第7章
メンドサからサンチアゴまでは、直線距離で、わずか150キロだが、その間には、高さ六、七千メートル級のアンデスの山々が立ちふさがっている。
しかし、危険なのは山ではなくて、アンデス特有の突風や旋風・・・そして、雪嵐だ。
・・・1972年の冬は、その荒れ方が特にひどかった。
ラグラーラが飛ぼうと考えていたルートがある。
メンドサから南に飛んで、『チレシート』さらに『マラグーエ』。
そこから西へ転じて、『プランチョン峠』を越え、チリの『クリコ』上空から北上して、サンチアゴへ向かう。
彼は、この飛行プランのもとに、メンドサを午後二時に出発することにした。
・・・実際には、18分遅れて飛び立ったのである。
離陸後、彼らのフェアチャイルド機は、『アンバー・ツー・シックス』と呼ばれるルートに乗った。
20分後、『チレシート上空を飛行中』という連絡が、メンドサ管制塔に入っている。
強い向かい風のため、同機のスピードは、時速380キロしか出ていない。
3時8分。
ラグラーラ中佐は、マラグーエ上空に達したことと、『グリーン・セブンティーン・ルート』に乗って西進し、プランチョン峠を越え、クリコに向かうことを報告してきた。
3時21分、彼の飛行機はプランチョン峠を越え、チリ領に入ったと通報した。
3時24分には、クリコ上空に達したと報告している。
・・・それは、彼の大きな誤りであった。
プランチョン峠からクリコまでの60キロを、彼の飛行機が3分間で飛ぶことは不可能である。
そのためには、厳密に計算すると、時速970キロを出さなければならない。
しかし実際には、時速386キロで飛んでいたのである。
ラグラーラは、クリコの『ラジオ・ビーコン』が当時乱れていたために、誤った判断をしてしまったのかもしれない。
ちょうど折悪しく、落雷による電波障害があったのだ。
とにかく彼が、アンデスを越えて、クリコ上空を飛行中とサンチアゴに通報したとき、彼の飛行機は、アンデス山脈のまっただなかにあったのである。
サンチアゴの管制塔は、彼の報告にもとづいて、進路を北に向け、『アンバー・スリー・ルート』に乗ること、そして、高度を3000メートルに下げることを指令した。
ラグラーラ中佐は、雲の下に『豊かな谷』があると信じていたのだろう。
・・・だが実際は、『アンデスの背骨』にあたる部分を飛んでおり、ゆく先には、『キンギリリカ火山』や、『ソスネアード』『シルバーピーク』『パロモ』など、四千メートル以上もの山々がそびえていた。