第十話「私の感情、独占欲」
(本当に? 私は怒っていないの?)
そもそも怒りとはどういうものか。
何度も苛立つことはあり、これを怒りと呼ぶのも知ってる。
だが持つべき怒りがないと、月冴は少女の鈍さを指摘した。
椿の挑発にのって吐き出した怒りは、月冴が指す怒りと何が違うのか。
先ほどよりかは詰まりが取れた気はする。
決して心地よいものではないと、もう一度怒りをぶつけるとなれば嫌だと少女は首を横に振った、
「私は……」
「ストップ。それ以上はわたしに言うことではないわ」
興味はないと手で制止し、椿はお湯を腕にかけて肌に滑らせた。
「自分の気持ちもわからない子に負けたりしない。ちゃんと伝えてくれた相手に本気で向き合っていないんだもの」
「ちがっ……!」
「わたしはあなたにやさしくしない。自己憐憫に酔っていないで、戦うなら怒りだってコントロールしてみなさいよ」
険しい表情をして、「わたしはコントロールをする気もないけれど」と言葉を付け足した。
「許せない人がいる。生贄なんてくだらない」
あいつらを許せないからと、瞳に炎を灯す。
まるで地獄の業火のようで、憎悪に揺れるさまは苛烈だった。
「それじゃあわたしは上がるわね。あなたはゆっくり湯に浸かってちょうだい」
湯けむりは顔を隠すにはちょうどいい、と皮肉をこめて。
椿はタオルで隠すこともなく、堂々とした歩みで去っていく。
少女は酸素を思いきり吸い込み、湯の中にもぐりこんでどうしようもない葛藤を叫んだ。
(いいのかな? 月冴さまは受け入れてくれる? こんな醜い感情……)
――ずっと一人だった。
遠い目をして口にした月冴を思い出す。
今まで月冴が口に出来なかったものならば、どれだけ勇気がいっただろう。
あの勇気と同じものを少女に出せるか。
受け入れてもらえなければ、打ちひしがれて涙がとまらなくなるだろう。
(ううん。傷つくことを恐れて何も言わなかっただけ。見返りばかり求めて、本気で相手と向き合っていなかったんだ)
勝手に期待して伝える努力もしなかった。
「ありがとう」と頭を撫でてくれると夢見ていた。
何も伝えないでわかってくれると、期待を押しつけていただけだった。
(もう逃げていられない)
少女は湯から飛び出ると、髪を振り乱して温泉から屋敷に戻る。
雨の降りそうな暗雲に走り、部屋の障子扉を開いて月冴の姿をとらえた。
少女の突進に月冴は立ち上がり、少女の前に歩み出た。
「どうし……」
月冴に手を伸ばし、自分の身長にあわせるように引き寄せる。
「月冴さまを譲りたくない! 私だって! 私だってっ!!」
諦めたくないと、この場で言いきってしまいたかった。
見返りを求めるのはやめられない。
その恥も受け入れて月冴に見てほしいと叫び、胸の締めつけを感じながら目だけは反らすものかと意固地になった。
「ずいぶんと長湯だったようだが」
強引に話題を変えようとされ、無視されたことにショックを受けるも、気を取り直して挑戦的に月冴の目を追った。
「一時的な衝動かもしれません。ですがどうか無視をしないでください」
「……」
物言わぬ月冴に少女はするりと月冴の頬を撫で、指先を首筋に滑らせた。
薄い唇に釘づけとなり、月冴から感じる濡れた吐息に身が震えた。
「あの女にでも会ったか」
図星をつかれ、少女はゆっくりとうなずく。
すると月冴は長く息を吐きだして目元を手で覆う。
ためらいがちに手をおろすと、少女の唇に指を落とした。
「あの棺は呪いだ」
(呪い?)
この発言はまっすぐだ。
ちゃんと向き合いたいと、少女は口をきゅっと結んだ。
「土地神とはあながち間違っていない。あの棺は狐を封印したものだった」
「狐?」
月冴が目を伏せ、身を丸くして少女の背に手を回す。
耳元に触れた息はそよ風のようだった。
「私の生まれは神事を行う家だった。村で悪さをする狐がいて、身に宿して封印をしようとした」
それはかつて月冴が人間であり、どんな生き方をしていたかを指していた。
「狐を封印出来たものの、妖力だけは私の中に残った。その狐は……」
そこまで口にして月冴は咳払いをし、少女の着物をくしゃりと握りしめた。
手の強張りに少女は頬をすり寄せ、月冴を抱きしめた。
月冴は気まずそうに少女の肩に顔を埋めると、恥ずかしさにかすれた声を出した。
「メスの狐だったんだ」
「メス……」
口にし逃げられないところまで月冴は自分を追い込んだ。
落ちつきなく指先で少女の髪をかきよせる。
「あの棺は狐の身体が収められたもの。魂は執念深く、新たな肉体を欲するようになった」
「じゃあ村近くにあった棺は……」
「そう、狐は私を孤立させようとした。そして女を贄に求めて身体を手に入れようとした。自分にあう身体が見つかれば魂が戻り、妖力を取り戻せるとでも考えたんだろう」
そうしていくつもの屍が棺を通じて月冴の前に現れた。
誰一人、あやかしの世界に生きてたどり着くことは出来なかった。
葛藤するのも忘れるほど長い年月が経ち、決まり事を崩したのは少女だった。
名前のない空っぽな娘。
狐が依り代に求めそうな手ごろな娘だと思ったと月冴は告白した。
「狐に乗っ取られた娘ではないかと疑った。だがいつまで経っても狐は顔を出さない。それどころか気配も消えていた」
どういう意味だろうと首を傾げれば、月冴が困り果てて顔をあげた。
「お前はお前でしかなかった。……椿が来たことで確信した」
狐の身体は朽ちて、魂も生け贄を求めて殺すことはないと。
「私の中に妖力は残っている。あやかしであることは覆せない。だが狐がどこに消えたか、それだけがわからなかった」
「どうして……消えたのですか?」
少女の問いに月冴は唇を開いて眉根を寄せた。
「お前が打ち払った。お前は今までの贄と違って、巫女の血を引いていたんだ」
「巫女……?」
「それを村人は知っていた。普通の娘ではダメだと思ったのか、自覚のない巫女を差しだしたんだ」
少女の亡き両親は巫女の家系だと、月冴はわざわざ調べたそうだ。
巫女の血をひく娘が生贄となる際、狐の魂を取り込んで滅した。
月冴はようやく灰のように積み重なった息苦しさを手放した。
「狐はもういない。お前の血が狐に勝ったんだ」
少女が狐を滅し、道を開いたあとに椿が棺を通じてやってきた。
巫女の血筋のものを送れば凶作から解放されると思っていたが、効果は見られず……。
不良品だったと判断して、再び生贄として椿が送られた。
今頃村人は凶作が解決しないと、苦難に頭を抱えているだろう。
「明日まで待て」
「明日?」
月冴が答えを出そうとしている。
それに少女は向き合おうと涙をこらえ、精一杯の微笑みを向けた。
「待ってます。私もちゃんと、逃げずにこの感情を伝えていいですか?」
「あぁ」
「怖がってたら不安は一生消えないんですね……。だから勝手に月冴さまを信じることにします」
「不安は明日には消える。私は答えをみせる。だからお前ももう負けるな」
それ以上の言葉は必要なかった。
空っぽな少女から、月冴と向き合える立派な自分になりたい。
キモチワルイなんて思わなくて済むようにと、隠せない想いを乗せて背伸びをする。
月冴の薄い唇に同じものを重ね、頬が熱いなのか、月冴の手が熱いのかわからないと温度を探る。
湿った感覚は唇だけではまだ物足りないが、伝えるのは後回しにしよう。
胸の高鳴りとわずかな緊張に挟まれ、奇妙な感覚を味わった。
「お前は私の傍にいればよい」
「……っはい」
その日、はじめて月冴の腕の中で眠った。
膝枕をしたこともあったが、その晩は月冴が甘やかす番となり、心地良さに月冴の膝を独占した。
暗闇は好いた人とならば安息になると、背中ではなく月冴の顔を見ておだやかな夢を見た。




