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エッシャーの城>>接触>>8

 紺色のスーツを着た男に、刑事はあえなくフリスビーを渡してしまった。とにかく今は粛々と捕まる外ない。アレクは後ろ手に手錠をかけられ、銃につつかれながら黙って護送車に乗り込んだ。護送車の中は薄暗く、窓は小さい上に格子まで付いている。アレクには銃を抱いた3人の見張りが付き、身動き一つとれそうにない。

 末路の上を走り続ける護送車に揺られながら、アレクは見張りに気付かれぬよう鼻で静かに息をついた。とうとう来るべきものが来た。実にカルラの言った通りになってしまった。手を打つというのも嘘ではないのだろうが、今のところ、見張り達が渡って種明かしをしてくれる気配はない。君も災難だったなあ、あの刑事の顔を見たか? なに、偉そうにしている奴ほど、お上には頭が上がらないものさ、等々。

「あの、俺、テロリストから保護してもらえるって聞いて来たんですけど、これはどういう……」

 アレクは身をすくめ、車内にせわしなく目を泳がせながら訊ねた。

「我々に回答の義務はない。黙って指示に従え」

 隣に座っていた見張りに銃を突き付けられ、アレクは唇を結んで畏まった。見張りは銃を下ろしたが厳しい監視が解かれることはなく、厳めしい静けさだけが護送車の中に降り積もってゆく。外の様子も全く見えず、どれだけ時間がたったのか、今どこを走っているのか、まったくもって見当がつかなくなった頃、護送車がゆっくりと止まり、運転席の扉が開く音がした。

 目的地に着いたのだろうか。基地、研究所、或は政治犯の収容所。アレクは壁に耳を当てて外の様子を探った。運転手の声は曖昧な割に妙にとげとげしく、どうやら誰かともめているらしい。

 ところが、その話し合いは何の前触れもなく途絶えてしまった。分厚い鉄板を貫いて、鋭く重たい銃声が聞こえて来たのだ。

「イポリート!」

 今度は助手席から叫び声が聞こえた。運転手が撃たれたのだろうか。

「おい、なんか始まってるぞ」

 見張りのうちの一人が立ち上がり、小銃のレバーを引いた。戦闘だ。何者かが護送車を襲っている。どうやら刑事の建前が、実現してしまったらしい。ささやかな戦争が始まるのかと思いきや、年上の隊員が立ち上がり、若い方の隊員を諌めた。

「出るな、狙撃だ!」

 若い隊員が年嵩の隊員に従い、銃を下ろした。一方、助手席の隊員が護送車の運転を試みているのか、運転席側でも大きな物音がしている。ドアの閉まる音が聞こえ、それから助手席の隊員が荒々しく叫んだ。

「イポリートはもうダメだ、出すぞ!」

 エンジンが唸りをあげ車体がかすかに揺れたそのとき、ガラスの砕け散る音に続いて、二つ目の銃声が鳴り響いた。

「ユスフ! 無事か! 返事をしろ――ユスフ!」

 見張り達は口々に呼びかけたが、運転席側から聞こえてくるのは鈍く低いエンジン音だけだ。護送車が走り出す気配も全くなく、見張り達はひきつった目を見合わせている。はるか彼方の狙撃手に銃口を突きつけられ、アレク達はすっかり身動きが取れなくなってしまった。その上、一体式の手錠のせいで、身を守ろうにもアレクには頭を庇うことさえできない。年嵩の隊員がトランシーバーを取り出し、本部と連絡をとり始めた。

「こちらゴードン、狙撃だ。ユスフとイポリートがやられた。増援を頼む」

 隊員とトランシーバーが怒鳴り合っている間も、テロリストの銃撃は止まらない。今度は車体を狙って三発目、四発目が立て続けに撃ち込まれた。きらびやかな音と共に砕け散ったのは、アレクの頭上に設けられた窓だ。分厚い防弾ガラスの上に鉄格子までかけてあるというのに、研ぎ澄まされた銃声が夜を微かに震わせる度、銃弾は易々と窓を食いちぎってゆく。暗い車内に噴きこぼれたガラスの輝きの下アレクはひたすらに頭を伏せ、首に降りかかるガラス片の辛辣な肌触りに耐えた。

 敵はアレク達を弄んでいるのだろうか、人間には見向きもせず、銃弾はまだ護送車の窓を貪り続けている。若い隊員はしびれを切らしとうとう後部ハッチに手を付けたが、年上の隊員に取り押さえられた。

「止めろ、敵の狙いはこいつだ。当てて来る筈が無い」

 若い方の隊員は年上の隊員の言葉に振り向き、そして何かを見上げて声を上げた。銃声と比べるとあまりにも可愛らしい音を立てて床の上に転がったのは、拳大の手榴弾だ。最近何度も死にかけたアレクだが、ついに本番に当ってしまったらしい。身構える間もなく、計り知れない光と音が閃き、たちどころにアレク達を呑みこんだのだった。


 気がつくと、アレクはいつも通り薄暗い廊下に立っていた。またもや死に損なったのか、それともエッシャーの城が冥界そのもので、アレクは知らぬ間に入り浸っていたのかもしれない。テルミンの話によると魂は脳味噌とは別のところにあるらしいから、体が死んでも意識だけが城の中で生き続けるというのも十二分にあり得る話だ。もっとも、その場合他人は自分の扉から出歩いたりはせず、扉の中で夢を見続けているのだろう。

 アレクはひとまずカルラのもとを目指したが、広間を抜けて段の付いたバルコニーに出たところで、ぴたりと足が止まってしまった。世話を掛けた割にあっさりと殺されてしまっては、カルラに合わせる顔がないではないか。石畳の上を行っては戻り、座っては立ち上がり、落ち着きなくうろついた揚句、アレクは結局扉へ引返す事に決めた。 

 アレクは扉の前に立つと、胸いっぱいに息を吸い込み、それからゆっくりと鼻から空気を逃がした。アレクの身体が生きていれば、中に入ると同時にアレクは目を覚ますだろう。

収容所で拷問を受けるのか、すぐさま人体実験が始まるのか、まさか優雅にホテル住まいをさせてもらえるということはなかろうが、少なくとも今までの続きが待っている。

 だが。ドアノブの冷たさに、アレクは手を引っ込めた。もしこの扉の中が支離滅裂な夢だったなら。或は全くの空室、暗闇が広がっているだけだったなら。それはアレクに、もう現実に帰るための身体が残っていないことを意味している。仲間たちやノンナにはもう二度と会えず、入り組んだ迷宮の中、話し相手は何を考えているのかわからないカルラ一人。それ以上惨たらしい目に遭わないということだけが、唯一の救いだ。

 腕を組んで立ち尽くしたまま、アレクは壁にもたれかかり、扉をじっと見つめていた。上に向かってにじみ出た肌色の木目、丁寧に塗り込まれたワックスの照り、そして鈍い光を放つ錆びついた真鍮のノブ。ついこの間、他人の夢を見た時と同じだ。この扉を開けることが、答えを確かめることになる。この前と違うのは、この扉からだけは逃れようがないということだ。しばらくしてアレクは観念し、小さなため息とともにノブを捻った。


 目を覚ました時、アレクは乗用車の後部座席にシートベルトで括りつけられていた。護送車ではない。運転席との間に鉄板の仕切りはなく、背もたれの影が並んでいる。空は既にうっすらと白んでおり、窓の外には空と山、広々とした田畑が見えた。

「ん? 気づいたかい、兄さん」

 アレクが景色から目を戻すと、細面の運転手がミラー越しに目配せした。護送車の中で爆殺された筈が、今度は業務用のワゴン車に乗せ換えられ、どうやら山道を走っているらしい。アレクが気を失っている間に、一体何が起こったのだろう。

「あんた達は、一体……護送車はどうなった?」

 ワゴンはヘアピンを曲って林の影に入り、細長い木漏れ日が車の中を幾つもよぎった。暗くてよく見えないが、運転手はアレクの質問を聞き、にやついているように見える。ワゴンが林の影を抜けると、男は軽いだみ声でうそぶいた。

「俺は工業局施工6課、道路・電気工事係のバトゥだ。そして助手席に座ってる絶世の美女が、上司のエカチェリーナ様」

 ケタケタ笑う自称バトゥに、アレクは目を白黒させた。警察と国安と狙撃銃と人体実験、アレクを取り巻く険しい状況に道路工事が入り込む隙間などない。バトゥはアレクなどおかまいなしに馬鹿笑いを続けるので、隣に座っていた金髪の女からブーイングを頂いた。

「初めまして、アレク君。私達はね、国安からあなたを助けに来たの。それで今、アジトまで帰る途中ってわけ」

 エカチェリーナはシートベルトを外して立ち上がり、シートに肘をついて後部座席を振り返った。バトゥの説明は、丸きり嘘という訳でもないらしい。アレクの命の恩人は、明るくて暖かい笑顔を湛えた、正真正銘の女神だった。警察と国安と禍々しい人体実験から、彼らは本当にアレクを救ってくれたのだ。ただし、5人いた隊員のうち、少なくとも2人を狙撃銃で「無力化」して。

「危ないところをどうもありがとうございました……ところで、あの、その、アジトっていうのは……」

 エカチェリーナの曇りない微笑みに、アレクはひきつった笑顔を返した。

「昔、廃坑をいじって作ったんですって。あ、中は綺麗だから安心……いや、流石に綺麗とは……」

 でも、まあ、泥まみれってわけじゃないし、すぐ慣れるわよ! エカチェリーナは掌を伏せ、アレクを励ましてくれた。間違いない。彼らの行き先は、テロリストの隠れ家だ。アレクが言葉を失っているのに気付いて、バトゥが苦笑した。

「別に獲って食ったりはしないさ。意外と普通だろ? 俺達。お前も街に戻るわけにはいかないだろうし、身の振り方が決まるまで、とりあえずウチに来いや」

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