懐かしい手
時間通りに集まった生徒達に対し、隊長が模擬戦訓練前最後の説明をする。
「今から皆で西の森の入口まで向かう。開始の合図が魔物の襲来と思え。いつ敵が襲ってくるか分からない、気を抜くんじゃないぞ」
今回の模擬戦に参加するグループは十班なので、総勢五十人の生徒と隊長、その他に六人の普段は国王軍に所属している隊員が監視役として同行している。
すべての者が無言で歩く。早く走れる異能や瞬間移動ができる者も、この時点での能力の使用は許可されていない。
王都の中心にあるハディード学園から西の方角、平民街を通り過ぎた後に西の森が広がっており、徒歩では約一時間半くらいの距離になる。もちろんこれは若く、普段から訓練を積んでいる俺達のスピードなので、一般の人はもっとかかるだろう。
一度も足を止めず森の入口に到着した。まだ日は高く、空を見上げると雲ひとつなく晴れている。雨が降るとは誰も想像できまい。
「ビーーーー」
耳を劈く様な音が、開始の合図を知らせた。班ごと一斉に、多方面に消えていく。俺達も決めた通り、ここから北北東の方角にある洞窟を目指して走る。
身体能力が高く攻撃力もある俺が先頭で、その次が遠くの敵を察知できるダッド、真ん中には戦闘が苦手なリューイを配置している。風を操るため防御力が高いレオンが最後尾を守り、その前がやる気のないラファエルだ。ラファエルはこの配置に初め少し不満そうだったが、先頭と最後尾の責任と負担を考えたら恐らく面倒だという気持ちの方が勝ったのだろう。結局何も反抗せず受け入れた。
十分くらい経った頃、急にダッドが俺達だけに届くくらいの声量で叫んだ。
「止まってください。ここから二キロ近く先の所に――恐らく第七隊の隊員が二人おります」
「方角は?」
「こことあの洞窟のちょうど間ですので、このまま行けば鉢合わせします」
「こちらの方の人数が多いが――野戦でまともにやっては敵わないだろう。仲間が減ってしまえば作戦にも影響が出る。ダッド、彼らがいない道を教えてもらえるかな?」
俺が訊くと、ダッドが一度目を瞑った。俺達も彼の集中を削がないよう、極力余計な音を出さないように注意する。
「はい。こっちの方に三キロ走り、それから左に行けば今のところ彼らがいる気配がありません」
ダッドの発言にレオンが付け足す。
「方角的に左に曲がってからそのまま真っすぐ行けば目的の洞窟に着きますね」
「急ごう」
俺達はまた無言で道を急ぐ。途中でリューイが俺達の速さについていけそうになく少しスピードを落としたが、第七隊員に捕まることなく無事に洞窟へとたどり着いた。幸いにも他のグループもいなかったので、作戦実行への最終確認をするため中へ入った。もちろん入口の近くにいるダッドは周囲への警戒を怠っていない。
洞窟の入口はこの中で一番小柄なリューイでさえ少し屈む必要があるくらい小さいが、中は大きく開かれており不自由しない。もちろん陽の光は入らないため少し進めばすぐに真っ暗になる。中は湿度が高くつるつるしているため気を抜くと滑って転びそうだ。奥から何かの生物の鳴き声が悲鳴のような響きで聞こえてきたりするため、怖くはないが正直に言うと薄気味悪い。
ラファエルの顔は恐らく引きつっていることだろう。それにリューイも――と彼女を思いやろうとした途端、あることに思い当たり心配になった。恐怖のあまりレオンに抱き着いたりはしないかと……嫉妬――ではなく、訓練中に不謹慎だという意味で。
暗順応するまでにはまだまだ時間がかかるので、早く俺の能力を使って俺達五人が会話するのに困らないくらいの火を灯す必要がある。
しかし異能を使おうとした瞬間、俺の右手に何かが触れた。
俺の右側に誰かがいるのは気配で分かるが……女性ではなさそうだし、ダッドは入口にいるのでレオンかラファエルのどちらかだろう。初めはこの周りの光を遮る暗闇で、ただ単にぶつかっただけかと思ったのだが――俺の手の中に違う手が入り込んだのが分かった。その手は震えており、俺にぎゅっと包んで欲しいと訴えているようだ。
その要求に応えるように指を手の甲に添えると、相手も同じように返した。
あれ? なんだか懐かしい。
良く思い出せないが、ずっと前にも同じことをしたような気がする。それと同時に、これはレオンの手だと確信した。
いつもの……俺に触れる手。触れている場所は違うが、俺がレオンのその長く繊細な指を間違えるはずがない。願わくばもう少しそのままでいたいところだが今は訓練中だ。一度刻印するように強く握りしめると、それで十分だというように、レオンはそっと手を離した。
周りに悟られないように、いつもと変わらない調子で俺が切り出す。
「よし、今から火を出すからみんな近くに集まってくれ」
その火を見て、ラファエルの口角が嫌らしく曲がった。
「そんな小さな火しか出せないのかよ?」
ラファエルにからかいの言葉を投げられたが、俺は無視することにした。今ここで丁寧に説明してやる義理はない。
作戦実行のために少しでも体力を温存しておくのは当たり前のことだろう。それに少しの明かりで事足りるのに、わざわざ仲間に見せつけるために大きい火を出して敵に見つかる可能性を考えないとは――本当になぜ彼がこの学園に入学できたのか不思議だ。
だが今煮詰めるべきなのはそのことではなく、作戦を実行するタイミングだ。これは奇襲攻撃なので機会は一度しかないだろう。
それぞれ背負っていた鞄から筒を取り出し水分補給を済ませ、ダッドも含め全員が火の周りに集まった。
グレンロシェ王国民にとって――いや、ディーツェル大陸に住む者にとって一番の敵は魔王と魔物だが、時には隣国同士の戦いや国内での反乱も有り得る。そのため国王軍に所属している隊員の異能は秘密にされており、俺達ももちろん第七隊員がどのような能力を使うのか分からない。逆に言うと、彼らも俺達の異能の情報がないため、奇襲攻撃ならば格上の彼らが相手でも捕獲できる可能性が十分にあるということだ。
能力は内密にされているが、噂に聞くことはある。例えば、第六隊には姿を変えて自在に変装できる者がいる――だとか、第二隊には空を飛べる者がいるらしい――とかだ。だが、少しの誇張があってもそれは本当だろうが、その者の姿形が分からなければ結局は噂は噂で秘密として維持される。
ちなみに――戦闘時にそんな余裕はないだろうが、能力は親から遺伝される場合が多いため、その相手の親と親の異能を知っていればある程度予想することは可能である。だが前にも言った通り例外もあるため、基本的にその考えは役に立たない。そのため自分で努力し、どんな状況にも瞬時に対応できるように鍛えるしかない。
さて少し話が脱線したが、俺の意識はさっきまでのレオンの手の温もりを思い出しているのではなく、きちんと作戦に向いている。
各自決めた配置場所を再度確認し合い、それぞれの位置へ着こうとした時、ダッドの表情が険しくなった。この班の治療係兼なだめ役、リューイが尋ねる。
「ダッドさん、どうかしましたか?」
「アレックス様達の三班の内――二人が布を付けられたようです」
「誰か分かるか?」
「…………アレックス様とリリーさんだと思います」
一同に緊張が走った。アレックスは侯爵家出身で、自分の半径二メートル以内の物を、大きさの限度はあるが自由に動かせる能力を持っているため石や枝を銃のように飛ばすことができ、攻撃力に優れている。リリーという名の生徒の成績も悪くなかったはずだが……
「本当か?」
「もう?」
「はい。彼らは木々の中にいるところを三人の隊員に攻撃され、あっという間にやられました」
布をつけられた時点で彼らは抜けなくてはならない、訓練終了だ。もちろん実際の戦闘では、治癒の異能を持つ者に治療をしてもらえば、怪我の程度によってはすぐに戦いに復帰できる。だが、治癒の異能者は元々多くない上、病気を治すのが得意な者は町で働いているので、全ての班に治癒能力を持つ者が配置されてはいない。
そもそも訓練で怪我をして実際の魔物の襲来時に参加できなくなるのは論外なため、無理をすることは禁止されている。




