第10章
飛行機が行方不明になったことは、13日の午後六時、モンテビデオに知れた。
ラジオやテレビは放送を中断して、そのニュースを流し、国民全部が親類のような、この小さな国に衝撃を与えた。
捜索機は最初、クリコとサンチアゴの間だけを探したが・・・まもなく、ラグラーラの報告した位置が不正確であったものと推論して、捜索地域を、キンギリリカ、ソスネアード、パロモの山々に囲まれた部分にしぼった。
フェアチャイルド機は、事実、そこに墜落していたのであるが・・・空からの捜索では、ついに見つからなかった。
八日間、チリの捜索機は、この地域をあらゆる方向に飛んだ。
あとから、アルゼンチンとウルグアイの飛行機も捜索に加わったが、猛烈な乱気流と、雨や雪を伴う嵐のために、何度か危ない目に遭う飛行機もあった。
・・・そして、捜索はむなしく終わったのである。
捜索が続けられているあいだも、チリの当事者も、生存者がいると、予想していなかった。
アンデス山中では、雪が15メートルも積もり、夜は気温が、摂氏零下49℃にまで下がったこともある。
空軍救難部隊の隊長は、新聞記者に、『生存者がいることは考えられない。もし、墜落のさい、死ななかった者がいたとしても、すぐ、雪に埋まってしまっただろう。』と語った。
カルロス・パエス・ビラロは、フェアチャイルド機が行方不明を伝えられたときから、生存者が救出されるまで、息子の生存を信じて、何度もアンデスに挑みつづけた。
・・・彼は画家であり、冒険家であり、映画製作者であり、旅行家でもあった。
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10月21日。
空軍救難部隊は、捜索を打ち切った。
捜索は八日間続けられ、その間、55機の飛行機が、61回出動し、のべ、142時間半も飛んだのだが・・・フェアチャイルド機の姿は、まったく発見されなかった。




