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エッシャーの城>>接触>>1

 週明け、アレク達は大学病院のアフターケアに向かった。日増しに強くなる日差しの中、雨ざらしの街並みもどこか色あせて見える。唯一の救いは、バンのエアコンが修理されていたことだった。

「なあ、ユーゴ。中毒以外にも、何かなかったか? 大学病院で」

 緑に輝くシュロの並木をガラス越しに眺めながら、アレクはユーゴにぼんやり訊ねた。

「そ、そりゃあれだろ……ほら、すごい美人がいたじゃん? 黒髪の、こう、さらさら~っと」

 ユーゴは片手でサラサラヘアーをなぞり、交差点を曲がりそこなった。

「ユーゴ、今の角――悪い。俺のせいだわ」

 アレクは腕を組んで垢じみた助手席に体を沈めた。道路の脇にはしおれたシャクナゲの花びらが積もり、小さく渦を巻いて前の車を追いかけてゆく。

「いかんねぇ、アレク君。ノンナに言いつけるぞぉ」

 ユーゴは笑いながら次の角を曲がり、バンは静かな通りに入った。

「まさか。顔も碌に見てないのに。そもそも天使様をそんな目で見るなよな」

 横目でユーゴを見つめ、アレクはため息まじりに窘めた。細かい事を気にしないのは相棒の美徳だが、気にしなさ過ぎて寿命が縮まることもあるだろう。

「やれやれ、面白みのないやつ」

 ユーゴは裏手の駐車場に車を停め、この間の道を遡ってロビーまで歩いた。研究棟を破壊された博士はやはり首を長くして二人を待っていたらしい。二人がロビーに入るなり向うから声をかけ、アレクの具合を気にかけてくれた。

「お元気そうで何よりです。地下室でアレクさんを見つけた時には呼吸も止まっていて、どうなる事かと思いましたよ」

 クロトの言葉に、アレクは小首を傾げた。

「呼吸が? それは大変……だったんですね、俺」

 すかさずユーゴはアレクを押しのけ、面を上げたままクロトに頭を下げた。

「いや、どうも、ご心配おかけしました。その節も色々と助けて頂いて――天使様のお力がなければ、コイツも天に召されているところでしたよ」

 クロトは目を丸くして、小さく左右に手を振った。

「そんな、困ります。あれは寧ろ僕のせいみたいなものだったのに――」

 どうしてガスが、クロトのせいになるのか。アレクは訊ねようとしたが、ユーゴに邪魔されてしまった。

「じゃあ早速ポンプの様子を見に行きましょうか。何、様子を見るだけですから、そんなにお時間はとらせませんよ」

 クロトはアレクとユーゴを見比べ、小さく頷いた。

「それはよかった。この後に、会議が入っていますから」

 生きたポンプ室にはサウナも同然の熱気がこもっており、二人は額に汗を浮かべながら装置を点検した。ガスなど漏れていなくとも、しばらく立っているだけで失神できそうだ。その後もアレクは事故の事を聞こうとするたびに二人がかりではぐらかされてしまい、結局詳しい話は聞けずじまいのまま大学病院を後にすることになったのだった。


 その後の検査でも異常は見付からず、アレクは予定通り週末をナホトカで過ごした。ビーチは混んでいたが泳げないほどではなく、パルミ曰く偽物のスシも他の4人には好評で、一泊二日の小旅行は万事上手く行くように思われた。

「もらった!」

 ユーゴのオーバーヘッドキックが炸裂し、白黒のビーチボールはノンナの顔を直撃した。

「何が『もらった』よ。ボールもあんなとこまで飛んでっちゃうし」

 パルミは腰に手を当てて捲し立てた。平和にラリーを続けていた筈なのに、ユーゴはどこにゴールを見つけたのか。ノンナは鼻を押さえ、何やら瑞々しく呻いている。

「悪い悪い、一遍やってみたくってさ。ボール、取ってくるわ」

 波間に漂う偽物のサッカーボールを追いかけ、ユーゴは沖に向かって泳ぎ出した。 

「なんだかんだで一番役に立ったんじゃないの? 俺のビーチボール」

 ミーシャが髪をかき上げながら不敵に笑うと、パルミはため息を漏らした。

「去年よりだいぶ小さくなっちゃったけどね」

 パルミの水着はノンナが諦めたゼブラ柄のスリングショットで、横からは裸に見える。

「一応それを気にして白黒のを選んだんだよ。それにほら、あいつの方がシャチより長生きしたじゃないか」

 金を惜しんだのは確かだが、ミーシャの言い訳にも一理ある。あのシャチは対して役にも立たず、旅行の大部分をかさ張るだけの生臭い死体として過ごしたのだ。

「なんだかパニック映画みたいだ。ユーゴの奴、何もなきゃいいけど」

 アレクは片手で庇を作り、ユーゴの黄色い頭がボールに近づくのを見守った。

「ふん、ユーゴなんて鮫に喰われちゃえばいいんだ」

 毒づくノンナに、パルミが便乗した。

「私はシャチの方がいいわ。捨てられたシャチの亡霊が、本物になって帰ってくるの」

 女たちの要望は却下されたらしくユーゴは無傷で帰ってきた。何かと顰蹙を買うことの多いユーゴだが、主だけはこのお調子者を見捨てなかったようだ。その後5人は交代でシャワーを浴びて着替え、荷物を纏めてカフェで昼食をとった。

「来る前はしょっぱいと思ってたけど、今年も意外と楽しめたわね」

 窓の外を見やり、パルミは皿に残ったパセリを弄んだ。

「ザマーミロナージャ、ザマーミロヤポンチクだね。でも――」

 ノンナはパルミに抱き付き、それから小さく呟いた。

「でも?」

 アレクが訊ねると、ノンナは拳を掲げた。

「来年は、涼しいところに行きたい。もっと長く休み取ってさ。スコットランドとか、白夜が見れるかもしんないよ?」

 分かった、分かった。暑苦しく迫られてアレクが汗をかいていると、思わぬところから助けが入った。

「お待たせいたしました。ご注文のアイスコーヒーです」

 テーブルの上にコースターとコップが並び、ウェイトレスが空いた皿を持って帰って行った。元のコーヒーがあまり冷えていなかったのか、コップの中からは氷のきしむ音がする。うっすら曇ったコップの上を一筋の滴が走り、ざっくり入った暗い裂け目に映り込むアレクの姿。ぼんやり霞んだ記憶の腕が私へと手を伸ばし、ひっそり接した指の間を何かが駆けたそのときだった。

「痛っ!」

 鋭い痛みに弾かれてアレクの腕は跳ね上がり、名前を呼ぶ仲間の声は彼方へと消えていった。

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