十三話「私の名前、彩りを」
場所が移り、山のふもとに位置する茅葺き屋根の家の前に降り立った。
荒れはじめた芋畑に、錆だした農具。
見慣れた地だが、重々しい空気に少女はめまいを感じた。
月冴は少女をおろすと、強ばっている少女の頬を親指で押しながら撫でる。
「選べ」
「えっ」
「このまま私といる道か、家に帰る道か。選べ」
そんなことは聞く必要もないのに、と思いつつも明確に示すべきなのだろう。
「私は……」
「なんだぁ? 騒がしい……ぞ……」
選択肢をもったまま、少女は養父と再会することになる。
お互いに二度と会うことはないと思っていた分、目があうと心臓が握りつぶされたかのように圧迫された。
「なんでお前がここに……」
養父は慌てて口元を覆い、少女に背を向けて震えだす。
養父にしては珍しく悲痛な顔をしていたので、涙を流しているのかと期待した。
そんなこともありえないと気持ちは冷めて、背中ではなくどんな顔をしているのかを見るようになっていた。
泣いているように見せかけた演技だ。
今まで本気で見ようとしなかった養父もまた、少女に本当を見せていなかった。
「俺は勝手にお前を不幸と決めつけていた。こんな俺のもとにいては一生幸せになれない。だったら土地神様のもとに行った方がいいと思ったんだ」
出まかせを聞かされると、心は冷えていくばかり。
少しだけ椿の気持ちがわかったような気がした。
一度冷めれば愛情が反転して嫌悪しかない。
口からベラベラと出る嘘のかたまりに悲しいなんて……そんな気持ちは通り越した。
「私を拾ったのはなぜですか?」
その問いに養父はハッと顔を上げる。
「それはお前の両親が死んで……」
「巫女の家系だったと教えてくれなかったのはなぜです?」
養父に対しての違和感が溢れ出し、疑問がどんどん口から飛び出していく。
対して養父は言葉を詰まらせて、またわざとらしく悲壮感に満ちた顔をした。
「巫女の血を引いてるなんてバレたらおっかねぇ。巫女になれば自由なんてもんはないんだ」
「それで生け贄にしたんですか? その先は死だったかもしれないのに」
途端に、養父の顔色が変わる。
嘆き悲しむ身内の顔から、下劣さのにじみ出た浅ましい顔となった。
「巫女ってぇのは齢が満ちるまでその辺のヤツらと変わらねぇ。ようやくデカくなったてぇのに村のヤツら……」
ブツブツと呟き、親指で爪をかじる。
これが養父の本音だとすれば、私に感情をもたないためにあえて名前を与えなかった。
すべてはお金のため、最低限の施しだけして少女を放置した。
女とは家のための道具となり、家長が決めたとおりに動く。
名前がないのは、道具だから必要ないという意志の現れだった。
(言葉は養父と会話するために必要だった。生活していくために村人の行動を目で盗んだ)
少女には学がなかった。
家に置いてくれる養父に従うのが当たり前であり、女が人間として見られないことに疑問を抱かなかった。
名無しの娘とはつまり、人間ではない。
今まで養父なりに育ててくれたと思っていたが、所詮は道具を売るためでしかなかった。
「村に渡さなければ私は……」
「それだっての! ヤツらふざけやがって……どれだけ苦労したと思ってんだ! 巫女の貴重さをわかってねぇヤツらばっかりだ!!」
巫女とは減少傾向にあり、非常に貴重な存在らしい。
齢が満ちなければ巫女として立つことも出来ないので、そもそもの才能を見過ごされる場合も多い。
希少価値の高さから巫女を専門とした売人がいるほどだった。
「巫女として売れば遊び尽くせねぇほどの大金が入るはずだったてぇのに! たかが凶作で生け贄が必要だからと弱みを付け狙いやがった!!」
「……たかが?」
その言葉に内側がぶるっと震えた。
これはなんだろう。
静かに、ゆっくりと、確実に。
フツフツとした感情が近づいてくる。
たしかに生け贄として少女を犠牲にした村人の罪は大きいのかもしれない。
これまで多くの女性が悲痛に叫び、苦しみに焼かれてきた。
その怨念だらけの身体が月冴のもとにたどり着き、月冴の身を縛り続けた。
(あんまりだわ……)
ただ生きたいと。
誰もが生きたいと願い、神にもすがる思いだった。
冬を越せるだけの豊かさがないと、細々と生きられればと。
切実な思いを惑わすのは形だけの金銭。
硬貨と引き換えになるのが生命だった。
その現実に少女はもう、養父に同情の気持ちすら残っていなかった。
「ありがとう、おじさん。私はもう大丈夫。私のことはその名のとおり、どうか忘れてください」
「お前……」
「さよなら」
少女は一度も振り返ることなく、養父に背を向けると黙って見守ってくれていた月冴に手を伸ばす。
やさしい温度が指先に触れると目頭が熱くなった。
確認なんていらない。
風が巻き起こり、私は月冴と一緒に帰りたい場所を思い描いた。
あの広いばかりの御屋敷をやさしい想いで満たしたいと。
目を閉じて一心に月冴の幸せを願った。
「帰ろう」
月冴の言葉に少女は微笑みを返して、やさしい温もりに手を重ねた。
それからまどろむ心地に飲まれ、意識を取り戻したときに見たのは木目の天井だった。
(帰ってきたんだ)
また寝ていた、と妙な懐かしさにクスッと笑ってしまう。
だがあの時と違って乱暴な足音はしない。
障子扉が開いており、そこから風が吹き抜ける。
月冴の白銀の髪がキラキラと光っており、指ざわりの良い輝きに触れたくて身体を起こす。
縁側に座り込む月冴に歩み寄り、そっと背中に頬を寄せた。
「起きたか」
その一言に少女はうなずく。
やさしい鼓動を前から聞きたくて、背中から月冴の前に身体を滑り込ませた。
目を閉じて少しだけ小刻みな心音を追いかける。
長い時を孤独に過ごしてきた月冴も生きていると実感し、より一層抱きしめたいという想いに駆られて月冴の頬を包み込んだ。
「あれが私の答えです」
「そうか」
「私は貴方様をお慕いしております。どうか、貴方様の答えを教えてくださいま……」
言葉は途切れた。
月冴が少女の腰に手を回すと、夜空を隠すようにして唇にひんやりとした感触をのせてきた。
粉雪のような冷たさのあとに、溶けだしてほんのり温かくなる。
頭に直接聞こえるような粘着の音と、少し乱れた息遣い。
唇が離れると二人を繋いでいた銀の糸が名残惜しく切れた。
頬の熱さに安堵を得ると、少女はまつ毛の水滴を弾いて顔をあげた。
(月冴さまは本当にキレイな方)
今の少女はキレイなものに手を伸ばす。
自分を卑下して、欲しがる気持ちを見過ごすのはもうやめた。
蒼玉の瞳に、白銀のきらめきに、少女にだけ見せてくれるやさしい微笑みをいとおしく思う。
“この人は私の好きな人。私だけの人”
自分がどう想うか、どう想われたいかをむき出しにして月冴の頬を包み込んだ。
「もう寂しくないか?」
「はい。とても満たされています」
「なら良い。私もお前が離れない限りは……」
きっと今、赤々とした果実のような顔をしているだろう。
少女の人生で褒められた経験はほとんどない。
月冴の言葉は明確に”少女がここにいていい理由”と示しており、安心と喜びに涙をする。
こんなにも甘くて、優しい感情は知らない。
誰かをこんなにも想う幸せは、自分の気持ちを伝えるともっと幸せだと知った。
月冴の傍にいたい。
月冴が与えてくれた感情の分だけ、いや、それ以上に月冴にも与えてたい。
良いところも悪い所も、全てをひっくるめて月冴を受け入れたかった。
「月冴様を、愛しています」
「私もだ。……ただの、か弱い存在だと思っていたのに」
気恥ずかしそうに月冴は目を反らす。
意外と照れ屋な一面に愛らしさを感じてクスクスと笑った。
「あの、お願いがあります」
「なんだ?」
いざ口にしようとすると、むずがゆくなってしまい、モジモジしながら月冴を上目に見る。
「名前、いただけませんか?」
その言葉に月冴の目が見開かれる。
少女に名前はない。
だからこそ、自分が生きている事実が欲しい。
少女は常に“自分”を自覚することがなかった。
こうすれば正しい。
自分のためではなく、他力本願な考えとなっており、本音と建前が混ざってわからなくなっていた。
(私は寂しかった。でも本当は、怒りたかった。どうして大切にしてくれないのって、怒りたかったんだ)
怒った後の虚しさなんて知らなかった。
何も言えず、何に心が消えていくのか。
誰にも呼ばれることのない名前のない少女。
そんな自分を誰よりも蔑ろにしていたと自覚したからこそ、自分を愛する第一歩として月冴から響きをもらいたかった。
(月冴さまに私を呼ばれたい)
泥水の中でも必死に咲いた自分に、素直に生きてみたかった。
「……彩夜」
「さよ?」
「彩夜。……いやか?」
「いいえ。いいえ! その名が、その名前がいいです!」
彩夜、それが“私の名前”だ。
くすぐったいと私は目に見えない名前を心で抱きしめる。
「嬉しいです。大切にします」
「……そうか。……そうか」
月冴は口元に手をあて、表情を隠してしまう。
それが嫌だと思った私はぐっと前のめりになって、月冴の手を掴んだ。
「なんだ」
「いいえ、なんでもないです。私だけが知っていればいいんです」
月冴の本音は私だけのもの。
こんな独占欲が私の中にあると知らなかった。
きっと私はこれからたくさんのことを知って、心に素直になっていく。
(彩夜。私の名前。私の居場所)
クスクスと笑っていると、月冴が私の手を引っ張りそっと額に唇を押しつけた。
「挑戦的なのは良い。だが主導権は私だ」
「はい。それくらいがちょうどいいです」
「ずいぶんと……余裕があるのか。さすがにこちらも困ってしまうな」
「きゃっ!?」
それからの二人がどのように過ごしたかは、二人だけの秘密。
この関係に名前はあるのか。
月明かりは色んな彩りがあって、夜をやさしく照らす。
空白だった私に、冴えわたる冬の月。
寒くても、今は私がいて、彼がいる。
これは名前のない少女が一人のあやかしに恋をして、生き方を見つけるお話。
私ははじめて私になる、夜を彩るためのやさしい物語。
[完]




