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エッシャーの城>>潜在>>6

 通路の先は、右向きのバルコニーになっていた。風に揺らめく燭台以外は、寮の通路と変わらない。

「向かいにも扉が並んでますね。何階くらいあるのかな?」

 手すりから身を乗り出して何気なく下を覗くと、数えきれないバルコニーが重なっているのが見えた。切り立った谷の底は反り返った壁面に隠れ、吹き上げる倍音だけがその深さをうかがわせる。

「壁の反対側は、恐らく螺旋階段ですね。私が調べていた辺りとも、どこかで繋がっているのかもしれません」

 塗壁に手をつき、カルラはバルコニーの奥を見やった。暗闇の中には頼りない灯りが連なり、かすかな風に震えている。突き当りは見えないが、一番奥の燭台はそう遠くないようだ。

「扉は多いけど、イポリートと知り合いだから、調べるのは手前からですね」

 ええ。カルラが手近な扉をとったので、アレクは隣の扉を開いた。もう、待っている暇はない。このまま一気に手繰り寄せなければ、チャンスを取り戻すことさえできないのだから。


「では、後は頼んだよ、アデライーダ君」

 この仮眠が終わったら、3時まで休みなしだ。大きく息を吸ってから、アレクは部下の顔を振り返った。

「室長、お疲れ様です。ゆっくりお休みになってください」

 かくいうアデライーダは、この後9時までぶっ通し。それでも表情が曇らないのは、やはり若さのお陰だろうか。この頃は、年を実感することが増えてきた。手術もそうだが、術後の当直も相当に堪える。臨床医だった頃の自分には、とても考えられなかったことだ。

「そうだ。君はもう聞いとるか? そこの廊下は夜中になるとな――」

 ドアの枠にもたれかかり、アレクはアデライーダをからかってみた。自分も新任の時には、先輩に散々脅かされたものだ。いや、アレクは別に、ここにきて長いわけではない。ずっとここに務めているのは、このリヒャルトという男だ。

「知ってますよ。スェボフ症患者の幽霊が、夜中に叫んだりするんでしょう?」

 残念なことに、アデライーダは笑っただけだった。医者だから、迷信だからではない。怨霊など存在しない、いてもさしたる実害はないと、自分の仕事が証明している。

「そうそう、夜中に逃げ出そうとして、丁度その辺りで捕まってな。それはもう、身の毛もよだつ断末魔の叫びだったとか」

 廊下を覗きこんでから、リヒャルトは肩をすくめてみせた。アデライーダは一瞥もくれず、被験者の証言を見比べている。

 ついに捉えた。当たりかどうかはともかくとして、ここでは実験が行われている。もう少し手がかりがあれば、オハかどうかも分かるのだが。

「そんなの、この間もいたじゃないですか。運搬車のチェック時に見つかって、軍人に引きずられながら絶叫してた子」

 アデライーダの愚痴が、肉ををえぐりながら腹の底に沈んでゆく。実験を受けているのは、閉じ込められた子供たちだ。子供たちが、ここでは消耗品にされている。カルラが語ったように。カルラが見てきたように。

「全く持って、あれには手を焼かされたな」

 子供の家ができてからは随分楽になったものだが、それでも稀にいるのだ。矯正が効かず、反抗的な被験者が。

「しかし、執念深い割に、あまり長くはもたなかったな……」

 いや、無駄な体力を使ったせいか。リヒャルトが一人ごちると、聞き取れなかったのだろう、アデライーダは振り返り、黙ったまま目を瞬かせた。尤も聞こえていたところで、彼女には臨床の経験がない。リヒャルトの無為な感傷など、微塵も理解できないだろう。だからこそ、彼よりもずっと早くこの施設に順応できた。

「済んだことだ。忘れよう。思慮に値するのは、新しい検体だけだ」

 自分に言い聞かせながら、リヒャルトは逃げ出した。

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