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小話:子連れ狼

 うららかな日和の下、ゆったりと流れる川のほとりは、緑で覆われている。草という天然の絨毯が敷き詰められた川岸で、黒い毛皮に包まれた一匹の狼が寝そべっている――もちろんその狼は、ガル以外に他ならない。


 ガルは、とにかく過ごしやすい場所で横になるのが大好きだ。寝そべり、組んだ前脚の上に頭をのせて、楽な姿勢でだらだらする。ガルにとっては、これが至福のひと時だ。


 ――この時間を邪魔する奴がいたら、噛み殺してやる。


 ガルはそう思う。そう思うのだが、そうはいかなかった。


「ねーガル、なにして遊ぶ?」


 寝そべるガルにもたれかかっている、小さな女の子がそう言った。本来なら小学生として学校に通っているはずの女の子は、望月可奈もちづきかなという。ここで面倒を見られている、両親を失った子供のひとりだ。


 そして、この可奈こそが、ガルにとっての頭痛の種となっている。初めて会った瞬間から、ガルはなぜか可奈に猛烈に気に入られてしまっている。子犬のようにべったりとつきまとってくる可奈にガルは疲れてしまう。


 今もせっかくの至福のひと時を邪魔されてしまっているが、ガルは理性ある狼だ。小さな女の子を相手に牙を向けるほど、ガルは安っぽい狼ではないのだ。だから、辛抱強く可奈の相手をしてあげている。好き放題に毛並みを触らせるし、いくらでも首にだきつかせてやっている。


「あ、先生!」


 いい加減に可奈の相手をするのにも疲れた頃、近くを南方が通りかかり、可奈はそちらへと駆けて行った。南方は小学校の先生をしていて、小さな子には特に人気がある。


「先生、わたしうちに帰りたい!」


 耳が人間と比べてはるかに優れているガルには、離れていても可奈と南方の会話が嫌でも聞こえてきてしまう。どうやら可奈が、南方を相手に家に帰りたいとごねているようだ。


「可奈ちゃん、それはだめって何度言ったらわかるの……外にはまだ怖い人がいっぱいいるのよ?」

「そんなことないもん!男の子が、悪いやつらはもうやっつけたって!」


 先日、群れを成して避難所となっていた公民館に攻め寄せてきた暴徒のことを言っているのだろう。確かに襲ってきた連中は壊滅させ、暴徒は散り散りとなったことがわかっている。しかし、確実に全滅させたわけではなく、まだ少数ながらも暴徒はあちこちに潜伏していると見られていた。


「お家に帰りたいのはみんな一緒だけど、我慢してるのよ。可奈ちゃんもいい子なんだから、みんなと一緒に我慢しましょう?」

「もうがまんするのはやだ!いつになったらうちに帰れるの!?」

「あとちょっとだから……あ、可奈ちゃん!」


 南方が可奈を諭そうとしたようだが、失敗したらしい。盛大に泣きながら、可奈がガルのところへと舞い戻ってきてしまった。可奈の泣き声が、ガルの耳には痛い。


「ごめんね、ガル君。あなたは可奈ちゃんのお気に入りだから、面倒を見てあげて」


 ガルの首に抱きついて大泣きしている可奈を見て、やって来た南方は申し訳なさそうにガルに言った。なんだかんだで根は善いガルは、そんな南方に対して、丁寧に尻尾を振って答えた。


「ありがとう、また後で迎えに来るわね」


 南方はガルの頭をひと撫でした後、公民館の方へと歩き去っていった。ガルはぐすぐすと泣き続ける可奈と一緒に取り残されてしまう。


「わたし、うちに帰りたいのに、みんなだめって言うの……ガルは、そんなこと言わないよね?」


 目に涙を浮かべたまま、可奈がガルに問いかけてくる。ガルは、そんなこと言われても犬だからわからないよ、とでも言いたげなとぼけた表情で、可奈に答えてあげた。


「うちに帰るだけなのに……」


 一旦は泣き止んだ可奈だが、また泣き出しそうになっている。これ以上デリケートな耳を痛めつけられてはかなわないので、慌ててガルは舌でぺろりと可奈の頬を舐めてやった。


「やん、ガルったら」


 頬を大きな舌で舐められた可奈が、くすぐったそうにして笑った。泣いたり笑ったり、子供は忙しいなとガルは思う。


「わたし、ぜーったいにうちに帰るから!」


 笑いながら大声で突然言われて、ガルはまたしても耳が痛い。その時のガルは、耳が痛いことばかり気にしていて、可奈の宣言をまともに考えていなかった。ガルはそこまで子供心がわかるわけではないのだ。


 ――子供は嫌いじゃないが、苦手だぜ。


 首に可奈をぶら下げたまま、ガルは内心そう考えていた。なんとか子供と関わらずにすむうまい方法はないだろうかと、具にもつかないことも考える。


 ガルの内心など気にもとめない可奈は、泣いて疲れたのかそのまま寝込んでしまった。もちろんガルに抱きついたままで、ガルは南方が迎えに来るまで、可奈を起こさないように硬直していなければならなかった。




 毎度騒ぎながら夕食を終え、お腹に食べ物が入ったことで満足した子供たちは、さっさと寝てしまう。公民館一階の広い板張りの部屋の中に、もともと常備されていたものや付近の民家から回収して来た布団が広げられ、その上で子供たちは寝息を立てている。


 夜間の見回りに励む警備班員が、時折覗きに来るほかは、誰もここを出たり入ったりする者はいない。子供たちの寝息だけが静かに響く部屋の中で、ガルはふと目を覚ました。時計が無いので正確にはわからないが、深夜なのは間違いない。


 真夜中に起きたガルは、違和感を感じていた。いつも夜、ガルは子供たちに囲まれてお守りをする形で眠っている。違和感が何なのかわかった瞬間、ガルはすぐに起き上がった。


 ――あのお嬢ちゃん、どこ行きやがった?


 いつも身体に感じる温もり……それがないということは、すなわちガルに抱きついて眠る可奈がいないということだ。音も立てずに素早く起き上がったガルは、人間と違って夜もよく見える目で、大部屋の中を見渡す。


 見渡し、さらに子供たちの顔をひとりひとり確認したが、どこにも可奈はいなかった。ひょっとしたらトイレかもしれないと思い、すぐ前まで行って聞き耳を立ててみたが、その限りではトイレの中には誰もいないことがわかった。


 結局、ガルが出せた結論は、少なくともこの公民館の中には可奈はいない、というものだった。よく憶えている可奈の匂いをたどってみたが、公民館の裏口から外へと続いていた。夜の暗闇の中には、主を失った家々が沈んでいる。


 可奈は家に帰りたがっていた……そのことが脳裏によみがえった瞬間、ガルの頭から血の気が引いた。まさかとは思ったが、外に出ている匂いは可奈だけで、付き添う者はいなかった。可奈はたった独りで、夜の闇の中を家へと向かったのだ。


 一瞬、ガルは兵治に知らせようかと思った。しかし、すぐにその考えを消し去った。よくわからなかったが、このことはガル自身で解決しなければならないような気がしたからだ。なんとなく、自分の責任のような気もしていた。


 誰にも知らせず、ガルも裏口からひっそりと外へと出た。残された可奈の匂いを辿って、闇の中を走る。走り続けた。




 可奈は、闇に沈んだ住宅街の行き止まりで、震えていた。手にした非常用の懐中電灯の灯りが、極度の恐怖から来る震えのせいで細かくぶれている。


 そして、懐中電灯の灯りの先には、五人の男がいた。男たちも手にした懐中電灯で可奈を照らしている。無防備な可奈を灯りは容赦なく照らし出し、男たちに獲物の姿を見せつけている。


 男たちの中には懐中電灯以外に、鈍い光沢を放つ金属製の工業製品を手にしている者もいた。使用用途が主として殺傷に限られるそれは、銃だ。灯りだけでなく、銃口も可奈は向けられていた。


「ガキだけか……どうする?」


 家に帰ろうと抜け出した可奈をここまで追い込んだ、暴徒の残党のひとりが、そう言った。何の感情もこめられていないその声は、夜の寒さ以上に冷たかった。


「んだよ、ガキかよ。ここまで追い掛け回して、損したな」

「まったくだ。ガキなんてうぜぇだけだし、さっさとぶっ殺しちまおうぜ」


 拳銃を手にした男が、小さな標的に対して銃口の狙いを定める。可奈の震えがさらにひどくなる。


「待てよ。ガキはガキでも、女だぜ」

「お前、本気かよ。そういう趣味があったのか」


 男のひとりが冗談とも本気ともつかない声でそう言い、別の男がさすがに気持ち悪いといった目線を向ける。


「そんな目で見るなよ。まあ、ものはためしっていうだろ、な?」


 下卑た笑みを浮かべながら、そう続けた。周囲は引いているものの、止める者は誰もいないようだ。


 ――助けて、誰か!


 舌なめずりしながら男が可奈へと一歩踏み出し、それを契機に怯え切った可奈は最後にそう考えると、糸が切れるようにその場に倒れてしまう。あまりの恐怖に気を失ってしまったらしい。




「よかったぜ。お嬢ちゃんが気絶してくれて」


 可奈が倒れた直後、男たちの背後で唐突にそう声が上がった。


「だ、誰だっ!?」

「どこにいやがる!」


 うろたえながら、振り返った男たちが懐中電灯を向ける。人工の光が闇を貫くが、そこには誰もいない。少なくとも、本来なら人の上半身があるはずの場所には。


「まったく……糞どもが。臭うんだよ、てめぇらは」


 懐中電灯の灯りの下、路面のすぐ上で闇の一部が動いた。漆黒の毛並みをまとったガルが、闇から溶け出るように姿を現した。深紅の瞳が、闇の中で爛々と輝いている。


 戸惑ったように懐中電灯の灯りが左右に揺れ、声の主を捜し求めるが、もちろんガル以外には誰もいない。困惑する男たちの様子を完全に無視して、ガルは話し続ける。


「本当によかったぜ、なんせ……」


 口の端を吊り上げ、牙を剥き出してガルが笑った。喉の奥から、嘲笑がもれる。


「……死人に口なし、だからな」


 その言葉を最後に、ガルが駆けた。先頭の男まで十数メートルあったが、瞬きする間にガルは距離を詰め、先頭にいた男に飛び掛った。肉食動物の爪と肉球が奏でる足音が、鋭く後を追う。


 喉に牙を喰い込ませながら、ガルは先頭の男を押し倒した。気管を信じられない力で引き裂かれた男の喉から、ひゅっという空気がもれる音がかすかに聞こえた。鋭い牙が、男の喉を文字通り八つ裂きにする。


「まずは一人だ。どうする、反撃しないと殺されるだけだぜ?」


 牙を血に染めたガルがそう言うと、残った四人の男たちはようやく動いた。銃口をガルに向けなおすが、それよりもずっとガルの方が速い。


 弾丸のような速さで突っ込んだガルが、男のひとりの足に噛みつき、その場に引き倒した。その直後に夜気を震わせる銃声が轟き、銃口から放たれた大量の散弾がガルを襲う。が、その本物の弾丸はガルには一発も命中せず、倒れた男の胴体を穴だらけにするだけに終わる。


 男を引き倒した直後、強靭な脚力を使って跳び上がったガルは、すべての散弾を回避することに成功した。男たちの頭上に占有したガルは、一瞬の滞空時間を経た後、重力に従って落下する。落下途中にすれ違いざま、ガル目掛けてショットガンを撃った男の首筋を、ほとんど刃といってもいい牙で斬り裂く。


 頚動脈を断ち切られ、鮮血を噴き上げながら倒れる男をバックに、ガルがさっと着地する。血に汚れた牙を舌先で軽く舐めた後、零下の声音で告げる。


「もう三人死んだぜ?」


 体感温度氷点下以下の、身も凍るような声で告げられた二人の男の片割れが、絶叫とともに拳銃をガルに向ける。もちろんガルは、そのまま撃たれるような真似はしない。


 一瞬で横に跳んだガルの後脚が、道の側面にあったコンクリートの壁を強く蹴る。そこから生まれた力を使って空中を半瞬で移動し、横合いから拳銃を構える男の腕に噛みついた。それこそコンマ数秒の動きだった。


 伸ばした腕に横から噛みつかれ、勢いよく男の腕が水平に強制移動する。男は腕に噛みつかれた激痛から意図せず引き金を引いてしまい、逸れた銃口の先にいたもうひとりの男が、放たれた拳銃弾を胸の真ん中に浴びて悲鳴を残し倒れる。


 一旦噛みついた男の腕から離れ、男の足元にガルは着地。その動きがあまりに素早かったので、男にはガルが消えたように見える。その間隙を突いて、男の喉にガルは跳び上がって襲い掛かった。牙を右から左へと流れるように振るい、一文字に男の喉を斬り捨てる。


 瞬く間に四人を冥土へと速達で送り届けたガルは、胸を撃たれて瀕死の男へと歩み寄った。弾は心臓には命中しなかったようだが、肺を傷つけたらしく、呼吸する度に男の口から血がこぼれている。その男は、可奈に下心を持って近づこうとした男だった。


「よう、お仲間は全滅したぜ。残るはお前だけだな」


 仰向けに倒れている男の、胸の銃創を前脚で踏みつけながら、ガルは言った。男が苦痛に呻くが、さらに体重をかけてえぐるようにして痛めつける。男が可奈に対して口にした言葉をガルはちゃんと聞いていた。


「安心しろよ、今からてめぇも地獄に送ってやる……ただし」


 またガルは血にまみれた牙を剥き出しにして、男へと笑った。男にとってその笑いは、まさしく悪魔そのものだった。


「地獄に堕ちたら、すぐに逃げろよ――そうしないと、追いついていくらでも殺しちまうからな」


 闇の中を牙が一瞬で走り抜け、鮮血が舞い上がった。




「チッ……牙が汚れたぜ」


 血が混じった唾を吐き捨てた後、殺した男の服で手早く口元をぬぐって返り血を払った。その後に、気絶した可奈へと向かう。


「よっこらせっと」


 微妙におっさん臭いことを言いながら、ガルは可奈を咥えて背中に乗せた。そして即席の処刑現場と化したそこから、さっさと立ち去る。


「まったく手間掛けさせやがって……!?」

「ガルが喋った?」


 公民館へと戻る途中にぼやいた途端、いきなり背中に乗せている可奈が声を出したので、ガルは驚く。いつの間にか意識を取り戻していたらしい。


「でも、わんちゃんは喋れないから、これ夢なのかな?」

「そうさ、これは夢だ。独りで勝手に家に帰ろうとする、悪い子が見る夢だ」


 とりあえず、ガルは適当に背中の可奈の相手をすることにした。


「すっごく怖かったろ。こんな悪い夢を見たくなかったら、もう二度と黙って抜け出したりするなよ?」

「うん、怖かった……でも、ガルが助けてくれたから、全然平気だよ!」


 反省しろ、と内心で答えたガルの首に、背中から可奈が抱きついて来る。思い切り抱きしめてくるので、多少息苦しさを感じるガル。


「大好きだから、ガル……」


 ガルの首を抱き枕代わりにして安心したのか、可奈は両腕でしっかりとガルの首を抱きかかえたまま、背中で寝始めてしまった。これだけしっかり抱え込んでいれば、可奈が背中から落ちることはないので、ガルはペースを保って帰路を急ぐ。


 ……薄い月光がそっと照らす町の中を、背中に少女を乗せた漆黒の狼が軽やかに歩いていった。




 穏やかな流れの水をたたえた川の横、陽光が緑を萌え立たせる中を、ガルは走っていた。逞しく伸びている雑草を強く脚で踏みつけながら、高くジャンプ。


 空中を飛んでいた赤色のフリスビーを見事にキャッチすると、すたっと着地した。それと同時に、周囲から子供たちの歓声が上がる。


「やったぁ、ガル!さすがだね!」


 フリスビーを咥えて戻って来たガルの頭を、可奈がごしごしと撫でつける。辛抱強く尻尾を振ってガルはそれに応えるが、内心ではどうしてこんな目に遭っているのだと考えている。


 あの夜は結局、ガルは可奈を無事に公民館へと連れ戻して、布団の中に押し込めておいた。おかげで可奈はあれを悪夢だったと思い込んでいるようだ。何があったかきちんと把握しているのは、ガルと事情を一応話しておいた兵治だけ。


 可奈が悪夢を見たと信じ込んでいるのを見て、ひとまずガルは安心していたのだが、今まで以上に可奈がガルにつきまとうようになってしまった。あれこれ遊びに駆り出されるようになってしまい、とても横になるどころではない。


「もう一回お願いね!それっ!」


 再び可奈が、フリスビーを力任せに放り投げた。フリスビーは川岸上を勢いよく飛んで行ってしまう。


 ――俺様は犬じゃねぇ、狼だってのに畜生!


 心の中で喚き散らしながらも、ガルはフリスビー目掛けて疾風のように駆ける。子供たちの笑い声が響くそこは、ガルの心の平穏は除くが、とても平和な場所だった。

今回はガルがメインのお話を書いてみましたが、今後もこういう小話は書いてみたいですね。

次回からは、また本編を進めていくつもりです。


本当にたった一言でも貰えるとやる気が一気に出て書き進められるので、ご意見やご感想、なんでもお待ちしています。

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