1:魔王、うさぎさんになる。
「……は? え、うわああああぉ……っ! ふしゃああああ――! お、お前は誰だ!」
寝起きの重い瞼を無理やりこじ開けた瞬間、魔王ノクティス・ヴァレンシュタインは驚きのあまり、飛び上がる勢いで叫んだ。
「は!? いや、は? え、何だこの状況は!?」
オブシディアンのような黒髪は、まるで爆発に巻き込まれたかのように乱れ、ルチルクオーツを思わせる黄金の瞳はぐるぐると回転し、焦点が一切合っていない。
それもこれも彼の身体にピタリとくっつく正体不明な物体のせい……。
しかし、異変はそれだけでは終わらない。
はだけた服から覗く白い肌には盛大に鳥肌が立ち、冷や汗が滝のように流れている。
なのに、なぜか着ている寝巻きはフリルとリボンがこれでもかとあしらわれた桃色のウサギさんナイトウェア。
乱れた漆黒の髪、焦点の合わない黄金の瞳、そしてファンシーすぎる桃色ナイトウェア。これは魔王の威厳集には掲載されていない、世にも奇妙な展開。
とはいえ、魔王の威厳集など存在しないのだが。
「はああああああ!?」
(有り得ない。いや、有り得るのか? いやいや! 有り得ちゃいけないだろ!? なぜ私はこんな陳腐な服を着ているのだ!? 昨日の夜は確か……いつも通り、漆黒の威厳あふれる闇のローブを纏い、孤高の魔王らしく寝台に横たわったはず……!?)
自分の記憶と現状が噛み合わず混乱するも、すぐに侵入者の可能性を考え……即座に打ち消した。
それもこれも、自室には強力な結界が張られているから。つまり、いや絶対に侵入など不可能!
(まさか……寝惚けて自分で着替えたとか? いやいやいや、そんなバカな! あり得ない、断じて認めんぞ!)
そう内心で呟き、焦りながらも寝巻きを引き裂こうとした。しかし、謎の耐久性でびくともしない。
「は? へ? え、……これは呪具だったりするのか……?」
過ぎるのは最悪な結末。
ファンシー魔王の爆誕像。
そんな最悪な事態に、ノクティスの思考回路はショート寸前。いや、ほぼ停止している。
絶望が支配し、室内だというのに小雨がしとしとと降り始める。
だが、ノクティスは魔王。こんなことで狼狽えるなど、威厳もへったくれもない。
彼は首を大きく横に振ると、ピタリとくっつく得体の知れない物体を確認するように、布団をペイッと引っペがした。
するとそこには、透き通るほど白い肌にアイスラリマーのような淡い青の髪を持つ幼い少女が、まるで抱き枕のように彼にぴったりと寄り添い、幸せそうに寝息を立てていた。
「は? ……どういうことだ? い、いや待て、落ち着け私! これはきっと悪夢だ。魔王にだって悪夢くらい見るのだ! そう、これはきっと悪夢なのだ!」
自分を落ち着かせようと懸命に現実逃避を図り、どうにか夢の仕業だと思い込もうとするのだが――身体に伝わる温かな感触や、微かにあたる息が妙にリアルで、その望みはことごとく打ち砕かれていく。
「うむ……夢にしては妙にリアルすぎないか……?」
一周まわって彼は、少しだけ落ち着きを取り戻すと、ごくりと息を呑み込み震える指先で幼子の頬を、まるでゲテモノにでも触れるようにつついてみる。
瞬間、フニッ。
もちもちで触り心地の良い感触が指先に伝わる。
ノクティスは、そのあまりにもフニフニのもち肌に、謎の少女ということを忘れ堪能した。
「うむ、これはいいパンをこしらえれそうだな」
そう言いながらも、何をしても起きない少女をじっと見据え――
「はっ! いや、私は何をしている!?」
我に返ると同時に、彼の思考は完全に停止した。
(ひとまず、私は昨日の夜なにをしていた? まさか高級クラブなぞと言う場所にでも赴いたか……?)
そう訝しげながらも、無意識に手はふにふに吸い寄せられ、触ってしまう。
(いや、私が幼子を連れ帰るなど断じてありえない。なんせ、ここ数千年魔王城に引きこもっているのだから!)
どこか誇らしげに鼻息を立て、内心でそう結論づける。そう、ノクティスは下戸で極度の人(魔族)見知りというデバフ持ちなのだ。
そのため、どう考えてもこんな幼子を持ち帰る度胸などありもしない。
「はっ! もしかすると、これは生贄なのかもしれぬ! これで魔力を高めろということか!?」
都合の良い解釈をしてみようと試みるも、無尽蔵に溢れる魔力によって、彼は贄など要さない。
とはいえ、それは魔界限定。
人間界などにいくと、毎回ビビり散らして魔力を枯渇させかける常習犯である。
ひとまず部下たちにバレる前に彼は幼子を追い出そうと試みた。
しかし、焦りは既に限界突破していたらしい。
ノクティスの周囲の空気が突然ピリピリと痺れ、バチバチと妙に嫌な音を立て始める。
直後――
ドゴーンッ!
目も眩むような激しい閃光とともに、最上位雷魔法アストラル・ヴォルテクスが勝手に暴走を始めた。
「ちょっ、まっ、待て待て待て待て! 鎮まれ! お願いだから静かにしろ! 誰かに見られたら私は……死ぬ――!」
自身の魔力暴走に完全に振り回され、手足をばたつかせながら必死に制止を呼びかけるのだが……。
原因はノクティス本人。いくら落ち着けと言ったところで、“お前が一番落ち着け”案件なのは言うまでもない。
そして、状況は最悪の方向へ舵を切ることに。
ノクティス自身のビビりにビビった情けない叫び声のせいで、あれほどまで起きなかった問題の幼子が、ゆっくりと目を覚ましてしまう。
「んにゅ……?」
愛らしい声と共に淡い水色――まるでアクアマリンのような瞳がふわりと開き、幼子はあどけなさ満点の表情で目をこすった。
「ふわぁ……あっ、魔王様、おはようございます~!」
彼女はふにゃりと蕩けそうなほど柔らかな笑顔を浮かべ、無防備にノクティスを見つめてくる。
しかし、彼はそんな幼子の愛らしさなぞに騙されない。
どきどきと騒がしく暴れる心臓を必死に抑えつけながら、涙目になって言い放つ。
「――だからお前は誰なんだぁぁぁ!」
「へっ?」
「へっ? じゃない! お前は一体誰なんだと聞いているんだ!」
「あ……! これはこれは失礼しました!」
幼子はぽんと手を叩いて、今気づいたかのようにキラキラした笑みを浮かべると、寝起きとは思えぬ華麗さで身を起こし、堂々とベッドの上でカーテシーを披露する。
「私、エミリア・フィランゼって言います! 今日から魔王様専属の溺愛係に任命されました!」
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