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─9─

 快晴の真昼間に訪れる山というものはこれほど気分のいいものなのか。内海は丸太に腰を下ろして清々しいほどの景色を堪能していた。

 昨日はあれほど鬱蒼していると思った山道も、木漏れ日が差して地面に光の輪がたくさん生まれ、まるで絵画のようだった。道の両脇から道に這い出るように茂る植物も、今日は青々としていて瑞々しく、力強い生命力を感じるほどだ。ひらけた場所から見渡す景色も、それぞれ色の濃さの違う緑の山々が連なり、そして山の下には小さくも確かに、逞しく日々を営んでいく、たくさんの人々の暮らす街が見える。

 遠くなるにつれて霞みがかったように山岳のシルエットが薄まってゆくその遠景も、己の目で見たものとは思えぬほど美しいものであった。綺麗だ。昨日の夕暮れに見た赤い空も忘れられぬ美しさだったが、晴れ渡るぱっきりとした青空のもとで見るこの景色も絶景だった。

「晴れてよかったねえ」

 崎はというと、斧で粉々にしてしまったパソコンを、道のすぐそばにある雑木林の中に埋めてきたらしかった。隠蔽、ひいては犯罪には手を貸さないということで内海はそれらの行動には一切加担せず、ぼんやりと山の美しさを享受していた。木の葉や草花が風で揺れてこすれる音や鳥のさえずりと共に、土を掘るざっくざっくという音が聞こえるのはなんだかおかしかったが、その土の音ですら新鮮で、こっそり楽しんですらいた。

 隠蔽工作が終わった彼は内海のそばに来ると、持ってきていたバックパックに手を伸ばす。それから出てきたのは大きな布包みだ。

 崎は内海の隣に座ると、膝の上でその布包みを開く。中に入っているのはげんこつサイズよりも一回り、いや二回りほど大きいおにぎりだ。それが六つ。崎が家の台所でこれをこしらえている間、でかいし多いと何度も言ったのだが、彼はへらへら笑うだけで意見を聞き入れはしなかった。結果想定よりもずっとでかい握り飯をここに持ってくることになったのである。

「中身はランダム。うめぼしとー鮭とーおかかとー唐揚げと煮卵と豚キムチだね~」

「マジで言ってんの、唐揚げ? それよりおにぎりに豚キムチとか聞いたことないんだけど」

「食ったらうまいんですよこれが。ていうか普通に山盛り白米と一緒に食ったらうまいものはおにぎりにしてもうまいに決まってんでしょ」

「言ってることはわからないでもないけど気分の違いってもんはあるだろ」

「まあまあ。選びな選びな~」

 ほらほらと急かされるままに、一番近くにあったおにぎりを掴む。思えば、誰かが握ってくれたおにぎりなどいつぶりに食べるだろう。アルミホイルに包まれたそれはまだ心なしかあたたかい。

 たまにコンビニのおにぎりを食べることはあったが、このおにぎりはコンビニの綺麗に整ったものとはまるで違った。大きさも、形のいびつさも、重さも、厚みも、すべてが異なっている。不格好だが、いかにも手作りという感じがしてなんだか口元がゆるんだ。

 崎もその隣にあったおにぎりを手に取った。すぐにかさかさと音を立ててホイルを剥いている。内海もそれに倣い、ホイルを剥いて半分ほどまで引き下げた。

「いただきまーす」

「いただきます」

 かふりと米にかぶりつく。米に巻かれた海苔の風味と、ひかえめにまぶされた塩、それから白米の甘さがあいまって口の中がじんとした。シンプルな味なのに、それがまたストレートにおいしくて。

「うっま……」

「いっちゃん印のバカデカおにぎりよ、お気に召した?」

「まだ具まで食ってないから保留」

「えー」

 おにぎりは大きい分具に到達するまで遠い。白米と海苔だけでもうまいが、もぐもぐと咀嚼し食べ進めていると米とは違う食感のものに辿り着いた。やわらかく、それでいて弾力があり、甘辛く煮つけてあるそれは煮卵だった。半熟の黄身がころりとこくのあるつやを孕み、茶色く染まった白身の上で輝くようだった。

「たまごだ。俺煮卵のおにぎり初めて食べた……うまい……」

「崎家特製秘伝の付けダレだよ」

「嘘だろ」

「バレたか。醤油と麺つゆに適当になんか……ちょっと砂糖とか胡椒とか適当に……」

「適当でもうまい。天才」

「やったね天才だ。見てー俺鮭だった」

「身でっか」

 

 適当に会話をして、もぐもぐとおいしいおにぎりを食べて。山からの景色も味わって。日向ぼっこもして。ぽかぽかの陽気の中でそうしていると、だんだんと、内海の心の中にあった小さなわだかまりも溶けていくようだった。田舎暮らし、いいかも。ゆっくりのんびり、穏やかに過ごす。家には犬も猫もいて、鳥も金魚も亀もいて。町中の人助けをして、気が向いたら崎の小遣い稼ぎに付き合って。悪く、ないかもしれない。こんな生活も。少しの息抜きとして、こうしてここで過ごしてみるのもいいかもしれない。そう思った。

「いいなあこの町」

 ぽつりと、崎に話しかけたわけでもなく、呟く。再びおにぎりを頬張って、空をのんびりと飛ぶ鳥を見送って、町を見下ろして。 

「うちにおいで」

 崎がこちらを見ていた。首を傾げるようにして、ふんわりと笑んで。やわらかく細められた薄い色の瞳を見て、最後まで喉の奥に引っかかるようにしてつっぱっていた迷いがするりと抜けていったような気がした。

「……人生リセット、するかあ」

「そうこなくちゃね」

 崎は嬉しそうにニヤついて、おにぎりを食べ進めた。その眼鏡の下、瞳の色がやはり気になった。

「なあなんでお前の目、そんな色なの? ハーフとか?」

「ん? 全然。めっちゃ日本人」

「じゃあなんで目黒くないの?」

「わからん。じいちゃんは山で暮らすやつは目の色おかしくなるんだみたいなこといってて、じいちゃんも俺みたいな目してたよ」

 欧米人でいえばヘーゼルとも呼ぶ色なのだろうか。黄土色にも近い薄い茶色に、くすんだ緑にも見える色が混ざり込んでいる。

「ミミちゃんは髪の色、それ染めてるの? 結構明るいけど」

 内海も、そう言われて顔の横の髪を一房指でつまむ。栗色、と呼ばれる色に近い。これも生まれつきのものだった。そういえばだいぶ髪も伸びた。しばらく気分が晴れず、仕事以外に外出する気力もなく、伸ばしっぱなしになっていた。サイドの髪は顎下まで、襟足に至っては首を覆うほど、前髪も伸びて目にかかるくらいだ。

「地毛だよ。俺もハーフとかじゃないけど、昔からこう。だから染めてるだろってよく生徒指導室に呼ばれて先生と喧嘩してた」

「難儀よのう」

「まあね。でももうなんだかんだ言われるのも慣れた」

「じゃあニセハーフコンビ結成ということで」

「なにがコンビだよ」

「これで友達兼相棒兼仕事仲間兼家族兼共犯者だ」

「家族って……あと共犯者ではないから」

「一緒の家に住むことになるんだからそれはもう家族でしょ」

「ていうかなんでも兼任しすぎ」

「関係性なんてひとつじゃなくていいじゃん。いっぱいあったほうが楽しいよ」

「そういうもんかよ」

「そういうもんだよ」

 適当な言い分を鼻で笑って、内海は次のおにぎりに手を伸ばした。

 急遽始まることになった新生活の始まりは、とてもとても穏やかなものになりそうだった。


「えっこれ豚キムチだ」

「うまいっしょ」

「うまい……」

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