17:魔王、ティラミスになる。
思い出したくもない過去を思い出してから数日後。
「おい、エクレア!」
ノクティスは、不機嫌な様子でエミリアを探しうろちょろしていると、なぜかいつも以上に城内が騒々しい。
(なんだ、この浮ついた雰囲気は……)
嫌な予感を抱きつつ、彼は騒ぎの中心へと向かう。
しかしそこで目にしたのは、猫耳カチューシャやふわふわな猫の前足を模した手袋を身につける女魔族たち。
「これでニャクティス様とお揃いになれますね!」
「ええ、本当に! 可愛らしいグッズがたくさんで、お給料の半分が飛んでいっちゃいました〜」
(……なんだこれ。ティラミスってなんだ? いやそもそも、なんだその陳腐なアイテムは! 集団幻惑にでもかけられたか!?)
訝しげながらも彼は毛を逆立て警戒心を募らせる。
だが気にすると負けな気がする。ノクティスは悶々とした気持ちを抱えながらも、平常心を装い更に歩を進めた。
すると、次に彼の視界に入ったのは、よく分からない紙切れを手に、妙な熱気を放つ別の魔族たち。
なぜか、血眼になって小さなカードを見せ合い、理解し難い言葉を口にしている。
「ふっ、これで我輩も念願の“ニャクティスタイム”を獲得したぞ!」
「バカめ、それを手にしたからといって権利が自動付与されるわけではない! 貴様より先に、我がニャクティスタイムを貰う!」
「いや、私が貰うんだ!」
(やはりここでもティラミス……? 私と似たような名前だが何の話だ? それにティラミスタイムとはなんだ?)
訝しげながらも絶句するノクティス。そんな彼を見つけたエミリアは、嬉々とした態度で駆け寄ってきた。
「魔王様、どうしたんですか?」
「にゃにゃにゃにゃ! にゃあにゃあにゃにゃ! (エクレアどこで油を売っている! 早く私の呪いを解け!)」
「エクレア……? 魔王様、エクレアが食べたいんですか?」
キョトンと小さく首を傾げるエミリアに、ノクティスはシャーと威嚇しながら声を荒らげた。
「にゃあああわんにゃ! (お前は何を言っている! 自分の名前すら忘れたのか!)」
それを聞いたエミリアは一瞬だけ思考を停止させつつも、どこかツボに入ってしまったらしい。ぷるぷる震えていたかと思うと、ケラケラと笑い声を発しながら言う。
「魔王様、私の名前覚えてくれたんですね! ほんと可愛いです!」
機嫌が絶頂に達したように、ニマニマと気持ちの悪い笑みを浮かべ、スリスリと頬ずりするエミリア。
「シャー! (気色悪いぞお前!)」
ノクティスはぷにぷにの肉球でエミリアの顔を押しながらシャーこらと抗議の声を上げ続けた。
「まあまあ〜。それよりもこれを見てください!」
そう言って、見せてきたのは先ほどの魔族たちが持っていた紙切れ――いや、カード。
そこには、“ニャクティスファンクラブ会員証”という文字と、陳腐な猫のイラストが。
「にゃ、うにゃあああわ……! にゃにゃわんにゃにゃ! にゃにゃあにゃあにゃ! (な、なんだこれは……! そんなことよりもだ! 早く私の呪いを解け!)」
「これはニャクティスファンクラブの会員証です!」
「にゃああああ! (ティラミスだかなんだか知らんが、そんなことどうでもいい! 俺は早く猫の姿から戻りたいんだ! 油を売らずに早く術式をだな!)」
「いや〜もう術式を読解するの無理な気がしたので、魔族の皆さんにも協力を仰いでいたんですよ〜!」
「にゃう? にゃにゃうにゃわわにゃ? (ほう? それは良いな。だが、あいつらがお前のような人間を相手にすると思っているのか?)」
「え? 皆さんめちゃくちゃやる気満々で協力してくれるって言ってくれましたよ?」
それを聞いたノクティスは、もう何がなんだか分からず呆然状態。自分の言うことを聞き、他者の願いなど聞き入れない従順な部下ばかりだと思っていた彼からすれば、裏切られた気がして酷く落ち込んでしまう。
「にゃあにゃあにゃにゃあ! (どうやって買収した!)」
「買収だなんて、人聞きの悪いこと言わないでくださいよ〜! これです! この裏をよ〜くみてください!」
そう言って、エミリアは満面の笑みを浮かべながらカードの裏を見るよう促す。すると、そこには複雑な術式のようなものが。
「これを解読すると、一時間、ニャクティスさまを思い切り愛でることが許されます! って言ったら皆さんノリノリになってくれました!」
「にゃあああにゃにゃにゃ! (だからそのティラミスって誰だ! 魔王がここにいるというのに、皆私を裏切るというのか! ええいその腸を食いちぎってくれるわ!)」
怒り心頭な様子で不満を爆発させるノクティス。しかし、エミリアはキョトンとして目を瞬かせ言う。
「え、何を言っているんですか? ニャクティスさまは魔王様のことですよ?」
「にゃああああああああ!? (はああああ!? いやいや! 意味がわからないんだが!? どうして俺の名前がティラミスというわけのわからんものに改名されている! それに、私は聞いてないぞ!)」
「いやあ〜。ティラミスじゃなくて、ニャクティスさまですよ? ほら、魔王様の名前はノクティスじゃないですか? で、今は猫ティス様ですよね? なので、ニャクティスさまになりました!」
「にゃわわわにゃわん! (お前が犯人か! 俺は許可していないぞ!)」
「まあ、細かいことは気にしちゃダメですよ? ほら、術式の解読ができれば魔王様が元の姿に戻れるかもしれませんし!」
エミリアはニコニコ笑顔を絶やすことなく、だから協力してくださいね? と再び一時間愛でる権利をノクティスに提示した。
「フシャアァァァ! (誰がそんな許可をした! 俺は認めん! 断じて認めんぞ!)」
「もう魔族さんたちに配っちゃったので! ちなみに月額百ルーナになります!」
※百ルーナ=1万ほど※
「にゃあああ! にゃにゃにゃにゃあ!? (おい待て! 勝手に意味のわからん会を作ったと思ったら、部下たちから金を巻き上げるのか!?)」
「巻き上げなんて人聞きの悪いこと言わないでくださいよ〜。このお金で、魔王様が快適に過ごせるアイテムを購入するんですよ! 後はグッズを作ったり!」
「にゃああああああ!? (誰がそんなアイテムを欲しがった! 今すぐやめさせろ!)」
ノクティスは激しく抗議するが、エミリアは涼しい顔で首を横に振る。
「ダメですよ〜。もう予約注文も殺到してますし、今や魔界経済の活性化に一役買ってますからね!」
そう言いながら近くの魔族から渡された分厚い書類の束を見せる。
「にゃあにゃあにゃあ……! (誰が魔界経済を頼んだんだ……! 私の尊厳を勝手に奪うな!)」
ノクティスが頭を抱えている間にも、魔族たちは術式の解読に必死。というより彼だけが未だに置いてけぼりを喰らい続けている。
「この術式さえ解ければ、1時間もニャクティスさまを撫でまわせるんだ……!」
「ああ、なるほど! ここは魔力の流れを逆流させれば……!」
「ちがう、ここは術式の反転を行うべきだろう! ふっ、さすがニャクティス様の呪い、難解だ!」
(こいつら、猫を撫でたいだけで良くもそんなに頑張れるな……。ていうか、いつの間に、そんな高度な術式解析を身につけたんだ?)
半ば呆れ気味に困惑していると、別の方からまた違う声が聞こえてくる。
「次の新作グッズも楽しみですね〜」
「次は、ニャクティスさまになりきれる寝巻きだとか!」
「いえいえ、それよりも20個限定の肉球クッションの方が気になりませんか!? なんでも、ニャクティス様の匂い付きらしいですよ!」
(おい、ちょっと待て! 一体どうやって俺の匂いを再現した!?)
そう思いつつも、犯人は一人しかいない。ノクティスは、ジロリとエミリアを睨みつけ――
「魔王様、怖い顔してどうしたんですか?」
小さく首を捻る彼女。そんなエミリアに、ノクティスは完全に理解を放棄した。
(あっ、もうダメだ……この世界は終わった……)
自分だけ一人、波に乗れず悶々としながら不貞腐れていると、エミリアが優しく彼に声をかける。
「もぅ〜そんな拗ねちゃダメですよ? ほら、ニャクティスさまは魔王様の猫として堂々としていてください!」
「にゃあああ! (誰も拗ねてなどいない! それに、誰が魔王様の猫だ!)」
そんなツッコミも虚しく、魔王城での生活は退屈極まりなかったからか、エミリアの持ち込んだ新たな娯楽。ニャクティスブームは瞬く間に広まり、城内は空前の術式解読に沸き立つことに。
結果、激しい解読競争が繰り広げられ城内の魔術レベルが急激に上昇。ノクティスはその異様な能力の高まりに毎日のように戦慄を覚えることになるのだった。