第五話「不透明な気持ち」
それから少女は月冴と暮らしながら生き方を変えようとした。
「お庭から食べれる植物、採ってもいいですか?」
唐突な発言に月冴は目を丸くし、少女の考えを読めないままにうなずいた。
少女は下駄を履いて庭に飛び出すと隅々まで歩き、草を摘んでいく。
山のように生い茂っているわけではないが、景勝の中でこれだけ見つめるのはワクワクする。
たんぽぽやヨモギ、シソと季節を問わない楽しい庭だった。
浮き立つ気持ちでたんぽぽの綿毛を突いていると、月冴が歩いてきて隣にしゃがみこんだ。
「そんなものも咲いていたのだな」
「これは食べれるんですよ。お餅にしたり、おひたしにしたり」
「餅……。そうか」
ここにいると腹が空くという感覚がない。
月冴にとっては食事をする発想がなかったようで、そのまま少女の指先を観察した。
「……食べてみますか?」
月冴は目を見開いたあと、少女の頭を撫でてうなずいた。
――ぐぅぅぅ……。
何日ぶりかもわからない腹の音が鳴った。
***
屋敷で見る光景にも変化はあるようで、空に月が顔を出すと縁側で涼んでみた。
広い敷地で少女が行動する範囲は、ささやかに自然を感じられる場所だった。
「月見か」
青白い月の光がさしこむなか、月冴が白銀の髪を揺らして隣に腰かける。
「はい。月冴さまも……」
少女の返答を聞くよりも先に、月冴はごくごく自然な動きで少女の膝に頭を乗せた。
流れるような動作に驚きはしたものの、月冴が落ちついた様子で目を閉じているので、気持ちが向くままに月冴の前髪を指で梳いた。
「それは戯れか?」
まぶたが持ちあがると、蒼い瞳にぎこちない笑い方をした少女が映る。
蒼い瞳に魅入られていれば、月冴が鼻で笑うので少女は慌てて顔をあげて月に目を向けた。
「月明かりがこんなにキレイだと知りませんでした。月冴さまの髪とよく似ています」
「そうか。私にはお前の髪の方が好ましいのだが」
「色褪せた黒ですよ。艶もないですし、指通りがいい髪は憧れます。村で一番に美しいと言われていた女性は漆を塗ったかのように艶めいてました」
「見かけのことではない。私にはない色だ。お前の髪は黒檀に似ている」
”黒壇”と言われてもピンとこなかった。
キョトンと目を丸くしていると、月冴は「それもそうか」と笑って少女の髪を指に巻きつけた。
「黒檀とは長く美しいもの。何も飾らなくても飽きぬものだ」
そう語る月冴からは少女にとって嗅ぎなれない気品ある香りだ。
「その香りの名は?」と聞けば月冴はしばらく考えるそぶりを見せ、「白檀の香り」だと答えた。
「私、その香りが好きだと思いま……」
サラッと白銀の髪が風になびき、月冴は縁側に手をついて身体を起こしている。
(やさしい香り……)
きらめく髪と、夜に溶ける黒が長い影を作った。
――ピシャアアアアアン!!
影になっていた二人の背景に稲妻が走る。
月冴は少女の肩を突き放すと、素早く立ち上がり夜に星をなびかせた。
雷は棺の置かれた場所に落ちていた。
駆けつけると石畳が砕け、電流を含んだ黒煙がバチバチと鳴らしていた。
(あの人……!)
白無垢をまとい、唇を赤く染めさせた美しい女性が棺の前に立っている。
影を作り出すほど長いまつ毛に、艶っぽい目元は見覚えがあった。
女性は棺から出ると、パッパッと白無垢の汚れを振り払い、冷めた目をしてあたりを見回した。
「お前はなんだ」
月冴の問いに女性は顔をあげると、上品に微笑んで頭を垂れる。
「お初にお目にかかります。わたしは椿と申します。土地神様である貴方様への捧げ物としてここへ参りました」
その言葉に月冴が眉をひそめる。
「つい最近も送られてきたと思うが」
「不良品を送ったせいで凶作が続いていると。村の者がそう結論を出し、わたしが送り出されました」
黒煙の立ち上がる音で二人の会話があまり聞き取れない。
だが少女にとっては良いことではないと、椿の冷めた眼差しが語っていた。
(私、どうしたらいいのかな)
知りたいのに怖いと思うのは、普通のことだろうか?
仮に二人の会話を理解出来たところで、少女が救われることはないだろう。
(前向きに。前向きに……)
どうすれば前向きになれるだろう。
こうして前向きを意識していることこそ、後ろ向きではないか。
自分の後に来た贄は艶っぽい美しさの持ち主で、同じ捧げものとして劣等感を抱いた
「身体に異変はないのか?」
「異変ですか? 少し息苦しさはありますがすぐに慣れると思います」
「生の執着か。死の恐怖がないのか」
(あ……)
月冴が椿を見る目に興味が灯ったと気づき、二人の横顔に立ちすくむ。
(私には背伸びをしても届かない……)
月冴と椿が並ぶと、自分なんて霞んでしまう。
背伸びをしたところで、少女が実感するのはむなしさだけ。
(私じゃなくてもここにこれる人がいる。こんなにもキレイな人が……)
少女が持ちあわせていた”自信”はあっさりと打ち砕かれる。
二人を見ていられず、目を反らして胸に爪をたてた。
(椿さん……か。私はそんな鮮やかさをもってない)
名前はなく、養父には売られるような価値のなさ。
生贄として役立たず、厄介払いにしかならなかった。
(月冴さまが私に飽いたらどうなるのだろう)
細い糸一本に少女の命は繋がっている。
つまらないと言われれば、少女はどこに行けばいいのか。
(そのときは死んじゃうしかないかも)
最初から死のために来た。
月冴に死を望んだこともある。
今さら生死に戸惑うのは、生贄に不要だ。
無価値を思い知り、この場から逃げたくてたまらなかった。