エッシャーの城>>潜在>>9
「私も一度、所長を見ておいた方がいいですね。アレクさんはその間、吹き抜けを調べて下さい」
お任せあれ。アレクは手をかかげ、通路の奥に向かった。探索も二か月目になると、次第に手順が分かってくる。まずは階段。それから城外への出口。幸い探すまでもなく突き当りが階段になっており、アレクはさっそく最上階を目指した。吹き抜けは全体が手前側にのけ反っており、階段の踊り場からは上下のテラスが傾いて見える。
丁度4階上ったところで最上階に行きつき、ついでアレクは扉の数を数えた。一回につき扉は5つ。どの階も作りは同じで、それが6段積み重なっている。灯りがないのでよく見えないが、向かい側はテラスの間隔が倍近くあり、逆さまのドアがあった。ただ、吹き抜けの底までは階段が繋がっておらず、反対側のテラスに渡る渡り廊下もない。調べるにはどこか別の入り口を探す必要があるようだ。
アレクは例に一番左下のドアを開けたが、そこの住人は書斎で学会誌を読んでいるだけだった。それも医学や生物学ではなく、人工知能の記事である。研究者は学会誌への書き込みに専念し、同僚のことを考える余地はない。
隣の扉も同様で、こちらは被験者の証言を分析しているようだった。被験者が霧の海に潜った深さと、三角部の萎縮の進行具合、睡眠時の活性部位。ずらりと並んだ画像を眺め、自分のCT画像と比べてみたが、アレクほど溝の広がった被験者は一人もいない。ただ、実験の規模とスタッフの才知にも関わらず、問題の核心、被験者を鏡へと近づける方法が未だに明らかにされていないことだけが、唯一の朗報だった。
二つ目の扉を出ると、アレクはカルラの様子を見に戻った。今のところは調子が良くても、万が一ということはある。何より鏡に映った姿が、アレクの目には焼き付いていた。カルラはまだ、中にいるらしい。モルタルで塗りつぶされた灰色の廊下は冷たく、淀んだしじまを湛えている。相変わらず骨に響く風の音に耐えながら、アレクはじっとカルラを待った。
「駄目です。イポリート以外から指示が出ている様子はありません」
粘った割に、大きな成果はなかったらしい。アレクが労うと、カルラはぽつぽつと所長の様子を教えた。
「擁護センターで行われているのは、まず間違いなく私の知っている実験ですね。ただ、外部の指示を受けている様子も他の研究者が実権を握っている様子もありません。名実ともに、所長がこの収容所の責任者だと思われます」
カルラは手すりに肘をつき、両腕の間に顔をうずめた。ここまで来ても、未だにユレシュは亡霊のまま。カルラの頭は見るからに重そうだ。
「ほら、まだあれがありますよ。他にユレシュのいる研究所があるかもしれないし」
アレクは励ましてみたが、カルラの返事には間があった。
「……否定する材料はありませんが、職員の話題には出てきませんね。その点に関しては、ユーリを調べるべきでしょう。直接接触しているのは彼ですから」
カルラは項垂れたまま、浅い息を繰り返している。とりあえず階段にでも座らせようと、アレクが手を引いたとき、吹き抜けの下からまたあのうめき声が這い上がって来た。
「しっかし、相変わらず不気味な音ですよね。ここだけはホントに幽霊が出そうだ」
幽霊どころか、人っ子一人いないのだ。そもそも恐れるべき相手がいない。アレクは苦笑いを浮かべてみせたが、カルラは気づかず横を向いている。何か気になるものでも見つけたのだろうか。それとなく視線を辿ると、果たしてそこには誰もいなかった。燭台の火が、頼りない光を放っているだけだ。そうして光を放ちながら、ゆらゆらと廊下を滑ってゆく。




