むのだ」
最後にそんなことを言って、演説は締めくくられた。また馬鹿げた音楽が流れ出して、教祖とその腰巾着と親衛隊はその場から退出。残った灰色服の集団も、白服信者の銃口に追い立てられて建物の中へと連れ戻されていった。
最後に残ったのは、元通りに周辺警戒に当たる白服信者と、銃口を突きつけられたままの青年だった。もがく青年をよってたかってつかみ、白服信者が青年を建物の裏側へと運んでいく。
……そっとホルスターからP230を引き抜いた兵治は、林の中に隠れたままガルとともにその後を追った。
本当にたった一言でも貰えるとやる気が一気に出て書き進められるので、ご意見やご感想、なんでもお待ちしています。