第11章
一日、二日、三日・・・四日ぐらいまでは、生存者たちも、空からの捜索に希望を託していたが、一週間たつと、さすがに不安を隠しきれなくなった。
救援が空からでなく、陸路で来ると考えた者もいる。
十日目に彼らは、トランジスタラジオで、チリの放送を聞いた。
法律によると、行方不明者は、八日間捜索して見つからない場合、『死亡』と見なされるという。
それを聞いた瞬間、彼らはがっくりした。
・・・しかし彼らも、それではならないと考えて、互いに気を引き立てようとした。
『助けは来ない。これから僕たちは、自力で脱出するしかないんだ・・・。』
という者も出始めた。
二ヵ月半のあいだ、彼らの家族たちは、何度も一喜一憂させられた。
彼らを喜ばせるニュースが流れると、すぐ『誤報』と判明したりして、そのたびに、大きな失望を味わうのだった。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
・・・衝突の瞬間、飛行機の尾部が脱落し、八人の乗客が投げ出された。
その人たちは、ほぼ全員、即死したものと思われる。
残りの機体も、猛スピードで回転しながら谷へ転がり落ちていったので、中にいた人たちは、全身打撲や骨折のため、しかも、応急手当も受けられなかったので、数時間以内に、九人が息を引き取っている。
・・・最初の晩は、ひどい状態だった。
こごえる寒さ、事故のショック、死体の山・・・。
重傷者の手当てもできず、オールド・クリスチャンの部員たちは、暖を取るために、固まり合っていた。
一晩中、壊れた機体の中には、祈りの声、ヒステリックな叫び、泣き声、そして重傷者のうわごとが聞こえていた。
・・・とくに悲劇的だったのは、ラグラーラ中佐である。
彼は、衝突の際には死ななかったが、操縦桿が体に突き刺さり、動けなかった。
そして・・・次の夜明けに、こと切れたのである。
うわごとのなかで彼は、何度も、『クリコ上空を通過した』と言っていた。
この謝った発言が、生存者たちの脱出口まで困難にしたのである。
彼らも、アンデスのチリ側に落ちたと思い込んだが、実際は、アルゼンチン側だった。
歩いて一日のところに、アルゼンチンの山小屋があったのに、彼らは、はるかに遠いチリ側へ脱出を図るのである。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
事故の翌日、雪に穴を掘って、八人の死体を埋めた。
埋める前に、衣服をはぎ取った。
・・・自分たちが着るためである。
彼らは、フェルナンド・パラードを埋めようとしたとき、彼の心臓が動いているのに気づいた。
パラードはまったく動かなかったので、みんなは、死んだと思っていたのだ。
だから彼は、薄いシャツ一枚で、一晩中、外に置かれていた。
生きているとわかって、みんなはいそいで機体の中に運び込み、マッサージした。
パラードは元気になった。
・・・それだけではない。
七十日後、みんなを救うことになるのである。




