2:魔王唖然。性癖? 君は何を言っている?
数秒間の静寂が訪れた。
(ふぅ……。やっと静かになった。なんだったんだ、あの騒がしい子供は――)
ノクティスは安堵のあまり、ベッドにへなへなと座り込む。先ほどまで激しく暴れていた魔力はようやく収まり、部屋の空気も静かに元通りに戻っていく。
しかし未だ、心臓がバクバクと激しく鼓動し、微かに手が震えている。
(大丈夫だ。もうあいつは帰ってこない。心配するな)
そう自分自身に言い聞かせ、大きく深呼吸した次の瞬間――
ドォォンッ!!
突如として爆音と共に扉が吹き飛び、破片が部屋の中に盛大に飛び散った。
「ちょっと魔王様ぁ~! ひどいじゃないですかぁ! まだ自己紹介終わってませんよ~?」
扉を吹っ飛ばして再び現れたのは、先ほど追い出したはずのエミリアだった。
「はああああぁぁぁぁっ!? な、何をしているんだお前は!?」
「何って、さっき扉を壊していいって言いましたよね? ほら、ちゃんと言質取りました!」
「言ってない、言ってない! 言質なんて取っていない! 私がいつそんな許可を与えた!?」
ノクティスは必死に訴えるが、エミリアは得意げにぺったんこな胸を張り、無邪気な笑顔で詰め寄った。
「はいはい、細かいことは気にせず、今日の朝食のメニューを決めましょうか!」
「細かいことじゃない! 扉だぞ扉! 城の扉を破壊するとはどういう了見だ!」
そう言って必死にツッコミを入れるのだが……エミリアはまあ、なんにも聞いていない。
「さて、ひねくれ気味な魔王様、本日からよろしくお願いしますね?」
当たり前な様子で、向日葵のような眩しい笑顔を浮かべると、再び美しいカーテシーを披露する。しかし、そんな彼女とは裏腹に、ノクティスの表情は完全に凍りついてしまう。
「いやいや、待て。君のことなど何一つ知らないのに、よろしくされても困る。一応私にもプライバシーが――」
そう言うが、またしても全部を言い切る前にエミリアがポンッと手を打ち鳴らし、ハッとした表情でぺこりとお辞儀する。
「あっ、そうでした! では今から自己紹介させていただきますね! 何からお知りになりたいですか?」
「いや、何も知りたくないんだが?」
「あ、全部ですね! わかりました!」
「話を聞けぇぇぇ!」
懇願するように指摘するも、まったくノクティスの言葉を聞かないエミリアは、構わずマシンガンのような勢いで自己紹介を始めた。
「えっと、エミリア・フィランゼ、歳はこう見えて18歳です! 誕生日は4月27日の牡牛座、血液型はA型ですよ!」
「そうか、よくわかった! もう満足したら出て行ってくれ!」
「それから、身長は148cm、体重は女の子なので秘密でーす! あっ、でも代わりにスリーサイズなら喜んで教えちゃいますよ?」
「は? いや、君のスリーサイズなど興味ないのだが!? そもそも普通、体重よりそっちの方が言いたくないだろう!」
目を丸く見開き、再び困惑で感情が爆発寸前になったノクティスは、無意識に右手を振り上げる。その直後、突如として赤黒い炎が渦巻き、部屋中を埋め尽くすほどに荒れ始める。
最上位炎魔法、ヘルフレア・カタストロフ。
凄まじい火柱が猛獣のような咆哮を上げエミリアに迫るが――
ぽんっ♪
妙に軽快な音と共に魔法が弾け消えた。どうやら魔法自身が彼女の異常さに気づいて逃げたらしい。
(……は? 今、ぽんって言ったか? 私の魔法、ぽんって言ったのか!? そんな魔王らしくない音があるか! ていうか逃げるなああああ!)
ノクティスはショックのあまり崩れ落ちそうになる膝を必死に支える。
しかし当のエミリアは、その凶悪な魔法に全く気付かないまま、無邪気に話を続けた。
「スリーサイズですが、上から順に62.5(Aカップ)、W55、H79ですねっ!」
「い、要らない! 本当に要らないから!」
「それから、あっ! 趣味は人のお世話ですよ!」
「なんだその迷惑極まりない趣味は!?」
すっかりエミリアのペースに巻き込まれ、ツッコミを連発して息も絶え絶えになったノクティスだったが、彼女の暴走は止まる気配すらない。
「それと、性癖は……監禁とか調教とか、それから拷問なんかも結構好きだったりします!」
最後の最後で特大の爆弾を平然と落とすと、『どうですか、私?』と言わんばかりのキラキラした視線をノクティスに向けた。
「もうツッコむのも疲れたのだが、君は何を口走っているんだ!? 調教!? 監禁!? 拷問!? お前、自分で何を言っているか理解しているのか!? お願いだから自分の体は大切にしろ!」
「えっ? だって魔王様が教えてって言うから……」
「いやいやいや、君の耳はどんな構造をしているんだ!? 私は一言もそんなことを言っていないだろう!? はあ……もういい、とにかくさっさと出ていってくれ……君といると私の寿命がどんどん削られる!」
「いやいや! そんなことで寿命が縮むわけ! そもそも、私は魔王様のお世話係ですよ? 出ていけと言われて『はいそうですね~』って出て行くお世話係がどこに――」
なおも必死に言い張るエミリアだったが、ノクティスは無表情のまま無慈悲に床へ手を翳す。
その瞬間、巨大な水柱が勢いよく吹き上がり、エミリアの体を容赦なく飲み込んだ。
これは上位魔法アイス・オン・ヴァッサー。
衝撃を与えると即座に氷へ早変わりする、過冷却のような魔法だ。
「うわぁぁ~! また空飛んじゃってますよぉ~!」
エミリアは嬉々として窓の外へ放り出され、直後にドォォン!と地面が激しく揺れた。
小さく息を吐き、ようやく静かになった部屋で今度こそ安堵したノクティス。しかし、徐々に罪悪感が支配してきたのだろう。窓から覗き込み、内心で冷や汗をかく。
(……やり過ぎたか? いや、でもこれで懲りるだろう――)
だが次の瞬間、ひょいっと両手をかけ、エミリアが無傷で再登場した。
しかし、その表情はどこか怒っているようで……ぷくっと頬を膨らませている。
「もう! あれはさすがにヤバかったですよ? どれだけ魔王様が恥ずかしがり屋でも、普通の人なら即死コースでしたからね!?」
小さな体で注意を促すエミリアに対し、ノクティスは彼女が無傷でいることのほうに驚き、今さらながら恐怖すら感じ始めてしまう。
「おいおい、嘘だろ!? あんなに派手に落ちてどうしてケロッとしているんだ!? 君は一体どこの修行僧だ!」
ノクティスは完全に取り乱した声で問い詰めるが、その内心ではさらに深刻な疑念が渦巻いていた。
(ま、まさか私が引きこもっている間に魔力が衰えたのか? それとも奴が特殊なのか? いや、そもそもあの勢いで落下したら普通は骨の一本くらい折れるだろ!? ていうかまず凍って動けないはずだろ!?)
そんな彼の深刻な戸惑いに対して、エミリアは実にあっけらかんとした笑顔を浮かべて明るく説明する。
「えっとですね~! ドーンってなる寸前に、サッ! って感じですかね?」
「いや、わからん! その擬音ばっかの説明で誰が理解できるんだ!? 君は擬音語だけで生きていける世界から来たのか!?」
ノクティスは完全にツッコミマシーンの制御を失う。自分の意思とは無関係に体が勝手にツッコんでしまう現象が起き始めているのだが――一瞬だけ真剣な表情に戻すと問いかけた。
「念のため確認するが……君の種族はなんだ?」
「え? 人間ですけど?」
「は?」
「え、私、魔族さんに見えちゃいました?」
「いやいやいや! むしろ魔族であってくれ! その強靭さが人間のカテゴリーに収まってたまるか!」
「えぇ~、強靭だなんてそんなぁ~! 私、か弱くて守ってあげたくなる系の女の子ですよぉ?」
「どこがだよ! 君の場合は野生児みたいなものだろ!? それだけ規格外ならば、霊長類最強と呼ばれてるだろ!」
「霊鳥? 私、鳥じゃないですよ?」
「いやいや、そんなボケは要らないから! 雑すぎるだろ!」
そんなやり取りを数回繰り返していくうちに、キャハハとエミリアは楽しそうに笑う。
しかし、ノクティスの表情は限りなく無に近づく。その顔はどこか虚空を見つめ、悟りの境地に達した表情。
(……こいつに付き合っていると私の体が持たん! 私は他人が嫌いなんだ! にもかかわらず、どうして私の体はこの女にツッコんでしまうのだ!? 今日で一生分のツッコミをした気がするぞ!?)
そんなことを内心に落とすと、彼は心底疲れ切った様子で呟く。
「……君は私の寿命を縮める専門の刺客なのか!? いや、もういい。なんでもいいからどっかに行ってくれ! いや、故郷に帰ってくれ!」
瞬間、エミリアの表情が一瞬曇る。
(な、なんだその顔!? もしかして……)
ノクティスはそこまで考えると、気遣うように小さく問いかけた。
「もしかして、家がなくなったとか……なのか?」
知らなかったとはいえ、酷いことを言ってしまったのではないのか? そんな焦りを覚え、自然と瞳が大きく揺れ動く。
しかし――エミリアはキョトンと小首を傾げ、彼に問い返す。
「え? なんか言いました?」
「は? え、いや……えっと……家はあるのか?」
「あ、はい! 普通にありますよ?」
「は? いやいや! ならばなぜ、さっき顔を曇らせた!?」
「いやぁ〜魔王様がお話しているのに、欠伸が出そうになっちゃいまして! 必死に堪えてただけですよ?」
瞬間、彼は全てがどうでも良くなってしまう。
「はあ……もうなんでもいい。疲れた……私は疲労困憊だ。そろそろ一人にして貰えないと、干からびてしまう……」
「え、干からびる!? それは大変ですね!? あ、でも魔王様の乾物として売りに出せば、魔界も少しは潤うのでは!?」
「いやいやいやいや! なぜ売りに出そうとする! 君はサイコパスか何かか!? そもそもここは、じゃあ失礼しますね! って言うところだろ!? さすがにズレすぎているぞ!? よくそんな頭で今まで生きてこれたな!?」
「いやぁ〜それほどでも〜」
ノクティスの言葉に、照れくさそうに頭を小さく搔くエミリア。
「誰も褒めてなどいない!」
さすがのノクティスも苛立ちが最上級に達してしまったのか、彼の周りだけ再びバチバチと火花のような……恐ろしい空気が張りつめ出した。
瞬間、エミリアはじっと彼を見つめ――
「うーん……。あっ! じゃあちょっとだけ、部屋を空けさせてもらいますね?」
そう言うと、素直にノクティスの部屋を後にした。
ようやく静かになった自室。
「エクレアと言ったか? あいつはなんなんだ……ここまで疲れる相手は初めてだ。思い出すだけで体力が削られる。このまま二度と戻ってこないでくれればいいのだが……」
ノクティスは嘆きの言葉をポツリと落としながら、深く嘆息した。
――だが、この平穏が訪れたかのような錯覚が、彼の人生最大の誤算だった。
この朝こそが“魔王ノクティスの日常”という名の、終わりなき試練の幕開けであることを、彼はまだ知らないのだった……。




