プロローグ:中東のどこか遠い場所で
「車両を盾にしろ!建造物の窓や屋上に注意!」
氷川兵治二等陸尉は、高機動車から飛び降りながら声の限り叫んだ。乾いた大地をコンバットブーツで踏みつけ、素早く高機動車のエンジン部分を背にする。即応の防御態勢を取りながら、どうして自分は中東の殺風景な市街地で殺されそうになっているのだろうと考えた。
兵治は陸上自衛隊の中央即応集団隷下の、特殊作戦群の小隊長を務めていた。特殊作戦群は陸自における唯一無二の特殊部隊で、最精鋭だ。そんな最強の特殊作戦群の小隊長ともあろう兵治が、こんな異国の地で民兵の集中砲火を浴びているのには複雑な事情があった。
世界の警察を主張する天下の米軍様の後塵を拝して、戦火でズタズタに引き裂かれた中東某国にも自衛隊が派遣されることとなった。人道支援だ後方援助だなんだと言っているが、これは実質海外派兵だ。今も民兵による米軍襲撃が絶えないこの国に、自衛隊が派遣されるのは兵治からすれば大問題だった。戦車や戦闘機まで動員している米軍に対して、紙のような装甲の車両と軽火器だけで自衛隊が乗り込むなど、自殺行為もいいところだった。
そう言って上官に愚痴をこぼした兵治は、その上官に言われたものだ。ならちょっとお前が警備補佐としていってこいよ、と。兵治は耳を疑ったが、それからはあっという間だった。元々保険として特殊作戦群からも、警備の助言を与える人員の派遣が検討されていたのだ。マスコミの目があるので部隊全体で行くことは出来なかったが、ひとりくらいは誤魔化せるだろうということで、兵治が見事に貧乏くじを引く羽目になったわけだった。口は災いのもととは、よく言ったものである。
そういうわけで、警備補佐として兵治は中東某国某所の大地を踏んだ。これまでの数週間は何事もなく過ごして来たが、遂に今日災厄が訪れた。市内にある発電所の復旧作業に駆り出されたのだ。兵治は市内を軽車両だけで進むことに断固反対したが、命令でごり押しされた。どうも自衛隊が人道支援として活躍しているという、いいアピールになるとどこかの間抜けが考えたらしい。
「おかげで見事に待ち伏せを喰らったよ、クソッタレめ」
思わず吐き捨てながら、兵治は89式小銃の安全装置を解除、射撃モードをフルオートに変更する。特殊作戦群では米軍のM4カービンだが、今回は国産の89式小銃を持たされていた。89式小銃も悪くはないが、実戦で鍛えられたM4カービンと比べるべくもない。だが、今は我慢するしかなかった。ぜいたくは敵だ。
また民兵が激しく撃ちかけて来た。盾にしている高機動車に弾丸が命中し、鋭い金属音が響く。兵治は身長一八〇センチ、それなりに長身な方だから、身をかがめるのが辛い。ただでさえぼさぼさの黒髪が、舞いあがった砂のせいで、さらに悲惨なことになっている。
「本部に襲撃を受け応戦中と報告しろ!救援要請も!」
隣にいる無線機を背負った陸自隊員に、大声で兵治は命じた。その陸自隊員は顔を青くしていたが、すぐに無線機に向かって兵治から命じられたことを喚き始めた。が、顔をさらに青くしながら兵治に顔を向けて言った。
「自力脱出せよ、と。救援は出せないそうです」
「無線機を寄こせ!俺が話す」
無線の受話器をひったくると、兵治はそこへ向かって怒鳴りつけるように話した。
「こちら日本狼だ!敵襲を受け行動不能!至急救援を!」
日本狼というのは、兵治の車列に割り当てられた暗号名だった。絶滅した動物を暗号名にするなんて、縁起でもないと兵治は思っていたのだが、案の定だ。受話器の向こうから、派遣隊の上官から返答が来る。
「我々から救援は出せない。現在付近の米軍に連絡を取っている。米軍の増援が来るまで自力で」
「どいつもこいつも糞野郎だ!」
最後まで聞かずに兵治は受話器を放り出した。兵治たちの置かれた状況は、まさしく危機的だった。用意周到な待ち伏せを受けているのに、自力でなんとかしろとは大層なご命令だった。
民兵による待ち伏せは、仕掛け爆弾で始まった。先頭を走っていた軽装甲機動車が路上の不審物を発見し、それを避けたが罠だった。回避した先に周到に偽装された本命の仕掛け爆弾があり、それで先頭の軽装甲機動車は吹き飛ばされた。
おかげで車列は停止、後退しようとしたら最後尾のトラックをRPGで撃破された。RPGはいわゆるロケットランチャーで、アサルトライフルのAKとセット販売されているかと思うぐらい、紛争地帯では一緒によく見かけられる代物だ。
前も後ろも塞がれたところで、周囲の建物から民兵の猛烈な銃撃が開始された。四方八方から銃火を浴びて、陸自隊員はその場に釘づけになった。上から撃ちおろされた銃弾が土煙を立てて着弾し、車両の装甲板に当たった銃弾が甲高い音を立てて跳ねまわる。
「制圧射撃だ!とにかく銃火が見える場所に撃ちまくれ!」
命じながら兵治は、銃口を建物の窓に向けた。AKの銃火はまるで花火のようで、昼間の今でもよく見える。銃火が瞬いた瞬間、その窓に対して兵治はフルオートで五発か六発ほど銃弾を叩き込んでやった。薄暗い窓の奥で、血しぶきがはじけ飛ぶのがかすかに見えたが、兵治は気にする様子も無く次の敵へと銃口を移動させていた。
兵治にとって、実戦はこれがはじめてではない。基本的にヒステリックな戦争アレルギー体質の日本国民の前では口が裂けても言えないが、特殊作戦群は米軍とともに何度か非合法の作戦を行っている。そこで兵治は何度も敵を殺している、叩き上げのプロの兵士だ。米軍からうちに来ないかとスカウトされたこともあるぐらいだ。
屋上でAKを乱射していた民兵の頭を五・五六ミリの小口径高速弾でぶち抜きながら、それでもこんなひどい状況ははじめてだと兵治は思った。特殊作戦群の優秀な装備と潤沢な支援の下で、緻密に練られた作戦を遂行していたときとは大違いだ。強大な米軍のサポートだってあった。あれが近所の裏山へのピクニックなら、これはエベレストへの登山だ。
――それでも俺はプロだ。昨日今日銃を手にした素人の民兵どもに、その差をたっぷりと教えてやる。
近くの路地裏から飛び出して来た民兵に89式小銃の連射を浴びせかけ、蜂の巣にしてやりながら兵治は強く思った。耳をつんざく銃声と民兵の断末魔の叫び声が重なる。空になった弾倉を外し、素早く充填された弾倉を装填して射撃を再開する。
「おい、お前何をやってるんだ!さっさと撃て馬鹿野郎!」
「こ、こんなのって、あんまりだ……誰か助け……」
車両に隠れて震えている陸自隊員を見つけると、兵治は胸倉を掴んで引き起こして怒鳴りつけた。が、その陸自隊員は震えて泣きごとを言うばかり。実戦経験の無い自衛官の見せる弱さだった。日頃いかに訓練されていようと、銃弾飛び交う戦場では大人を子供に変えてしまう。
「黙れこのチキン野郎!撃たなきゃ殺されるぞ!俺に撃ち殺されたくなかったら今すぐ応戦しやがれ!」
「ハッ……はい!」
平手打ちを喰らわせ、ついでに銃口を押しつけてやったことで、ようやくその陸自隊員は恐慌状態から離脱した。なにしろ兵治は鍛えられた軍人らしく、その眼には独特の迫力がある。そんな兵治に殺意を込めて睨まれれば、誰しも言うことに従いたくなるというものだ。
兵治に半ば脅迫めいた叱咤激励を受けたその陸自隊員は、手にした89式小銃を構えると、銃火が見える場所へと手当たり次第に撃ち込みはじめる。撃っている間は恐怖を忘れることができる。大事なのは撃ちまくることだ。
それにひとまず満足すると、兵治は現状の把握に努めた。車列は前後の炎上した車両のせいで移動不可能。下車した陸自隊員はようやく組織だった応戦をはじめ、反撃の銃弾が次々と敵の民兵を撃ち倒している。所詮民兵は民兵、厳しく訓練された軍人の反撃をまともに浴びれば、ただではすまない。このままここで防戦し続け、米軍の救援を待てば確実に助かるだろう。
そう思い、ほんの一瞬だけ油断した瞬間だった。今まで誰もいなかった少し離れた建物の屋上に、複数の民兵が姿を現したのは。そいつらはAKではなく、RPK軽機関銃を持っていた。七五発装弾されたドラム弾倉を取りつけたRPKが火を噴き、弾雨を浴びせかけて来た。奥にはRPGの射手も見える。
銃弾でひき肉にされる前に、兵治は車両の陰に転がり込んだ。しかし、激しい弾幕射撃を前に身動きを封じられる。目と右手の89式小銃だけを出して、フルオートで屋上の民兵に銃弾を放つが、有効弾をなかなか与えられない。相手の銃撃が激しく、しっかりとした照準をつけられないせいだ。
そうこうしているうちに、兵治は恐ろしい事実に気がついた。車列の中には、発電所への燃料補給のための小型のタンク車がいた。小銃程度の銃撃には耐えられるように装甲板で囲まれてはいたが、RPGで狙われてはひとたまりもない。あれが爆発したら辺り一面火の海で、間違いなく兵治たちは全滅だ。
「全員俺を援護しろ!三時方向の屋上に射撃を集中!」
新しい弾倉を89式小銃に叩き込みながら、そう叫ぶと兵治は飛び出した。燃料補給車目掛けて全力疾走しながら、屋上を狙って89式小銃を連射する。金色の空薬莢を地面にまき散らしながら、撃ち続け走り抜ける。その結果として、RPKを撃ちまくっていたひとりの民兵が五・五六ミリ弾を浴びてひっくり返った。
一瞬だけ銃火が弱まった隙に、兵治は燃料補給車の運転席に乗り込んだ。エンジンはかかったままだったので、急いでバックをする。その瞬間だった。RPGが発射されたのは。
「がっ……!」
白煙を引きながら迫ったRPGの弾頭は、兵治が急速でバックをしたために間一髪で燃料補給車には直撃せず、運転席のすぐ前の地面をえぐった。しかし、高速で飛び散った破片のひとつが運転席にいた兵治の胸を急襲した。ガラスの割れる音が響いた直後、兵治は胸に耐え難い痛みを感じて息が詰まった。
かすむ視界の中、それでも兵治は必死で燃料補給車を動かした。ハンドルを横にまわして、近くの建物の一階へと燃料補給車を突っ込ませた。扉と壁を破壊しながら燃料補給車は建物の一階に入り込み、RPGの範囲から逃れる。これでひとまずは大丈夫のはずだった。
「畜生、いってえぇ……」
シートを濡らしているのは自分の胸から流れ出ている大量の血液、左手は胸に突き刺さった熱い大きな破片を握っている。防弾衣は胸を襲ったRPGの鋭い破片を防ぎ切れなかったらしい。それでも右手は89式小銃のグリップをきつく握り締めていた。銃を手放すのは、死ぬときだけ。
――ああ、俺死ぬんだろうな。なんでこんなところで、俺死ぬんだろう。政治家のくだらない点数稼ぎにつきあって死ぬなんて、馬鹿みたいだ……。
痛みはもう感じ無かった。ただゆっくりと視界が黒い霧に包まれていくかのようにかすんでいくだけ。何もかもが馬鹿らしかった。代々軍人を輩出している家に生まれ、自分も国民を守るのだと何も疑わずに信じて入隊し、そこで兵士としての才能が開花して特殊作戦群にまで入った。治安を守る兵士たれ、と名づけられた兵治という名に恥じない躍進ぶりだった。
なのに、自分は嘘だらけの海外派遣で飛ばされ、どことも知れない場所で死ぬ羽目になっている。死ぬのは覚悟していたが、それは国民を守るために、あるいは国民のために死ぬ覚悟だった。こんな政治屋どもの茶番劇につきあって死ぬなど、認められなかった。まるで悪夢を見ているようだった。
兵治は自分の死を認められなかったが、もちろん出血はとまらなかった。錯綜する銃声と悲鳴も、もう兵治の耳には入らない。かすんでいく視界だけが、その時の兵治のすべてだった。
兵治がこの世を去る瞬間、最期に見たのは右手で握りしめていたはずの89式小銃が足元に落下していく光景だった――銃を手放すのは、死ぬときだけ。
えーついにはじまってしまいました、中二病臭がし過ぎて気絶しそうなぐらいの小説が。
不定期更新になるとは思いますが、読んでくれる皆様がいる限りは、完結まで書きつづけようかと思っています。
本当にたった一言でも貰えるとやる気が一気に出て書き進められるので、ご意見やご感想、なんでもお待ちしています!