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エッシャーの城>>刺激>>9

「なあ、レフ。関係ない質問なんだけどさ」

 ブラシをかけるレフの手は、意外と落ち着き、我慢強い。得意分野とレフは言ったが、一体今まで髪を何色に染めてきたものか。退屈な毛染め剤の匂いを吸わないよう、アレクは口で息をした。

「作動油を抜かれたボルゾイって、なんか死体みたいだよな」

 鏡の中のレフに向かって、アレクはぼそりと尋ねた。

「そりゃ、動かしようがないからねえ……でも、油を注入しなおしたら、もう完全に生き返っちゃうんだな。ってゆーか、生まれ変わる」

 今度一遍、訓練に立ち会ってみろよ。老い先短い白熱灯の黄ばんだか細い光の中で、後ろに流したアレクの髪は陰気臭く輝いた。姉妹で鏡に向かっているならともかく、男同士では様にならない。

「オイルを入れ替える前と後じゃ、まるで別物か……」

 アレクは目を閉じ、溜息をついた。粘ついたクリームの下で、アレクの髪は、一体どうなっているのだろう。

「お前さあ、もうちょっと行きたいところとかないの? 久しぶりの街なんだぜ? ちょっとでも帰れんのよ?」

 余分な毛染め剤を拭取りながら、レフが聞き返した。押しつぶされた髪の房から、沼地を歩く足音がにじみ出る。

「帰れるって言ったって、戻れるわけじゃないさ」

 嘘ではない。寮や職場に戻れないどころか、仲間に無事を知らせることすら命取りだ。出来るのは、自分のいない街を眺めることだけ。伸ばせない指先は、膝の上でツナギを握った。

「それに……俺はもう……」

 アレクは乾いた声を絞り出した。今のアレクは、見付けてしまうかもしれない。満ち足りた日々に潜んだ、取り返しのつかない歪みを。

「分かった。ちょっとは遊んで行きたかったけど、それじゃあさっさと買い物だけ済ませて、真っ直ぐ帰ってくるとするかぁ」

 俺ってば、誰もが認める優等生だからね。レフは軽く笑って、真っ黒な紙を捨てた。

「ありがとう」

 毛染め剤が染みこむまで、二人は実戦部隊の悪口を吐き出し、それからアレクはシャワーを借りた。黒い渦は排水溝に消え、鏡の中には見知らぬ男が残っている。黒い髪、金の眉、青い瞳。随分とミスマッチだ。

 シャワー室から出て来たアレクを見て、レフは得意げに頷いた。

「よし。これで街に入っても大丈夫だな」

 男は鏡の中から、アレクを苦し気に見詰めている。確かにこれなら気づかれないだろう。警察にも、保安局にも、そしてノンナ達にも。レフの用意した服に着替え、シャワールームを後にした時、男はもう何者でもなくなっていた。

 心なしか大通りがいつもより静かなのは、バザールのせいだろうか。アレクが尋ねると、レフは左手を指さした。

「そうそう、皆あっちに行っちゃってるんだよね。それでホールが使えないから、今日はこっちから出掛けるってわけ」

 指し示した先にあったのは、暗く細い階段だった。天井には一つも灯りがなく、先の方は暗闇に溶けている。アレクが壁に両手をつき、恐る恐る足先を延ばしたそのとき、後ろからアグラーヤの声がした。

「あれ? レフじゃん、やったね」

 レフの変装は、今のところ効いているらしい。アレクが振り返ると、アグラーヤは眉を寄せた。

「俺だよ、アレクだ……街に行くからって、変装させられた」

 白状してから、アレクは瞬きした。そういえば、今日はアグラーヤも普段と感じが違う。水色のワンピースに白のカーディガン。妙に大人しい格好だ。引き返してきたレフを、アグラーヤは甘ったるい声で誘った。

「やっぱ行くんだ、街。それならさあ……ねえ、アタシも連れてってよ」

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