悪夢
なんということだッ――――!!
王の間にて会合する戦乙女ユーリナと勇者ヴェニン。
彼女はヴェニンに対し、対抗意識を燃やし、あろうことか彼との腕試しを王に求めたのだ。
ルシフは反対した。
だが王の、控えよッ! という命令によって遮られる。
「やれやれ、腕試しだなんて……」
ヴェニンは肩を竦めてみせているが、口角は歓喜によって緩んでいる。
ルシフはその感情を見逃さなかった。
――――彼女になにをする気だ?
腕試しの舞台である訓練場に向かう中でも、他の騎士が2人に注目しどちらが勝るかを話し合う中でも、彼の頭にはそのことが離れなかった。
なにより、嫌な予感がする。
胸中の暗雲が振り払えないまま、木剣を持った2人の戦いの火蓋が切られた。
「ホォラ、ホラホラァアッ!」
「キャアアアッ!?」
――――嗚呼、神よ。
私は目の前の光景が信じられません。
かの勇者の攻撃にユーリナは手の足も出ない。
まるでダンスを踊っているような軽快さで木剣を振るう勇者。
それを重く受け止め、防戦一方となる我らが戦乙女。
勇者は圧倒的な力に笑う。
ユーリナは苦境に立たされ、その柔らかな肌に痣と傷を作っていった。
多く者が驚愕し、勇者の武勇に見惚れるが……。
嗚呼、私には……ッ!!
ルシフには愛しい人が目の前で拷問に架けられているようでもあった。
彼女が悲鳴を上げ、苦しそうな表情を浮かべるたびに、胸が締め付けられ感情が高ぶる。
気も狂わんばかりに強烈な怒りが、雷として脳内を駆けまわった。
そして、自らの無力に嘆く。
近くにいながら見守ることしか出来ないこの哀れな騎士に。
「ハァッ!」
「ぐあッ!」
この一撃がルシフの激情を爆発させた。
ヴェニンの振るう木剣がユーリナの頭蓋を鋭く叩く。
――――血を噴き出し、あんぐりと口を開けたまま昏倒した。
ルシフは堪らなくなり彼女の元へと駆けていく。
他の者も我に返ったように駆け寄り、戦乙女を治療の為に丁重に運んでいった。
後に残った勇者は、やりすぎたかな? と剽軽な表情を浮かべていた。
それを見たルシフは激情のままに彼を責め立てる。
「なんということを……ッ! 自分がなにをしたかわかっておいでか!?」
「うわわっ! そんな怒鳴らないでくれよッ! 一応これでも加減はしたんだぜ?」
「なにが加減だ!! 頭だぞ? あれだけ血が出ているんだぞ!? 下手をしたら彼女は死ぬところだったんだ!!」
そのとき、この戦いを見ていた王が見るに見かねて2人の間に割って入る。
「控えぬか! 一介の親衛隊員の分際で……ッ! 木剣仕様の模擬戦とはいえ、当たり所を誤ればあのような流血が見られるは自明の理である。無論戦乙女もそれを理解しての立ち合いだったハズだ」
「恐れながら我が王よ……ッ! 彼女は我等王立神聖騎士団における主力であり王国を守護する槍でもあります。それを勇者殿もわかっていたハズッ! だのに、あれほどまで痛めつけるのは……ッ!」
感情論なのはわかっている。
だが、彼女のことを思えば思うほどにこの口は留まるのを知らない。
それが王の逆鱗に触れた。
「くどいッ! 貴様……この私に対し説教を行うとは何様のつもりだッ! この場には合わぬ、去れッ!」
王に命じられるまま、ルシフは下がる他なかった。
周りの好奇の目が常に突き刺さったが、そんなことはどうでもいい。
ユーリナの元へ行かなければ……ッ!
彼女の容体が気になって仕方がない。
早足で医務室まで進んでいく。
「……勇者殿、我が兵が申し訳ない。どうか、お気を悪くせぬよう……。あの者、名をルシフと申しまして、戦乙女のお気に入りでしてな? 自分が特別だと思っている節があるのだ。困ったものです」
「いや、良いッスよ。……でも、ああいうの困るんですよね。ちゃんとしてもらわないと」
勇者ヴェニンの不愉快そうな言葉に、申し訳なさそうに首を垂れる。
王ですら彼の持つカリスマ性に、圧倒されていたのだ。
王が首を垂れるとなれば、当然周りの者も同じようにする。
誰もが、勇者に心から平伏していたのだ。
ただひとりルシフを除いて……。
ルシフは医務室のベッドで眠る彼女の傍にいた。
魔術による迅速な施術が効を奏し、傷も痣もあの流血もすっかり治っている。
ルシフの心に止めどない安堵が満ち溢れた。
よかった……無事で……。
今魔術師や医師が席を外しているのをいいことに、ルシフは彼女の手をそっと握った。
静かに寝息を立てる彼女をこうしてずっと見ていたい。
だが、それは出来ないだろう。
親衛隊だからといってそこまで融通は利かない。
ユーリナの手をそっと戻し、ベッドから離れカーテンを閉める。
そして部屋を出ようとしたそのとき、入り口から誰かが入ってきた。
それは今最も出会いたくない人間、――勇者ヴェニンである。
「あ、やっぱいた。大変だねぇ親衛隊は」
「……いえ、そんな。先ほどは申し訳ありませんでした。騎士でありながら、あのように取り乱してしまうとは」
そう言って首を垂れるルシフを目で見下ろしながら、ヴェニンは肩を竦めてみせた。
「もういいよ別に。……あ、ユーリナはどう? 怪我の方とか」
その発言にルシフは強烈な怒りと共に青筋を額に走らせた。
拳を握る力が極限まで高まる。
――――貴様が彼女の名を軽々しく口にするなッ!!
そんな思いを必死で抑え込みポーカーフェイスを保ち、頭を上げた。
「戦乙女様は回復されております、が……今はゆっくりと眠っておられるので、もし面会であれば後ほどのほうが……」
しかし勇者ヴェニンは最後まで聞かぬうちに彼女の眠る寝台まで歩き、乱暴にカーテンを開いた。
これはあまりにもとルシフは止めに入るも。
「いいよ、あとは俺が見る。ユーリナがこうなったのは俺の責任でもあるし」
この男はどこまで自分の逆鱗に触れるようなことをすれば気が済むのかッ!
ルシフは煮え立つ怒りで眩暈がしそうになった。
だが、今はこうするしかない。
無理矢理どかすわけにもいかないだろう。
それに、その必要もなくなった。
彼女が目覚めてしまったからだ。
薄っすらと瞼を開き、2人を視認する。
それをみるや、ヴェニンは不躾に顔を近づけ微笑みかけた。
「お、目ぇ覚ましたな? どうだい具合は?」
「あ、あぁ、大丈夫よ」
そう言って彼女は、彼に支えられながら上体をゆっくりと起こす。
馴れ馴れしく彼女に触るヴェニンに一瞬嫉妬した、が。
それ以上に気になる変化をルシフを見逃さなかった。
――――おぉ、ユーリナ、私の愛する人よ。
どうして……どうしてそんなにも頬を染めておられるのか?
なぜ彼の顔から、そんなにも恥ずかしそうに視線を背けておられるのか?
なぜそんなにも……私にすら見せたことがないような顔をされるのです?
私に愛を誓ったのではないのですか?
――――なぜです?
ルシフの中にドス黒い感情が渦巻く。
それこそ身にまとうこの白銀の鎧を、そのまま漆黒に染めてしまうのではないかと疑うほどに。
(なんで、こんなにドキドキするの……? 私より強くて、同じように神の加護を受け……それでいて、風のようにどこまでも自由な人。わ、私の愛した人は……ルシフ。なのに……なのに、どうして?)
彼女は自らでさえ気づかなかった"性"に、目覚め始めていた……。