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エッシャーの城>>髄質>>9

「いえ。終わりはしませんでした。私が城を見つけたことで、彼らの研究は加速してしまった……私が受けたのと同じ手術が、百人近くに施された……」

 結果はやはり、惨憺たるものだったという。少なくない被験者が霧の海を見たのだが、その先に行けたのは結局カルラ一人だった。

「ブローカ野三角部、前頭前野ヘの投射を行うニューロンのうち、第3群及び第4群の軸索に70ミリボルトの電圧を1ミリ秒。霧の海に辿り着く、ほぼ唯一の航路でした。そこまで絞り込めていながら結果が出てこなかったのは、ひとえに被験者の個体差のためです」

 カルラは瞼を閉じ、両手を強く組み合わせたが、決して祈りはしなかった。党に利用されるがまま、神が怒りもしないことを、思い知っているからだ。

「と、どうなったんですか……その人たちは、その後」

 研究所は全焼。生存者は一人もおらず。分かっていることなのに、尋ねずにはいられなかった。知らず知らず掴んだカップは、既に底を晒している。

「半数以上の被験者は言語機能に大きな障害を受け、4文節以上のロシア語が理解できなくなりました。確かなことはわかりませんが、他の研究所に引き取られていったと聞いています」

 そこまで話すと、カルラは小さく息をついた。諦めをはらんだ、重く、熱く、苦い溜息。漸く開いた扉の奥には、遥かに長い沈黙が伸びている。そして。カルラは小さく両手の陰で呟いた。

「残った仲間たちも、次々と犠牲になりました。ほとんどは霧の海を彷徨い続け――」

 カルラの言葉が、とうとう壁に突きあたった。こめかみを伝う汗が、冷たい光を放っている。話に割り込むわけにもいかず話の続きを待っていると、雲間から太陽が覗いた。真っ白な光の上に焼き付いた格子の影は、硬く、冷たく、重々しい。わななく唇を固く結んでから、カルラはアレクを強く見据えた。

「――違います。私が彼らを欺いたのです。風下に出口があると、ユレシュ達の指示通り」

 格子の影を背負ったまま、カルラは低い声で続けた。恐らくは、これ以上取り乱さないために。

「霧の海は、通過点に過ぎません。全ての実験は、二人目、三人目を城に送り込むために行われました。霧の海から逃がすどころか、私は仲間を霧の奥へと誘い込み……彼らは誰一人、夢から帰ってこなかった」

 耐えきれなくなったカルラは、今度は逆に仲間達を追い返すことにした。おかげで何人かの被験者は目を醒ましたそうだが、戻って来た者たちはやはり大きな後遺症を負っていたのだという。

「後遺症? まさか、この間の?」

 カルラが倒れたのは、単なる過労のせいではない。アレクの知らない何かが、カルラの意識を蝕んでいるのだ。重たい目が眼窩に沈みこみ、苦い唾が喉を降りてゆく。

「二年ほど前からです。扉に入ったとき、相手に引っ張られてしまうようになって――」

 アレクの表情に気づいて、カルラは手を振った。

「そう深刻そうなお顔をなさらないでください。あんな状態になるのはよほどの無理をした時だけですし、休み休み続ける分には何の心配もありません」

 格子の下を、水鳥の影が滑った。呪いの届かぬ空の彼方へと、軽やかな羽音が消えてゆく。河の向うに広がる清潔な街並みを見やり、それからアレクもぎこちなく笑った。

「大丈夫ですよ。カルラさんの分も、俺が頑張りますから」

 さあ、これ食べたら、映画でも見に行きましょう。アレクは再びタルトをつつき出した。

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