エッシャーの城>>刺激>>8
翌朝も、バザールは終わっていなかった。暫く動かさないのなら、分解するのに丁度いい。点火ブラグからメモリに至るまで、ボルゾイの総点検だ。動かしていないこともあり滑り出しは快調だったのだが、休憩前になって問題が立ち上がった。
「いけね、バンプストッパーが潰れてきてやがる。アレク、新品二つ持ってきてくれ」
サス周りの消耗品は、倉庫に入ってすぐ左だ。コードとニッパーを置いて、アレクは素早く立ち上がった。今の作業は遅れ気味だ。懸架台では、もう次のボルゾイがオイルを抜かれている。濁ったオイルを啜り上げる生臭い音をまたいで、白く輝くアルミの扉に手をかけた。
狭い倉庫に輝くのは、ひ弱な白熱灯一つだけ。左の棚を見下ろして、アレクは小さくため息をついた。何も考えずにカルラを誘ってしまったが、そもそもどこに行けばよいのだろう。今のアレクには、街に入ることすらままならないというのに。ノンナ、ユーゴ、ミシェル、そしてパルミ。みんなはまだ、諦めないでいてくれるだろうか。
バンプストッパーが入っているのは、赤い縞模様のボール箱だ。ミシ目のついた小さな暗闇に手を突っ込むと、指先がビニールの袋に触れた。
ストッパーを手に戻り、アレクは種類を確認してもらった。前腕部のサスに使うのは、赤いコロネ型のストッパーだ。
「これで在庫はお終いか?」
先輩はビニール袋を受け取り、ストッパーを一つだけ取り出した。
「いや、棚の下にもう一個箱がある。それにしても買い足さねえとダメだけどな」
ダンパーの軸にストッパーを通し、コイルを挟んで固定すると、先輩は膝に手をついて立ち上がり、大声でレフを呼んだ。
「おーい、レフー! 新入りを買い出しに連れて行ってやれー!」
レフは立ち上がって振り向いたものの、吸引機が五月蠅いせいか、大声で聞き返してきた。
「……すかー?」
これでは埒があかない。先輩はアレクを連れて、懸架台に駆け寄った。血抜きされ、力なく横たわるボルゾイ。見た目はさして変わらないはずなのに、近づくと軽くなっているのが分かる。
「買い出し? ああ、いい機会っすね。アレク君に任せることもあるだろうし」
コンクリートに靴底がぶつかる、硬い音がした。ガレージの低い天井に足音が木霊し、少しずつ吸引機の音に飲み込まれてゆく。レフは立ち上がると、出口を指さして歩き出した。
「うーし、じゃあ行きますか、街!」
意外な行先に、アレクは目を白黒させた。
「街? 大丈夫なのか?」
助け出されてきたものを、そんなに簡単に帰ってしまえるものなのか。アレクが尋ねると、レフはにやりと笑った。
「その点は俺に任せたまえ」
変装なら得意分野だぜぇ。レフは笑いながらアレクを引っ張り、自分の部屋まで連れて行った。




