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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

Lv2からチートだった元勇◯候補のまったり異世界ライフのパ◯リ書いたったwww

『唯一たる我らが神よ。遍く世を照らす仏よ。どうか僕の願いを聞き届け給え』


 またこの声だ。

 ぼくは辟易してしまう。


『彼の者に死よりむごい罰を。彼の者が生まれた日を呪うほどの、陰惨な責苦をお与えください。死してなお、悔恨の焔でその身を焼き尽くしますように』


 ぼくには昔の記憶がないけれど、この言葉はぼくに向けられたものらしい。

 そう推測するのが一番もっともらしいから。


『彼の者の子孫が地に這う草木の如く産み増えることがありませんように。彼の者の首が街の梟首にかけられ、礫を持って人民より迎えられますように』


 何もこれほどひどい言葉を吐き捨てなくてもいいだろうに。

 ぼくは他人事みたいに思ってしまう。


『どうか報いを。終わりのない苦痛を……』


  ↓


「うるさい」


 ぼくは目を覚ます。

 となりに寄り添うは大岩を思わせる体躯を持つ白銀の狼。太陽を背にした彼女の白毛は垂れる稲穂の如く輝き、燃えるような翠眼がぼくを睥睨している。


「近頃はお前のうなり声で目を覚ます。お前も誉高き牙狼族なのだから、寝汚いのを改めろ」


 彼女の名はフェンリース。誉高き牙狼族の娘。

 ぼくもおんなじ牙狼族らしいけど、記憶がない。そのせいで彼女が語る「誉」が理解できない。

 ぼくは伸びをする。昨日は開けた林床で寝たんだっけ?


「夢から助けてくれてありがとう。君は今朝も白々としてきれいだね」

「白々とかいう、ヘンテコな言葉使いやめろ」


 ぼくの言葉は彼女に届かない。


  *


 今朝の夢には人間の雄が出てきた。


 雄は黒とも紺ともつかない色のローブを纏った人間たちに囲まれており、ローブどもは口々に「百うん十人目の勇者候補様だ」「我らの呼びかけに応えて異世界からお越しになった」「神の加護をお持ちのはずだ」だとかなんとか騒ぎ立てる始末。

 雄は困惑したまま雌人間が差し出した水晶に手をかざしたけれど、水晶に照らし出された文言を見てローブどもは大騒ぎ。


「神の加護が皆無だ」「あぁ、なんてこと」「またもハズレ」「神よ、何故、何故ですか」


 恨みがましい視線が雄を這ったのもつかの間。


「新しい勇者候補様だ!」「素晴らしい、神の加護がついていらっしゃる!」「おぉ、どうか悪き魔王軍を打ち払ってください!」


 ローブどもはその勇者候補? へ殺到していく。

 気がつけば雄の周囲から人が消えていた。

 雄は所在なく立ち尽くすばかり。


  ↓


 ぼくは目を覚ます。体を起こすとはらりと花弁が落ちる。渓谷近くの花畑でお昼寝していたのだ。

 ぼくに寄り添って彼女は眠っている。彼女の形の綺麗な頭にぼくはあごを乗せ、長く深い呼吸をひとつ。

 彼女は魔王軍で不動の地位を得ていたが、ぼくを支えるために足抜けしたのだという。

 みすぼらしく、魔法もろくに使えない黒狼のぼくのために。


 どうして?


 確かなことは、彼女は秘密を抱えている。

 かつ、ぼくに嘘をついている。

 ぼくは構わないと思う。

 誰だって暴かれたくない秘密や嘘を抱えているものだから。

 現にぼくだって、彼女の嘘に勘づいていることを隠している。


 彼女が短く鳴いた。ぼくは眠り足りなくて、彼女を枕にもうひと眠り。


 ぼくらは秘密と嘘で分かち難く結びついている。


  *


「お前か、お前か! デラベザの森を祓い、尊兄フェンガリルの一団を壊滅させたのは!

 我が名はフェンガリルが妹、フェンリース! 仇討ちである、覚悟せよ!」


 夢にフェンリースが出てきた。木々生い茂る森の中、例の人間の雄と対峙している。


「死して兄らに詫びろ!」


 勝敗は一瞬で決した。

 夢とはいえ予想外の結果にぼくは驚きを禁じ得ない。

 フェンリースは雄の魔法により地へ伏し、ギリギリと歯噛みをする。


「この首刎ねられたとて、必ず貴様の喉笛に喰らいつき殺す! 転送魔法で逃した貴様の仲間共々だ、必ず、兄の無念を……!」


 雄は膝を降り、額を地面にこすり付けてのたまった。


「あなたのお兄様の命を奪ってしまったこと、心中よりお詫び申し上げます。

 ……取引をしませんか」


 雄の言葉にフェンリースが小さく反応する。


「この場で僕……私は、あなたの命を奪いません。その代わり、魔王様の元へ案内と口利きをお願いできませんか。

 私と行動を共にすれば寝首を掻く機会もあるでしょう。あなたにとって悪い話ではないはずだ」

「……して、貴様は? 我らが魔王と相見えなんとする!」

「魔王様の配下に加えていただきたい」


 フェンリースの瞳が揺れた。


「私の名は……フリオ。異なる世界より招かれた異邦人、フリオです。

 招き手たる魔法国クライロードを討ち滅ぼしたいのです」


  ↓


「ねぇ。フェンリースは人間と関わったことはある?」


 せせらぎで喉を潤していた彼女が面を上げる。眉根を寄せ、ぼくをまじまじと見つめて言った。


「何故?」

「フェンリースは人間を悪く言うけど、人間と縁が深かったりするのかなって。ほら、ぼくって人間と会ったことないから」


 自分の発言に疑問を抱いてしまう。


 どうしてぼくは夢に出てきた存在を人間だとわかったのだろう? 会ったことのない種族なのに。


 ぼくの下らない疑問をかき消すように彼女が言った。


「人間など、戦でしか見たことがない」


 そして、彼女は嘘をついている。


「アレはおぞましい存在だ。たいした魔法も使えず、力もないくせ頭が半端に回るせいで碌でもないことばかり引き起こす。口にするも穢らわしい」


 彼女が嘘をつく時は鈍鉄の香が立ち込める。

 もう二度と人間の話などしないとぼくは誓う。


「何より前足を浮かせて二本足で歩くのだ! あぁ、なんと不安定で気色悪い!」

「うーん、体から地面が遠くて不安にならないのかなぁ」


 ぼくはぺろり、と前足を舐めた。


  *


 フェンリースは雄との取引をのんだ。

 雄が魔法を解いた途端に襲いかかるあたり実にフェンリースらしい。(無論雄に軽くいなされていたけれども)


 ここから人間と牙狼族の奇妙な旅が始まった。


 フェンリースは事あるごとに雄の命を狙った。

 ある時は毒沼に落とそうとし、ある時は火を噴き出す山に雄をひとり置き去りにし、魔獣の群中に突き落とした。

 残念ながら雄は悉く生き残る。

 ここまでくるともはやコメディだ。

 フェンリースは我慢の限界だったか、はたまた気がふれたのか、想定外の行動に出る。


「人間! 私を見よ!」


 フェンリースは人間の雌に化け、川原で体を清めていた雄の前に現れたのだ。


「長く豊かで指通りの良い白髪! いい感じの青の眼! 通った鼻! 血色のいい小ぶりな唇! 何よりデカい乳とケツ、全裸!

 我が愛らしさ艶めかしさに脳を焼かれて悶死しろ!」

「……そういえば君って雌だったね」


 高らかに笑うフェンリースをよそに、雄は乾燥した肘のような表情だ。


「可愛いんじゃない? 僕の趣味じゃないけど」

「はぁ? 乳とケツだぞ?」

「僕は嫁一筋だから」

「嫁がいたのか?」

「元の世界にだけどね。娘もいる。七歳になったばっかりでね、ちんまくて可愛いの。ランドセルが足生えて歩いてるみたいでさ」

「……らん?」

「そう! でもお米も炊けるし味噌汁も作れるんだ。成長が早くてさ、すごいんだ。将来の夢はプリキュアだって言っていた頃から数ヶ月しかたっていないのに。それでね、」

「は? 汁? ぷ……なんだって?」


 雄はよく分からない話をよく分からない単語を用いて滔々と語る。その話ぶりにフェンリースはたじろぎ、ため息をついた。


「お前が元の世界に帰りたい理由は嫁と娘か。しかし貴様が言っていたじゃないか、異世界への扉は閉ざされて帰ること能わぬと。

 ハッ、残念だったな。愉快愉快。魔王軍加入は復讐が目的か?」

「門が閉じられたなら、また門を開けばいいだけだ。異世界から人間を招く際、門が開かれる」


 フェンリースは虚をつかれたような表情をしていたが、みるみる顔色が変わっていく。


「まさか、お前がいた世界の人間を呼び寄せ、門を開く気か?」

「クライロードの王様に諭されたよ。

 異世界は無数に存在しているから不可能だと。でもね、可能性がゼロじゃないなら試す価値はある。

 クライロードは魔王軍との戦闘で疲弊し、僕のわがままを叶えている暇はない。

 召喚魔法はクライロード独自のものであるらしいから、他国に頼るのも不可能。

 だったら武力を使ってクライロードを征服して、異世界の門をパカパカさせるしかない」

「……思いついても実行する阿呆はいない」

「やるしかないさ、愛する娘が僕を待っている」


  ↓


 ぼくらは季節ごとに居所を変える。

 春は朝焼けが香る浜辺へ。

 夏は星月夜が眩しい渓谷へ。

 秋は木の実生い茂る雑木林へ。

 冬は春花が狂い咲く山脈へ。


「ねぇ、そろそろぼくの名前を決めてよ。君が決めてくれるって話だったじゃない」

「お前は『お前』で十分だ。今のところ不便もないだろう?」

「君と出会ってもう十も季節が巡ったよ」

「まだ十だ。牙狼族の寿命は長い」

「せめて案だけでも」

「……『フェンガリル』」

「お兄さんの名前だっけ」

「どうしてお前がそれを……。前、話たんだったか?」

「名前が一緒だとややこしくない?」

「お前には風情がない」


 彼女から勿忘草の香りがする。


  *


「くそ、何故牙狼族たる私がこんな目に……」

「気持ちは分かるけど、動かないで」


 川辺でフェンリースの体を洗う雄は、懐かしい節の歌を口ずさむ。


「……随分とまぁご機嫌だな。そうだろうそうだろう。

 間抜けな宿敵が自ら沼に落ち泥まみれになったとあれば、胸もすくだろうなぁ!」

「君に触れられるのが嬉しいんだ」


 ギョッとして体をこわばらせたフェンリースを無視し男は続ける。


「君みたいな白銀の狼を見たことがなかったから。四本の足で大地に立つ君の横顔は目が離せなくなる。触れるを憚られるほど洗練された存在感だ。

 きっと僕の世界に君がいたら、神として崇められていただろうね」

「……私が神になった暁には、須く災いをもたらそう」

「どんな存在でも祀れば神様仏様だ」


 フェンリースは少し考え、大袈裟に鼻を鳴らした。


「いい加減の節狂いの鼻歌をやめろ」


  ↓


「うんとね、君の体毛はそうだね、白々しくって」

「『白々しい』という言葉を使うのはやめろ。新雪のように汚れなきにこ毛、くらいは言え」

「……目は細っ長くて、緑っぽい青」

「切れ長で涼やかな目元、翡翠もかくやという瞳!」

「あと、体が大きい」

「それは褒め言葉でもなんでもない!」


 苔むした岩の上で日向ぼっこをしていた彼女はついに起き上がる。


「私を口説きたいんだろう! 頭を使え!」


 彼女からむせる汚泥の香りがする。少々苦しいが心地好い。


「だって言葉を尽くさずとも君はきれいなんだもの。わざわざ口にするまでもないでしょう」


 むき出しの砂地に座すぼくに彼女は何か言おうとするが、最後はため息をついた。


「お前のそういうところ、嫌いではないが好きでもない」

「ぼくは君が好きだよ」


  *


 フェンリースと雄は魔王城を目指し道なき道を歩み続ける。珍しくフェンリースが暗殺を仕掛けてこない、穏やかな旅路。

 雄がふと、フェンリースに声をかけた。


「……それ、前に僕が歌っていた歌かい?」


 その声にフェンリースの足が止まった。


「……歌っていない」

「無意識だったんだ」

「歌っていない! 妄想だけで会話をすすめるな!」

「その歌はね、僕が元いた世界の歌なんだ」


 雄は穏やかな無表情で語る。


「『翡翠の狼』っていう歌」

「曲名だけは美しいな、私のように」

「どうしようもない孤独と内なる激昂を抱え、いつかくる『終わり』を渇望しながら放浪する歌だよ」

「そんな鬱屈とした歌を、こんな明るい調子で歌うのか? ……神の件といい、貴様の理屈はみょうちくりんだな」

「どうしようもないからこそ、明るく歌うんだよ。それに、救いがないわけじゃない。彼には目標がある。

 惚れ抜いたひとに『愛している』って伝える素敵な目標が、ね」


 雄は再び歩み始め、フェンリースもおずおずとあとに続く。


  ↓


 ぼくは『翡翠の狼』を歌う。

 顔くらいの大きさのある赤い実をもごうとしていた彼女の耳がわずかに揺れた。


「その歌……」

「僕が作った歌だよ。夢の中でね」


 鈍鉄の香がしたので、ぼくは咄嗟に嘘をつく。嘘をついているのは彼女なのに。


「二度と口にするな」

「でも……」


 彼女の眼差しが鋭くなる。

 ぼくは言葉に詰まってしまう。


 夢の中ではあんなに楽しそうに歌っていたのに。


  *


 フェンリースは岩肌がむき出しとなった山中に力なく伏せていた。呼吸は荒く、口からこぼれ落ちる舌は青々と変色している。

 雄は顔面蒼白になって立ち尽くす。


「……我が愚かを嗤うがいい。貴様を殺害せんと企てたが、他の人間の毒罠にかかり自らが死の淵に立とうとは」

「昨日から姿が見えなかったのはそのせいか! どうして僕を呼ばなかったんだ、すぐに呼んでくれれば僕の魔法で……」

「仇に救いを求めるほど愚かになりきれんよ」


 フェンリースは口から泡を吐く。泡には血が混じっていた。


「……心臓もとうに止まっている。回復魔法をもってしても、手遅れよ。

 魔王軍に下りたくば私の首を持っていけ。さすれば魔王様も貴様の実力を理解するであろう。あとは知らん。上手くやれ」


 雄の両手が白く輝き出し、輝きはフェンリースを覆う。しかしフェンリースの翡翠の瞳は光を失い濁ってゆく。


「これで良かったのだ。仇と完全に馴れ合ってしまう前に、縁を切れたのだから。

 ……兄様、不甲斐ない愚妹をお許しください……」


 フェンリースを覆った白い輝きが消える。

 途端、翡翠の瞳は光を取り戻す。

 フェンリースはまばたきを繰り返し、軽々と体を起こした。


「これは一体……」


 雄が地へ倒れている。フェンリースは鼻でちょいちょいと雄の脇腹を突くと、雄はうめき声を上げた。


「僕の体に毒を移し、代わりに僕の生命力と魔力を君に渡したんだ」


 言葉を吐くたび雄は衰弱してゆく。

 笑い声を漏らすはフェンリース。


「愚かな! 命を狙う刺客を助けるなど。貴様のような偽善を世間では大間抜けと呼ぶ。

 がらんどうな頭を後悔しろ。死ね」


 フェンリースは前脚で雄を踏みつけ、今まさに喉笛に噛みつかんとしたその時である。


「君が僕の世界の歌を歌ってくれたから」


 雄が小さく言った。


「たったひとり異世界へ飛ばされて、不安と心細さで頭がおかしくなりそう、だった。

 君は、歌ってくれた。懐かしい故郷の歌を。それにどれほど救われたことか。

 君にその気はなかっただろう、それでも僕にとっては……。

 君のような優しい人が、非業の死を迎えてはいけない。そんなの、間違っている。あっちゃいけないんだ!」


 雄は惨めに涙をこぼしていた。


「フェンリース、君が言ったとおり、僕は大ばかだ。娘ひとり残して、死んじまうなんて。妻に合わせる顔がない」


 フェンリースは雄の襟首を咥えると、器用に雄を背負った。


「フェンリース……」

「フリオ、黙れ。もう話すな」


 フェンリースが複雑な呪文を唱えると、フリオの顔色が少しだけ良くなったように見えた。

 フェンリースは走り出す。走りながらも呪文を唱え、その度加速してゆく。


「仕方がなかったんだよ。一ヶ月も早かったんだから。担当医はお休みで、研修医しか……。彼はよくやってくれた。本当に。彼には感謝している……」


 フリオは玉のような汗を流し、焦点の合わない目でうわ言を垂れ流す。


「僕は病室から出された。あの嫌らしい緑をした長椅子に座って、耳をそば立てていた。

 聞こえてくるんだよ。

 バツン、バツンって。

 扉を隔てているんだもの、聞こえるはずがない。でも確かに、聞こえたんだよ。

 バツン、バツンって肉と皮膚を鋏で切る音が……」


 三日三晩、眠ることなくフェンリースは走り続けた。

 切り立った崖の上に堅牢な城が見える。黒々と苔むした城壁は、はるか昔から城が存在していたことを雄弁に語っていた。


「妻は悪くない。病院スタッフも最善を尽くしてくれた。

 僕が、僕が悪かったんだよ。

 妻の妊娠を聞いた時、どろりとした予感があった。堕ろしていれば、妻は今も……」


 フリオは喀血を繰り返す。


「帰りたい。帰って、娘に会いたい。

 あの子はひとりであの家に、鍵を握りしめて……。七歳、たったの七歳なんだ」

「フリオ、黙ってくれ。お願いだから」


 城の大門が開かれ、フェンリースは倒れ込むように城内へ入る。とうに限界を迎えていたフェンリースは、泡とよだれを垂れ流し、なお最後の力を振り絞り叫ぶ。


「医療班を! この人間は牙狼族唯一の生き残りたるこの私、フェンリースを救った恩人である!」


  ↓


「君の言葉が好きだ」


 ぼくがぽつりと漏らすと、彼女は耳をわずかに揺らして先を促す。


「君の言葉はね、香りに富んでいる。

 機嫌の良い時は森奥に咲いた花々。

 悲しい時は星々の細い光で照らされた湖底。

 心地が安らかな時は太陽照り返す草原の風。

 怒った時はぬかるんだ汚泥」


 嘘をついた時は鈍鉄の香り、とぼくは心でつぶやいた。


「ぼくはもっと君の声を聞きたいんだ。どんな声でもいい、もっといっぱい、呆れるほどに君の声に浴したい」

「……お前の望み通り、開陳してやろう。我が罵詈雑言の数々を」


 僕は思い切り息を吸い込む。

 勿忘草の香だった。


  *


 魔族の医療班の懸命な治療とフェンリースの献身的な看病により、フリオが目覚めたのは魔王城に着いて季節が変わった頃だった。


「このような姿で御前に立つ無礼をお許しください」


 フリオはフェンリースの介助を受けつ、玉座の魔王に首を垂れた。


「どうか私めを魔王軍に……」

「話はそこなフェンリースより聞き及んでおる。お前が腹中で目論んでいる事柄もな」


 黒々とした肌を持つ白髪の魔王は傲岸に足を組み、尊大に頬杖をつく。


「デラベザの森に残った魔法痕と貴様の魔法痕が一致した。四天王たるフェンガリルを討ち取ったことは事実であろ。当時の貴様であれば喜んで配下に迎えた。

 しかし今の貴様ときたらどうだ? デラベザの森の魔法を解析したが、膨大な魔力を元にした力技。膨大な魔力は、『神の領域』を無視した蘇生により失われた。

 魔法体系も魔法論理も知らない、赤子以下の魔力の貴様に何が出来る? 四天王を殺した詫びに首でも差し出すか?」

「転移魔法が使えます」


 フリオはきっぱりと言い切った。


「私の転移魔法で魔法国クライロードの本陣、真勇者の軍勢を壊滅させてみせましょう」



 数日後、魔王城内にある演習場にてフリオが転移魔法を使ってみせることとなった。

 砂が敷き詰められた敷地に、フリオは魔法陣らしきものを書き込んでゆく。どうもその魔法陣がめちゃくちゃで意味不明らしく、監視役の宮廷魔法使いが時折小さく嘲笑する。


「……おい、フリオ。魔王様の前で大ボラ吹いて。大丈夫なのか? 失敗したあかつきには殺されるぞ」

「大丈夫」


 フリオは流れる汗をそのままに魔法陣を描き続ける。彼が魔法陣を書く木の枝は魔王城の裏手にあった生木だ。先っちょには青い葉が残り、呑気にぴょいぴょい揺れている。


「おい。魔法使い共、お前のその枝をバカにしているぞ。杖が生木なんてあり得ないだと。……喰い殺してくるか?」

「霊験あらたかな御神木だ。これ以上おあつらえ向きなものはない。あと魔法使いの人たちは殺さないで」

「伝わるように話せ殺すぞ」

「……太古より魔族を見守ってきたありがたい御神木なんだ。僕の魔力では到底足りないからね、この御神木の力をお借りする。あと殺さないで」

「意味がわからん。たかが木に力が宿ってたまるか」

「心配しないで。軍隊の位置の把握だけネックだったけど、真勇者軍のみならず、クライロードと敵対している隣国の兵団の正確な配置と規模を教えてもらえた。

 数日でここまで情報が集まるんだ、魔王軍は優秀だよ」


 フェンリースとの会話中もフリオは魔法陣から目を離さない。まばたきすら惜しんでいるように見える。

 フリオは半日かけて魔法陣を描き終える。文字の書き込みが多過ぎて陣というより文字列と言った方がいい。

 宮廷魔法使いはすっかり飽きており、あくびを噛み殺している。


「君は僕が魔力を失ったことに罪悪感を覚えているようだけどね、僕は感謝している。

 死の淵に立ち、魔力を失ってようやくだ。ようやく、理解した」


 フリオは文字列の中央部に立ち両手を合わせる。その姿は祈りを捧げる信徒のようだ。


「魔の真髄を」


 言葉に呼応するかの如く文字列が仄暗く輝き始める。発生する地鳴り。小刻みに震える演習場の砂。何事かと目を見開く宮廷魔法使い。軋む魔王城。天井からこぼれ落ちる砂埃。突如として足元から吹き荒ぶ風。床から文字列が宙に浮かぶを幻視するフェンリース。つぅ、と鼻血を垂らすフリオ。沈むような大きな地鳴り。

 残されたのは耳が痛くなる無音だけ。

 無論、静寂は切り裂かれるために存在する。

 表情を失った宮廷魔法使いが慌ただしく演習場を去っていく。徐々に演習場の外が騒がしくなる。

 フリオは膝を折り、両手をついて汗と鼻血のシミを演習場にこさえていた。

 フェンリースがフリオに近づき、そっと鼻でフリオの頬に触れる。フリオはフェンリースに抱きすがり、彼女の力を借りて立ち上がる。


「おい、人間! 魔王様がお呼びだ、急ぎ玉座の間へ向え!」


 足早に演習場へ現れた黒の獣人魔族が開口一番に叫ぶ。フリオはフェンリースの首に腕を回し、寄りかかりつ歩き出す。


「ごめん、重くないかい?」

「侮るな。葦よりも細い貴様など、重さすら感じん」

「ありがとう」


 大回廊に近づくと、魔族兵たちの洪水に似たがなり声が聞こえてくる。


「勇者軍偵察隊より伝令が」

「空からおびただしい数の人間が降ってきた? 事実だけ報告しろ。偵察隊は何をやっている」

「隣国の密偵からの水晶通話が鳴り止まん」

「空から降ってきた人間が勇者軍の過半を押し潰したらしい」

「勇者軍は壊滅状態、降ってきた人間も半死半生」

「ハッ、現地は血の海だろうな」

「隣国の密偵からだ。隣国兵三万が突如として消失した。消失する直前、兵の足元が光ったらしい。光は魔法陣のようにも見えたそうだ」

「待て。勇者軍の頭上に人間が降ってきた時刻と、兵三万が消えた時刻が同時じゃないか」

「勇者軍密偵より続報。空から降ってきた人間の装備が隣国のものだと確認が取れた」

「現地から魔法痕が回収された」

「急ぎ解析を!」

「これで魔法によるものと確定したな」

「何を悠長に。これを連発する魔法使いが存在するのであれば、戦況が何もかもひっくり返るぞ!」


 フェンリースが鈍い笑みを口端にたたえた。


「転移魔法で隣国兵三万を勇者軍の頭上に転移させたな?」


 フリオは応えない。大回廊に敷かれた紫色の絨毯へ視線を落とし歩き続ける。


「なるほど、なるほど。転移魔法で勇者軍を隣国の兵士眼前に飛ばし殺し合わせるのかと思えば……。人間を槍の如く降らせるとは。

 運悪く生き残った隣国兵は村々を襲うだろうな。さもなくば死んでしまう。治安の悪化はもちろん、主戦力を失ったクライロードは政治的混乱を免れん。

 自然野盗化した隣国兵の対応は後手後手になる。ふん、民の反感を買うだろうなぁ。

 ここまでグズグズに国が揺れれば国取りは容易い。むしろ今攻め立てねば他国にクライロードを取られかねん」


 上手くやったな、とフェンリース。


「ここまでお膳立てされれば、腰の重い魔王軍も動くだろう。何もかも貴様の思い通りだ」

「……軽蔑したかい? 目的のためなら手段を選ばぬ僕を」


 フリオの声は震えていた。


「承知で転移魔法を使ったのだろう?

 ならばフリオ、腹を括れ。

 お前が成すべきは命を奪った者への贖罪ではない。悲願を成就せよ」


 フリオは人気のない曲がり角の端で立ち止まり、フェンリースの首筋に顔をうずめた。彼女は拒むどころか、フリオに体を寄せて目を閉じる。


「……ありがとう」

「ふん。フェンリース様が慰めてやったのだ、さっさと立ち直れ間抜け」


 ふたりの親密なやり取りは城内を走る魔族の声にかき消されていく。


  ↓


 ぼくは彼女を押し倒す。

 ぼくの方が小柄ではあるものの、純粋な力勝負であれば負けない。

 川の浅瀬で組み敷いたせいで彼女の白い毛がちろちろと泳ぐ。


「どうした?」


 腹を晒した彼女はどこまで無防備で無警戒。彼女の丸々とした瞳にぼくが映る。緑色した瞳に映るぼくはまるで翡翠の狼だ。


「あの瞳は何?」

「何の話だ?」


 母が息子をあやすような声色が、一層僕を苛立たせた。


「君はずるい、卑怯で、浅薄な尻軽だ! その眼差しを他の存在に向けるな、ぼくだけを見ろ! ぼくだけを求めろ!」


 そうだ、認めよう。

 ぼくは夢に現れる人間の雄に、フリオにどうしようもなく嫉妬している。親密な距離が、密やかな会話が、柔らかな光を湛えた翡翠が、全てが憎い。


「ぼくには君しかいないのに」

 

 彼女の豊かな首筋に鼻を埋める。

 そうやってどのくらいの時が過ぎただろうか。


「あまり私を喜ばせないで欲しい」


 ぼくの頬と耳を、彼女がべろりと舐める。


「お前の黒毛は黒檀よりも黒く、黒曜石よりも煌々と輝くから、どこに居ようとわかるのさ。私の目からお前が居なくなることはないし、そんなに目立つのだもの、お前しか目に入らんよ」


 面を上げるとそのまま彼女は口を舐め、鼻頭を舐め、眉間を舐める。ふたつの瞳はやわらかに潤んでいた。


「子供ができた」


 ぼくは思わず息を呑んだ。ぼくの体がこわばったのに気づいた彼女が笑う。


「しかし、百年もかかるとは思わなんだ」


 どろりとした予感があった。

 これでは、まるで、


  *


「やあやあ、フェンリース。

 魔法国クライロードを滅ぼした我らが英雄、転移魔法の勇者様はいずこに?」

「魔王様」

「気を失っているのか。甲斐甲斐しいな、そのように片時も離れず寄り添い続けるとは。

 妻気取りか?」

「……フリオは、気を病んで寝込んでいます。どうかお引き取りを」

「自らあの惨状を引き起こしておいて! まっこと壮観であったぞ。国の人間の過半を王都に降らせる有様は!

 王城の屋根に槍の如く突き刺さった人間どもの姿など、額に入れて飾りたいほど美しい」

「貴方様の命令でしょう! 人間の雨あられをこの目で見たいと!」

「被害を最低限に抑えるためだ。仕方がなかったのだよ、フェンリース」

「嫌味を仰りにいらしたのですか、魔王様?」

「そうだな、前置きが長くなり過ぎた。

 魔法限界を知っているな? 知らんとは言わせんぞ。一見万能に見える魔法にも限界がある。火魔法や水魔法なぞ、ある閾値を超えるとどの程魔力を注ごうとも威力がほぼ変わらなくなる。

 回復魔法も死に近付き過ぎれば傷を癒すことはできん。

 転移魔法は厳密に『超高速移動魔法』というべきだ。転移先にその身を移すまで必ず時差が生じる。

 距離が離れれば離れるほど、その時間は比例して伸びてゆく。時間がかかれど転移できれば上々。転移に失敗し木や建物と融合してしまう魔法使いが過半。

 転移魔法が上位とされる理由よ。

 この身で超えられぬ魔法の限界を我々魔法探究者は『神の領分』と呼ぶ」

「……」

「『神の領分』を論理的に説明しようとするのが近年の向きだな。ある者は術者に宿る体液が要因だとし、ある者は空気中に漂う微細の粒子が要因だとしている。

 後者を採用するならば、転移魔法を使用した際自身を細分化し転移先で再構築することになるため、他の物質と混じり合う事象にも説明がつく。私も後者の学説を……」

「結論を」

「……フェンリース。神秘に包まれていた『神の領分』を超克する者を貴様は目にしたな?

 貴様の今際の際に、蘇らせた者がいたな? 膨大な距離の転移魔法を時差なしで、他物質と融合させることなく成功させた者がいたな?

 こやつの魔法原理を解析できれば魔法研究は百、否、二百年は先に進む! これぞ研究者の誉れ、尽きぬ喜びよ!」

「フリオを、どうするおつもりですか」

「そう牙を見せるなフェンリース。

 貴様はこの男に惚れているのだろう?」

「……何を仰っているか分かりかねます。私は牙狼族ですよ。二足歩行のおぞましい、人間風情に惚れるなどあるはずもないでしょう」

「フェンリース、口数が増えているぞ」

「……」

「身内にとことん甘く、敵対する勢力は容赦呵責なく攻めて立てる。温和な虐殺者。相反する性質が同居する、生々しくあたたかい暴力性。

 この男はまるで、貴様の兄フェンガリルのようではないか。お前の好みは分かりやすく、そして趣味が悪い」

「他者を愚弄するのも大概にしてください! どうか結論を! あなたは何が望みなのですか? 私にはあなたのお考えがわかりません」

「貴様との付き合いは長い。フェンリース、分かっているのだろう?

 我が周りくどく語るは交渉時のみ。

 互いの欲望は机上に載せた。我は研究、貴様は恋心。伸るか反るかは貴様次第!

 さぁ、誰も彼もは納得し得ない、最低で最高の取引をしよう」


  *


 産声で我に返る。すぐさま現状を理解した。


 産まれたのだ、彼女とぼくの子供が!


 ぼくは見張り番を取りやめ、彼女がいる白の洞穴に戻る。

 彼女が産気づいたのは昨日の夜。ぼくは気が気でなく、とてもじゃないが眠れなかった。

 そのせいだろう、真昼間に意味不明な白昼夢を見てしまったのは。

 ぬらぬらとする岩肌を蹴り、ぼくは叫ぶ。


「産まれたの? 体は大丈夫かい?」

 

 洞穴の最奥で彼女が腹這いになっていた。腹のあたりにいる赤白いそれを彼女は丁重に舐めており、目も開かないそれはミーミーと泣いている。その赤白く濡れそぼった存在に既視感があった。


 ぼくは知っている。


 赤々と濡れそぼった小さき存在を。産まれてきたと力の限り叫ぶのだ。

 立ち尽くすぼくを見て彼女は寂しげに言った。


「思い出してしまったか、フリオ」


 その一言で僕とぼくの記憶が交差し溢れ出す。


  ↓


 ぼくは、僕は、あの時まで確かに人間の『フリオ』だった。

 僕は、ぼくは彼女と、フェンリースとクライロード城地下階段を下っていたのだ。一定間隔で灯された蝋の火のせいで、地下階段がやたらぬらぬらとして見えた。まるでこの洞穴みたいだったんだ。

 雰囲気だけでもおどろおどろしかったのに、地下全体から香る悪臭、血や糞尿の臭いのせいで僕は今にも気を失いそうになっていた。


「……こんな地下通路、あったんだね」

「王族のみに伝わる隠し通路だ。外にも通じているのはもちろん、要人の暗殺等、表沙汰にできないことも執り行われていたそうだ。

 文字通りクライロードの暗部と言っていい」

「とんでもない臭気はそのせいか」


 フェンリースはそんなぼくから片時も離れず、二本足の短い歩幅に合わせてゆっくりと階段を下ってくれていた。


「さ、そこの突き当たりだ。その扉の奥で、魔王が生き残りの魔法使い共を拷問している。無論、この通路を吐いた王もな。

 ……クライロードの魔法使いは総じて優秀だ。殺しはしていないはずが、凄惨な光景になっているだろうな。覚悟しておけ」


 螺旋に続く石段の果て、年季の入った木製の扉が鎮座していた。僕はフェンリースの首へ腕を回し、抱き寄せ、彼女の耳にそっと語りかける。


「ありがとう、何もかも君のおかげだよ」

「貴様に感謝されるようなことはなにもしていない。フリオ、礼など言わないでくれ」


 彼女の言葉に違和感を覚えられたら良かったのに、当のぼくは有頂天。彼女の額にそっと頬擦りまでしていたんだ。


「……赤の他人にも尾っぽを振るから、フリオ。人懐っこい犬だったんだ。

 僕の名前はね、偽名なんだ。

 元の世界の名前ではあまりにも浮いてしまうから、ペットの名前を名乗っていたんだよ」


 ぼくはフェンリースを解放し、錆びたドアノブへ手をかけた。


「僕の本当の名前はね、」


 扉を開いた途端、それ以上言葉が出てこなかった。天井から所狭しと吊るされた人間は皮を剥かれ、まるで家畜の解体場。

 部屋の中心部では魔王が手ずから人間の皮をなめしている。作業着らしい服も、長く伸びた白髪も、血で赤黒く汚れていた。

 ぼくはなめされている人間の皮から目が離せない。目玉をほじられ、歯も骨もないが、生前の面影が残っている。


「おぉ、転移の勇者よ。見よ、王の皮で敷物を作ってやろうと思ってな。これぞ征服者冥利に尽きるというもの。人は小さい、飾り立てても目立たんのがなぁ」


 足は強張り、浅い呼吸ばかり繰り返す。まばたきさえ忘れ、ガタガタと震えていた。


「……あぁ、分かる、分かるぞ、貴様が言わんとしていることは。

 我も努力したのだ。しかし奴ら、召喚魔法の随を話せと言っても口を割らんだろう? 

 見せしめに何人か殺そうとしたのだが、うっかり全員殺してしまった。

 召喚魔法は秘匿された口伝の技。資料も残されていない。めでたく失われた技術となってしまった。後悔先に立たずとはこのことよ」


 大仰な身振り手振りで語る魔王のそらぞらしさときたら。


「貴様の望みは魔王軍の入隊と召喚魔法の習得だったな。半分も願いが叶ったのだから良かったではないか。

 そもそも劣等種たる人間とまともに契約を結ぶ魔族などほとんどおらん。律儀に願いを叶えてやろうとした我に感謝せよ。

 願いを叶えてやったのだから、貴様には返礼の義務があるな?」


 僕は身をひるがえす。逃げたかった。狂気に満ちたこの部屋から、この身に降りかかるであろう空恐ろしい未来から。

 扉前にはフェンリースがいた。

 彼女は眼光鋭く、何人たりとも通さぬと、その優美な四肢に力を溜めている。


「……すまない、フリオ」


 フェンリースの言葉で全てを悟った僕は扉から離れるため、さりとて魔王から距離を取るために部屋の東へ東へと後退る。

 転移魔法、その他魔法を使えるほど僕の魔力は残っていない。魔力を貸してくださる御神木は地下にない。

 吊るされた人間と何度もぶつかり、彼らに触れるたび血と脂で服が嫌らしい湿り気を帯びていく。心音がいやにうるさかった。


「殺しはせん」「フリオ、お前は私を恨むのだろうな」「貴様には魔法史の礎となってもらうのだから」「どうか憎んでくれ」「研究が終われば貴様は自由だ。その後はフェンリースとよろしくやれば良い」「どうか呪ってくれ」「元いた世界のことなど忘れてしまえ」「それでもフリオ、お前が欲しいんだ!」


 ふたりの言葉が渦のように襲いかかる。意味どころか、誰が何を言っているかわからない。

 背中に固いものが当たる。石壁だった。

 僕は運命を悟る。

 フェンリースの翡翠の瞳と目がかち合った。途端脳が冴え冴えとして、視界が明々とし始める。


「唯一たる我らが神よ。遍く世を照らす仏よ。どうか僕の願いを聞き届け給え」


 口からこぼれ落ちた言葉は自分のものとは思えないほどに硬質で冷徹だった。


「彼の者に死よりむごい罰を。彼の者が生まれた日を呪うほどの、陰惨な責苦をお与えください。死してなお、悔恨の焔でその身を焼き尽くしますように」


 フェンリースは一瞬だけたじろく。魔王の口元にうっすらとした嘲りが浮かぶ。

 僕は壁に背を引っ付けたまま、ずるずると地面に座り込む。


「彼の者の子孫が地に這う草木の如く産み増えることがありませんように。彼の者の首が街の梟首にかけられ、礫を持って人民より迎えられますように」


 ぼくが一切の記憶を失ってもこの言葉だけは忘れなかったのは、僕自身が吐いた言葉だったからか。


「どうか報いを。終わりのない苦痛を……」



 その後、僕は数十年に渡って魔王による人体実験に付き合わされた。実験内容は詳細に思い出せない。思い出したくない。思い出したら最後、ぼくは正気を保てない。

 僕を小指の先まで研究し尽くした魔王は、フェンリースを呼びつけた。魔王の足元には一匹の黒い牙狼がいた。ぼくだ。


「元の肉体はもはやただの肉塊と化した。まともに残っている部位は脛くらいだ。

 そのため、フリオの意識、魂と呼ぶべき代物をフェンガリルの死骸に定着させた。なに、生命活動はきちんと行なっている。まぁ、通常の牙狼族より壊れるのは早かろうが。

 サービスとして脳もいぢっておいた。何も覚えちゃいない、あとのことは好きにするといい」


 床に丸まったぼくを見、彼女は静かに涙をこぼした。


「契約を破りましたね! 言ったはずです、フリオの生命は必ず保証しろと!」

「生きているじゃないか、魂の入れ物が変わっただけで。同じ種族の方が貴様も都合が良いだろう」

「詭弁だ!」

「こちらとてはかばかしい成果を得られず騙された気分なのだよ。どれほどこやつの肉を切り刻んでも、『神の領分』の神秘は保たれたままだ」


 フェンリースはぼくの首を咥え、翡翠を潤ませ魔王を睨めつけた。


「二度と会うことはないでしょう。

 永遠にさようなら」

「軍を抜けるのか? 相応の報いを受けるぞ」

「私以外の牙狼族は死に絶えました。一族の庇護を目的に魔王軍へ身を寄せる必要はありません。

 報復でもなんでもご自由に。魔王軍は『例の問題』にかかりきりで、私どころではないでしょう?」


 にべもない返答に魔王は肩をすくめる。


「……また昔馴染みが減るのか。寂しくなるな」

「他者との交わりを消耗品のように使い潰してきた貴方様が、それを言いますか」

「我とてこのような交わりは望んでおらん。しかし、このやり方でしか他者と交われんのだ」

「同情します。反吐が出ますね」


 フェンリースは魔王に背を向け、振り返ることはなかった。ぼくを咥えたまま、彼女はひたすら歩き続けた。

 ぼくは目を開いたまま、ぴくりとも動かない。眠ってはいない。記憶と意識が混濁し、物言わぬ人形と化していたのだ。

 彼女はそんなぼくを魔族からも人里からも離れた森へ連れてゆき、世話し続けた。

 そんな生活が数年続いたある日、ぼくは脈絡なく意識を取り戻す。


「やぁ」


 ぼくが声をかけた時、彼女は雷を受けた如く震えた。ぼくは木漏れ日のまぶしさに目を細め、ゆっくりと天を仰ぐ。


「気持ちのいい日だねぇ」


 彼女はうろたえていた。呑気に日向ぼっこを始めるぼくへ、声を絞り出すようにして言う。


「私を、覚えているか?」

「やっぱり知り合いだったんだ。そんな気がしたよ。悪いけど何にも覚えていないんだ。色々教えてくれるとありがたいなぁ」

「……お前自身のことは?」

「それもさっぱりわからないんだよ。

 いやぁ、困っちゃうよねぇ」


 おっとり笑うぼく。生唾を飲み込んだ彼女。


「……お前は、この森で倒れていた。

 私の名前はフェンリース。お前と同じく、誇り高き、牙狼族だ。元々魔王軍に属していた。

 ずっと目覚めぬお前を不憫に思い、世話をしていた。世話と言っても、数年の間だけだが……」


 こんな調子で彼女は長々と、長々とぼくに虚実を交え経緯を語る。話が終わると、ぼくは彼女のそばへ行って頬擦りした。

 この時のぼくは愚昧だったから、眼前の翡翠の悪魔が親切な隣人だと勘違いしていた。


「ぼくは君に救われたんだね。感謝の言葉もないよ」

「……」


 無表情の彼女の横顔を見て、ぼくは黒い尾っぽを振っていた。


『赤の他人にも尾っぽを振るから、フリオ。人懐っこい犬だったんだ』


 赤の他人にも、野望を打ち砕いた仇にも尾を振るバカ犬。

 なるほど『フリオ』という名はぼくに似合い過ぎるほど似合っている。


「ねぇ、ぼくって多分名前がないよね? 命の恩人の君に、ぼくの名前をつけてもらえないかな?

 それはきっと、素敵なことだから」


 彼女はその言葉に涙を流しつ歪んだ笑みを浮かべた。

 そのちぐはぐで不安定な彼女に、ぼくは恋をしたんだった。


  *


 全てを思い出したぼくは、考えるよりも先に彼女の喉元へ喰らい付いていた。口内に鉄の味が広がる。彼女の翡翠はいつかのように急速に濁っていく。


「大嘘つきの、裏切り者が! ずっと、ずっと、僕を、ぼくを、だまっ、騙して!」


 舌に言葉がこんがらがって、怒りが言葉に先立っちゃって、ぼくはうまく叫べない。


「許してくれとは言わない」


 ぼくに組み伏せられた彼女は傷口から血を吹き出しながらも言葉を紡ぐ。


「あぁ、終わる、終わるのか。甘いばかりで何も残らない、角砂糖の日々が……。

 お前は、この世界にくるべきではなかった」


 こんな時でも淫らに乱れた彼女の姿がチラつくぼくはどこまでも最低野郎。


「あぁ、フリオ。フリオよ。最愛の兄を奪いし憎き可憐な仇よ。愛して


 全てを聞き終える前に、彼女の首の骨を踏み砕く。彼女は完全に絶命した。

 ぼくの双眸からしとどに彼女へ降り注ぐものは憎悪? それとも悔恨?

 赤子はミーミー泣き続ける。前足を伸ばし、母親の乳房を求めていた。赤く濡れそぼった姿があちらの世界に残してきた娘とダブり、白々しい毛はフェンリース想起させる。

 恐るべき愛憎のキメラを前に僕は絶叫し、洞穴を飛び出した。


 それからしばらくはただただ走り続けた。あてどなく、目的地もなく、全てから逃げ去るために。

 昼も晩も関係なく、走り続けた。自分の内に渦巻く激情を発散するにはそれより他に方法がなかったからだ。体力の限界を超えてもなお走り、体が悲鳴を上げても怒りがそれらの反発を握りつぶした。



 気がつけば倒れた巨木の下に体を隠すようにして倒れていた。倒れた巨木や足元はモスグリーンの苔が密生し、あたりに繁る大樹たちがその両手を伸ばすせいで日の光はほとんど届かない。否、今は夜なのだろうか? そう思えるほどにこの森は仄暗い。

 ぼうと空を遮る枝葉に気を取られていたが、痛烈な渇きが僕を責め立てた。苔を食んで水気がなくなったら吐き出しを繰り返す。

 周囲の苔が損なわれ、土が剥き出しになった頃には腹を破るような飢えが襲ってきた。

 その上一歩たりとて動けない。

 どうしようもなくなって倒れた巨木の樹皮を噛み砕く。とても喰えた味ではなかった。酷い飢えとふつふつとした魔力の宿った巨木だったため、かろうじて喰えた。


 多少動けるくらいの体力が戻ったのち、わずかではあるが水音が聞こえた。力を振り絞り音をたどる。途中で腹を下し地獄を見たが、数日かけて渓流を見つける。人間も魔物も近寄らない森なのだろう、魚は笑えるくらい簡単に取れた。

 満腹の感覚は久々だった。そのまま死んだように眠りつく。

 しばらく喰っては寝ての生活を繰り返した。

 体調が十全に戻ると、人間だった頃の記憶と牙狼族へとなってからの記憶が頭に去来し僕の精神を蝕んでゆく。


 およそ二百年。二百年も、無意に過ごしてしまった!


 あちらの世界に残してきた我が子を想う。合鍵をじっと見つめる娘のうなじを想う。

 あの子はどんな思いで合鍵を見つめていたのだろうか。居間にぽつねんと座すあの子が気の毒でならなかった。

 泣き暮らしていたある日、ふと洞穴に残してきたフェンリースの子を思い出す。その途端妙な罪悪感が沸いてきて、いてもたってもいられなくなる。

 ぼくは薄れ始めていた自分の匂いを辿り洞穴を目指す。


 戻ってどうする? アレがまだ生きていたらどうするつもりだ? アレを育てるのか?

 全てを奪った者の子を?


 僕は自問自答を繰り返す。答えは出ない。

 道に迷い、それなりの危機に遭遇しながらも、ぼくは洞穴に辿り着く。あの日から三ヶ月以上が経過していた。

 洞穴から強烈な臭いが立ち込めていた。口で呼吸していても臭気だけで内臓が爛れそうだ。


 洞穴最奥にそれはいた。


 踏み砕かれた首元はそのままに、飛び回る蠅々、黒々とした死肉にたかるウジ、翡翠の瞳は灰色に染まり、その面影すら残さない。

 これの子はいなかった。死骸は転がっていなかったが、小さな何かが血を引きずった跡だけが残っていた。




 数ヶ月抜け殻のように過ごし、思い立って魔王の元を訪ねることにした。

 魔王は魔法に対し、狂気じみた探究欲を抱いている。僕は身をもって理解している。


 そのような輩らが、召喚『魔法』の仔細を知らぬまま、闇に葬るような真似をするだろうか?


 この思いつきは我ながら悪くないものに思われた。ぼくは薄れつつある記憶を頼りに歩き始める。

 山を越えるごとに僕の思いつきは強固な事実に変貌していった。


 魔王はきっとクライロードの魔法使いを殺していない。「きっと」などではない、「確実」に、だ。魔王は召喚魔法の研究をしている、そうに違いない。

 それに、元の世界とこちらの世界では流れる時間の早さが異なっているかもしれない。こちらの世界では一日の出来事でも、元の世界ではまばたき一つの間かもしれない。

 二百年以上過ぎたとて、たった数時間、数分の出来事なんだ、そうだったんだ。


 帰れる。僕は帰れる。

 召喚魔法さえ理解できれば、全て解決する。


 根拠のない思いつきを妄想でテラテラにメッキ付け。


 どうやって魔王から聞き出してやろうか。どうやって魔王を殺してやろうか。


 多分、異世界に来て最も気力が充実していたと思う。復讐に浮き足立ち、生活にハリが出た。

 もちろん全て僕の思いこみだ、破れるのはあっという間。

 人里に近づかぬよう、人間に出会わぬよう魔王城を目指していたが、ついうっかり人間と出会ってしまった。

 若い男は遭難したそうで、ぼくを見、酷く怯えていた。ぼくはなるたけ低姿勢で、魔王軍の現状と魔王城の場所をたずねた。


 彼は魔族なぞとうに滅びて軍など存在しない、と答えた。


 曰く、(彼は父から話を聞いたそうなのだが)魔法国なんたらを滅ぼした頃から魔族の子が産まれなくなったそうなのだ。魔王軍は短命多産種族による、人海戦術を得意とする。さらには魔族軍の主力のひとつたる魔王が、戦場にパタリと出なくなったのだ。

 魔族軍は敗北を重ね、軍事的重要拠点をいくつも失った。

 そしてついには謀叛が起き、魔族軍は崩壊。魔王は生きたまま「にかわ」に落とされたのだという。

 しかし魔王という求心力を失った魔族など所詮烏合の衆。人間の手によりじわじわと数を減らされ、ついには「魔族絶滅」が宣言された。


 魔王城は今、観光名所となっているそうだ。


 僕は礼に彼を人里近くまで運んでやった。気の良い青年で、少しの食糧と魔王城までの大まかな行き方まで教えてくれた。

 ぼくは魔王城を目指した。途中何度が人間の罠にかかりそうになる。結局彼の助言に従わず、遠回りに遠回りを重ね魔王城を目指した。


 果たして魔王城に辿り着いた。

 遠くからでもわかるほど城は煌々と輝き、門前には活気のある屋台が並んでいた。人間の出入りが激しく、チュロスによく似た何かを喰んでいる。


『彼の者の子孫が地に這う草木の如く産み増えることがありませんように』


『魔王軍は『例の問題』にかかりきりで、私どころではないでしょう?』


 ぼくは存在を悟られるまえに踵を返す。




 浅瀬に体を横たえる。小石は容赦なく体を刺し、水の冷たさに体がこたえた。それでも浅瀬に浸かる。体臭をなるたけ誤魔化さねばならなかった。

 気のいい青年の彼に出会ってから、人間に遭遇するだけでなく、追われることが増えた。

 おそらく彼が他人に漏らしたのだろう。そこに悪意があったのか否かは、もう知りようがない。知りたくもない。

 目を閉じれば腹から沸々と、溶岩にも似た激情が溢れ出す。ぼくは口を閉じ、ただただその感情をやり過ごす。




 魔法に頼らず、初めて人間を殺した。

 どれほど口をすすいでも、歯の隙間に血肉が引っかかっている心地がする。

 湖に映る黒い獣を見つめる。湖自体が深緑色をしているせいで、僕までも緑に染まって見える。


 ぼくは翡翠の狼だ。


 あの歌を口ずさむ。思い出せるのは歌の始まりの部分のみ。

 僕は元の世界へ想いを馳せ、そして気がついてしまう。


 子の名前を思い出せない。姿さえ朧気だ。


 始めは隙間風のように低く小さな声だった。その声が慟哭に変わるのに時間はかからなかった。




 ひたすら逃げる。にんげんから逃げる。

 皮とほねばかりの体を引きずり、山谷をかける。

 ぼくは問う。


 あのとき、あのひとを……フェ……フェン……? を、殺さなければなにか変わっていただろうか?

 すべてに気がつかないふりをして、すべてをあきらめて、こころを殺してあのひとと、そのこどもにつくせば良かったのだろうか?


 なにも、わからない。







 ぼくは、どこで、まちがって、 





 あ、





  ↓↓↓↓





 あったかいかぜで、ぼくは、めをさまします。みをかくしていた、はっぱから、はなだけだしで、にんげんの、においが、ちかくにないか、たしかめます。にんげんは、いませんでした。

 ぼくは、ぶるりと、からだをゆらして、はっぱをはらい、うんうんと、のびをします。


 きょうは、どこまで、ゆこうか。


 きぎの、すきまから、とおくを、みやると、まっしろで、つるつるした、たきが、みえました。

 きれいだった、ので、ぼくは、そこを、めざすことに、きめました。ほてほて、あるきながら、かんがえます。


 きっと、あすこは、たいようの、ひかりが、さんさんとして、きぶんがよいに、ちがいない。


 今更そんな場所を目指してなんとする?


 だれかが、たずねますが、ぼくは、しらんぷり。ぽとぽと、あるきます。


 勿忘草の香りが鼻を掠めた。


 めを、みひらき、においの、もとを、たどります。なぜ、このにおいに、ひかれるか、わかりません。

 どろが、はねても、きのねっこに、ひっかかっても、人間のにおいが、強くなろうとも、かまいません。


 はたして、ぼくは、みはらしのよい、はらっぱに、たどりつきました。めだつように、白々しい毛皮が、ふしぜんに、おかれて、おりました。

 ぼくは、ふらり、ふらりと、白々しい毛皮に、ちかづきます。


 とおくから、はれつおんが、ひびきます。


 ひだりももに、やけるような、いたみが、はしり、たっていられず、白々しい毛皮のうえに、たおれこみます。



 毛皮に触れた刹那、全身が粉々になるような激しい憎悪を思い出し、その毛皮から微かに漂う懐かしい勿忘草の香りを胸いっぱいに吸って、とある狼の姿がたち現れる。

 たくましい四本足で威風堂々大地に立ち、新雪よりも白々とした、翡翠の瞳を持った狼。


 僕から全てを奪い、全てを与えた、ぼくだけの、邪悪でわがままな神さま仏さま。


 破裂音は続く。そのたび僕の体は悲鳴を上げ、視界がちらちらと失われてゆく。


 ぼくは彼女に伝えねばならぬことがあった。その一言を伝えるためだけに、ここまで生きてきたと言ってもいい。

 口を開いても吐き出されるのは言葉ではなく、汚らしい血反吐ばかり。


 意識を完全に失う前に、あぁやっぱり、とぼくは思う。



 ぼくの言葉は彼女に届かない。




おしまい

ストップ! 人権無視の異世界転移!!

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― 新着の感想 ―
[良い点] ケモナーは毎日読むべき必読書です。作者の獣好きに恐れ入ります。 誰にも救いのないストーリーも良きでした。 [気になる点] インスピレーションを受けた作品を知らないので世界感が分からず戸惑い…
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