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─7─

 海鮮丼は、想像していたほど高額ではなかったが、崎の言う『たまの贅沢』というには十分な値段だった。財布の中にどれほどの紙幣が入っていたかを思い浮かべていると、崎は「今日の焚火のお駄賃ということで」と支払いをしてくれた。申し訳なくも思ったが、賄賂だのなんだのと言うところからすればこれも口止め料に入っているのだろう。内海は遠慮なく海鮮丼を馳走になることにした。

 それからあれよあれよといううちに小料理屋のそばのコンビニで歯磨きセットと下着を買わされ、お泊りセットらしき準備は着々と進んでいく。寝間着は崎が貸してくれると言うのでひとまずはそれに甘えることにした。

 コンビニから二十分弱ほどだろうか。トラックに揺られて辿り着いたのは、平屋建ての大きな一軒家だった。外から見ただけでは何部屋あるのかわからないほどだ。

 道路沿いの石塀から内側は舗装はされておらず、芝生のような地面を歩いた後に柄入りの飾りガラスで作られた引き戸の玄関があった。

「はーいこれが我が家ですよー」

「……お邪魔します」

「はいいらっしゃい。ゆっくりしてってね」

 がちゃん、と崎が戸の鍵を開け、中に招いてくれた。真っ暗な他人の家というものはなんだか少し不気味さもあったが、崎がすぐにぱちんぱちんと玄関や廊下の電灯をつける。そこには生活感のある、適度に物の多いあたたかな家庭の雰囲気が残っていた。

 暗いときは気が付かなかったが、玄関には大きな水槽がいくつか並んでいた。中にはふりふりのひれを揺らす真っ赤で大きな金魚が数匹と、手のひらよりは大きいと思われる亀がいた。

 それから、廊下の奥からととと、と何かの足音が聞こえた。次いで、わん! と吠える声が響く。それから姿を現したのは一匹の柴犬であった。

「ただいま銀二郎~お客さんだよ~」

 銀二郎と呼ばれた柴犬はちぎれんばかりにしっぽを振りながら、真っ黒でつやつやの瞳をきらきらと輝かせて内海の顔を見上げていた。とびかかったりなどはしない。玄関のラグマットの上でいい子に止まったまま、うれしそうな顔でこちらを見ている。

「銀二郎って名前なんだ。はじめまして」

 内海は柴犬の鼻先に右手を差し出した。ふんふんと興味深そうににおいを嗅ぐ柴犬は、こちらを警戒してはいないようだった。おとなしいいい子だ。頭を撫でてやると気持ちよさそうな顔を見せた。

「うちじいちゃんの名前が銀一郎だったから、こいつは銀二郎」

「じゃあお前は銀三郎じゃなくてよかったの?」

「やー生まれ順でいったら俺が銀二郎でこいつが銀三郎だったな。でもまあさっそく友達になれたみたいでよかった。うち、動物多いからさ。アレルギーとかない?」

「ないよ。大丈夫」

「おっけい。じゃあ、先にちょっと案内しちゃおっかな。ちょっとついてきて」

 崎は居間、台所、風呂場、トイレなどの各部屋を案内してくれた。他にも空き部屋がいくつかあるらしい。居間には鳥かごがいくつか置かれていて、中ではぴいぴいと数羽の小鳥たちが鳴いていて、止まり木から不思議そうにこちらを見上げていた。本当に動物が多い家だなと思った。もしかして見ていない部屋には別の動物がいたりして、と勝手に想像してみる。あとで聞いてみよう。


 さびれてはいないが、長い年月を経てきた家は味わい深い風合いをしていた。ふすまや雪見障子など、和風の作りの家だ。家の外側に作られた長い廊下は、ガラス戸を開けてしまえば縁側として使えそうだった。そうして家の中を歩いてみている間、銀二郎は内海のかたわらに寄り添うようにして共に歩いていた。かわいい子だ。時折頭を撫でてやると、しっぽをぶんぶんと振って喜んでくれる。

「今日はひとまず居間に布団敷いて寝てもらおっかなー。家の中にあるものは適当に使ってくれて構わないから」

「ありがとう」

「いいえーどういたしまして。布団持ってくるね」

「あ、俺も行く」

 使うのはこちらなのに、崎ひとりで布団一式を運ばせるのは悪いと内海は彼の後についていく。すると彼が入った部屋は畳張りの小さな一室だった。明かりをつけて、一番に目に入ったのは仏壇だ。

 仏壇の上部にある鴨居には、モノトーンの古ぼけた遺影がいくつかかけられていた。そして仏壇の隣には一抱えもある大きなフォトフレームが置かれており、そこには厳格そうな顔をした老人の写真がいくつも入れられている。そのうちの数枚には、おそらくは幼い頃の崎出帆が写っている写真や、高校の入学式の立て看板の前に立つぶかぶかの学生服に身を包んだ崎と、その隣にその老人が仏頂面で立っているものもあった。

「よそんちの仏間って気持ち悪くない? ごめんなここの押入れに客用布団あんだよ……カビ生えてないといいけど」

「……その写真が出帆のじいちゃん?」

「そうよー、遺影用意するにもじいちゃんのベストショット決められなくてさ。葬儀もないから急いで写真選ぶ必要もなかったし、もういっそなんか写真も多い方がいいでしょってことでそうなった」

「マジで適当……」

「まあたまにはこんな変な家があっても許されるでしょ」

 掛け布団持ってーと言う崎の指示に従い、内海はくすんだピンク色のレトロな花柄の羽毛布団を抱き締めるように持った。布団からは線香の香りがする。

 敷布団を抱えた崎の後ろについて居間に戻る。居間でいい子に待っていた銀二郎だが、布団を敷くと大喜びでその上に転がった。こらーおまえの布団じゃないよと崎が言うことも聞かない。シーツを被せるにも銀二郎がじゃれついてきて少し大変だった。やめさせようとしても、遊んでもらっているのだと思っているのかやめる気配がない。そうしているうちに崎が銀二郎と一緒に布団に倒れ込んで抱き締め、くすぐったり撫で回したりといじくり回し始めた。わふわふと嬉しそうにはしゃぐ銀二郎がかわいくて、内海も銀二郎の頭を両手で包んでもみくちゃに撫でてやると、銀二郎はきゅっと目を細め口角を上げてかわいらしい顔をしてみせた

「もうこのまま三人で雑魚寝すっか~」

 抱き締めた銀二郎の首の後ろ辺りに顔をうずめて崎が言う。銀二郎だけならいいと返事をすると、フラれた~と気の抜けた声がした。その声を笑うように、部屋の隅に置かれた鳥かごからは小鳥たちがぴいぴいと声を上げた。


 それからしばらく銀二郎と遊んで、崎が入れてくれた風呂に入ることになった。

 脱衣所は隙間風が入るのか肌寒い。ファンヒーターが置かれてはいたが、他人の家で勝手に家電を使うのは気が引けて内海はそのまま服を脱いで浴室に入った。

 浴室はというと壁、浴衣、浴槽すべてが小さな水色のタイル張りだった。昔ながらのそれはタイルで横一列だけ花の模様を描いて、あとはすべて同じ色。ところどころタイルが割れてひびが入ったままで、自分が今まで暮らしていた安アパートのユニットバスとはあまりにも違って驚いた。

 そして浴槽である。小さい。小さいのだ。間違っても成人男性が脚を伸ばして湯に浸かれるサイズではない。膝を抱えてやっと入れる程度だった。深さもさほどあるわけではない。身を縮こまらせてようやく胸の高さくらいといったところだろうか。

 せっかく大きな家なのに、ここだけはもったいないなと思った。蛇口の辺りはリフォームがしてあるのか、ぴかぴかと銀色に輝くやけに新しい今どきの混合栓になっている。このまま風呂場ごとすべてリフォームしてしまえばよかったのに、と少しだけ思った。


 ざっと風呂を済ませて、崎から借りた寝間着を着て居間に戻る。すると崎はちょうど台所から戻ってきたところだった。その手には缶ビールが二本握られている。

「まあまあ夜は長いのでね」

「……俺酒強くないよ」

「俺も強くないよ」

「じゃあなんで……」

「酒は人との仲を深めるのにちょうどいいのさ。今夜は飲むぜえ」

 その宣言通り、崎と内海は深夜に及ぶまでビールや缶チューハイを飲み続けた。話題はというとひたすらどうでもいいことばかり。崎の商売での失敗談や内海の仕事のミス、過去の恋愛での痛手、家族の話、ひたすら、ひたすら。ひたすらに喋り続けた。

 仲が深まったのかといわれると、正直わからなかった。なぜなら両者ともかなり酔っ払っていて、翌日何を話したか確認してみても、話の内容の八割は互いに覚えていなかったからだ。

 銀二郎は途中で眠くなったのか、内海の布団の上で眠り始めた。俺が布団に入れないじゃん銀次郎、とどかそうとしてもびくともしないので、結局本当に布団の上で銀二郎と内海、それと崎とで三人で雑魚寝をすることになったのであった。

 翌朝銀二郎に顔をべろべろに舐められて目が覚め、空っぽの缶が散乱している中で昨日の記憶を思い出そうとするが、まともに覚えてはいなかった。同じくべろべろに舐められて起き、くしゃくしゃの癖毛がもっとひどいことになっていた崎も記憶はあやふやだった。それでもなんだか悪くはなくて、知り合ってたった一日なのに、なんだか昔からの友達のようで。こんな出会いも悪くないなと、内海は死に切れなかった旅路でできた友人の不細工な欠伸顔を見ながらそう思った。

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