11:魔王、マタタビ地獄を味わう。
それから二週間ばかしの時間が過ぎた。
「魔王様〜! そろそろ猫化してることを城内にいる魔族さんたちだけでも伝えてはいかがですか?」
「にゃ! (断る!)」
「え〜! じゃあどうするんですか? 魔王様が不在だと、攻められたりしないんですか〜?」
「にゃあああ……(ぐぬぬぬ……)」
その指摘を受け、ノクティスは悔し交じりに狼狽える。
そもそも猫化してしまったことがバレれば、それこそ威厳が保てず城の魔族たちから笑いものにされるという最悪な未来が待っていそう。とはいえエミリアが言う通り、魔王が何日も不在だと知られては、城が落とされる危険性は大いにある。
プライドを取るか、他の方法を見つけるかの二択だが――ノクティスは不満顔のまま、ムスッとして言い放つ。
「にゃ! (知らん。お前がどうにかしろ!)」
「え〜! 私がやるんですか?」
「にゃあ(そうだ。なんだ、そんなこともできないのか?)」
「う〜ん……仕方ないですね〜。でも、ご褒美はくださいよ?」
エミリアはそう言うと、ちょちょいと魔法でノクティスの幻影を生み出し、それを彼の代わりとして務めさせる。
(はあ!? そんなサクッと高度な幻影魔法を使うなぞ、おかしいだろ!?)
ノクティスが唖然としていると、エミリアはにこりと愛らしい笑みで彼に近づくなり、ご褒美くださいね! と彼を目一杯甘やかしにかかる。
「にゃああああああ! (これのどこがご褒美なんだああああ!)」
そう叫ぶも、彼女はやはり気に留めない。
エミリアのおかげで、猫=ノクティスという事実には気づかれていないものの、彼女の溺愛っぷりが加速してしまい、彼の不満が募っていくばかり……。
◇
そんなある日のこと。
(こいつは毎度俺の威厳を潰してくれる! そろそろ何かしないと、本当に魔王としての尊厳がなくなってしまうではないか!)
ノクティスは苛立ちからしっぽをパタパタと振りながら、反撃する隙を狙っていた。すると、ちょうど彼女が猫用の玩具を持って彼の前に座る。
今だ! と思って飛び掛ろうとした瞬間、エミリアが狙ったように猫じゃらしを揺らし始める。
「魔王様~、今日は猫じゃらしで遊んであげますね~!」
思わずその猫じゃらしに反応しながらも、ノクティスは、バカにされている感じがして、反発の声を上げる。
「にゃ! にゃにゃあ! (誰がそんなもので遊ぶか!)」
しかし、今の彼は所詮ただの猫。本能には逆らえず、気づけば必死に猫じゃらしを追いかけじゃれていた。
「ふふっ、やっぱり可愛いですね~」
「ふにゃあ……(はわわわっ……。なぜ私はこんな下賎な真似を……これではまた威厳が……)」
しょぼくれ気味にベッドの上で香箱座りしながらも、ノクティスは落ち着こうと毛繕いを始める。
(本当にこいつは! 毎回毎回、私を猫扱いしやがって! 私は魔王だ! なのに、どうして猫のような下劣な生き物のように扱うのだ!)
そんな不満を内心で垂れながらも、腹回りの毛を舐めたり、後ろ足で耳元を搔いてみたりと、やっていることは猫と同じ。
そんなことに気づかず念入りに毛繕いをしていると、ふとエミリアが疑問を投げかける。
「そういえば魔王様、なんで猫が嫌いなんです? 可愛いのに」
「にゃ。(誰がお前に答えるか!)」
ふいっと顔を背けながら前足で顔を搔くと、うーんと伸びをしてベッドから窓際へ移動する。
(誰が教えるものか! 天と地がひっくり返ろうと絶対に言わぬわ!)
「え〜教えてくださいよ〜?」
「にゃにゃにゃ! (いやだ!)」
「もぅ〜! 本当にひねくれてますね〜! そんな猫嫌いな魔王様に、今日はとっておきの物をプレゼントしましょう〜!」
そう言うエミリアは“高級マタタビ”と書かれた怪しげな袋を手に持ち彼に見せつけた。
「にゃ!? にゃ、にゃにゃん! (マタタビだと!? ふっ、私はそんなもの好まん! そもそも、知っているか? マタタビというのはな、虫除けでしかないのだ! そんなものを私に使ったところで反応などせぬわ!)」
「じゃあ試してみましょ!」
「にゃっ! (断る!)」
「マタタビは効かないんですよね? なら問題ないですよね? それとも本当は効いちゃって、私にスリスリしたり、ベロンベロン状態になって甘えん坊さんになるんですか〜ぁ?」
挑発するような物言いの彼女。ノクティスは、そんなエミリアの発言にカチンッと来たらしい。勢い余って言い放つ。
「にゃ、にゃあ〜ん! (ふっ、いいだろう。その挑発に乗ってやる!)」
「ふふっ、期待してますよ〜!」
にこやかな笑みを浮かべるエミリアは、袋を開けて中身を目の前でちらつかせる。
瞬間、甘く濃厚な香りがガツンと響き、ノクティスの脳がクラクラと揺れ始める。
(こんなもので私が堕ちるなどあり得ない……! だが、この身体は……くそっ、なぜだ!? なぜ身体はこの粉に反応してしまうのだ! 私は魔王だ、猫ではない!)
本能と理性が激しくせめぎ合い、必死に抵抗を試みるも本能には叶わず。
「にゃ、にゃぁ……(ああ、だめだ……)」
理性は儚くも崩れ去っていく。
数分後――
「ぬわ〜ん、ぬわ〜! (おい、撫でろ!)」
気づけばノクティスは、床の上でゴロゴロと喉を鳴らしながら、エミリアに全力で甘えてしまっていた。
「魔王様、可愛い〜! やっぱり素直になったほうが得ですよ〜!」
「ぬわ〜ん(そうか、なんでもいい次は腹を撫でろ)」
そう言って自らヘソ天すると、撫でを要求し続ける。その姿は既に魔王としての威厳というより、猫としての可愛さが最大限に際立っている。
そんな彼の激変っぷりに、エミリアは満足気にノクティスの腹を撫でながら再び問いかける。
「それで〜、どうして猫が嫌いなんですか?」
「にゃ! (教えるか!)」
「じゃあなでなでおしまいですね?」
「……にゃ、にゃんにゃ!? にゃぁ……(……な、なんだと!? はあ……仕方ない。魔力が枯渇すると猫になり、可愛いとちやほやされるのが気に食わぬのだ……。まるで私が可愛いと言われているみたいではないか……)」
「へっ?」
まさか同族嫌悪。想像の斜め上の発言に、エミリアは思わず目を見開く。しかし、ノクティスはもっと撫でろモード。
「にゃ! にゃにゃにゃん。にゃあ! (教えてやっただろ! 手が止まっているぞ! 早く撫でろ! 私の言うことが聞けないのか!)」
そんな不満をぶつける彼に、も〜! いっつも言ってることと正反対じゃないですかぁ〜! と苦笑しつつも、エミリアは普段通りの笑顔を浮かべてからかう。
「魔王様〜! つまりそれって、自分が可愛いって認めてるってことですよね?」
「にゃあああああ!? (違う! 違うぞ! 可愛いなど断じて認めぬからな!?)」
「ふふっ。ほんと素直じゃないですね〜! でも、そんな魔王様も私は好きですよ〜?」
エミリアは、ほんっっっっと可愛すぎませんか!? とギュッと抱きしめながら、た〜っぷりとノクティスを甘やかしてやる。
だが、猫吸いだけはノクティスに全力で拒否されてしまい……。
そんなベロンベロンに酔っ払い、ゴロゴロと甘えモードになっているノクティスだが――素面に戻った瞬間、猛烈な羞恥と後悔で数日間、毛玉を吐き散らかす羽目になることを、この時の彼はまだ知らないのだった。