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中央高校オカルト研究会

死のフリーペーパー

作者: 空山真

 これから話すのは「死のフリーペーパー事件」の顛末だ。

 ホラーではないが、怖い話だと思う。


 フリーペーパーというのは、駅のような人の集まる場所に置いてある「ご自由にお持ちください」という冊子のことだ。スポンサーがお金を出しているので、雑誌を無料で配ることができる。たとえば「京都の魅力」みたいなフリーペーパーだったら、旅行会社や旅館がスポンサーになっている。

 昔はたくさんあったようだが、無料記事はネットに移行が進んで、紙の文化は廃れつつある。

 近い未来に絶滅してしまう可能性もあるので、あらかじめ説明することにした。


挿絵(By みてみん)


 さて、死のフリーペーパーには、あらゆる「死」にまつわる情報が書かれている。そして、そのフリーペーパーを手にした者は、身内に不幸がおとずれる。

 しかもこれは創作の怪談話ではない。死のフリーペーパーは現実に存在しているのだ。


 まずは簡単に自己紹介をさせてもらおう。名前は空山(ソラヤマ)(マコト)。本名ではなくペンネームだ。趣味は小説投稿サイトで文章を書くこと。

 中央高校という単位制の高校に通っている。このエピソードとはあまり関係がないので詳しい説明は省略するが、定時制や通信制みたいな特殊な高校だと思ってほしい。成人済みだ。


 本題に入ろう。

 わたしに死のフリーペーパーの話をしてくれたのは、中央高校で社会科を教えているヤナギ(仮名)という先生だ。

 ある日のこと、ヤナギ先生は同僚とお酒を飲んでいて、最終のバスを乗り過ごしてしまった。歩いて帰るか、タクシーをつかうか、ちょっと飲みすぎたなあ。深夜の駅構内をブラブラと歩いていると、フリーペーパーのラックの片隅に目をとめた。一冊だけ、他とは雰囲気のちがう冊子がある。

 吸いこまれるように、その冊子を手にとった。パラパラとめくると、どのページも「死」「死」「死」であった。死者の肉体を剥製にして保存する方法。死体を土に埋めて、その上に樹を植えてしまう方法。ほかにも死にまつわる儀式について書かれている。

 ヤナギ先生は強く死を意識した。人間は死を忘れて生活している。忘れなければ生活できない、というのが正確かもしれない。死という終焉について、深く考えないことで健全な精神を守っているのだ。しかし死のフリーペーパーは、その欺瞞を暴いてしまう。「死を忘れるな」と迫ってくるのだ。

 先生は心が真っ暗になり、同時にひどく落ち込んだ。酔いもすっかりさめてしまった。冊子をラックにもどすと、タクシーをひろって逃げるように帰宅した。

 ところが、死のフリーペーパーから逃れることはできなかったのだ。なんと、自宅のキッチンのテーブルに、まったく同じ冊子が置いてあるではないか。


「ヤナギ先生、お客様がおみえです」


 ここでヤナギ先生に来客があり、話は中断となってしまった。

 わたしは続きが聞きたかったが、先輩が「もういい」というので引き上げることにした。


「死のフリーペーパー、本当だと思いますか?」


 ヤナギ先生は生真面目な性格というか、あまり冗談が得意なタイプではない。かといって死のフリーペーパーなんて、簡単には信じられない。


「ヤナギ先生は『嘘は困る』と言っていた。ボクは疑っていないよ」


 わたしの疑問を、先輩はあっさり肯定してしまった。先輩は死のフリーペーパーの正体がわかっているようだ。

 この人は黒星クロボシ先輩(仮名)。中央高校の先輩で、いつも全身真っ黒な服を着ている。ふたつ年上の男性で、驚くほど頭の回転が早い。

 恥ずかしながら、わたしは先輩に片想いしている。少し前にちょっとしたきっかけがあって「好きみたいだ」と気がついてしまった。

 告白なんかはしていない。もう子供ではないし、感情的になって距離をつめれば良いとも思えない。この歳になると「長く一緒にいられるのか?」みたいなことが気になるし、それにはお互いの生活や仕事も関わってくる。先輩の恋愛観とか、恋人の有無も確認していない。


 その黒星先輩との唯一の接点といえるのが「オカルト研究会」だ。オカ研は先輩が「宇宙人を探す」ために作った部活で、どんな活動をするかはまだ決まっていない。

 黒星先輩とは同じ高校に通っているけれど、授業で一緒になることはない。家が近所というわけでもない。趣味や仕事もよく知らない。オカルト研究会の活動くらいしか、先輩と喋る機会がないのだ。

 そんなわけで、わたしはオカルト研究の立ち上げ作業に積極的に協力していた。


 さて、フィクションの世界では部活を作るのに「部員を集める」だけが条件になる話が多い。それも間違いではないが、もうひとつ大切な条件がある。それが「活動実績」だ。スポーツ系なら大会出場。音楽系なら演奏会。文化部ならコンクール。そういう実績を学校側に報告できないと部活として認められないのだ。

 顧問のヤナギ先生と相談して、オカルト研究会では「活動記録」を文章にまとめて提出することになった。文芸部が文集を作って実績にするのと同じ手法だ。

 しかしオカルトの活動記録なんて、なにを書いたらいいかわからない。だってオカルトだ。幽霊や妖怪なんか実在しない。突き詰めれば思い込みや勘違いだ。

 たとえば「墓場で幽霊を見ました」という報告を書くとする。しかし、わたしも黒星先輩も、幽霊なんか実在すると思っていない。心の中では「たぶん勘違いだ」と思って報告書を書いている。これでは嘘と変わらない。

 それでわたしは「フィクションで構わないですか?」と質問した。

 するとヤナギ先生は「まったくの噓は困る」といって、お手本として「死のフリーペーパー」の話をしてくれたのだ。


 ヤナギ先生は「嘘は困る」といった。

 つまり死のフリーペーパーは嘘ではない。


「死のフリーペーパーってなんでしょう?」


 わたしは黒星先輩に直接聞いてみた。


「死のフリーペーパーは死のフリーペーパーだろう」


 やっぱり、先輩には心当たりがあるようだ。

 黒星先輩は名探偵みたいな人で、謎解きが早すぎて謎だと思っていない。わざわざ解説する気もない。そういう人だ。

 正解してやりたい。

 死のフリーペーパーなんて、そんなものが実在するわけがないのだから、これはナゾナゾだ。子供向けのトンチみたいな話だろう。


「シティじゃないですよね? 市のフリーペーパーなら、たぶん市役所にあります」

「キミは小学生か? これはクイズじゃない。正解もない。先生の話の裏側に気づいたとか、そういう話じゃないよ」


 正解がない?

 わたしが困惑していると、先輩はさらに理解不能なことを言いだした。


「空山くんは死のフリーペーパーを知らなかった。ボクは知っていた。それだけの話だよ。子供の頃に見たことがあるんだ」

「死のフリーペーパーを?」


 先輩はうなずく。


「キミも見ればわかる。探してこよう」

「持ってきてくれるんですか?」

「フリーペーパーだ。無料で配布してるんだから持ってくるさ」


 この日はこれで解散となった。

 そして翌日、わたしは友人の姫駒ヒメコマさんに死のフリーペーパーのことを話した。

 姫駒さんとは中央高校の入学式で知りあった。成人済みの女性で、いまさら高校生という境遇も同じ。学校生活で仲間がいるのは便利なので、いつも一緒に行動している。ちなみにオカルト研究会のメンバーでもある。

 おっとりした美人で、あまり自分の意見を言うタイプではなく、話を聞いて共感してくれるタイプ。なので、死のフリーペーパーへの反応は予想できていた。


「うんうん」「へぇ」「そうなんだ」

「なんか不気味」「怖いかも」

「わかんない」「不思議だね」


 たぶんこんな感じだろう。そう思っていた。

 ところがだ。


「あたし知ってるかも!」


 ドキッとする。

 黒星先輩は「ボクは知っていただけ」と言っていた。考えて答えを出す問題じゃないと。

 姫駒さんは知っていたのだ。


「ちょっと待ってて」


 姫駒さんはそう言うと、自分のカバンの中をガサゴソとあさって1枚の紙を出した。


「はい、死のフリーペーパー」


 これが死のフリーペーパー?

 明るい色味のファンシーなデザイン、可愛い写真がたくさんつかわれている。どこからも「死」という感じはしない。

 とあるネコカフェが主催する保護猫譲渡会のお知らせだ。


「貰い手が見つからないと、みんな死んじゃうんだよ……」


 深刻な表情。

 ああ、それで死のフリーペーパーだと思ったわけか。

 しかし微妙に違う気がする。これはフリーペーパーというよりチラシだ。貰い手がみつからないネコはカフェが保護し続けるだろうし、保健所送りになるとは思えない。まあ、カフェに空席ができれば新しいネコが保護できるのだろうけど。

 ほかにも色々と聞いた話とはちがっている。

 ともかく、これが死のフリーペーパーじゃないことは確実だ。


「アパート暮らしでネコはダメなんだ」

「うちも一匹いるので無理かなあ」


 姫駒さんとネコたちには申し訳ないが、この話が空振りでわたしは安堵していた。

 死のフリーペーパーが見つからなくて本当に良かった。黒星先輩が持ってきてくれるのだ。せっかくの約束だ。プライベートな接点は大事にしたい。先に発見してしまったら、約束が消滅してしまう。

 たとえば、片想いの相手と「一緒に行こう」と約束したその場所に「友人と行ってきました」という人がいたら、よほどの大馬鹿者だろう。そういうことだ。

 わたしは死のフリーペーパーについて考えないことにした。頭から追い出した。


 しかし、ひとつ問題があった。

 死のフリーペーパーは実在するのだ。ヤナギ先生の話は正真正銘の体験談だ。わたしが途中まで聞いた話の続きは、今もリアルタイムで進行していたのだ。


 物語が再開したのは、それから数日後のこと。

 わたしが職員室の前を通りかかると、扉からフラフラと人が出てきた。ヤナギ先生だ。わたしは挨拶しようと立ち止まった。

 思わずギョッとする。

 先生の顔。酷いなんてもんじゃない。目の周りに大きなクマができて、げっそりとやつれて見える。目玉も充血している。あきらかに体調が悪そうだ。

 

「ヤナギ先生、大丈夫ですか?」


 すると先生は首をかしげて「なにがだい?」と言う。


「体調が悪そうです」

「いや、元気だよ」


 先生は笑ったが、元気そうには見えない。まるで悪霊にでもとり憑かれて、生気を吸われているようなのだ。

 どう考えても変だが、本人から元気だと言われてしまうと、それ以上は追求できない。


「見ました? ヤナギ先生、あきらかに変ですよ。なにか聞いてたりしませんか?」


 黒星先輩のケイタイにそう連絡した。

 すぐに返信がきた。


「見てない。聞いてない」

「げっそりしてます。幽霊みたいですよ。絶対に変です」


 すると黒星先輩が、変なことを言い出した。


「昨日、家の前を通りかかったときに作業中のトラックを見かけた。ヤマツツジを植えたようだ」


 投稿先を間違えたのか?

 それくらい意味不明な内容だ。


「先輩?」

「うん?」

「ヤナギ先生の話です」

「そうだよ」


 誤送信ではないようだ。

 つまり黒星先輩は「ヤナギ先生がヤマツツジを植えた」という話をしているようだ。

 ヤナギ先生の家が中央高校のすぐ近くという話は知っている。自転車通勤だし、休み時間に自宅に帰って食事をして、また学校へ来ることもある。それくらい近いのだ。

 おそらく黒星先輩はヤナギ先生の家を知っている。そしてヤマツツジを植えるのを見た。


 で?

 やっぱり意味がわからない。


「ヤマツツジを植えると、げっそりするんですか?」


 すると黒星先輩は、当然みたいにこう答える。


「樹の下に遺体を埋めたんだ」


 ヤマツツジの下に死体を埋めた?

 ヤナギ先生が?


 絶対にちがう。

 なぜなら黒星先輩は「ヤマツツジを植えるのを見た」と言った。死体を埋めるのは見ていない。

 つまり「死体を埋めた」は先輩の推測だ。

 でたらめに決まってる。

 なんの根拠があってそんなことを言うのだろう?

 まるで梶井基次郎の「桜の樹の下には屍体が埋まっている」という小説みたいな話だ。


 そんなことを考えていると、フッと思い出した。

 梶井基次郎じゃなくて「死体を土の上に樹を植える」という話が、もうひとつあったじゃないか。


「もしかして死のフリーペーパーですか?」


 送信してしばらく待ったが、黒星先輩から返信が来ない。既読はついている。


「死体を埋めたって、そのままの意味じゃないですよね?」


 やはり返信は来なかった。

 休み時間が終わって、午後の授業が終わって、もう帰宅しようかという時間になっても、先輩からの返信は来なかった。

 気になる。しかし先輩と連絡がつかない。

 先輩は夜からの授業だ。まだ1時間くらいある。そして先輩は授業がはじまる数分前に学校に来る。待っていてもゆっくり話す時間はない。

 このまま待つのは無駄だろう。

 しかしヤマツツジの話は気になる。


 わたしはヤナギ先生の家に行ってみることにした。

 場所は顔見知りの生徒に聞いたらすぐにわかった。帰りに少し寄り道して、様子を見るだけだ。

 夕暮れ時、自転車を走らせて家を探す。この辺のはずだ。何件か表札を確認すると、すぐに見つけることができた。


 古くて大きな家だ。庭は壁に囲まれていたが、出入り口の部分から中が見える。綺麗な庭だ。

 ヤマツツジもすぐに発見できた。植えたばかりで、その周りだけ土の感じが違っていたからだ。

 一本の太い幹がある感じではなく、複数の茎が根本から広がるように生えている。花は咲いていない。死体が埋まっていても、外からわかるものではない。なんでもない木だ。

 そう思った瞬間、わたしはとんでもないことに気がついて、思わず叫びそうになってしまった。


 木の横に人が立っている。

 高齢の女性だ。

 なにをしているんだろう。ずっと動かず立ち尽くしていたので、気がつかなかった。

 ヤマツツジを見ているようだが、あまりにも不自然だ。微動だにせず、ずっと木を眺めるなんて。


 女がこっちを見た。

 わたしは逃げた。


 ヤバいヤバいヤバい。絶対にダメだ。

 完全に光が失せた目。あらゆる負の感情だけを煮詰めたような痛々しい表情。顔中に広がった黒い影が、心に負った深い傷跡のように見えた。

 ホラー映画に出てくる女性の幽霊そのもの。アレとは絶対に関わってはいけない。本能がそう言っている。

 しばらく必死で自転車をこいで、さすがに逃げきったかとペースを落とすと、ケイタイの通知の音がした。

 すぐに確認する。

 黒星先輩からだ。


「すまない。返信が遅れた。そのことなんだが、悪い知らせがある」


 音声通話のボタンを押した。

 黒星先輩が通話に出る。


「たぶんもう手遅れです!」

「なんだ?」

「わたし、ヤナギ先生の家に行きました」

「で?」

「ヤマツツジを見ました。死体は埋まってると思います」

「だからそう言っただろう」

「たぶん死のフリーペーパーです」

「そうだよ」

「ヤマツツジをじっと見ている、幽霊みたいな女の人がいて……」

「それで?」

「逃げてきました」


 電話のむこうで「ククク」と笑う声が聞こえた。

 黒星先輩?


「あの、いまさらですが、先輩の悪い知らせを教えてください」


 言いたいことを吐き出したら、少し冷静になった。そして「なにか変だ」と気がついた。

 ともかく先輩の話を聞こう。


「死のフリーペーパーを探すという約束だが、ついさっきまで忘れていた。慌てて駅に行ってみたが、もう配布は終わっていた。季刊誌らしくて、次号の配布はまだ先らしい。これが悪い知らせだよ」


 黒星先輩の移動手段はスクーターだ。それで返信がなかったのか。

 それから先輩は、こう言葉をつづけた。


「ただし、まだ手遅れじゃない。心当たりがひとつ残ってる」


 死のフリーペーパーがある場所。


「まさか、ヤナギ先生の家に行くつもりですか?」

「いつもの駐車場から歩いてる。もうすぐ着く」


 中央高校は自動車やバイクでの通学を全面的には許可していない。駐車場が足りないからだ。もちろん学校の許可を取る方法もあるが、それなりに面倒な手続きだと聞いている。

 それで黒星先輩は、学校の近くに駐車場を借りているのだ。自動車の友人と料金を折半して、ひとつのスペースをつかっているらしい。ちなみに大家の許可は得ているようだ。

 その駐車場にバイクを駐めて、徒歩でヤナギ先生の家に向かっている、ということだ。


「わたしも行きます」


 そう言って通話をオフにする。

 自転車の前輪を持ち上げて、クルッと向きを変えた。

 ぐんぐんとペダルを漕ぐ。

 目的地の近くに来ると、ピカピカと光る物体がふたつ。黒星先輩だ。

 先輩の服装はいつも全身真っ黒。夜はまったく見えない。おかげで何度も死にかけているらしく、夜間はランニング用の光るバンドを両手につけているのだ。


「先輩!」

「ずいぶん遠くまで逃げたみたいだな」


 わたしは邪魔にならなそうな場所に自転車を駐めた。

 それから庭の女幽霊を確認する。さっきより暗くて見にくいが、たぶんいない。


「キミが見たのはヤナギ先生の奥様だよ」


 あれが奥様?

 もうわけがわからない。


「大丈夫なんですか?」


 大丈夫には見えなかった。


「しばらくはダメだろう。ともかく準備はしてきた」


 黒星先輩はリュックを下ろすと、中から真っ黒な紙袋を取り出した。サイズは文庫本くらいだ。

 わたしに向かって差し出したので、なんとなく受け取った。


「なんです? 悪趣味な紙袋。死のブラックエンベロープとか?」

「悪趣味でわるかったな。この袋はボクの私物だよ。キミから先生に渡してくれ。その方が良い」


 そう言いながら、黒星先輩は玄関のチャイムを押した。

 わたしはもう、なにもかも先輩に任せてしまおうという気分になっていた。意味不明な展開が続いているけれど、先輩はいつも通りだ。

 何を考えているのかわからない。自信過剰で偉そうな態度。少し意地悪。服装が怪しい。頭と顔は、わりと良い。そんないつもの先輩だ。

 先輩に任せてしまえば、まあ大丈夫だろう。


「ハイ。どちらさまですか?」

「中央高校の黒星です。現代社会の」


 インターホンでの応答。

 扉が開く瞬間に、黒星先輩が深刻そうな顔を作った。わたしも真似をする。

 フラフラと人が現れた。ヤナギ先生だ。

 学校で見たときよりも、さらに顔色が悪い。


「このたびはご愁傷様です。これは香典のかわりというか、良かったらつかってください」


 先輩が合図したので、紙袋を差し出した。

 ヤナギ先生は受けとるのをためらっている。


「フォトフレームですよ。お金はまずいと思ってこれにしたんですが、こんなものでも賄賂になりますか?」


 そうか、教師は賄賂を受け取れないのだ。このくらいなら問題にはならないと思うが、ヤナギ先生も生真面目というか。


「空山くんは先生の授業をとっていません。空山くんから、ということでもダメですか?」


 先輩からそう言われて、ヤナギ先生は一礼してから封筒を受け取った。


「すまない。気をつかわせてしまったね」

「それで、ついでにお願いがありまして。例のフリーペーパーの件です。オカルト研究会の活動記録に書きたいので、掲載許可をいただきたい。それからフリーペーパーの現物が残っていたら、資料にしたいので借りられませんか?」

「きみねえ」


 黒星先輩からの要求に、ヤナギ先生が苦笑いする。顔色が少し明るくなった。


 さすがのわたしも、このときには死のフリーペーパーの正体に気がついていた。黒星先輩がヤナギ先生と話すのを見ていたら、いつの間にか理解できてしまったのだ。

 たしかに死のフリーペーパーは、死のフリーペーパーだ。

 生き物は死ぬ。病気や怪我で普通に死ぬ。老衰で必ず死ぬ。悪霊に呪われたりしなくても、みんな死んでしまうのだ。

 お墓や葬式。遺言や相続。気持ちの整理。死にまつわる問題はたくさんあって、それを仕事にする人たちもいる。

 そういう会社がお金を出して、「死」にまつわるフリーペーパーを作った。死にまつわる記事だけが載っている、死のフリーペーパーだ。

 もう少し穏当な言葉で表現するなら「終活フリーペーパー」になるだろう。


 ヤナギ先生の場合は、飼っているネコが高齢で体調が悪く、そろそろ覚悟が必要な時期だった。そんな折、ペットの葬儀を特集しているフリーペーパーを発見したので興味をもった。

 しかし、いざ別れを想像すると気持ちが沈んでしまう。とても耐えられない。フリーペーパーを棚にもどして帰宅した。

 ところが、妻もまったく同じフリーペーパーを見つけて、家に持ち帰っているではないか。死のフリーペーパーから逃げられなかったように、ペットの死から逃げることはできない。必ずそのときはやってくる。そういう結末の話だったのだ。


 ヤナギ先生は、なにもおかしなことは言っていなかった。ありのままを喋っただけだ。

 聞く人を怖がらせるために、怪談みたいに脚色した話ではない。長年一緒に暮らした家族が死んでしまう。恐ろしい事実をそのまま喋っただけなのだ。

 黒星先輩は死にまつわるフリーペーパーがあると知っていた。だから、先生の言葉をそのまま理解することができた。

 わたしは存在を知らなかったので、ヤナギ先生の言葉はそのままでは理解できないと思い込んでしまった。葬儀会社がフリーペーパーを作るなんて、想像することができなかったのだ。


 この話には少し後日談がある。

 二週間くらい経ったある日のことだ。


「二匹飼うことになりそうです。まだトライアルですが」


 ヤナギ先生がそう報告してくれた。

 あのあと焼香だけさせてもらって、帰り際に「もうひとつの死のフリーペーパー」を思い出したのだ。カバンの中を探すと、まだあった。姫駒さんから渡された保護猫譲渡会のチラシだ。それを先生に押しつけてきた。

 どうやら役にたったようだ。


 それからヤナギ先生は「妻と結婚したきっかけはネコなんですよ」と話してくれた。

 ふたりがつき合いはじめたばかりのころ、彼女がネコをひろったがアパート暮らしで飼うことができない。ヤナギ先生は実家暮らしだ。

 ネコをひきとることになって、そのまま彼女もついてきた。ふたりともネコを手放すつもりがなかったので、サクッと結婚を決めてしまったのだという。

 それから二十年。ふたりの間にはずっとネコがいて、ネコと一緒に暮らしてきた。ネコを中心に笑いがたえない生活。会話も多い。良い夫婦だと思っていた。

 ところがネコが死んで、ふさぎこむ奥さんを慰めようと思ったが、うまく言葉がでない。

 妻になんと声をかければいいかわからない。

 気分を変えよう。他のことに目を向けよう。楽しいことを考えよう。そんなことを言いたかったが、気づけば共通の話題がない。ネコのこと以外に話すことがないのだ。

 これはまずい。ネコがいないと離婚もあり得るという気がして、すぐ保護猫譲渡会に行ってきたらしい。

 奥さんは「死んだばかりで早すぎる」と反対しているみたいだが、ヤナギ先生は「口喧嘩も会話のうち」「会話ができる」「やはりネコが必要」と思っているようだ。


 というわけで、これが死のフリーペーパー事件の、恐ろしい顛末だ。

 ヤナギ先生夫妻にはネコが必要だったが、わたしと黒星先輩にはオカルト研究会が必要だ。部活が無くなった瞬間に、ただの他人になってしまうだろう。

 怖い怖い。


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