エッシャーの城>>刺激>>6
屋上から降りるバルコニーはすぐに垂れ下がり、そこに4枚の扉がある。片手をポケットに入れたまま、アレクは手前の扉を開いた。オレンジ色の就寝灯に小さな瞬きを繰り返すうち、目の前は薄板の天井になっている。
「交代だ。おい、オルガ、起きろよ」
四角い光の中に立つ、オレンジ色の人影。ロニは肘を曲げ、扉の枠にもたれかかっている。タオルケットを払いのけ、アレクは起き上がった。半端な時間に起こされたせいで。生あくびが止まらない。ロニと入れ違いで緑色の廊下に出ると、アレクはガレージに向かって歩き出した。
いや、違う。歩いているのは、自分、オルガだ。窓に映りこんだ丸顔を見て、アレクは思い出した。夜番が回ってきたので、今夜は署に泊まったのだ。天井と壁のくすんだ緑。近づいてくる柱の重たい緑。ゴムを張った床の鮮やかな緑。ここに来たのは初めてではない。アレクはこの廊下を一度だけ歩いたことがある。刑事について歩いた、夜の警察署だ。
あの夜を境に、アレクの世界はすっかり変わり果ててしまった。仲間と過ごす穏やかな日々を取り上げられ、代わりに血なまぐさい抗争や底知れない陰謀に繋がれ、今やテロリストに片足が浸かっている有様だ。
冷たく険しい光の中をじっとりと歩きながら、しかし、アレクは体の動きを抑え込んだ。警察署に出たことは、政府の中心から遠ざかりつつあることを意味している。体から抜けるコツを次第につかんできているのか、アレクの手足は次第にオルガからずれ始め、あっさりと宙に浮かび上がった。
扉の前に戻ってくるや否や、アレクはそのままバルコニーを突き進んだ。途中でつづら折りの階段を上り、二つ目の踊場で金色のアーチをくぐる。その中に待っているのは、青いタイルを敷き詰めたヴォルト天井の小さなホールだ。右端の扉からいくつか試しに入ってみたものの、寮の談話室でポーカーをしていたり、のんびり風呂に浸かっていたり、本人の仕事がなかなか分からない。中には港の警備をしている者もいたが、イルクーツクでは脈があるとは言えないだろう。アレクは広間を出て階段を下り、暫く悩んでからもと来た道を引き返した。カルラの方には、何か当たりがあったかもしれない。
屋上に、カルラの姿はなかった。まだ中の広間を調べているのだろう。真白い床の下に広がる階段と廊下のパズルはアジートを呑むほど広い。アレクは隅の階段をかけ降り、アラベスクの踊り場に滑り込んだ。
「天使様ー! どこですかー?」
純金の手摺りを手繰り寄せながら、アレクは身を乗り出した。吹き抜けを縫う通路に、カルラの姿は見当たらない。扉の中にいるのか、それとも奥に行ってしまったのか。反り返った階段を駆け上がり、幅の狭い回廊を回って、アレクは吹き抜けの底を目指した。窓から差し込む光の壁を、手をかざしてかき分けた。窓の中を雲が滑り、アレクを追いかける。しきりに天使を呼ぶ声には、木霊が返ってくるばかり。結局カルラを見つけられぬまま、アレクは突き当りに辿り着いた。
壁際の階段を上り、踊り場から右にそれると、緩やかに捻じれた通路が現れる。その先に見えるのは、円い踊り場の裏側だ。アレクが歩き出すと上下左右の壁がゆっくりと回り出した。吹き抜けに捻じ込まれた幹からは、一本ずつ枝が伸び、その先にオレンジの扉が実るテラスがある。この広間は、青い小部屋よりマシだろうか。一度はノブに手をかけてから、アレクは思いとどまった。行き違いになっては、探しに来た意味がない。階段を降り、中央の通路に戻ろうとしたそのとき、扉の開く音がした。




