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【4】

 子供たちの笑い声が、敷地の外側まで響いてきていた。

 それに懐かしそうに頬を緩めて、カフォラは施設の門を潜る。真っ直ぐ正面玄関には向かわず、小振りな建物の裏手へ回った。

 そこはちょっと開けた空間で、半分ほどが野菜や花を栽培する畑、残り半分で十人ほどの子供たちが遊んでいた。

 子供の年齢は、下がまだよちよち歩きの幼児から、上は十を少し過ぎたくらいまで。男女混じって、楽しそうにはしゃいでいる。

 その中の一人が、建物の陰からそっと顔を出したカフォラに目敏く気が付いた。

「あっ! カフォラ姉ちゃんだ!」

「ほんとうだ! わーい、久しぶり!」

「カフォラおねーちゃーん! あそぼー」

 最初の一人の発見に、他の子供たちも素早く反応して、一斉にカフォラの方に寄ってくる。その早さに苦笑しながら、カフォラも子供たちの方に近寄っていった。

「みんな、お久し振り! 元気にしてた?」

 駆け寄ってきた子供たちに順に声を掛け、幼い子供は抱き上げたりしながら、カフォラは建物の裏口に近付いていく。

 そんなカフォラの表情は、第九師団の中で繕っている優等生のよそよそしさとも、ユージーンに向けたような強気さとも違う。こんな穏やかな顔もできたのかと目を見張りそうに和んだものだった。

「院長先生はお忙しいかしら?」

 一番年長の少年に尋ねたとき、裏口に年配の女性が姿を見せた。

 白くなった髪と質素な衣服の小柄なその女性は、カフォラを見るなり、瞳を皺に埋めるように笑う。

「あらあらあら。貴女ったら、いつも突然やって来るんですもの、カフォラ。前もって連絡しておいてくれれば、クッキーくらい焼いておいたのに」

「院長先生……もうわたしは焼菓子に飛び付く子供じゃありません」

「そう? 身体は大きくなって師団の制服が良く似合うようになったけど。でも、干し杏のクッキーは今でも好きでしょう?」

 茶目っ気のある顔で問いかけられて、カフォラは否定できずに口籠る。

 もっとも院長の方はそんなカフォラの反応まで見越していたようだ。それ以上は追求せずに、裏庭に立ち止まったままだったカフォラと子供たちを建物内に手招いた。

「さぁ、せっかくカフォラが来てくれたことだから、少し早いけれどみんなでおやつの時間にしましょうか」

 おやつという単語に幼い子供たちがわぁっと戸口へ走り出す。カフォラもすぐに笑顔に戻って、その子供たちを追った。




 そこは王都の端にある王立の孤児院だった。

 王都内には孤児院がいくつかあるが、この孤児院は特に師団に所縁のある子供たち中心に養われている。

 子供を世話するのは、年配の院長と他に数人の大人たち。けっして余裕があるわけではないが、師団が援助しているおかげで困窮するほどではなく、のんびりとした空気の中で子供たちは育っていく。

 カフォラも、物心つく前から十三歳になるまでこの孤児院で過ごした。

 実家のようなここに来ると、今でも心の余計な鎧を外して落ち着いた気分になれる。

 この孤児院で成長した子供たちは、師団に入ることが義務付けられているわけではない。だが、亡くした親の仕事に対する憧れや、知人の伝手などから、師団関係の仕事に就くことは多かった。

 カフォラも、かつてこの孤児院に視察にきたオーベルリートの目に止まって、第九師団の養育・研修施設に行くことになったのだった。

「カフォラ姉ちゃんの服、かっこいいね。オルテン師団の制服、やっぱりいいな〜」

「カフォラおねーちゃん、活躍してるって聞いたよ! すごいね!」

「そうだ! 見て、これ! こないだ孤児院のみんなで作ったんだ!」

 孤児院の畑で採れた豆を煎って作ったお茶と干した果実をおやつにしながら、子供たちは久し振りに会ったカフォラに、次々と話しかけてくる。

 カフォラは、そんな子供たち一人ずつを順番に相手していく。

 やがておやつをあらかた食べ終えて、ひと通り話も聞いて満足した子供たちは、再び庭に遊びに出て行く。食堂にはカフォラと院長の二人だけが残った。

 ふう、と軽く息を吐いて、カフォラは食堂を見回す。

 使い込まれたテーブルや椅子の並ぶ簡素な食堂は、カフォラがここにいた頃とほとんど変わっていない。院長や職員たちが手作りした壁飾りや掛布が、この食堂に限らず、孤児院全体に温かな空気を添えている。

「さて、カフォラ。ようやく静かになったことだし。これでゆっくり貴女の話が聞けるわね」

 新しくお茶を淹れ直した院長が、カフォラの斜め向かいの椅子に座った。真正面に座らないのは、自然に人の話を聞こうとする彼女の気遣いだ。

「院長先生……別に、特別にお話することはないです」

「あら、そう?」

「ええ。ただ、次の任務は国外のわりと大きなものになるので、しばらくここにも来られなくなるから、始まる前に顔を出しておこうと思っただけです」

 それは、けっして嘘ではない。国内外を問わず、時間がかかったり危険度が高そうな任務の前には、この孤児院を訪れておくのが、カフォラの習慣になっていた。気のおけない場所で気持ちを解しておくことが、任務にも有益になっていると思っている。

「そのわりには、重いものを背負ってるような顔をしているわよ。大きなお仕事で緊張しているのかしら? 自信家の貴女にしては珍しいわね」

「え……」

 つい自分の頬を触って柔らかさを確認してしまう。肩にも手を掛けて、首を回す。いつもと違うところはなさそうだ。

「そんなに頼りなさそうですか?」

「頼りないというよりは、力が入り過ぎてる感じね。そんなに難しい仕事なの?」

 院長の言葉に、カフォラはカップを握る手を思わず緩めてしまった。

「難しくはない……と思います。もちろん、今までにない大きな任務だし、気を抜くつもりは全然ないんですけど。せっかくオーベルリート師団長が直々に指令をくださったんだし、頑張って良い成果を出したい。後込みしてるわけじゃないんです」

「師団長から直接任命されたの? すごいじゃない、カフォラ!」

 両手を合わせて喜ばしい顔を向けてくれた院長に、けれどカフォラは複雑な表情しか返せなかった。

「……でも、任命されたのはわたしだけじゃなかったので」

「ひとつの任務に複数人であたることは珍しいことではないでしょう?」

 院長の亡くなった夫は、かつて第九師団に所属していたらしい。なので、第九師団の任務の特殊性も実情も、普通の人々より詳しかった。

「それはそうなんですけど……院長先生。もし、嫌いな相手と仕事しなきゃいけなくなったら、どうしますか?」

 思い切ってそう告げたカフォラに、院長は、まあ、と目を大きく開き、続いて喧嘩する子供たちを見守るような瞳になった。

「一緒に任命されたその相手が、カフォラの苦手な人だったの?」

「苦手なんじゃありません。嫌いなだけです! あんな、イヤなやつ……っ!」

 カフォラがル・シェネ国の任務を与えられ、ユージーンの攻撃を受け、彼の性格を知ってから、五日が過ぎた。

 最初の沸騰するような激情はようやく落ち着いてきたものの、ユージーンに対する腹立ちは、心の底でじわじわと積み重なっている。

 この数日、新任務のための準備として、ル・シェネやサン・フルーラ教会に関する下調べをしたり、支援要員の団員と打ち合わせしたりで、ユージーンと同席することが多かった。その度に、彼の能力の高さと、そして性格の悪さを見せ付けられている。

 情報収集にしろ、何かの事前手配にしろ、自分がさらりとやってから「優等生のカフォラならこれくらいできて当然だろう?」という振り方をしてくる。カフォラも当然ながら負けられなくて、必死で同じ水準のことをして返す。

 他者からは、優秀な二人が切磋琢磨しあっているように見えるだろう。だが、ユージーンは「そんなに無理しなくてもいいのに」という視線を向けてくる。しかもカフォラにだけわかるように。

「あんなやつと一緒の任務だなんて、本当に御免なんです」

 再び手に力を込めて、カフォラは院長に訴えた。

 院長は眉を下げながら目を細める。

「貴女はもう小さい子供じゃないから、“嫌いな子とも仲良くしなきゃダメよ”なんてことは言わないわ。人にはどうしても相性の合わない相手もいるもの。でも、苦手な人だからといって、仕事をしないわけにもいかないからね」

「……そうなんです。オーベルリート師団長のためにも、任務は絶対に成功したい。でも、相棒がユージーン・ド・シオンだというのが、どうしても……」

「あら。ユージーンといえば、若手の有望な人じゃないの?」

「間違いなく、優等生ですよ。実力はあるし、見た目もいいし、ついでに家柄までいいし。でもでも、みんなには隠してるけど、性格にすっごく難ありなんです! みんな、あの笑顔に騙されてるんだわ」

「あらあら、それはまた、どこかの誰かさんと似て……」

 くすり、と笑いながら院長が小さく呟いたことは、カフォラの耳には届かなかった。

「準備中の今でもこんなにイライラさせられる相手と、どうやって一緒に仕事しろっていうんですか?」

「そうねぇ……」

 テーブルの上に残っていた干しイチジクをひとつ摘まんで、院長は軽く首を傾げた。

「どんな相手だろうと、一緒に何かを成し遂げるには、その相手を信頼するしかないわね」

「信頼? あんな嫌な人をですか?」

「その人を好きかどうかは別よ。貴女は少なくともユージーンの能力は評価しているのでしょう? カフォラが認めるのなら、それについてはきっと間違いないのだわ。その能力は信じて行動するの。例え嫌いな相手でも、そうすれば仕事はできるはずよ」

「……」

 院長が言うことは、カフォラにはいまいち納得できなかった。

——だいたい、いくら能力が高くても、それを行使する性格が曲がっていたら、信頼なんてできないわ。

 腑に落ちない顔をしているカフォラに、院長は優しく目を細めた。

「今はまだわからないかしら? まあ、こればかりは、実際にやってみるしかないのだけれどね……」

 しばらくの間、会話は途切れていた。カップのお茶がなくなり、今度はカフォラが立って新しく淹れる。院長が嬉しそうにそれに口を付けるのを待ってから、カフォラはもうひとつ心の中で燻っていることを取り出してみた。

「院長先生。もうひとつお聞きしてもいいですか?」

「なあに?」

「その……新婚夫婦って、どういう気持ちでいるんでしょう?」

「どうしたの? そんな唐突に」

「……えっと、そのっ……ちょっと、仕事で……詳しくはお話できないんですけど、わたしにはよくわからなくて……」

 新しい任務で、ユージーンと結婚したばかりの夫婦を演じて潜入しろ、と命じられた。

 ただでさえ嫌いな相手と、なぜ夫婦など装わなければならないのだろう。いくらそう思ったところで、夫婦としてル・シェネを訪れる用意は着々と進んでいる。

 任務の中身を考えたら、なるほど的はずれな役回りではない。仕方なく受け入れることにしたカフォラだが、新たな問題があった。

 今まで彼女の身近に“新婚夫婦”という存在がいなかったのだ。

 孤児院の関係者は年配の者がほとんどだし、師団員は独身の者が多い。だから、そういう男女二人がどのような振る舞いをするべきなのかが、カフォラにはよくわからない。

 街中で見掛ける、恐らく恋人同士だろう親しげな男女と同じようなものなのだろうか。それとも結婚すると関係は変わるものなのだろうか。

 とはいえ、こんなことを気軽に尋ねられる知り合いが師団の中にいるわけでもない。

 困ったあげく、人生経験の先輩である院長に振ってみたのだった。

「新婚とひとくちにいっても、政略結婚で無理矢理夫婦になった人もいれば、親や親族にお膳立てされた人もいれば、最初から好き合っていた人もいるでしょうからねぇ」

「それはそうなんですが、院長先生の場合はどうだったかでいいので教えてください」

「あら、私が新婚だったのなんて、もう何十年も昔のことですよ」

「それでも構いません。院長先生はご主人ととても仲が良かったそうじゃないですか。やっぱり新婚当初は、毎日わくわく楽しいものなんですか?」

「それはないわね」

「……え?」

 ばっさり即座に否定されて、カフォラは目を見開いた。

 対する院長は、にこやかに微笑みながら、若い頃を思い出す遠い視線になる。

「私と夫は、まあ、お互いに望んで結婚しましたけれどね。一緒に暮らし始めた頃は、毎日、どうしてこんな人と夫婦になってしまったんだろう、ってことばかり考えていたわ。生活の習慣から考え方から、お互いの悪いことばかりが目につくの」

 そんなことを明かされて、カフォラは“なあんだ”と心の中で安堵する。

(だったら、今わたしがユージーン・ド・シオンに抱いている感情とあまり変わらないじゃない。新婚夫婦のフリだって、なんとかなるかしら)

「でもね」

「はい?」

「不思議なことに、この人と一緒にいられて良かったな、と思うことも、一日に最低一回はあったのよ。そしていつの間にか、嫌なことは気にならなくなっていたの。だから、夫婦を続けていけたのね」

 そういって言葉を切った院長は、とても幸せそうな顔をしていた。

 それを見て、カフォラは直前の安心を取り消した。

(ユージーン・ド・シオンと組んで良かったと思うなんて、そんなの無理だわ。ましてや、あいつの嫌なところを気にしないだなんて!)

 顔をしかめてしまったカフォラに、院長は慰めるように付け足した。

「こっちについては、仕事と違って、夫婦それぞれよ。新婚夫婦の正解の形なんてないわ」

「……そうはいっても、新婚夫婦のフリはしなきゃいけないんです。しかも、できるだけ仲睦まじい様子で。それっぽく見せるにはどうしたらいいのか……」

 項垂れたカフォラの頭に、院長の手が優しく乗せられた。皺の多い手だが、それはとても温かく感じる。

「どうしても、ということだったら、とりあえず、その夫の役の人とできるだけ一緒にいたい、というフリをなさい。相手を苦手にしている今のカフォラなら、それでちょうど釣り合いが取れるでしょう」

「苦手なんじゃなくて、嫌いなんです!」

「はいはい」

 結局、院長からもらった二つの助言は、カフォラの悩みをすっきり解決してくれるものではなかった。

 だが、ル・シェネへの出立前にここを訪れたことで、カフォラはささくれ立っていた心を少しは落ち着けることができたのだった。

 

 

 

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