第3章
チリ遠征のために、『オールド・クリスチャン倶楽部』の部員たちは、いくつかの問題を解決しなければならなかった。
・・・だが、彼らは若さとファイトで押しまくった。
モンテビデオには、開拓者のワゴンをかたどった記念碑がある。
彼らのファイトは・・・困難と闘った、先祖伝来のものでもあるのだ。
彼らはまず、両親の許可と援助を得て、ウルグアイ空軍の飛行機をチャーターすることに話が決まったが、それにはサンチアゴに六日間滞在するとして、往復旅費とも、千五百ドル必要だった。
全座席四十一を埋めれば、一人当たり四十ドルほどで済む。
それで彼らは、八月と九月のあいだ、手分けして、彼らのファンや友人や親戚を、チリへいっしょに行かないかと勧誘してまわった。
・・・こうして、座席は埋まった。
いよいよ、10月12日の早朝、モンテビデオの『カラスコ空港』に集まった乗客たちは、すべて親戚やクラスメート、友人あるいは知人ばかりであったのである。
彼らの大部分は、20歳から25歳のあいだの男性で、女性は五人しかいなかった。
彼らのうち学生は、法学部が五人、医学部が四人、経済学部が三人、工学部が二人、そして、農学部と獣医学部が十四人いた。
・・・彼らには、共通の特徴があった。
家が名門であり、宗教はカトリック、政治的には保守派、そして、熱狂的なスポーツマンであることだ。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
彼らは、八時前に搭乗を開始した。
天気は快晴。
飛行機は、一年前にアメリカから買った、『フェアチャイルド機』。
エンジンは、ロールスロイス製である。
まだ、792時間しか飛んでいない新鋭機で、コンディションは上々だった。
乗組員は五人。
機長の『フリオ・セサール・フェラダス大佐』三十九歳・・・5116時間の操縦経験を持ち、アンデス越えは、29回飛んでいる。
副操縦士は『ダンテ・ヘクトール・ラグラーラ中佐』四十一歳・・・飛行経験1984時間、アンデス越えは10回。
十年前、彼は訓練中に他の飛行機と接触、パラシュートで脱出したが、相手機のパイロットは死亡した。
航空士は、『ラモン・マルチネス中尉』三十歳。
エンジニアは、『カルロス・ロケ』二十四歳。
そして、スチュワードが、『オビデオ・ラミレス』二十六歳であった。
ウルグアイ空軍の服務規程によると、こういう場合、下級の将校が、上級の将校の監督を受けながら操縦しなければならない。
・・・つまり、『訓練』を兼ねるのである。
したがって、このとき、乗客と合わせて四十五人の運命は、ラグラーラ中佐の手に握られていた。




