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第2章

 「・・・息子の死が確認されたとき、私は、アンデス山中の事故現場に埋められた息子を、ウルグアイの故郷に連れ帰ってやりたいと考えました。


 そして私は、ふたたび、サンチアゴ国際空港の管制塔かんせいとうにきたのです。


 あの、10月13日の金曜日・・・ウルグアイの多数の家庭に絶望をもたらした日の、午後三時三十分、事故機を操縦していた『ラグラーラ中佐』と最後の無線連絡をしたのは、この管制塔です。


 警報を出したのも、この人たちです。


 ・・・ここは、チリ空軍救難部隊の本部でもあり、私たち遭難者の親族は、飛行機の行方不明が伝えられるとすぐ、ウルグアイから飛んできました。


 ここで、10月から12月に渡る捜索そうさくのあいだじゅう、みんなで一喜一憂したものです。


 ・・・今度は、私は『助言』を求めにきました。


 この小さな部屋は、アンデス遭難救助隊の本部です。


 約100人の地元有志が、救助活動に奉仕しているのです。


 彼らは、熟練したプロクライマーばかりでなく、教師・会社員・学生などであり、費用自便ひようじべんで、多くの遭難者を救いました。


 アンデスは、気候の急変のために、アマチュアはもちろん、プロの登山者や地元の羊飼いまでおびやかすのだそうです。


 息子たちの飛行機が行方不明になると、彼らはさっそく、捜索活動に参加してくれました。


 あとで、生存者の二人が『ロス・マイテネス』の村に現れてからは、残りの生存者救出に、いちばん働いたのも、彼らです。


 ・・・さて、ここで私は、事故現場へ行くための一番良いルートと時期を教えてもらいました。


 必要な装備についても助言してくれ、良いガイドを推薦すいせんしてくれたうえに、二人の隊員が、同行を申し出てくれたのです・・・。」

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