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本能寺から来た男 外伝

京都帝国大学の特待生

作者: 一色強兵

「本能寺から来た男」外伝です。


突然、奈良の高鴨神社に現れた信長公の扱いに困った方々は、とりあえずは京都帝国大学に、彼に「現代」を理解できるように教育を命じたようです。

もちろん素性などは全く明かされないまま、この奇妙な依頼に向き合わされることになった教授陣は、講義にて聞き取った信長公のリアクションに戸惑い続けることになりました。


昭和十三年(一九三八年)一月、正月明け、松の内も取れないうちに、京都帝国大学の主だった教授陣は、大学の裏手、東山の山麓に設けられていた広大な料亭の一角の離れに集められていた。

届いた年賀状を整理していたら、いきなり大学総長名の電報で、ここに集められたのである。

無論、そこには理由など、一切記されておらず、集合すべき日時と場所のみが記載されていた。

お互いの顔をそこで初めて確認し、それが只事ならぬ事態と大半の者が悟ったところで、さらに出席者は驚かされることになった。

大広間の正面中央には、濱田総長が座っていなかったのである。

つまり本当の招集者は、総長に命じてこの会合を催させたということになる。

ただでさえ、気位の高い官立大学の学者総長にこんな仕事をさせられる人間は日本広しと言えどもそれほど多くはない。

集まった者の多くは、あまりにも異例で突然だったこともあり、普段着に近い服装の者が大半だったが、その多くは、これは服装選びに失敗した、と後悔を感じることになっていた。

自分の服装の心配が、主催者が誰かという興味を上回ったせいで、場がざわついたところで、正面左に座っていた濱田総長が立ち上がると、次の間への襖が開かれ、そこから従者に手を引かれて一人の小柄な老人が静かに入ってきた。

若手の学者にはそれが誰か全く分からなかった。

だが、もし名前を聞けば、全員が確実にその名前を覚えているであろう人物である。

その証拠に、その人物が誰か分かった者は、同じ姿勢を取る総長に従い、即座に最敬礼の礼を即座に示した。そしてその波はすぐに全員に広がった。

その反応を老人は見届けたかどうかは全く分からなかった。

従者に手を引かれ、中央の座に導かれ、そこでそのまま座ると、自分を見つめる一同に向かって、語り始めた。

「正月早々、突然にご参集を一方的にお願いしたにもかかわらず、濱田総長初めこれほどの方々にお集まり頂きましたこと、この西園寺公望、大変感謝しております。まずは急な呼びかけにもかかわらずかくも多くの方々にお集まり頂いたことに対し、改めまして厚く御礼申し上げさせて頂きます」

西園寺公望の名が当人から示されたことで、一同の間に改めて襟を正させる空気が流れた。

西園寺は藤原氏の血を引く公家であり。幕末から明治維新を経て新政府を支え続けた、いわゆる元勲である。

さすがに昭和十三年にもなると、明治維新を経験した存命中の元勲は限られていた。

ここに集まった半数以上の者にとっては、文字通り生きている元勲に相まみえたのは初めてのことだった。

この時、西園寺は八八歳、すでに東京を引き払い静岡に引き籠もってはいたが、幕末から明治、大正、昭和と日本の舵取りを行ってきた実績から、元老として、いまなお陛下の相談役としての発言力は揺るぎないものと認識されていた。

その一方で軍部からは命を狙われることもあった。

それは軍部からも圧力がかけられない存在だったことの裏返しでもあった。


そして京都帝国大学は彼の文部大臣在任期間中に東京帝大とともに創設されていた。

単に創設に関わったというだけではなく、東京帝大は中央官僚の養成校、京都帝大は権力から離れた自由な学府という二つの帝大の性格づけを決定づけた張本人でもあった。

帝大側にもその意識は強く残っており、言わば本日の集まりは西園寺の子飼いの部下達の集まりと言っても良かった

もっとも当の本人は自分がどう思われているかを気にしている様子は全く見せていなかった。

真っ正面を見据えたまま、淡々と言葉を紡ぐ。

「本日、このようにご多忙の中、皆様にお集まり願ったのは、他でもない、お上からの思し召しがあったからです」

『お上』という西園寺の言葉は、一堂に一層の緊張を強いることになった。

そもそも『お上』という言葉を使うことが許された人物は極めて限られているのである。

日常から陛下と接してる人間でなければ使うことができない言葉だった。

この言葉を聞かせられただけで、感涙を浮かべた者も何人か出た。

とにかくこの言葉が意味することは、その中身が何であれ、それは紛うこと無く勅命だ、ということである。

「お上には、血筋としては極めて近い親戚の方がいらっしゃります。故あって今の段階では皇統譜への記載はありません。しかし、この方は国を導く才には大変恵まれていらっしゃる。一種の天才と申し上げてよろしいでしょう。ところが、その才を磨かれた特異な育てられ方をされたせいで、この世情のことには大変うとい状態にあられます。そこでお上からこの西園寺には、なんとか、この方を我が国を世界の中で導く指導者としての育成をお願いしたいとの思し召しが示されたのです。但し、その期間は今月を含め僅か二ヶ月あまり。本日、皆様にここにお集まり頂いたのは、まさにその協力を皆様方にお願いするためとご理解頂きたい」

西園寺はここで言葉を切った。

注視する一同を見回す。

あまりにも唐突な話だったせいか、それぞれがどう反応していいものか、困惑していた。

同じように一同を見ていた濱田総長が一回咳払いをして、発言を求めた。

「よろしいでしょうか?」

「無論です」

「その人物とは、お一人なのですか?」

「その通りです」

「で、お歳はおいくつぐらいの方で?」

「間もなく五十になられると伺っております」

「五十、ですか。いささかモノを覚えるには厳しそうですな」

「うむ、実のところ、お上もそこを気にされておられました。ただ、能力の高さは間違いないと言われておられますし、それとどういう経緯でそうなったのかはお話しされなかったのですが、十六世紀より前の話はすべて存じておられると考えてよろしいとのことでした。逆に言えば、十七世紀以降現代までの最低限の知識を穴埋めして欲しいと申されておられました」

「十七世紀以降と言われましても、膨大ですな」

「うむ。が、お上は彼の方を別に諸君たちのような第一線の学究の徒として育成して欲しいと申されたわけではありません。むしろ諸君たちから見て指導者としてはこれだけは分かって欲しいと思うことを伝えればよいのではないでしょうか。ですから、通常の講義のような一方通行の教授方法ではなく、彼の方の意見を聞きながら、その知識を修正していくというようなやり方の方が好ましいものと思われます」

「ですが、そういうやり方になりますと、こちらも先方の言うことを完全に理解しきれるかどうか、が問題になります」

「ふむ。確かに普通の教育の考え方に当てはめればその通りです。ですが、例えば彼の方は教わった知識そのものをすぐにご自身の実務に使うということは稀でしょう。医者なら大問題でしょうが、彼の方が仕事をされる際には、彼の方の周囲で、その見聞の精査が必ず行われることになると思います。ですから誤解が誤解のまま放置されて結果にまで影響を及ぼす危険は少ないでしょう。ただ、その言ってみれば、その前段階、つまり彼の方が対処のアイデアなり、構想を練られる段階において、一種の当たりというか、見当をつけられるところでの知識が、我々から見てあまりにも常識とかけ離れていたら困る。……おそらくお上の心配はこの辺りにあるのではないかと思います」

二人の間で交わされたこの会話を皮切りに、この奇想天外な依頼に対する対処法について、活発な議論が交わされることになった。

二人の会話を聞いていた他の参集者がどんどん会話に加わっていったのである。

元々集まった誰もが議論に慣れた学者である。

特に誰かが誘導することもないまま、自然と論ずべき点が整理されていった。

「今までのお話からでは正直、何をどう教えたらいいのか、少々途方にくれますな……」

「何が分からないから、と言われれば簡単ですが、それがまずはっきりしませんな」

「足がかりになるとしたら、やはり時間軸が十七世紀以降、つまり戦国時代以降の歴史、当然世界史も含めてとなる、ということでしょうな。そうすると例えばゼロからすべて我々が講話して理解して頂くよりも、可能なら書物などである程度知識を得られた上で、誤解や理解が及ばなかった点を講話にて補う、というやり方の方が合理的ではありませんかな」

「たとえば中等学校の教本などをお読み頂いておく。国語、算数、理科のほとんどのことはこれだけでもかなり違うでしょう。社会も、そう、中等学校生徒用の歴史の本をベースに話を進めれば良いのではありませんか」

「あれは暦年を西暦で表記していませんか?」

「だからいいんじゃないですか。現代を知ることにつながる。そういうことが分かることが重要なんです」

「なるほど、歴史を切り口にしますか。悪くない考えだと思います。理科系統の話も結局は歴史という時間の流れに乗っかって順次発展していますからな。だいたい、今でこそ、科学と非科学などと言っていますが、物理も天文もみんなちょっと前までは宗教学者、いや、僧侶や神主の専門領域とされていましたからな。数学が宗教の影響を受けなくなったのだって、割と最近の話です。私としては古い時代は非科学的で、新しい時代は科学的、という印象を持ってもらえれば、十分じゃないかという気もします。それだけでもいろいろなことを理解しやすくなりますからな」

「時間を軸に据えるとしても、歴史の専門家は、例えば物理学の発展の歴史などは語れませんが」

「進行役が歴史の先生、それを他分野の方がサポートするという形で進めればいいだけでは。勅命ですからな、この場にいる全員が、この方の教授に同時に当たっても別段おかしいということもないでしょう。それに一般学生の相手をしないで済む時間となれば、我々が全員一度に集まりやすい時でもあり、かえって分野別に進講の時間を設けるとかされたら、対応に困ることになるのではありませんか」

「大学の講義は院生や書生に代行させればなんとかなるじゃろ」

「彼等も時には仕事らしいことをさせた方が張り合いもあるはず」

「その場合、例えば世界情勢の話に続いて電気の話、次に農業の話みたいに分野があちこちに分散されて、彼の方を混乱させる危険があるように思えますが……」

「西園寺公は、いかが思われます?」

「お上があのように言われておりますからな。彼の方の能力に疑念を差し挟むようなことは臣下として慎ませて頂きたいと思います」

「ということですな。我々としては与えられた条件の中でのベストな方法で臨む。それ以上のことは彼の方次第と、どうしても考えざるを得ない線がある、ということです」

総長と西園寺公との間で、一応の収まりをつけられた格好になったことで、この謎の華族様に対する集中講義は翌日から、この料亭を会場にして秘密裏に開催されることが決まった。


そして一週間後、敷地全域がほぼ貸し切り状態になった料亭に詰めていた京都帝大関係者の数は激増していた。

学者を惹きつける要素は学者それぞれにおいてマチマチだったのだが、学者というものの好奇心を刺激する存在であることは間違い無かったからである。


講義そのものは、たった一人の生徒に対し、増え続けた講師達がまるで生徒のように教壇を構えたため、普通の教室とは逆に、生徒席に講師が座り、教壇に彼の人物が座るという形式で行われることになった。

当惑をした人間は多かったが、そのこと自体を不満に思う学者は出なかった。

つまり教えているつもりなのに、教わることが多かったからである。


講義後に交わされた、人文学者、歴史家、哲学者の雑談のいくつかを紹介してみよう。


「私、恥ずかしながら、この歳になって、初めて日本語の本来のイントネーションというものが分かったような気がしました」

「なるほど、そういう捉え方もあるでしょうな。彼の方の言葉を聞いていると、和歌が何故あんなに枕言葉を必要にしたのか、理解できるような気がしましたな、確かに」

「それにしてもなんで今まであんな語り口のまま、まわりの影響を受けないでおられたのか。電気も水道も知らなかったなど、まあ、田舎ならまだそういうところはあるんでしょうが、尋常小学校への案内とか、戸籍とか、いったいどうなっていたんでしょう?」

「密教の教義の一つとかで、公には一切存在が明らかにされていなかったので、わからなかった、というような話でしたな、確か」

「生まれが生まれだけに、存在が明らかになるとお命を狙うような輩も心配されたとか、そういう配慮もあったようです」


……


「それにしても今日聞いたあの死生観は、凄かったですな」

「いつの時代の話だ、とは思いましたけどね」

「いや、今でもまだ二歳児未満での死亡率はかなり高かったはず。ただ、死産や早産絡みのものは最初から出生届も出されないことが多く、統計自体の信頼があまり高く無いらしい。赤ん坊五人生まれて、大人になるのはせいぜい一人というのは今でもそれほど大きくは変わっていないかもしれませんな。詳しく調べてみないと何とも言えませんが」

「で、大人というのはそれほど増やすのが難しいのだから消耗を補いやすいこどもを戦場に立たせるのが合理的となるのか」

「人はもともと簡単に死ぬ運命にあるのだから、いかに他の者の役に立って死ぬかが重要か……。いろいろ反論したいのですが、いい言葉が見つかりません」

「ま、言われてみたら確かに、これらは生存競争と呼ばれるものの本質を表しているということになるのでしょうが」

「我々は人間という存在に甘い期待を抱きすぎていたかもしれませんな」

「未来を繋ぐ世代を残せれば勝ち、失えば負け。故に戦争に勝つにはまず敵の民草を軒並み寝返らせるか、それが叶わぬならば根切りする、か。我々の考える近代国家の戦争とは別物と考えたいところですな」

「しかし我々の常識を何故そうなるのか、と問われて、逆に一瞬言葉に窮しましたな」

「ああいうのも一種の帝王学だったんでしょうかね、昔は」

「いや、そうでなかった、と思いたいです。正直なところ。ですが、難しいです、彼の人の論を否定するのは。……近年整備された戦争に関する条約の議論も、そういう部分の議論はある意味全部すっ飛ばしてますからな。議論することはあえて避けた、と言ってもいい」

「西洋人はキリスト教の考え方を大事にしますからな、なおさらでしょう。変な言い方ですが、そういう人間の汚い部分を議論したくなかったから宗教に逃げたのではないか、という気がします」

「人間同士が議論すると出口が見えなくなる。そんなら神様がこう言ってるということにして、議論しないようにしてしまえばいい、こんな筋書きですかな」

「いや、ですからね、ここには日本にとってこの現代の世界は非常に危険な状態だということも示しているわけです。私はこっちの方が気になりました」

「世界が日本にとって危険? どういう意味です?」

「ですから彼等の論理が成り立つのは、人類が全員キリスト教徒になっている場合限定なんです。異教徒まで適用対象と考えているかどうかは大いに怪しい。日本のような非キリスト教国にも同じ扱いをしてくれるかは疑問です。日本や日本人はまだ外国からそこまで信用されているとはとても思えない。欧州諸国のアジアの植民地の行動を見たらそうとしか思えません」

「なるほど、外国ではキリスト教が敵味方双方に普及したから、民族レベルでの抹殺は消えた、という側面があるわけか」

「我々としてはこういう話は人間の最低限の尊厳みたいな理解の普及が最底辺にあって欲しいと無意識に考えがちだが、彼の話はもちろん、現代の外国にだって、そんな考えはどこにもないという可能性は十分ありうる、ということは覚悟して受け入れなければならないと」

「人間、いや人類はまだそこまで高尚とは言えない。理念が素晴らしいと分かっても、それを人類全部が絶対守らねばならない常識として受け入れているわけではない、ということですな」

「だから、単にそこにいる住民と食料のバランスだけが問題、例えば、百人分の食料しかないところに二百人いて、生き残る百人をどう選抜するのか、となったような時、何をどう優先するか、なんて話は結局はそこの当事者になった、ごく一部の人間の判断に委ねられる、ということです。しかしいかに高名な宗教家がそこにいたとしても現実を変えられるとは限らない。むしろほとんどの場合、せいぜい宗教家にできることは残酷な運命を残酷と感じさせないような言葉を与えることぐらいでしょうな。しかし、戦争の究極の原因は、おそらくそういう小さな問題の集積なんですよ。そういうことをずっと考えていたとしたら、彼のような死生観につながる、こういうことだと思います」

「野生の本能とは生存本能であり、野蛮を否定するのは生存の否定につながるということになる? ……言い過ぎなのでは」

「最後には、そんな時代があった、という理解を本人がしたのだからもういいではありませんか」

「そうそう、むしろ大真面目に、ではなぜ今の条約では軍人と民間人をわざわざ区別したり、非戦闘員をむやみに殺すな、などと規定しているのかと問われたことで、我々は自分たちの進歩を理解できたし、彼がその答えを聞いて何か感動しているかのように見えたことは私には救いでしたよ」

「まったくです。我々がどうして今の立場に至ったのか、それを彼は確認させてくれた」

「彼の言葉を聞いて、私は食い扶持とか、そんな言葉が何故生まれたのか、よく分かりましたよ。人間は同胞である人間を殺すことによって人間としての理性と知性を磨いた、そんな気すらします。他人に殺されなかったとしても、食料が尽きれば結局は餓死を待つだけでしょうからな。知性で数を制限する方が共食いで殺し合いよりも高度な知性を感じるということで。最終的な差として僅かな人数になっても仲間の誰かが生き残れれば我々の勝ち、そう考えた結果生まれた考え方なのでしょうな」

「死ぬ側に回った人間も自分の死が誰かの役に立つと確信できる満足が得られた……市井で言うところの大和魂の原点だな、まさに」

「我々が今こうしていられるのは、そういう凄まじい生存競争を何度も繰り返して成就された結果だ、ということなんでしょうな」

「検証することはできませんけどね、もしかしたら日本は世界でも一番そういう競争が激しかった場所なのかもしれませんよ」

「ほう、何故そう思うのです?」

「日本人って和を大切にするし、集団行動をするのが外国人よりもうまいじゃないですか。むしろそういう人達がまとめて生き残ったのが日本人なんだとしたら、そういう人達だけが生き残った場所ってどういうところだったんだろうって考えただけです」

「なるほど、西洋人のように個人がそれぞれを主張するような社会の方が世界では普遍的なんだとしたら、日本は異質か。そしてその理由が自然環境や生存条件だとしたら……」

「仲間や家族、先祖を大切にする気持ちはやたら強いクセに、自分の命そのものは軽視したがる日本人の矛盾に満ちた特性、ちゃんと説明できますね。筋は通ってる」

「そうか、我々日本人は世界の中では希少種だったということですな」

「となると日本の外の世界というのは、ほとんどの日本人にとっては非常に危険な世界だ、ということになるんですか?」

「おおいにありうるでしょうな。ただ、集団に従うという部分はもしかしたら危険を緩和してくれる可能性もありますよ。郷にいらば郷に従え、という言葉もあるじゃないですか」

「個人はおとなしくても集団になると厄介とか目障りとみられる危険の方が大きいかもしれませんな。集団行動自体が日本人の特徴みたいなものに見えるでしょうから」

「日本人が集団行動を上手にできるということを外国の人に自慢するのは危ないってことですね、論理的に」

「では、内輪モメを大っぴらにやるのが近代的民主的王道であり、なおかつ文明に照らして正しい姿ということですな。うむ、真理だ。陰口はよろしくない」

「いや、違うような気がするが、いやそうなるのか、なんか悔しいな」

「和をもって尊しとなすはどこへ行った」

「私、他人の諍いを見るのが三度の飯よりも好きなんで、それは何よりの吉報と言えますな」

「先生、それは哲学を教授する人間として、いや教育者として、いや、それ以前に人としてどうなんでしょう」

「ウチはだいたいが変人率の高い集まりですから、いまさらでしょう」


……


「あのう、あの方って、ホンマのところ、今までどこにお隠れになっていたはんやろ」

「え、確か比叡山じゃなかったんですか、そう聞きましたよ」

「わても、そうやと思っていたんどすが、それが、今日、ちょっと気になることがありまして」

「へっ、というと?」

「いや、たいしたことやおまへんのやけど、今朝はいつもよりちょっと早めにここへまいったんどす」

「ほう」

「そしたら、あん方が、縁側に一人で佇んでおられて、ずっと外ご覧になっておったんどす」

「それで?」

「わてが入ったことに気がつかれて、いきなり聞かれたんどす、あの東の山は何と言う山なのかと。それでわてが、あれは比叡山どすえ、と申し上げたら、途端に表情が険しくなられて、比叡山と、何と言うか、仇の名を呪うかのように低く言われましてな。ずっと自分がおられた場所やないんかいとツッコミを入れたかったのも思わず引っ込めてしまいましたんや」

「そないなことが……。それでか。今日はしょっちゅう縁側に立っては山の様子を気にしていた。よほど比叡山に思い入れがあるのか、あるいは何か因縁があるのやろうな」


……


「あん方は、ほんま変わったお人どすな」

「今日は何がありました?」

「普通日本の歴史の面白いところと言えば、戦国から安土桃山にかけてやろ。ところがあん方は、もういいからその先の話に進んでくれとこうなんや。太閤さんの話なんか全然興味示さんで、家康のタヌキの話ばかり聞きたがりまんねん」

「あんさんは、生粋の関西っ子やさかい、そりゃ、気に障るでしょうな」

「でな、そんだけじゃおまへんのや。太閤さんのことは、何かこう退屈さを全身でアピールするかのような態度やったんに、幕府の政策、公家や武家諸法度のことやら参勤交代の話なんか、もう目キラキラさせて、面白がるんや、ホンマ、胸くそ悪いわ」

「それにしてもなんでそないに家康贔屓にするんやろ」

「せやな、明治になったせいもあって、だいたい政府の役人だって徳川の肩を持つ人なんか今時珍しいのにな、何か変やな、そう言えば」

「確かに幕府のおかげでその後二百五十年近く戦乱が無くなったことは事実やさかい、そこんとこは評価してやらんといかんとは思いますけどな。それかて秀頼はんが継いでいたってできてたんと違いまっか」

「いやー。それはどうでしょ。なにしろママが淀君でしょ。しょっちゅうヒステリー起こしてあちこちで戦争起こしてたような気しますな。とりあえず息子の嫁千姫との一戦はまず間違い無いでしょうし」

「嫁姑バトル……、なんや、そしたら家康のタヌキが正義になってしまうやん」


……


「明治維新って、結局敗戦して国を作り直したのと同じ、ってなるのか」

「なんか、まいりますな。我々の話のどこをどう聞いたらああいう感想が出てくるのかちょっと理解に苦しみます」

「日本は直接外国の侵略を受けたわけではありません。ただ、あの方の考えでは、それは裏で糸を引いていた国の意思でそうなっただけ、となるようですな」

「つまりは薩長が倒幕の中心勢力になったのは、ほかでもないイギリスがそういうふうに計画したから、と理解されたようです。ま、確かに国論統一の手続きで揉めたから、第二次長州征伐があってから、実際に大政奉還が行われるまでにかなり長い時間が掛かっていますが、軍事的には第二次長州征伐の幕府軍の敗北で、カタはついていたわけです。で、何故そうなったかを考えれば、イギリスの力が背後にあった、と見ざるを得ない」

「それはつまりイギリスが幕府の延命を望まなかったから維新政府が誕生した、とも言えると」

「イギリスは結局武士の政府などというものを信用できなかったということでしょうな」

「第二次長州征伐の失敗ってそんなに影響が大きかったんですかね」

「あの方に指摘されたんで、今一度いろいろと数字を調べ直したんですが、あの方の見方の方が事実に即していると申し上げざるを得ません」

「しかし征伐が失敗しただけで、それが幕府の致命傷になったというわけではありますまい。実際、講和交渉が行われたのですから」

「講和と言っても、あれはもう事実上の降伏の条件交渉ですからな」

「しかし山口のはずれの戦いがそこまで尾を引いたとはとても」

「あれが普通の戦だったとはとても言えますまい。なにしろ幕府軍は旗本と西国十五藩からなる総勢十五万の大軍だったのに対し、守る長州はたったの四千。しかも戦端が開かれたのは、山口県の四つの別々の方向からという多正面作戦だったのですよ。普通なら戦力差だけで長州藩は詰んで当然だったのです。しかし実際には四つの戦場のいずれでも長州軍が幕府軍を敗走させたというのですから。これはもう大人とこどもの喧嘩同然の力の差があったわけで。もちろん敗戦を予想した者など幕府側には誰もいなかったでしょう、つまりあの方の言われる通り、幕府はイギリスの意思によって西洋の軍隊に作りかえられた長州軍に負けたのであって、それはイギリス対幕府の代理戦争のようなものだったわけです」

「むしろそう考えた方が、薩長同盟に対しイギリスほかの諸外国が軍艦や鉄砲を輸出したり、製鉄初め各種工業技術を積極的に伝授してくれた理由がよくわかるというもの」

「植民地というわけではないが、それでもイギリスの国益に適う日本にする、という意味ではどこにも矛盾することはないか。確かに強かなイギリスなら十分やりそうだ。それにこの取引でイギリスはかなり儲けたのだろう。悪い話などどこにもない」

「自国の軍隊しか自国の戦力ではない、と考える方が遅れているということでしょうな。都合良く使えるものなら外国人の軍隊でも一向に構わない、それが国際社会というところだと」

「戦国時代の日本ならともかく、今の日本人にはなかなか及びもつかない考えですな」

「で、長州軍がそんな少数でも幕府の大軍を蹴散らせるほど強力になったのは?」

「それはやはり武器でしょう。軍艦と大砲、そして鉄砲でしょうな」

「要するに武器輸出は軍隊派兵と同じような結果を作り出せる可能性があるということです」

「しかし幕府軍だってそれなりに西洋化していたのでしょう?」

「実はこの同じ時期、少し前にアメリカで南北戦争があったせいで、銃や大砲が急速に進化して新型の高性能銃が次々に現れた時期でもあるんですよ。長州軍の装備と幕府軍の装備の間にはかなりの世代差があったようです。例えば幕府軍の銃は先込め式の単発銃だったのに対し、長州軍のものは元込め式の連発銃だったとか」

「たった四千の軍隊を四方から取り囲んだ方の十五万が敗走するか……。前代未聞、空前絶後だな。確かにもう一回長州と戦をする気を失わせるには十分な結果だ」

「劇的な結果であることは認めますけど、これに対するあの方の反応の方が私は気になりました」

「というと?」

「絶賛の一言ですよ、長州ではなくイギリスを。いったい何のつもりなんでしょ」

「明治政府の母体になった長州、あるいは現陸軍の母体になった長州軍を褒めるのではなくイギリスをか……、確かにちょっと変わってるな」

「このイギリス人のやり方は使えるとか漏らしたのを聞いたような気が……」

「あの方はいったい何を考えているのかさっぱりわかりませんな……」


……


「いくら皇族に近いからと言っても、あのような言われ方をされるのはどうかと思いますな」

「なんか、いろいろガッカリですよね。あんな風に言われちゃうと。我々の幻想が打ち砕かれた、そんな気分になります」

「しかしよくあんな発言ができるものですな。もし万一軍首脳の耳にでも入ったらゼッタイタダでは済みませんぞ」

「皇室の縁者ということもあるんでしょうが、そういう理由とは違うものもあるような気がします」

「ああ、そうです。私も何となく感じます。何て言えばいいんでしょうか。何か反論を許さないオーラみたいなやつ」

「ほう、あなたも。実は私も感じてますな。特に軍事関係、戦争関係の話では。私は海軍の軍人には知己が多いものですが、彼等の中にもあんな雰囲気を身に纏った者はあまり、いや全然いない。何なんでしょうな。まるでそう、戦争のプロ、研究者だけが持つ威圧とでも言えばいいのか。もちろん発言の中身が論理的に極めて的を得ているということもあるのですが、それ以前に、あの積み重ねた経験に基づいていると窺わせる自信のようなものに圧倒されてしまうのです……」

「ま、我々も、一応それぞれの分野でのプロの研究者であるわけなのですが、なかなかあの立ち位置にまでは及びませんな。だからこそ、なおさら遅れを敏感に感じとらざるをえない」

「乃木将軍も明治天皇も嘆かれるでしょうな、きっと」

「そうそう、東郷元帥ももし存命だったら怒り心頭ということになっていたでしょうな」

「しかし、心情的にはそうなのですが、どうにも反論できんのですよ」

「確かに。旅順作戦の時の二〇三高地奪取作戦は、無謀で非効率。あんな正面掛かりで戦を仕掛けるのは愚の骨頂とバッサリでしたな。犠牲者の数を言われれば確かにその通りですが」

「しかし、同じような批判なら聞こえないところで聞いた覚えもありましたが、その代案を具体的に示されたのには少々驚かされました」

「ああ、山を移動させて要塞ごと埋めてしまえ、ですか。どうなんですか? 私は旅順要塞のことをそんなに詳しく調べたことは無かったのですが、そんなこと、可能なんですか」

「私も現地を見たことは無いのですが、旅順は、典型的な軍港都市で、まわりを険峻な山に囲まれた港です。従って要塞は陸側から進軍していくと急な坂を下った港近くに築かれていたのは間違いないようです。で、その坂が途中から崖になっていて、そこを要塞側から狙い撃ちされる一種の墜とし堀の構造になってたそうで。その場所で日本軍は多大な犠牲を払わされた。それで乃木将軍は町側から直接要塞を攻撃するのを諦めて、半島の高地になっていた二〇三高地を総攻撃で奪取することに切り替えたんだとか。犠牲者の数は多かったが、それがうまくいって、二〇三高地から港に停泊中の旅順艦隊、要塞を砲撃して旅順港制圧に成功したと聞いています」

「なるほど、周囲から土砂を墜とし続ければ要塞の機能停止というのも満更ありえなくはないのか。あの御仁、単に戦に詳しいというだけの方ではなさそうですな」

「では日本海海戦の方も?」

「敵艦隊の進行方向を塞ぐように横断し艦隊の砲戦力の最大値を発揮させて敵艦隊を壊滅させたとは言え、軍略としてみれば、我が方艦隊を敵艦の主砲前面に長時間晒したことは間違い無く、大博打と言われたんでしたっけ。勝った要因が下瀬火薬にあったとしても、それを事前に計算していなかったとすれば、偶然勝ったことにかわりはない、でしたか。大変厳しい評価でしたな。東郷元帥など神様に祭りあげられて神社まで建てられているお方ですぞ。批判的な意見など、全く聞いたことは無かった。ですが、新鮮でしたな、確かに」

「代案を示されたことですね」

「結果論だから何とでも言えますよ」

「それでも説得力はあった。欧州バルト海から日本まで大艦隊を遠征させることを明らかにしたことがロシア側の最大の軍事的失敗と言われていましたな。もしこの遠征に軍事的意味を持たせるのであれば、艦隊の行動は秘密にすべきだったと。それを易々と日本側につかまれてしまったことが、ロシア側の慢心であると。一方、もし日本側でそのことに注意を向けていたのなら、わざわざ日本海軍の全力、全艦隊を差し向けて艦隊決戦など挑む必要は全く無かった、でしたっけ」

「言われてみれば全くその通りで、遠征で補給に窮していたバルチック艦隊が必ず通るであろう水路ならいくらでも予想できた。そこで機雷や魚雷搭載の快速艇を潜ませて夜襲/奇襲すればはるかに安全にこの大艦隊を始末できたはず、という話でしたね」

「政治的に臣民を元気づけるという意味では、血湧き肉躍る決戦の方が盛り上がるから、その点は評価すると何とも冷たく言われていましたな。だが最後にしっかり、そんなものは大道芸とあまり変わらん、ともくっつけてましたが」

「容赦無いですな。若手の軍人はんやったら、怒り心頭の余り、ピストル抜いてるんと違いまへんか」

「僕の夢を壊さんといて、ってヤツですな」

「すると、今の日本はお子様だらけってことになるんやないか」

「案外当たっているかも……」

「強いのと威勢のいいというのとの差が分かっていない軍人はん、確かに多そうやわ」



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[良い点] 傍目八目、というべきか、どこでも必要とされてPDCAサイクルに応用しなければ、と反省させられる。 [一言] スピンオフとして、信長公を取り上げた短編をこれからもお願いします。
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