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【3】

 あからさまではないものの、確実に品定めされている緊張感の中で、夕食は終わった。

初日で疲れているのか、それとも競争相手と交流する気はないのか、マリアンヌ夫婦もジュリエッタ夫婦も、そうそうに自室に引き上げていく。

 カフォラたちも、これまでに入手した情報を整理したくて、同じように与えられた部屋へ向かった。

 教会の案内人は部屋の前で去り、支援要員が手配してくれた従者たちも就寝前のお茶を用意して退出する。

(ようやく、このうっとうしい演技を中断できるわ)

 この部屋でユージーンと二人きりで過ごさなければならないのは苦痛だ。

 だが、あの白々しくも甘ったるい演技をいったん止められることに、安堵もあった。

 にこやかな笑顔をすっと消して、カフォラは息を吐き出す。ユージーンしかいないのであれば、優等生らしく愛想良くしている必要はない。

 そんなカフォラに対して、ユージーンの方は柔らかい笑顔のままだ。

(何よ。他に誰もいなくても、演技は続けるつもりなの?)

 とはいえ、さすがにユージーンからは甘い台詞は出てこなかった。

 まずは二人で手分けして、与えられた部屋に異状がないか調べ始める。二間続きの部屋のうち、奥の寝室をユージーンが、手前の居間をカフォラが手早くチェックしていく。

 危険な物はないか。除き穴や隠し通路などはないか。何かあったときに窓から外に出られるか。そんなことを確認しながら、カフォラは唇を曲げる。

(そうね。別に甘ったるい演技をしなくても、ユージーン・ド・シオンは穏やかな優等生だったわ。にこにこ笑ってても不思議じゃないのよ)

 そうは思っても、どこか気に入らない。

 優等生の仮面を外してしまっているカフォラの方が、ユージーンを意識しているようで、何となく悔しい。

「寝室は特に変わったところはないね。暖炉は小さいから侵入はできないし、逆に向こうにも窓があるから、いざとなっても脱出できる」

「こちらも問題はなさそうよ。窓の外は下の階の庇が出ているから、二階のここからなら出入りも難しくないわ」

「だからといって、むやみに窓から出入りしてもらっても困るけど」

「必要もないのに、そんなことするわけないでしょ」

「君は身が軽いし、少しくらいの無茶は平気でするからね」

「わたしを何だと思ってるの!?」

「もちろん、大切な相棒だと思ってるよ。それより、情報の整理をしてしまおうか」

 さらりと話を切り替えて、ユージーンは居間のテーブルに戻ってきた。用意されていたお茶のポットをさっと覗き、すん、と鼻を動かす。それからカップに口をつける。

 カフォラは、ユージーンなんかとのんびりお茶を飲む気にはなれない。正面から相対しないように、斜めに椅子を引いて無言で腰掛けた。カフォラの前にもカップは用意してあるが、手はつけなかった。

「さて。今日一日で、少しは状況が見えてきたかな」

「そうね。憶測や伝聞だったことを、実際に確認できたわね」

 情報の整理といっても、メモ書きなどは残さない。うっかりどこかに漏れる可能性を減らすため、口頭と二人の頭の中の記憶が頼りだ。

「過去の祝福を受けた夫婦たちが、堂々と行動していたのは想定外だったな。監禁されているとは思っていなかったが、何らかの制限を受けているとは思っていた」

「あくまでも彼女たちの意思で教会に留まっているようだったわね。何がそこまて彼女たちを引き付けているのかしら」

「それについては少し気になることはあるけど……」

「どのあたりが?」

「まだ確信が持てないから、もう少し調べてみてから話すよ」

(もったいぶって、何よ)

 言葉を濁したユージーンの態度にカチンと引っかかった。だが、彼の言動一つずつに腹を立てていたら、一日中怒っていないといけない。

 ル・シェネへの道中でそれを学習したカフォラは、心の中で毒づいただけでやり過ごす。

「候補者・選抜者の夫婦は、本当に周辺各国から集めているのね」

「……へえ。どうしてそうわかったの?」

 ユージーンの疑問に、カフォラは今日出逢った人々を思い出す。

「マリアンヌ夫妻とジュリエッタ夫妻はそれぞれ紹介された通りの出身だとして。最初に案内してくれた女性はナルボネンス国のデザインの服装だった。食堂に案内してくれた女性は、ドレスはル・シェネ風だったけれど、あの髪型はコンダミーヌ国で流行っているものだわ。食堂にいたもう一組の夫婦も、夫のあの上着はノクシタニアのデザインね」

「……なるほどね。君ならではの視点だ。僕はそのあたりの細かな違いはわからない。でも、僕の見立てと一致してるから、恐らく正しいだろう」

「あなたの?」

「最初の女性も二人目の女性も、使っているのはウェスティーナ大陸の公用語だけど、それぞれ少しずつアクセントに癖があった。ナルボネンスやコンダミーヌの訛りだ」

 そう言われて、カフォラは女性たちの喋り方を思い出す。

 確かに何らかの癖はあった気がするが、それがどこの国のものかまでは判断できない。

「そんなことがわかるの?」

「各国に潜入してれば、自然とわかるようになるよ。そういう点でいえば、君の大陸公用語はとても綺麗だ。逆に癖がなさすぎるから、今回の場合は、もう少しオルテンの訛りを加えた方がいいかもしれないね」

 カフォラも任務で他国に行ったことは何度かあるが、そこまで細かな違いはわからない。

 暗にカフォラの経験不足を指摘されているような気がして、またまたカフォラの眉が曇る。

「……わ、わかったわよっ。それで、明日からどうするの!?」

 ユージーンは相変わらずカフォラの態度は気にしていないようで、ゆったりと足を組み換えて組んだ両手の上に顎を乗せる。

「教会のお眼鏡に適えば、祝福を授けてくれる、というんだ。せいぜい仲の良い夫婦のフリをするかな」

「……他の候補者たちと競わなきゃいけないのよね」

「祝福を授けられるのは一組だけ、というわけではないようだから、無理しすぎることはないさ」

「でも、一組ももらえない可能性もあるわけでしょ。油断はできないわ」

 司祭は何で審査すると言っていただろう。

「お茶会にパーティ……教会なのに、優雅なものね」

「若い男女を集めているんだ。修行みたいな教会では人気もでない。大司教や司祭たちの説話も、どの程度かしこまったものかはわからないな」

「でも、その大司教サマが祝福の決定に関わっているということは、今回の件の裏にその大司教サマご一行が絡んでいる可能性は高いわよ」

「そうだね。大司教に会うときは、注意深く探りを入れてみよう。それまでに周辺の情報もできるだけ調べておきたいな」

「じゃあ、明日の空いてる時間は、教会内の調査からかしら。せいぜい物見高いお嬢さまらしく、あちこち覗いてみるわ」

「首を突っ込み過ぎないようにね」

「それくらい、わかってるわよ!」

(ほんとに、いちいち気に障ることを言わないと済まないんだから!!)

 室内に他人がいないので、今回は遠慮せずに、顔を思いっきりしかめる。

 そんなカフォラの表情を目にしたユージーンが、愉しそうに唇の端を持ち上げた。それにカフォラはますますむかっとする。

「もうこれで話は終わりよね?」

 ユージーンが頷いたので、カフォラは勢いよく立ち上がる。

 必要なければ、これ以上ユージーンと面と向かっているのは耐えられない。

 慣れないドレスで動き回っていた初日でもあるし、明日以降に備えて早々に休んでおこうと思った。

 とりあえず着替えようと寝室へ向かう。

 が、扉を開けて、目に入ってきたものに、カフォラは立ち尽くした。

「……ちょっと、どういうこと、これは!?」

 なんとか絞り出した声は悲鳴に近かった。

「どうしたの?」

 残ったお茶をのんびり飲んでいたユージーンが、立ち上がって近付いてくる。

 そんな彼を振り返りもせずに、カフォラは拳を握りしめた。

「どうもこうも……なぜ、ベッドがひとつしかないわけ!?」

 居間と同じく華やかな調度で揃えられた寝室にあったのは、造り付けのクローゼット、同じ意匠の鏡台、布貼りの椅子と小机、そして緑色の天蓋が付いた大きなベッドがひとつ。

 寝室はひとつしかない。そして、ベッドもひとつしかない。——この部屋に泊まるのは二人だというのに。

 手配された部屋が間違っていたのではないか。カフォラはそう思った。だが、それはユージーンの普段と変わらない声に否定される。

「どうしても何も、新婚夫婦の寝室にベッドがひとつなのは当然のことだと思うけど」

「……っそれはそうだけど……っ。でも、だって、わたしとあなたは本当の夫婦じゃ……っ」

「別に構わないんじゃないかな。このベッドなら、師団宿舎のベッドを二つ合わせたよりもかなり広いし、十分に伸び伸びと寝られそうだ」

「……なんで、そんな平気な顔してられるわけ!?」

「君こそ、何を気にしてるのさ。この国までの道中、もっと狭い宿でも同室だっただろう」

 それは確かにそうだ。今回の任務に限らず、たいていの任務では必要ないときには無駄遣いはしないようになっている。移動中の宿は、そこそこの安全と機密が確保できることが第一で、男女関係なく同室だし、場合によっては野宿もする。

 今回も、いくらカフォラが同行者を気に入らなくても、ル・シェネに来るまでの宿は同室だった。だが少なくとも、ベッドは別だったのだ。

 どんなに狭い部屋だろうと、ベッドが分かれていれば、もう一人の顔を極力見ずに、自分の寝顔も見せずに過ごすことができる。

 しかし、いくら通常の二つ分以上の幅があろうと、ひとつのベッドでは勝手が違う。布団が同じだったら、わずかな身動ぎも伝わってしまうではないか。

 宿敵と看做す相手と、そんな状況に身を置かなければならないなんて、冗談じゃない。

(どうしよう……なんとか理由付けて、毛布をもう一枚用意してもらって、居間のソファででも寝るしかないかしら)

 ちらりと居間に向けた視線に気付いたのか、ユージーンが苦笑した。

「居間で一人で寝るなんてのは駄目だからね。こっちの部屋は寝室と違って、従者や教会の使用人も出入りする。彼らに新妻がソファで寝てる姿を見せるわけにはいかないだろう。もちろん、寝てるのが僕でも同じことだ。仲の良さを見せるどころか、評価を下げることにしかならない」

「そんなこと言ったって……っ!」

「だいたい、ベッドの方が身体もきちんと休ませられるだろう。……あ、もしかして、僕が不埒なことをするんじゃないかと心配している?」

「っそ、そんなこと、これっぽっちも心配してないわよ! だいたい、わたしがそんなこと大人しくされると思ってるわけ!?」

「そうだよね。君ならそんなこと許すわけないのは、僕も十分にわかっている。だったら、何も問題ないじゃないか」

「それは、そう、だけど……、でも、でもでも……」

 だが、それ以上の反論は、カフォラの口から出てこなかった。これ以上何か言って、カフォラがユージーンを恐れているなどとは思われたくない。

 結局、カフォラはひとつのベッドで寝ることを、受け入れるしかなかったのだった。




 眠った気がしなかった。

 まだ陽が昇るか昇らないかという時間帯だったが、どうにも寝続けることができなくて、カフォラはベッドの上でむくりと起き上がる。隣から聞こえる規則正しい寝息に深々と溜め息をついた。

(何よ。自分だけ呑気そうに眠ってて。わたしがちっとも寝られないのは、この、ユージーン・ド・シオンのせいだっていうのに!)

 昨夜眠りにつく前、カフォラはせめてもの抵抗として、天蓋の布を外しベッドの真ん中に吊るそうとした。それなら互いの寝る姿が見えないからまだマシだと思ったのだ。

 しかし、その策は実現できなかった。掛布団も一枚しかなく、ベッドを上から区切ったところで、布団の中がつながっているのに変わりはなかった。それで仕方なく、カフォラは外した天蓋の布を絨毯のように細長く丸めて、二人の間に置くことにした。ごく低い垣根でしかないが、それでも二人の境界線にはなる。

 彼女がそこまでしてもユージーンとの間に仕切りを設けたかったのには、眠っている自分の姿を見せたくない、というのが一番だが、寝る前になってもう一つ理由が追加されていた。

 それというのも、用意されていた夜着が、カフォラにとってみたら、とても非常識だったからだ。

 いや。“新妻”の夜着としては、それはそんなに間違っていないのだろう。

 薄手の真っ白いふわふわした布が何枚か重なり、リボンやレースや刺繍で飾りを施されたそれは、端から眺める分にはとても可愛らしいものだった。

 だが、それをいざ自分が身に着けるとなると、恥ずかしいし、何より無防備すぎて落ち着かない。ましてや、それを着た姿を宿敵に見られるなんて。

 とはいえ、いくら心の中で抵抗したところで、夜着はそれしかなかった。渋々と袖を通し、ユージーンに見られないようにと早々にベッドに潜り込んだ。

 やがてユージーンが小さく「おやすみ」と言ってベッドに入ってきたときは、背中を向けたまま既に寝たフリをしていた。だが、神経は全て敏感に背後の気配に向けられていた。

 低い仕切り越しに寝息が聞こえ、つながっている掛布団が、微かに人の熱を伝えてくる。それだけのことだが、カフォラの意識を刺激して、少しも気分が安らがず、眠気も訪れなかった。

 瞼をぎゅっと閉じて、掛布を深く被って、必死に眠ろうとする。それで多少は眠りに落ちるのだが、やがてまた意識が浮上してくる。

 そんなことを何度か繰り返して、もう無理に眠ろうとすることに疲れて、起き上がったのだった。

 カフォラは、そっと隣で眠るユージーンに瞳を向けた。

 カーテンの隙間からうっすら差し込む光で、ぼんやりと見える彼の寝顔は、カフォラがいることなどまるで気にしていないかのように穏やかだ。

 それがカフォラには腹立たしい。

 結局、ユージーンのことを意識しているのも、あれこれ突っかかっているのも、カフォラの一方通行でしかないのだ。ユージーンの方は、カフォラをただの仕事仲間だとしか思っていない。互角に張り合うような相手だとは看做されていない。だから、こんなにものほほんと眠っていられるのだ。

(しかも、寝てる顔も整ってるなんて、やっぱりイヤなやつ!)

 それはもう八つ当たりでしかないが、相手が寝ているのをいいことに、カフォラは心の中で苛立ちをぶつけた。

 すっきりと通った鼻筋、滑らかな頬の線に掛かる、柔らかそうな金灰色アッシュブロンドの髪。閉じられた眼を縁取る長い睫毛も同じ色だ。いつもこちらのことを見透かしているような理知的な視線がない分、ほんの少しだけ優しく見える気がする——そんなことを思っていたら、不意にぱっちりと開いた青紫の瞳と視線がぶつかった。

 濁りのないその瞳にじっと見つめられて、カフォラの鼓動が大きく跳ねる。

「まだ朝早い。もう少し寝ていた方がいいよ。眠られなくても身体だけでも休めておかなきゃ」

 つい今しがたまで寝ていたとは思えないほど、はっきりとした声が聞こえた。

「……っ起きてたのっ?」

 まるで寝付けないカフォラのことを見ていたかのような口調に、さらにカフォラは動揺した。

「いや。でも、眠っていても、すぐ隣にいる相手の気配くらいは常に感じているさ」

 それは、密偵であればしごく当たり前のことなのだろう。だが、カフォラには、ユージーンも多少は自分を意識すべき存在だと認識しているのではないか、と思える回答だった。

「ちょっと目が覚めただけよっ。またすぐ眠るから。あなたこそ、ちゃんと休んでるの? 寝不足の相棒だなんてご免だからねっ」

 ひと息にそれだけ言って、カフォラは勢い良く身体を横たえ、掛布を引き上げた。

 背後で、ふっと小さく笑ったような空気の揺れを感じたが、気にしないことにした。

 そしてその後のカフォラは、陽が昇り切るまでの短い時間ではあったものの、その夜初めて深い眠りに落ちることができたのだった。

 

 

 

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