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─5─

 ずびずびとみっともなく鼻をすすって、ぼたぼたとみっともなく涙をこぼして。落ち着いたと思えばまた涙が溢れて。その都度隣の男が背中をさすったりさらに芋を分けてくれたり。そうしているうちに陽は落ちて、空は朱色と白、それから灰色へと色が流れていた。焚火も燃えるものが尽きて、火はすでに消え白い煙を細く上げているだけになっている。

「そろそろここ真っ暗になっちゃうから。山下りよー」

 男は丸太から腰を上げ、粉々のパソコンがある方に向かう。そこには黒のバックパックとポリタンクがあった。男はポリタンクを持って燻っている焚火に向かって中の水をかけ始める。

 内海はその様子を丸太に座ったまま眺めながらも、内心戸惑っていた。山を下りたところで、ここは見知らぬ土地。行くあてもない。それにここに来るまでのバスで見た景色からすればこのあたりには宿泊施設もない。そもそも、今日ここで死ぬつもりだったのだからこの後のことなど一切考えていなかった。

「……どうしよう」

 つい、口に出してしまうと、水をかけ終わった男がこちらを見た後、へらりと笑った。

「さっきの芋、まあ今までの人生の最後の晩餐があれってのはさみしいでしょ」

 ポリタンクを置いて、男は内海に手を差し伸べた。

「じゃあ新しい人生スタートってことで、おいしいもん食べにつれてったげる」

 その手を取って、立ち上がる。ゆっくりだが、ぐっと力強く、体を引き上げられた。

「そしてここで見聞きしたことは全部知らなかったことにしといてほしいな〜」

 再びへらへらと笑った彼は、パソコンの残骸の方に向かうと、明日でいいや~と呟いてからバックパックを背負い、斧とポリタンクを回収してから内海が進んできた道に足を向けた。

「さ、行こ。暗くなったら、土地勘ないとマジで遭難するよ」

「……俺、死にに来たのに」

「いやー山で遭難しての餓死とか、きっついよ絶対。やめときなやめときな。今からうまいもんたらふく食うんだからそっちの方がいいでしょ」

 おいでーと肩越しに振り返り、男は斧を持った手を持ち上げて軽く手を振るようにしてみせた。内海は少し迷った末、彼についていくことした。


 山道を下る間、男はあちこちに指をさしては植物の名前を教えてくれた。名前を知らない植物には適当に名付けたりもしていた。来たときは圧迫感を感じるほどに暗く、空気も重く辛気臭い山だと思ったものだが、のんびりとおしゃべりが止まないこの男がいると陽が落ちた後だというのにそれほど暗さも重苦しさも感じなかった。こうも感じ方が違うものか。きっと、好きなだけ泣いて気分が晴れたというのもあるのだろう。

 男の後についてしばらく歩くと、傾斜がなだらかになった場所に出る。自分が山道を登ってくる途中ではこんな場所はなかったように思う。といっても山中はどこもかしこも似たような景色でどこを通ったかなどまったく覚えてはいないが、いくつか分かれ道があった中のどれかを、男は自分とは違う方向に進んだのだろう。少し進むと、そこには銀色の軽トラックがあった。

「先乗っててー」

 男は荷台にポリタンクを載せ、それからすでに積んであった大きなツールボックスのような箱の中に斧を入れた。荷台には、幾重にも巻かれてまとめられた縄もあった。

「……縄あるじゃん」

「ん? ああ、これ? だめだめ、使わせてあーげない」

 だめでーすと言って、男は内海のそばまでくると助手席に乗るようぐいぐい背中を押してきた。押されるがまま車に乗り込む。生まれて初めて乗った軽トラックは思ったよりも車高が高く、そして内装はなんだかひどく安っぽかった。まるでおもちゃにでも乗ったような気分だ。男が外から押して、バン、とやけに軽い音で閉じるドアもなんだかおもしろかった。

 男もすぐに運転席に乗り込んでくる。それから鼻歌混じりでエンジンを始動させたが、そのやけに甲高い音で鳴り響く始動音も、流れ始めた雑音まみれのカーラジオの音もひどくて、内海は思わず笑ってしまった。

「軽トラってこんな感じなんだ。変なの」

「山暮らしの必需品よ」

 ベルト締めてーと言う男の声に従いシートベルトを装着すると、男がシフトレバーを握って車を発進させた。それにもまた、笑ってしまう。

「今どきマニュアル車?」

「いいじゃん、なんかガジェットがちゃがちゃ動かしてる感がさ。パイロット感出るわ」

 そう言った通り、シフトレバーは動かすたびにがちゃがちゃとうるさくて、ついでに加速と減速も雑で不必要に体が揺られ、それに加えて道が悪いのもあってまるで場末の遊園地のアトラクションのようで、簡単に酔ってしまいそうなのもまたおかしかった。太い木の根が道を横断するように伸びているところなど、それをタイヤが乗り越えるたびに振り落とされそうになった。

 あまりにひどいので揺れるたびに笑っていると、なーんだよ笑えんじゃんあんた、と男が言った。そういえば笑ったのなどいつぶりのことだろう。そう思ったが、考える間もなく車体はガッタガタと揺れて、軽トラックはやっとのことで山を下りて行った。


 トラックは山を出て、先ほど内海が通ったバス通りを少し走った。それから途中で別の道に入ると、農地や果樹と思われる木の植えられた場所の他、あちらこちらに民家が見えるようになってくる。ここは随分とさびれた土地なのだと思っていたが、想像以上に人の気配は多かった。古い家屋が多いが、トラックが進むにつれそれなりに新しい家も見えてくる。辺りはもう暗くなっていて、家々の窓には電灯の光が灯っていた。

 トラックはまだ進む。民家だけでなく、徐々にコンビニやスーパー、ドラッグストアなども道沿いに現れるようになった。それからチェーンの飲食店もちらほらと看板を出し始める。

 内海の住んでいたところとは拓け方から街並みの雰囲気からかなり違うが、見慣れた店のロゴを見ると不思議な気持ちになる。この店どこにでもあるんだな、とか、全然違う場所なのにこの店があるだけでなんだか馴染み深いような気がするな、とか。遠く、場所は違えども自分の暮らしていた町とも繋がっているようで。

  うれしさとも、切なさともさみしさとも取れない気持ちで、内海は窓の外を眺めた。車内には会話らしい会話もない。くぐもった音のラジオが調子外れな曲を鳴らすのみだった。


 トラックはやがてひとつの店の前に来ると、ギイと雑なブレーキ音を立てて停車した。

「生もの食える? 寿司とかみたいな」

 隣の男はシートベルトを外し、ダッシュボードに放るように置いていた財布を手に取って車の外に出た。それを見て内海も車の外に出る。

「食えるよ」

「じゃあよかった。ここの海鮮丼うまいから」

 店は見たところ、小料理屋のようなところだった。老舗というほどの店構えではないが、木材の深い風合いを生かした外装は内海を戸惑わせるには十分だった。入り口の引き戸にはめられたガラスからはコの字型のカウンターと、その真ん中に白い帽子をかぶった板前が見える。

「……えっ、ちゃんとした店すぎじゃない? 入るの怖いんだけど」

「いやこれ見た目よりフランクな店だから。板前とも友達だし俺。っていうかじいちゃんの友達だけど」

「俺寿司屋なんて回転寿司しか入ったことないよ」

「まーまーだいじょぶよ」

 男は内海の引き気味の反応を気にもせずに引き戸を開けた。こんばんはーと挨拶をするその声に倣い、内海も小声で挨拶をする。

 いらっしゃいませーと朗らかな声が返ってきた店内には、カウンター席に老夫婦、仕事帰りなのかスーツを着崩してゆったりお猪口を傾ける中年男性が座っていた。それに外からは見えなかったが店の両端には半個室状のテーブル席がいくつかあって、そこには子連れの一家や若い女性のグループなどが座っており、客層はかなり広いようだ。

 想像していたよりも店の中は話し声によって賑やかだった。上品な店には入ったことがないため他はどうなのか知らないが、店内には穏やかなBGMも流れていて、敷居が高い雰囲気はあまりない。完全な大衆向け、庶民派というわけではなさそうだが、ほどよく居心地のよい空間だった。

 内心、胸を撫でおろす。今の自分の服装もまったくかしこまったものではなく、安い量販店で買った服でうっかり入ってはいけないような店であれば緊張して食欲などわきようがない。

 男はテーブル席に向かうと慣れた様子で椅子に座った。内海もその後に続いて向かい側の椅子に座る。アンティークとも言える凝った意匠の椅子だ。それを見てしまうとやはり相応の値段がするのではないかと気後れしそうになる。

「寿司ちまちまもいいんだけど海鮮丼ドーンの方が嬉しくない? 俺そっちおすすめ。茶碗蒸しとかいる? あっ酒飲む?」

 男はテーブルのかたわらに置いてあったメニュー表をこちらに手渡しながらそう言う。この男は店のランクなど気にしないのだろう。たしかに想像よりは気安い店のようだが、目の前の男の態度が変わらないこともあり内海も少しだけ気をゆるめられた。

「……じゃあ海鮮丼だけ」

「りょうかーい、足りなかったらまた追加で頼んでね」

「そんな居酒屋みたいな頼み方してもいい店なのかよ」

「いいのいいの。あっ女将さん、海鮮丼ふたつお願いしまーす」

 男は、湯呑に入ったお茶を持ってきた店員に注文を伝える。はーい、と女性の店員はにこやかに湯呑を置くと、カウンターの中にいる板前にそれを伝えた。

 内海が湯呑を手に取ると、男は自身の分の湯呑を手に持ってこちらに差し出してきた。少し驚いたが、内海もその意図を察して湯呑の彼の方に近付け、こん、と小さくぶつけ合わせた。

「人生リセットに、かんぱ~い」

「……」

 ゆるーい調子で楽しそうにそう言った男になんとなく乗り切れず、内海は乾杯の音頭に同調することができなかった。だってこれからどうしよう。リセットなんて、したところでどうする。結局また日常に戻るだけではないか。たしかに、猛烈に嫌なことがあってそれから逃げ出そうとしたわけではないが、元に戻るのであればきっといつかまたこうして死に場所を求めるような気がしたのだ。

 ため息をつきそうになる中、内海は熱いお茶と共にそれを飲み込んだ。深い味わいのほうじ茶は、やさしく腹をあたためてくれた。

「名前なんていうの」

 同じく茶をすすっていた男が不意にそう尋ねた。そういえば、自分たちは互いの名前すら知らないままだった。特に名前を呼ぶこともなく、ねえ、だのあのさ、だのちょっと、だのと呼んで適当に会話をしていたため特に困ってもいなかったが。

「……内海」

「下の名前はー?」

「満弦」

「うつみみつる、オッケー、じゃあミミちゃんね」

「ミミちゃん……」

「ミンミの方がいい?」

「……なんでもいいよ……」

「みょんみょん、ミルミル、つみっつ」

「もういいもういい。……それで? そっちの名前は?」

「あ、気になっちゃいます?」

「うざ」

「あはは」

 男はへらへら笑っている。こいつずっとこの調子だな。適当な変な奴。内海は少し呆れて、ふうと鼻から息を抜いた。

(さき)出帆いずほっていいます」

「……ふうん」

「出帆でいいよ。いっちゃんでもズンズンでもほったんでもいいし」

「出帆ねハイハイ」

「かんぱーい」

「えっまた?」

「友達増えた記念に」

「……かんぱい」

 こつんとまた湯呑をぶつけ合うと、崎は満足そうに目を細めて見せた。

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