エッシャーの城>>報酬>>4
「遅いぞアレク、とっくの昔に乾杯が終わっちまったじゃねえか」
ニコライは腰を下し、ジョッキに残ったラムバックを飲み干した。大皿の上では残ったピロシキが輝き、大迫力の匂いを放っている。
「悪かったよ。俺も参加してたんだし、ちゃんと最初から出とくべきだった」
違う、違う。前髪をいじるアレクに、ニコライは怒鳴りつけた。
「音頭だよ。お前、救出作戦の立役者だろうが」
先ほど凱旋したばかりの指揮官は、なんと遅刻者に挨拶させるつもりだったらしい。
「立役者って、戦ったのは皆だろ? 俺なんかが出しゃばったら、それこそバチが当たるぞ」
明るい天井に、アレクは目を泳がせた。隊員達が体を張っている間、居眠りをしていたなどとは口が裂けても言えそうにない。渋るアレクを引きずり、ニコライは階段を上った。
「バカ、いいからステージ上がらねえか」
会場の騒ぎが遠のき、ステンレスの階段から、冷たい響きが返ってくる。
「乾杯は終ったんじゃなかったのか!」
押し問答が聞こえたのか、人々がアレク達に気づき始めた。マイクの前に立たされて、もはや後戻りはできない格好だ。
「だから、今からでも話せよ。お前が出てこねえと誰も納得しねえぞ」
アレクの肩に手を置いて、ニコライは小さく囁いた。いつも見上げているよりも、天井がやけに近い。話すこともないというのに、ここに立つ資格があるというのだろうか。口笛や歓声に促され、アレクはゆっくりと話しだした。
「皆さんこんばんは。知り合いばかりのような気がするけど、一応自己紹介。アジートにきてぼちぼち一か月になります、整備班のアレクです」
ありあわせの台詞を出し尽くすと、ホールは途端に広くなった。人々は手を止め、控えめなトランスだけがテーブルの下で管を巻いている。ここから先は、何か話が必要だ。
「作戦が上手くいったと聞かされて、とりあえずホッとしてます。実働部隊の皆、本当にお疲れさまでした。それから、おめでとう」
もう口の中が乾いて来た。舌はざら付き、唾が重い。何か他に、言うべきことはあるだろうか。何か他に、言ってもよいことはあるだろうか。
「この作戦は最初、俺の単なる我儘でした。子供達を助けようとか、慈善家みたいなことを言い出して、ニコライには怒られましたよ。それは、仲間に死んでくれって言っているのと同じだって……本当に、その通りだった。俺には、何も言い返せませんでした」
一度だけニコライを振り返り、アレクはそれから会場を見渡した。過ちが打ち寄せるたび、勢いの背筋が揺れる。大切なのはこの先だ。あれから本当に、色々なことがあった。
「その時、イワンやエカチェリーナが賛成してくれたんです。やってみるだけの価値があるって。子供達を助け出すべきだって。二人だけじゃない、ニコライや、実働隊の皆、『守る会』の人達まで。本当に沢山の人が助けてくれたお陰で、この結果に辿りつくことができました」
本当に、ありがとうございます。アレクが頭を下げると、仲間達は拍手で答えた。洗い晒しの天井に雨脚が降り注ぎ、不毛なコンクリートの奥まで瞬く間に沁み渡ってゆく。鉄板のステップは余りにも頼りなく、浮ついた足取りをしっかりと受け止めきれない。パイプに縋って戻って来たアレクを、ニコライはいつもの強面で迎えた。
「まあまあだ」
小言を免れ、アレクは胸をなで下ろした。笑顔が危険信号なら、仏頂面に安心しろということか。
「焦ったよ。急にスピーチしろだなんてさ。さっきも言ったけど、こういうのはもっと、活躍した人が――」
謙遜という程でもない率直な見解は、しかし、最後まで言わせてもらえなかった。
「そんなこと言いっこなし。あなたがいなかったら、会議も始められなかったのよ、私達」
両手でアレクの頬を挟み、エカチェリーナは思いきりこね回した。子供達を救い出したのは、彼女自身に他ならない。オハでヘリと戦ったのも、やはりニコライ達である。それなのに隊員達は、アレクのことを労った。
「副隊長の言う通りだ。お前が来る前から、俺達は長年待っているだけだった」
一体どこに敵がいるのか、誰かが見つけてくれるのを。思いがけない歓待に、鼻の頭が痒くなってくる。
「眠ってただけで褒められると、却って申し訳ない気がしてくるな……でも、皆の役に立てたんなら、それでいいのかもしれない」
ピント外れの笑顔を見せると、モーゼスはアレクの肩に肘をかけた。
「ハンガーの仕事をこなしながら、寝てる間も仕事してたんしょ? 働きづめじゃないっすか」
どっと笑い声が巻き上がり、それからアレクは質問攻めにあった。城の中はどうなっているのか。どうしてオハのことが分かったのか。今まで覗いて来た中に、皆の知っている人物はいるのか。カルラのことに気づかれないよう、アレクは無難な答えを返していった。
「やってる間に、コツみたいなものが分かってきたりするのか?」
コツというからには、大物の扉を探しあてるコツなのだろう。カルラによれば上手いらしいが、技術といえるようなものは何もなく、アレクは答えに詰まってしまった。
「実のところまだ全然分かってないんだ……でも、居眠りだけは相当練習したよ」
やってみせようか? アレクは呼吸法を実践し、殆ど意識が途切れかけたところでバカ騒ぎに呼び戻された。




