例えばそれは
家の近所には、悪魔が住んでいる。
とてもかわいらしい悪魔だ。
その悪魔に近づいては私の身に危険が迫るというのに――それは重々承知しているというのに、私は何故か悪魔の元に足を運ばずにはいられない。麻薬のような常習性と言っても過言ではないだろう。実際麻薬を試したことはないのでこれが確かな言い回しであるかは定かではない(その辺りの微妙なニュアンスは各人の判断に任せることにする。人によっては「煙草のような」、「アルコールのような」、「チ○ルチョコのような」と読みかえても良い)。
そして今日も私は、悪魔の僕となった親戚の家に向かうのだ。今日はちゃんと秘密兵器を持ってきた。これで大丈夫だ(気分的に)。勝手知ったる他人の家。玄関のドアを開け、おじさんおばさんおねえさんひいおばあさん(余談だがそろそろ誕生日に市長がやってくるお年頃である)に挨拶した後、甘えた声を上げながら足に擦り寄ってくる悪魔に対し、私はおもむろに秘密兵器をとり出した。
「ん? お腹すいてるのかい? 今日は煮干を持ってきたよ。食べる? ああ、はいはい、いい子だからそんなに焦って食べちゃだめでちゅよ~」
何故に人は動物相手に幼児語を使ってしまうのだろう。因みに、専用の煮干はあまり好評ではなかった。同様の手段でこの悪魔にアプローチされる方は注意されたし。
今日も悪魔のかわいらしさにやられてしまった私は、二十分程度の至福の時間と引き換えに、くしゃみ、鼻水、涙、呼吸器の軽い異常などと小一時間ほど戦うハメになるのであった。
いつか動物アレルギーを克服できたなら、というかアレルギーに対して安価でかつ人体(私)にあまり負担のない薬を見つけることができたなら、うちでも悪魔を一匹飼う事にしよう。そしてその時は「悪魔」ではなくかわいらしい名前をつけてあげるのだ。私の希望は「越後屋」だが、これを他の人に言うと眉を微かにしかめられたり、驚愕の表情をほんの少し面に出したりするのは何故だろう。「エチゴヤ」、ロシアっぽくていいじゃないか。もし二匹飼えるなら、もう一匹は「代官」がいい。そして「越後屋、そちも悪よのう……」「いえいえ、お代官様こそ……」といった風に遊ぶのだ。楽しそうだ(傍から見ればかなり怪しい行動ではあるが)。その日まで、悪魔の元に通うのは自粛しようと思う。頑張れ私の自制心。
でも、五分くらいなら大丈夫だろう、五分くらいなら……。
2001年に文芸部の部誌に寄稿した作品です。
アップするにあたって、「するめ」を「煮干」に変更しました。
煮干はちゃんと猫用煮干です。普通の煮干だめなのだそうです。
初稿では調べ方が足りなくて、猫が好きそう! という脳内妄想のままするめを使ってしまいました。下調べは重要ですね。
拙い作品ですが、少しでも楽しんでいただけると嬉しいです。