序章
1972年10月13日。
チリのサンチアゴに向かったウルグアイの飛行機が、高度3500mから4000mのあいだで、アンデス山脈に激突した。
チリ・アルゼンチン・ウルグアイの必死の捜索もむなしく、一週間後・・・四十人の乗客と、五人の乗組員たちは、『行方不明』『絶望』と発表された。
墜落機も乗客も、冬のアンデス山中では、万年雪にうずまって出てこない例が多いので、彼らの場合も同じと推測された。
・・・ところが、事故の七十日後、乗客のうち二人が、チリの山村にたどりつき、さらに十四人の生存者が、事故機の残骸の中にいるという知らせをもたらしたのである。
生存者は、若者たちだけだった。
・・・二ヵ月半もの間、最も厳しい環境の中で生きつづけた意志力は、世界の歓呼を浴びたが・・・
そのかげには、おそろしい秘密があったのである。
事故の犠牲となった、ある青年の父親は、どうしてもあきらめきれずに、息子の死体を求めて、アンデスの山深く、わけいった。
彼は、事故の現場で、悲劇の真相を自らの目で確かめようと決心したのである。
・・・カメラは、彼と行動を共にした。