エッシャーの城>>闘争>>3
「作戦、もう始まってっかな?」
先輩に尋ねられて、アレクは掃除の手を止めた。静けさの戻ったハンガーは、いつもよりやけに広い。もしもの時にすぐ出せるよう、残ったボルゾイには手を付けず、アレクたち居残り組は倉庫の掃除に明け暮れている。
「まだじゃないですか? 11時って話だったし……」
天気や敵の動向次第で、延期ということはあり得る。今日という日付けも、天気予報で決まったに過ぎない。
「大丈夫かねぇ……裏切らないにしてもだ。ヘマをしないとも限らないだろ? その、何だっけ? の会」
拭き終わった棚にゴムブッシュの箱を戻し、先輩は袖で額の汗をぬぐった。
「『守る会』というか、署長だそうだ。ノグリキかどこかの」
カルラ曰く、オハ近辺では最も信頼のおける同志。冷静沈着だが果敢さも併せ持ち、志が低ければもっと出世できた筈だという。無論ここで話せるわけもなく、アレクは話を脇に寄せた。
「どちらかというと、みんなの方が心配だな。調子に乗ってやりすぎるかもしれない」
顔をしかめるでもなく、先輩は笑い飛ばした。
「それこそ心配ないって。10年以上続けてるんだ。引き際くらい心得てるよ。でも、今度ばかりは、いつもとわけが違うだろ?」
片が付いた筈の話から、しかし、先輩はなかなか腰を上げない。
「じゃあ、大丈夫ってことで」
アレクが切り上げようとしても、先輩はずるずると食い下がり、ついには押し問答が始まってしまった。
「そりゃ俺だって気になるさ。でも、今話し合ったってそれ以上の答えは出ないだろ」
口を突いて出てきた声が、いつになく鋭い。黙りこくったアレクの前で先輩は耳をほじり、それから耳垢を指ではじいた。
「ええい、もう、鈍い奴だな……ホレ、お前は、アレで分かるんだろうが」
オハがどうなっているのか、見に行けということらしい。アレクは棚を拭きながら、振り向かずに断った。
「駄目だろ。敵ならともかく、味方同士で腹の探り合いみたいなことになったりしたら……」
煤けた棚から、黒い埃が捻り出されて来る。真っ黒な雑巾で払うと、みすぼらしい音を立てて棚の垢が床に落ちた。
「そこをなんとかさ。戦況の速報があったら、みんなの役にも立つだろ?」
作戦はうまくいっているだろうか。皆は無事に帰ってこれるだろうか。これから俺たちは、今まで通りにやっていけるだろうか。先輩に吹き込まれて、アレクの動きは次第に錆び付いた。
「仕方ない。今回だけだからな」
アレクは速足でハンガーに出ると、背筋を伸ばしてベンチに座った。寄せては返す息に体がそよぎ、ガソリンの匂いは静けさに沈んでゆく。気が付くと、アレクはいつもの廊下に立っていた。




