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殺し屋パンダ  作者: nab42
3/4

僕とパンダ、そして真実


【3】 


 突然玄関先に現れたパンダは「すいません。西さんですよね?」と言った。

 僕が黙っていると、男は「笹島さんについて聞かせてくれませんか?」と言った。

「あなた誰ですか? パンダの格好なんかして?」

「すみません。ちょっとわけあってこの格好なんです。実は、笹島さんの交友関係を調べているもので、よければお話を聞かせてもらえませんでしょうか?」

「笹島は昨日死にましたよ」

「知っています。でも、私が知りたいのは笹島さんの交友関係なんです」

 パンダ男の目には眼というものがなかった。そこには垂れ目の黒い楕円しかなかった。きっと小さな穴でも開いていて、そこから外を見ているんだろう。視野が狭くて大変だろうに、なんだってこんな恰好をしているのだろう。

「僕は何も知りませんよ。そんなに親しくなかったし」

「いや、そんなはずはありません、西さん」とパンダ男ははっきりとした口調で言った。

「あなたはサヤカさんのことを知っていますね?」

 サヤカは三年前に死んだ、僕の女友達だった。

「いいですよ。入ってください。その格好じゃ目立ちます。変な噂は嫌ですからね」と言って僕は男を部屋に入れた。

「ありがとうございます」と男は相変わらず低い、いい声で言った。


 僕はベッドに腰掛けた。パンダ男は低いテーブル越しに、向かい側に座った。正座だった。

「コートを脱いでいいですか?」と男は言った。

「ええ、どうぞ」と言ったが、それは長居を意味するような気がして嫌だった。だが、だめですとは言えなかった。

 男はコートを脱いだ。パンダの着ぐるみの上はスーツだった。僕が『モールヒル』で見たものと同じだ。首には黒くて細いタイを結んでいた。そして彼はコートと同じこげ茶色をした、黒いパンダ耳がぴょんと出たている帽子も脱いだ。だが、そのぴょんと可愛らしく出ている耳は本物の耳ではなかった。帽子の中から新しく、二つの小さくて丸い耳が出てきた。僕はなんだか笑いそうになった。まるでカツラを取ったおじさんみたいだった。

「で、何を聞きたいんですか? できれば短くしてもらいたいんです」

「ええ、できるだけ短くしますよ」と男は言った。

「だが、その前に謝りたい。私は西さんに何も聞く必要がないんです」

 僕はパンダの顔を見た。何を言っているんだろう。

「どちらかと言うと、全てをあなたに伝えなければならないのです」

「つまり、何がいいたいのですか?」と僕は言った。

「そうですね。何から話しましょうか」と男は真っ黒い右手で頭を掻いた。

 僕は黙っていた。だが、僕は聞いた。

「あなた何者です? 警察でもないでしょうし、探偵か何かですか?」

「ああ、私ですか? まぁ、どちらかというと探偵ですかね」と彼は煮え切らない答えを言った。

「身分を証明できるものはありますか?」と僕は眉間に力を入れて言った。

「ないんです。困ったことに。私も欲しいんですけどね」

 僕は黙った。このパンダ男は何がしたいのだろうか。

「では、まず言います。笹島さんを殺したのはあなたです」

「何を言い出すんだ!」と僕は怒鳴った。思いもよらないことを男が言ったので、つい声が大きくなってしまった。

「おかしいことですか? 私はそうは思いません。笹島さんがあなたに殺されたから、私はここにいるのです」

「意味が分からない。帰ってくれ」

「もちろん、いずれ帰ります。ここは乱雑すぎる。私も神経質なほうではないんですがね。テーブルの上に、いらないものを置くのは嫌いなんです。たとえば、このチラシやダイレクトメール」と言って男は宅配ピザのチラシを手に取った。

「あなたは、通常、神経質ではないようだ」

「それが何か? 神経質ではなかったら笹島を殺すというんですか?」

「笹島さんはたくさんの人に恨まれていたようですね。とくに女性に。まぁ、遊び人だったようですから、それは仕方ないでしょう。彼は彼なりに気を使っていたみたいですが……。さて、なぜ神経質ではない、つまり、なぜ綺麗好きではないあなたは冷蔵庫をあんなに整理しているんです?」

「冷蔵庫? ……見たんですか?」

「いいえ。見ていません。ただ知っているだけです。あなたは冷蔵庫を整理した。なぜならパックに貼ってあるバーコードを捨てるためです。バーコードが見つかってしまえば、その商品を近くのスーパーで買っていないことがばれてしまいますからね」

 僕は黙って、パンダ男を見ていた。こいつは何者なのだろうか。

「でも、無駄なことです。警察は明日にでもあなたを逮捕するでしょう。佐伯という刑事は気付いていますよ。彼は料理をするのでしょうね。あなたが今冷凍室に入れている牛肉。あれは脂身が少なすぎます。あなたが昨日作ったという牛丼には合わないでしょうね」

 僕は黙っていた。男のシャツの胸ポケットにはタバコの箱が入っていた。

「それにあなたが、警察に渡したレシート。あれも大切な証拠になりました。まず、あのレシートには三人分の指紋がついています。あなたと、レジを打ってくれた店員の指紋。そして、他の第三者の指紋です。もちろん、あなたも知っていますね。あのレシートは昨日の夜、笹島さんを殺した後、あなたがスーパーから取ってきたものの一つです。あのスーパーにはレシートを捨てる箱が、商品を買い物袋に入れる台のところにありますね。あそこからあなたは取ったのです。そして、あなたはあのスーパーに防犯カメラがないことも知っていた。あそこは小さなスーパーマーケットです。レジも三台しかない。天井を見回しても、カメラのようなものもない。実際万引きもなかったんです。あなたもそれを知っていましたね」

「もし、そうだとしてもだ」と僕は男を見下ろして言った。「それを確かめる術がないだろう。僕がレシートを取ったとして、それがなぜ分かる」

「それは三人目の指紋です」

「なぜ? 俺は貰ったレシートをスーパーから出る時に落したんだ。それを取ってくれた親切なおばさんがいたんだよ」

「それは嘘です。なぜなら三人目の指紋も店員さんのものだからです」と男は上目づかいで言った。妙な威圧感があった。

「あなたは運が悪かったのです。牛肉、卵、玉ねぎを買ったのは、同じスーパーの店員さんです。レジを打っていた人に聞いても分かるでしょう。午後七時二十七分ごろ、牛肉、卵、玉ねぎを買った人を知りませんか? とね」

「ふふ」と僕は笑った。なぜか笑いがこみあげてきた。サヤカとジェットコースターに乗った時もそうだった。怖いのに笑ってしまうのだ。

「あなたは笹島さんを殺すために、彼の部屋に行った。そして殺した。あの日はサヤカさんの」と男が言ったところで「もういい」と僕は言った。「そんなことは知っている」。そんなこと、全部知っている。

 僕とサヤカは高校からの友達だった。僕は高校時代から密かに彼女のことが好きだった。誰にでも親切で、笑顔をふりまくやつだった。でも、僕は告白できなかった。サヤカから離れるのが怖かった。今、思うと、もしサヤカが僕をふったとしても、僕は彼女のそばを離れなかっただろうし、サヤカは僕をそばにいさせてくれただろう。

 僕たちは同じ大学へ行った。僕は経済学部、彼女は外国語学部だった。春が過ぎ、夏が過ぎ、僕たちは何事もなく楽しく過ごした。

 だが、夏休みが終わると、彼女にはどこか陰ができていた。大学でできた友人と話をしている時にも、あの笑顔を見ることができたが、高校時代には見られなかった苦笑いと、空中を見ているような不自然な顔をよく見かけるようになった。そして、その年の十一月二十日、彼女は命を絶った。住んでいたマンションの八階から彼女は飛び降りた。固いコンクリートに叩きつけられた。遺書はなかったそうだ。僕は何故? と思ったが、誰も自殺の理由を知らなかった。想像することさえできなかった。

 僕はサヤカの葬式には行けなかった。彼女は身内だけでこっそりと灰にされた。

 僕が笹島と知り合ったのは、今年の四月だった。僕と彼はドイツ語の講義をとっていた。といっても、彼はドイツ語が話せたし、その必要はなさそうだった。何故かと僕は聞いたことがある。彼は「簡単だからだよ」と言った。僕にとってドイツ語は簡単ではなかった。だが、僕はドイツ語をマスターしたかった。それはサヤカのためにだ。サヤカは高校時代からドイツに興味を持っていた。いつかドイツに行って、ヘッセが見た景色を見たいの、そう言っていた。

「なぜ?」と僕は聞いた。

「ヘッセは私を助けてくれたの」

「たとえばどんなふうに?」

「それは秘密」と彼女は言って笑った。僕はそうした彼女を見ると、心に春がきたみたいに嬉しくなった。

 だが、その彼女を笹島は壊した。そして死に追いやった。彼はドイツ語を餌に彼女を引き寄せ、その他大勢の女と同じ扱いをしたのだ。英語とドイツ語は笹島の得意な誘い文句だった。

 僕がそれを知ったのは彼の家でドイツ語を教えてもらっている時だった。笹島は「なんとなく思い出したんだけど」と言って、「三年前にもドイツ語をここで教えた子がいたんだよ。可愛い子だったけど、死んじゃったんだ」と続けた。

「その……子の名前は?」と僕は言った。心臓が強く脈を打ち始めていた。

「さぁ、忘れちゃったよ。でも、中学の頃いじめられてたって言ってたな。俺のことを信用しすぎている感じがしてさ。まぁ、初めてだったみたいだし、乙女なのは分かってたんだけど」

 僕は考えた。だが、中学の頃いじめられていたという話を彼女から聞いたことはなかった。だから僕はきっと他の誰かだろうと思った。その時は。

「その子とはどうなったんだ?」と僕は聞いた。

「どうもこうも。俺はこういうやつだろ? しつこくされるのが嫌いなんだ。それから一度も会ってないし、電話もメールも無視したよ。それでもくるから遊びだって言ってやったんだ」

 僕は呆れてものが言えなかった。こういう人間がいるのかと。酷いものだと。だが、僕には関係のない人間で、僕はこの人間からドイツ語だけを学べばいいと思っていた。だが、その日、僕が帰ろうとすると奴は言った。

「ああ、サヤカって名前だったな。同じ学校のやつだよ。知ってるか?」と笹島は簡単に言った。

 その時の僕の顔はどんな顔だっただろうか? 想像することもできない。僕はショックで何も言えず、黙って笹島のそこをあとにした。

 それから僕はすぐに殺人計画を立てた。だが、どう考えても完全犯罪はできそうになかった。だが、サヤカが死んだ十一月二十日に殺すことだけは決めていた。その日に絶対に殺してやると僕は強く思っていた。僕が偽のアリバイを作るための浅はかなトリックは、前日の十九日に思いついた。僕の部屋にサヤカが来た時に言った言葉があった。

「あのスーパーさ、防犯カメラがないんだね。店員さん同士が何か話してた」

 僕はすぐに、そのスーパーに言って、天井や壁を見てまわった。確かに何もなかった。もしかしたら、いけるかもしれない。そう思って、計画を実行した。

 十二月二十日、笹島は大学にいた。彼は講義を受け、そのまま家に帰るのが普通だった。その日も奴は普通の行動をした。僕は偶然を装い、接触した。ドイツ語を教えてほしいんだけど、と僕が言うと彼は少し渋い表情をしたが、「八時くらいまでだったら暇だし、いいぜ」と言ってくれた。

 その後、僕は彼の部屋に行き、ドイツ語の勉強をしたあと彼に聞いた。

「お前がドイツ語で釣ったサヤカって女の子は、たぶんお前のせいで自殺したんだよ。それをどう思う?」

「知らないよ」と笹島は捨てるように言って、鼻で笑った。

 それを聞いた僕は、バッグから包丁を取り出し、笹島をベッドに押し倒して、胸を刺した。笹島は驚いた表情で「なんでだ?」と微かに言った。だが僕は何も言ってやらなかった。後悔も何もかもさせてやるものかと思った。笹島が動かなくなったあと、僕は数回胸を刺した。僕の憎しみは全く動かなかった。ずっと僕の中にある。今もだ。今も僕は笹島が憎い。何回も、何回でも殺してやりたい。

 僕はそのあと、バッグに入っていた服と着替え、血のついた服と包丁をバッグに入れて、部屋を出た。発見を遅らせるために鍵を閉めることも考えた。だが、どこを探しても鍵は出てこなかった。だから、僕は諦めて、できるだけ早くそこから立ち去った。

 そして、僕はスーパーに行き、レシートを取り、そのレシートに書かれたものを違うスーパーに買いに行った。買った食材や、その袋とパックを燃えるゴミとして出した。血のついた服もそうだ。牛肉は半分冷凍した。包丁は洗って台所に置いておいた。買いに行く時間がないだろうと思ったからだ。

 案の定、警察は僕のところに来た。夜中の一時だった。僕はそれから、あれこれ聞かれた。笹島のことや、アリバイのことも。


「あなたのやったことを私は知っています」とパンダ男は言った。「だけど、あなたは色々なことを知らない。私は、それをあなたに伝え、そして、あなたを助けるためにここに来たんです」

「僕を助けるって? 無理だよ。警察が来るんだろ?」

「私にはそれができます。刑務所は嫌でしょう。私は檻の中というのは嫌です」

「どうやって?」と僕は聞いた。

「まず、その前にサヤカさんの話をしましょう」。パンダ男は正座をしていた足を崩して、あぐらをかいた。ゴトっと固いものが何かにぶつかる音がした。

「サヤカさんは、中学の頃いじめられていました。三年生の半分は不登校だったそうです」

「信じられないな」と僕は言った。

「そうでしょう。高校でのサヤカさんはそんな暗い過去がなかったような明るい女の子でした。でも、いじめのことは事実です。そして、なぜあんなに明るくなれたのか。それは、ヘルマン・ヘッセのおかげなのです。彼女が大好きだった作家です。私はヘッセの作品をあまり読んだことありませんが、彼は孤独について書いていたようです。もちろん、それだけじゃないでしょう。ですが、彼女はその部分に惹かれたのです。彼女は中学時代の孤独な自分と、彼の描く主人公や、物語に自分を重ねたのでしょう。同情や慰みというものは励ましよりも心を救ってくれるものです。サヤカさんがあなたに秘密にしていたものは、それです。サヤカさんはあなたに明るい部分だけを知っていてもらいたかったのですよ」

 僕は黙ってそれを聞いていた。サヤカの顔を思い出していた。

「その秘密の部分を、笹島さんに話した。なぜかといったら、私も分かりません。残念ながら、そこは話してくれませんでした。でも、私が考えるにサヤカさんは乙女で、男を見る目がなかったのです。純粋過ぎたのです。女の子としてはいいですが、女としては少し残念だと言ってもいいでしょう。いえ、これは私の考えです。本当のところは分かりません。とにかく、サヤカさんは笹島さんを信じ切っていた。だけど、裏切られた。そして、どうしようもなく死を選んだ」

「そうか……。そうなのかもしれないな……」と僕は言った。涙がぶわっと音を立てるように出てきた。

「あと、これは言わなくてもいいかもしれませんが、とりあえず。笹島さんはサヤカさんが死んだことを気にしていたと思います。なぜなら、笹島さんはサヤカさんが亡くなって以降、大学構内であまり派手な行動を起こしていません。でも、まぁ、これは憶測です」

 男は全てを言い終わったのか背筋を伸ばした。背筋を伸ばすパンダはどこか可愛かった。

「これが、私の知っていることです。何か質問は?」

「何もない……。いや、二つあったよ。あなたは、どうやってそれを知ったのか。そして、僕をどうやって救うつもりなのか」

「それは今から分かります」

 そう男は言うと、右手を背中の後ろにまわした。そして、片膝を立て、立ち上がる姿勢をとった。そして、素早く体を捻った。


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