やっと
任務が終わると、久しぶりにレオンと二人揃って屋敷に戻った。使用人達に出迎えられ、そのまま荷物を置いたらすぐに食事の時間だ。食べ終えたら自室に戻り、入浴する。
イリュダ出発前と同じ、いつもと変わらない日常。皆が当たり前に暮らしているこの生活は簡単に継続しているように見えても、誰かの努力や犠牲の上で成り立っているんだろう。
それをひけらかしたり同情を誘うように訴えたりもせず、その誰かになること。それは四大公爵である父上の子として、ギファルド家に俺がいる使命だと今回のことを通じてやっと理解することができた。その大きな志に対して精進していくことは容易じゃない。多くの挫折や不可抗力の問題に直面していくはずだ。
物事を成し遂げるためには時間がかかる。千里の道も一歩からとか言うしな。
そう、まずはできること――やるべきことから始めようじゃないか。
そのために必要な相手は、俺が浴室から出てきたのを見計らったかのように、扉を叩いた。
「入れ」
「ジルベール様、お待たせいたしました」
夜会では正装を上品に着こなし、漆黒の髪を後ろにして整えていたレオンだが、今は髪を下ろし、寝間着に身を包んでいる。使用人として俺に仕えることを望み、以前と同じように振舞っているレオン。そのレオンの今の無防備な様子は俺に心を許している証拠なのだと思うと、恋人としてあいつから認められたように感じられる。
「ああ、ちょうど湯浴みを終えたところだ」
「ジルベール様、何か飲まれますか?」
「大丈夫だ、おまえも座れ」
「お気遣いありがとうございます」
色々と言いたいことはあった。だが本人を目の前にすると、レオンが側にいるという事実だけで何も考えられなくなるというか、話すよりも肌を重ねたいという気持ちのほうが強い。
「レオン……手を、繋いでもかまわないか」
「もちろんです、ジルベール様」
指を絡めるようにレオンの手に包み込まれる。温かさが重なり合い、溶けていくようだ。レオンは俺を裏切らないと信じられるからこそ、触れているだけなのに、一人ではないと思える安心感。でも多分それは……俺だけの一方的な想いではなく、レオンも俺に対して同じように信頼してくれているのだと確信できる。そうでなければ互いの温度は同じなはずがない。
だが誠実なレオンの横に立ち続けるためには、このまま雰囲気に流されてはいけない。
「レオン、今回の件だが…………」
どう言えば恥ずかしくないか逡巡していた時間の沈黙が堪えられなかったのか、レオンが口を開いた。心做しか震えた声だ。
「ジルベール様、本当に申し訳ございませんでした……」
「レオン。俺は別におまえに謝罪を求めているわけじゃない。そもそも勘違いした俺が悪かったんだ」
「いえ、ジルベール様は何も悪くございません。私が……私はジルベール様のものなのに、誤解させてしまうような行動を取ったことがいけないのです」
「いや、それは任務だったんだ。仕方ない、気にするな」
確かにダンスの練習って初めから言ってくれてれば、嫉妬しなくてすんだけど。でもそれは逆に、レオンに全くやましい気持ちがないという証拠でもある。
「もったいないお言葉です。ジルベール様、私の考えが足らず、申し訳ございません」
それはそれで俺がレオンの想像以上に幼かったってことになる気が……いや、実際にそうだった。というか、レオンが離れてしまうかと思って不安だったと言うほうが正しいか。だが、今ならもう信じられる。
「それと、ヴァラン国王からの手紙のことですが……」
「レオン、言わなくて大丈夫だ」
「えっ」
どんな敵からの攻撃があろうとも涼しい顔で対応するレオンが、怯えたように顔を引きつらせた。
「まあ確かに驚いたが……俺には関係がないこと――というか、おまえ自身のことだから、俺に報告しなくてはいけないという義務はない。言い方が悪いな、俺が言いたいのは、こうやっておまえが俺の側にいる、それだけで十分だということだ」
レオンが覗き込んできた。
「ジルベール様」
青色の瞳を捉えた緑色の瞳が、光ったように見える。
「愛しています。私を一生、ジルベール様のお側にいさせてください」
「ああ、レオン、俺もだ。おまえが愛おしい。実は……おまえは気付いていたと思うが、俺は表向きとは別で昔から自分に自信がなく、誰にも愛されていないと思っていた。だからあの出生の秘密を知って……正直、納得した部分もたくさんあった。父上の、俺とおまえへの接する態度の違いとか」
「ジルベール様! そんなことは決して……」
レオンが反論しようとしたのを、握っている手に力を入れて制した。
「いや、おまえの所為などではない。だが今、否定しようとしたということは、やはりおまえも少なからず感じていた、違うか?」
図星だったような顔をしたレオン。
「それは……」
「いや、責めているわけじゃない。父上とも今回の件の後で、お互い勘違いしていたことを話し合った。傷ついたのは俺だけじゃなくて、むしろ父上達のほうが、俺の所為で……辛い想いをしただけでなく、本来得られたはずの未来まで犠牲にしていた」
レオンは口を挟まず、黙って俺を包み込んでいる。父上からどこまで聞いているのか。
「父上とクリスティーナの辛苦、我慢……レオン、おまえだって本来であれば俺の立場であったはずだ。俺がいなければ良かったと、思ったりもした。だが、おまえが俺の隣に当たり前のようにいてくれる。その事実は何よりも俺の存在を肯定してくれて……」
声が震え出す。自分の性格の悪さに気付いてはいる。自意識過剰なところとか、勘違いをしてレオンを困らせるところとか、虐めるようなことをするところとか、挙げればキリがないほどの自分勝手な部分、そのすべてを知っているレオン。だがさすがに今俺が考えていること、それを口に出すには勇気がいった。
「俺は……俺の所為で周りに迷惑をかけていることを知っているのに、それでも……レオン、俺は他の人の幸せよりも、自分の、おまえの側にいたいという欲求を捨てられない。やはりそれは……生まれ持った元来の、変えられない性質だろうか……」
消え入るような声で、途切れ途切れに吐き出した想い。劣等感の根底は、出生の秘密を突きつけられるまでは逆に自尊心があった部分と同じだ。長い間勘違いをしていたからこそ、余計に滑稽さが目立つように感じてしまう。
「ジルベール様。私の話もさせていただいて……よろしいでしょうか」
レオンも同じように、震える声で言った。
俺は首を少しだけ縦に動かして、レオンを促した。
「先ほどの……ジルベール様が仰った、アンドレ様のジルベール様と私への態度の違いですが……正直に申しますと、私も子どもの頃から感じておりました」
「ああ、優越感があったか?」
八つ当たりだと分かっているのに。口にしてから後悔しても遅い。
「いえ、私はジルベール様に……嫉妬しておりました」
「は? どう見たらそう思えるんだ?」
俺は父上から距離を置かれていた。
やっぱりレオンは被虐的なのが好きなのか?
「アンドレ様はとてもお優しく、常に褒めたりしてくださいました」
嫌味か? と反論する前に、レオンが話を続けた。
「でもそれは……客といいますか、友人の息子といいますか、アンドレ様は私に対して、常に距離を置かれていたように感じていました」
「いや、それは俺だろ? 実際におまえのほうが褒められたりしていたし」
俺が傷付くことなど理解しているはずなのに。レオンはこんなに無神経なやつだったのか?
「私は……アンドレ様がジルベール様に厳しく躾をなさっているお姿を見て、羨ましく思っておりました」
「は? 意味が分からないんだが。おまえも無視されたかった、って意味か? やっぱり虐められたい――」
「いえ、違います」
言葉を重ねるようにして否定された。俺がイライラしてからかいの口調になっても、レオンは真剣そのものだ。
「私に対しては……アンドレ様を悪く言うつもりはございませんが、その……他人行儀のような感じでした。ジルベール様はアンドレ様がジルベール様に厳しかったと仰いましたが、それはジルベール様に期待されているから、親子だからこそなのだと。私は父親がいないと思っておりましたので、アンドレ様がジルベール様に接している時の、父親らしい厳格さと慈しみが混ざった眼差しに……ずっと憧れを抱いておりました」
事実は一つだとしても、それを見る者の立場や見方で解釈は変わる。俺は……レオン側の気持ちに全く寄り添おうとしなかった。
そういえば――と、あることに思い当たった。確かに対外的には俺がギファルド家子息で、レオンはクリスティーナの子どもで父親は不明だった。だがレオンと父上は同じ髪色だ。エロイーズはほとんど屋敷にいないし、新しく入った使用人達は、俺と父上が全く似ていないことに違和感を覚えるはずだ。そうすれば自ずと俺と父上の関係、レオンと父上の関係を疑い始めそうだが、そんなことはなかったと思う。
俺が知らないだけで影で噂されていたのかもしれないが……多分、周りから見ても、今レオンが言ったように見られていたことが真実なのだろう。
俺は……何も見えていなかった。




