【2】
——オルテン第九師団の女子の制服は、まさにわたしが着るためにデザインされてるわよね!
鏡に映る自分の制服姿を見るたびに、カフォラはこっそりとそんなことを思っている。
こっくりとした黒色の布地は、カフォラの濃茶の髪色と互いに引き立て合っている。
上着は男性用制服と同じく詰襟で丈が長い。動きの妨げにならないように前後左右に深いスリットがあって、細い臙脂色で縁取られている。スリットの隙間から覗く短めのスカートは、ペチコートを重ねてふわりと広がり、編み上げたブーツにかかる。
華奢なカフォラがこの制服をきっちりと着込むと、清楚な中にも引き締まった意思が感じられる、彼女の可憐さが際立つ。
第九に限らずオルテン師団全体でも、師団員には女性は少ない。が、その少ない中でも、これほどに制服が似合っているのは自分以外にはいないはずだ。カフォラはそう確信していた。
(オーベルリート師団長にお会いするのに、おかしなところはないかしら?)
師団宿舎の自室の鏡の前でくるり、と一回転して、全身を確かめ直す。
どこから見ても可憐な制服姿だ——左手の袖口からわずかに見える、艷消しを施された飾り気のない銀色の腕輪を除いて。
その腕輪は、細いカフォラの手首にはいささか武骨で、彼女の可愛らしさにほんの少し違和感を与えている。だが、カフォラはそれだけは気にしていなかった。
腰まで届くまっすぐな髪を改めて梳り、上着の隙間から見えるスカートの襞の数まで細かく調整して、カフォラは頷いた。
「よし。優等生カフォラの出来上がり」
そう口に出して、鏡に笑顔を向ける。
その微笑みは、オルテン師団員がよく見知っている彼女の仮面だ。
「遅くならないうちに、師団長室に行かなきゃ」
昨日から夜通し続いていた分団対抗訓練が終わったのが、今日の昼前。昼食時間から続けての休憩を与えられたとはいえ、疲労はそれなりに溜まっている。
男性師団員だったら軽く仮眠を取るところだが、カフォラはその分の時間もゆっくりと湯を使い、身支度を整えた。
(訓練でくたびれた格好なんて、オーベルリート師団長に見せるわけにはいかないもの!)
もう一度、鏡に顔を近付けて最終確認して、カフォラは自室を出た。
師団宿舎では、第九師団員には、ベッドと小さな物入れの棚があるだけの狭さながらも、一人ずつに個室が与えられている。他の師団員は数人の相部屋になっているが、第九師団員だけは、同僚にも話せない任務が少なくないことから配慮されているのだ。
カフォラの私室があるのは、師団宿舎の三階だ。狭く急な階段を、軽快に駆け下りて、そのまま宿舎の建物を出る。
それから、少し離れて建つ第九師団の詰所へ小走りで向かった。
師団の建物はどれも、王都近隣の山から切り出した茶味のある石を積み上げた、荒削りで実用一辺倒な造りをしている。
初めて見たときは、カフォラも威圧的な空気を感じたものだった。だが、師団に入って二年経った今では違う。
(厳しくて無駄がなくて、でも整っている建物は、オーベルリート師団長のお姿と同じだわ!)
その共通点に気付いてからは、よけいな飾りのない師団の建物にも、好ましさと親近さを感じるほどだ。
詰所の建物は、走っても息が乱れない程度の距離だ。入り口手前の石段でいったん立ち止まって、念のために深呼吸をひとつ。その後は優等生に相応しく落ち着いた足取りで、建物の中へと入った。
師団長の執務室や会議室などは、詰所の二階にある。
一階は、一般団員用の待機室や食堂、室内用訓練室などが配置されていた。
そろそろ午後の休憩が終わるというこの時間帯、一階の廊下は夕方の訓練や新たな任務に向かう団員たちで賑わっている。
その人混みをするりと抜けて、カフォラは階段へ向かう。
そのカフォラに向かって、団員たちが明るい声を投げる。
「よう、カフォラ。訓練お疲れだったな」
「また活躍してたんだって? さすがだな」
「ありがとうございます。午後の訓練も頑張ってください!」
にこやかに返しながらも、カフォラの意識は二階にしか向かっていない。
(早くオーベルリート師団長のところへ行かせてよ!)
カドが立たないようにやり過ごして、カフォラは足早に階段を上った。
そこでもう一度、制服の乱れがないか確認する。襟元を整え直してから、今度はお淑やかに歩き始めた。
師団長の執務室は、二階の一番奥だ。廊下を曲がって師団長室の扉が見えた。
そして、その扉の前にすらりと佇む人影に、カフォラの眉がほんの少し寄る。
(ユージーン・ド・シオン……どうしてこいつと一緒なの!)
緩い癖のある金灰色の髪、理知的な青紫の瞳。見た人が思わず引き込まれるような穏やかな微笑を浮かべる秀麗な顔。
カフォラより三歳年上の、第一分団の有望な若手。
そして、カフォラが宿敵と看做す相手である。
孤児だったカフォラが、オルテン第九師団に入ったのは、二年前、十四歳のときだ。
歴代最年少入団を更新した、しかも華奢で可憐な少女に、師団内の視線は集まる。だが、カフォラはそんな注目をものともしなかった。
孤児で何の後ろ楯もない自分でも活躍できることを示したい、そんな意地もあるにはある。だが、もっと単純に、カフォラは評価される自分の姿が好きだった。
皆に誉められ、称賛されればされるほど気分がいい。より多くの評価を得るために努力もするし、本来の自分を抑えて優等生として振る舞うのも苦痛ではない。
そんな気質と、生来の能力の高さが相乗効果を発揮して、カフォラは訓練でも任務でも次々と活躍する。期待の新人・第二分団の優等生という代名詞を手に入れるまではあっという間だった。
ところが、そんなカフォラの行く先に、ひとつだけ影を落とす存在がいた。それが、ユージーン・ド・シオンだ。
彼のことを知ったのは、カフォラがまだ第九師団に入る前、師団の研修施設にいた頃だ。
師団の外でもその存在が噂になるほどに、ユージーンは優秀だった。
当時最年少の十五歳で第九師団に入団した彼は、最初から難しい任務を次々とこなしていった。
身体的な能力だけでなく、頭脳面でも飛び抜けていて、さらに薬草関連の知識にも長けていた。
もの柔らかな人柄と整った顔立ちで、師団員の間での評判も良い。
そんな第一分団きっての優等生であるユージーンと、カフォラは何かと比べられることが多かった。
最年少入団の記録は、カフォラが塗り替えた。どんなことでも負けないようにと、カフォラもあれこれと努力している。仕事の成果を上げるだけでなく、人柄でも劣っていると思われないように、模範的な振る舞いを意識している。
だが、彼を上回るほどの決定的な評価はそう簡単には得られない。
今のところ、第一分団と第二分団に並び立つ有望な若手の二人、というところで足踏みしてしまっている。
(いくら第二分団の中で評価が上がったって、誰かと横並びじゃダメなのよ! 特にそれが、入団してからずーっと目障りな、ユージーン・ド・シオンだなんて、絶対にイヤ!!)
そんな目の上の瘤のようなユージーン。さらに腹立たしいのは、彼が歴史あるシオン家の血筋だということだ。
師団員の多くは平民出身者だ。カフォラのように身寄りのない者も多い。皆が自身の能力だけを頼りに師団での立場を確かなものにしようとしている。
そんな中で、有力な家系出身のユージーンには、次期第九師団長の地位が約束されている、という噂もある。
けれどそれに安閑とすることもなく、控えめに真摯に任務にあたっているらしい、というのが、さらにいっそうカフォラの感情をざらつかせる。
(これで仕事に対する態度が悪いとか、そもそも性格が悪いとかだったら、まだ多少は親しみも湧くっていうのに。顔良し、能力良し、性格良し、家柄良しだなんて、ほんっとうに、イヤなやつ)
常々そう思っていたから、カフォラはできるだけユージーンと関わらないできた。分団が違ったから接点も少なかった。それなのに。
憧れのオーベルリートが招いてくれたのが、このユージーンと一緒だなんて。
全忍耐を集中して、表情はにこやかさを保っていたが、カフォラの内心はかなり荒れていた。
もっとも、ユージーンはそんなカフォラの感情に気付いた様子はない。
カフォラの姿を目にすると、軽く片手を挙げた。
「やあ」
「……待っていてくれたんですか?」
先輩に対する丁寧な言葉遣いを意識することで、ユージーンへの反感をごまかす。
わざわざ待たなくてもいいのに、とは言えない。
(っていうか、私が先に師団長のお部屋に入って、少しだけでも師団長と二人きりになろうと思ってたのに! なんで先に来てるのよ!)
「二人同時に呼ばれたんだから、揃って入室した方がいいと思って」
「そうですか……お待たせしました」
殊勝に頭を下げてみせたカフォラに、ユージーンはいつもの微笑みを向ける。
「時間には間に合っているから構わないよ。じゃあ、行こうか」
そして師団長執務室の扉をノックした。
「第一分団ユージーンと第二分団カフォラです」
「入れ」
すぐに室内から低く響く声が返ってきた。
「失礼します」
カフォラもユージーンも背筋を伸ばして入室し、部屋の主に向かって敬礼する。
「第一分団ユージーン、オーベルリート師団長の命に従い、出頭しました」
「第二分団カフォラ、同じく出頭しました」
執務机の向こう側で、二人の敬礼に自然な動作で応えたオーベルリートは、師団長という役職にしてはまだ年若い青年だ。
二十代後半の若さで密偵集団の長になった彼は、灰色の瞳が鋭く、冷徹な印象を与える。彼自身も、元は冷酷かつ有能な第九師団員として活躍していたらしい。
普段の態度は厳しいが、その判断や指示は的確で、師団員たちには恐れられつつも信頼されている。
またオーベルリートは、師団員だけでなく王宮内外の女性からも人気があった。
鍛えられて均整の取れた長身、漆黒の長い髪、彫り深く端正な顔立ち。着飾った淑女達がどんな手管で誘いをかけても、ほとんど表情を変えない冷静さが、いっそう女達の興味を煽っているらしい。
そしてカフォラには、それが気にくわない。
オーベルリート本人はそんなことに頓着しないどころか、迷惑にすら思っているようなのでまだいい。だが、できることなら、オーベルリートの外側だけに釣られるような軽々しい女性たちなど、片っ端から排除してしまいたい。
(オーベルリート師団長には、家柄と着飾った外面だけの女なんて相応しくないの! もっと師団長のお役に立てる素敵な女性じゃなきゃ!)
そして、そんな女性になるために、カフォラは日々努力しているのだ。
三年前、孤児だったカフォラの才能を見出だし、師団の専門養育・研修機関に預け、第九師団に入る道筋を開いてくれたのは、師団長に就任したばかりのオーベルリートだった。
その当時から、彼はカフォラの憧れの存在だ。
師団で活躍して、彼の役に立ちたい。彼に恩返しをしたい。そして、彼の隣に並ぶのに相応しい女性になりたい。
カフォラが優等生であろうとする、もう一つの理由だ。
今も、オーベルリートからどんな指示が出されても完璧に受け答えをしようと、全身を集中させて執務机の前に立っていた。
そんなカフォラの気負いを知ってか知らずか、オーベルリートはいつもと変わらない様子で口を開いた。
「午前中までの訓練はご苦労だった。二人の行動は、第一分団/第二分団の各分団長が評価していたぞ」
「ありがとうございます」
「分団の皆さんの協力があったおかげです」
さらりと礼を述べたユージーンを意識して、カフォラは謙遜の言葉を付け加える。
心の中では(当然でしょ!)と思っていたとしても、だ。
「ところで、二人に新しく関わってもらいたい案件がある。分団を越えての話なので、直接こちらに来てもらった」
「はい!」
カフォラの背筋が、改めて伸びた。
期待(妄想?)していた個人的な話ではなかったものの、師団長から直々に任務の説明を受けるのは初めてのことだ。それだけ重要な案件に違いない。そしてそれを任せられるということは、オーベルリートに信頼されている証でもあるはずだ。
オーベルリートは、机の上に立て並べていた書類挟みからひとつを取り出して広げた。内容は頭の中に入っているのか、書面はほとんど見ずに話しだす。
「ル・シェネ国のサン・フルーラ教会を知っているか」
「……ル・シェネ国の主教会ですね。精緻な彫刻のファサードが有名だと聞いていますが」
ユージーンが、記憶を探るように少し上を見ながら述べる。
ル・シェネは、オルテンの南西に山脈を隔てて隣り合う国だ。肥沃な大地を持つ安定した農業大国で、近年に大きな戦争はなく、オルテンの各師団が派遣されたこともない。さすがのユージーンも、一般的な知識しか持っていないようだ。
カフォラも、ル・シェネ国自体については、深くは知らない。だが、その教会の名前には聞き覚えがあった。
「サン・フルーラ教会の守護聖人は、聖女フローラですね。聖女フローラは、恋人たちの守護聖人とも言われているので、若い女性や少女に人気があります。サン・フルーラ教会も女性の参拝客で賑わっているとか」
「やはり若い娘だけあるな。カフォラは知っていたか」
(だって、オーベルリート師団長との素敵な未来をお願いしたことがありますから!)
カフォラはル・シェネへ行ったことはない。だが、オルテンの王都にある教会でも、聖女フローラのお守りは、若い少女向けに好評なアイテムとして扱われている。
所詮は子供騙しと思いながらも、カフォラも他の少女たちに混じって、祝祭のときにこっそり手に入れて、憧れの相手の姿を思い浮かべたりしたことがあった。
だが、さすがにそれを正直に口には出せなかった。
ひとまず知識があることをオーベルリートに示せたことで満足することにして、カフォラは曖昧に微笑んだ。
「女性客だけでなく、若い夫婦にも人気があるようだな。新婚のうちに詣でると、末永く夫婦円満でいられるとか」
ときおり書類に目をやりながら話すオーベルリートの表情は、いつもどおりに鋭いままだ。恋愛や結婚といった甘い内容は、自分とは無縁と言わんばかりだ。
その態度が彼らしく、かっこいい、と思いながらも、カフォラは少し物足りない。
これで、この部屋の中にオーベルリートと自分の二人だけだったら。邪魔なユージーン・ド・シオンがいなかったら、多少は違ったのではないだろうか。
ついそんなことを考えてしまって、ちらりと隣に立つ宿敵を見上げる。
だが、ユージーンも普段と変わりなくオーベルリートの話を聞いているだけだ。
ごく小さな溜め息をついて、カフォラはオーベルリートの説明に意識を戻した。
「それで、発生している問題だが、その教会に赴いた夫婦のうち、何組かが家に戻って来ていない」
「行方がわからないのですか?」
「いや。居場所はわかっている。教義に心酔して教会に留まりつづけている、という話だ」
「……それは。待っている家族にとっては気を揉む状況かもしれませんが、だからといって我々が関わるほどの事態なのでしょうか」
ユージーンと同調するのは不本意だが、その意見はカフォラも同じだった。
「それが、関係がある。実は戻ってきていない夫婦の中に、オルテン師団の関係者がいるのだ」
そう言われて、カフォラとユージーンの顔がすっと険しくなった。
「ナダル・ド・バルビエール。第三師団のバルビエール師団長の次男だ」
オーベルリートは、書類の中から、一枚の紙を取り出して机に置いた。
カフォラとユージーンは一歩進んでそれを覗きこむ。木炭で手早く書かれた似顔絵は、肩にかかる巻き毛の青年だった。
父親のバルビエール師団長の顔は、カフォラも見知っている。似顔絵の中の太い眉や顎の線は、その師団長を思い起こさせる。だが、父親と比べると、目許のあたりに自信が感じられなかった。
「このナダルが結婚したのが、三ヶ月ほど前。相手はル・シェネ国の名家シャルダン家の娘クリスティーヌ。クリスティーヌは一人娘だったから、ナダルが婿に行っている。婚約から結婚までの過程には特段の揉め事は起こっていない。両家だけでなく、当人たちも納得済みの婚姻だったようだ」
有力家系の人々にとって、結婚は当人同士の恋愛感情よりも家の事情が優先される。当人たちに大きな不満がないのは、十分に成功の範疇だろう。
「ところが、問題は結婚後に起こった。妻となったクリスティーヌの希望で、二人はサン・フルーラ教会へ参拝に行った。クリスティーヌの方が聖女フローラのファンだったようだ。そしてそのまま二人は教会に留まり続けている」
最初は単に『じっくり教会を堪能したいから、もう少し滞在したい』という話だった。ところが『司教様の説話をもっと詳しく聞きたい』『祭礼典に参加したい』『慈善活動を手伝いたい』と理由をつけて、二人の滞在がずるずると延び続けている。
二人は家族と連絡を絶ってはいない。手紙のやり取りを何度かして、やがてはシャルダン家の使者が面会にも行って、それでも埒があかない。いつ帰るとも明確にせず、かといって帰らないとも言わず。ただ曖昧に教会に居座っている。
「これがナダル夫妻だけの話なら、愚かな若夫婦の我が儘で済ますところだ。ところが、気になったバルビエール師団長が探ったところ、他にも同じような夫婦が何組もいるらしい。どうやら、新婚の夫婦の中でも特に選ばれた者にだけ、何か特別な加護がある、という話らしいが、詳しいことはまだわかっていない」
「教会側はどういう態度なんですか?」
「サン・フルーラ教会側は『信者が心ゆくまで祈るのが、神の御心に叶うだろう』と言うだけで、何の対応もしようとしていない」
「彼らが教会に留まることで、教会には何か利益があるのでしょうか?」
首を傾げたユージーンに、オーベルリートは小さく頭を振る。
「寄付金がいくらか入るかもしれんが、家督を継いでいない若夫婦のみの寄付ではたかが知れている。それぞれの実家と事を構えるほどではないだろう」
「ということは、戻ってこない夫婦の実家は、有力な家が多いのですか?」
オーベルリートに自分のできるところを見せたい。その一心で話に耳を傾けていたカフォラは、オーベルリートの言い回しに引っ掛かった。
それにオーベルリートは頷いて返す。
「各国の上層部に近い家ばかりだ。そして先日、バルビエール師団長の元に届いたナダルからの手紙には、父親の様子を尋ねる流れで、今後の行動予定を探る文が含まれていた」
ユージーンが片手を顎にあてて眉をひそめた。
「オルテン第三師団長の予定をですか?」
「そうだ」
「それは看過できませんね……」
「バルビエール師団長も同じ意見だったのだろう。第九師団に相談が回ってきた」
オーベルリートは書類挟みから、もう何枚か取り出す。ナダルからの手紙の写しらしい。
「何のためにオルテン師団の予定を知ろうとしているのか。それはナダル本人の意思なのか、あるいは他者の思惑も絡んでいるのか。現時点ではわからない。だが、状況から見て、サン・フルーラ教会が何らか関わっている可能性は高い」
「教会が他国の上層部の動向を把握して、どうしようというのでしょう? サン・フルーラ教会と他国が揉めているという話は聞きませんが」
いくつか考えてみたものの、カフォラには妥当な理由が思い付かなかった。
教会は各国の政治体制とは別に独立した組織だ。過去には国や都市と争うほど勢力が大きかったこともあるようだが、今現在はそこまで影響力は強くない。祭日や、誕生や結婚、葬儀など、人々の生活の節目で関わっているだけだ。
教会内部の揉め事や権力争いはあっても、国家レベルの問題にはなっていない。
「それを探ってくるのが、今回の任務だ」
はっきりと言い切られて、カフォラはいっそう背筋が伸びる気がした。
もちろん、今までの任務でも他国に赴いたことはある。だが、それは先輩師団員の補助だったり、あるいは小国での小さな案件だったりした。ル・シェネのような大国で、しかも自分が中心になるような任務は今回が初めてだ。
そんな案件に就けてもらえたことが単純に嬉しかった。そして期待されている以上の成果を挙げて、オーベルリートの役に立ちたい。
「先にひとつ質問しても構いませんか?」
隣から落ち着いた声が発せられて、カフォラは高揚した気分に水を差された気がした。
(何よ。任務の内容に文句をつけるつもり?)
だがカフォラの勘繰りに反して、ユージーンは不満そうな気配はない。
「何だ?」
「なぜ今回の任務では、僕と彼女の二人で組むことになったのでしょう。分団も違うし、今まで組んだこともないのに」
「そのことか。今回の件は、若者に人気のある教会でのことなので、若手の団員を向かわせたかった。だが、ル・シェネという大国が舞台だ。状況もはっきりしていないから、優秀な団員でないと務まらないだろう。そこで、両分団長と相談して、各分団一人ずつ選出した結果だ。何か心配事でもあったか?」
「いいえ。ただ、僕は単独で任務に当たることが多かったので。誰かと組むのは珍しいなと思っただけですが、そういうことなら了解です」
「カフォラの方も、問題はないか?」
「……いいえ、ありません。選んでいただいて光栄です」
(第一分団長ったら、どうして別の人を選んでくれなかったのよ!)
ユージーン以外であれば、足を引っ張られるような役立たずでない限り、どんなパートナーでもよかったのに。
という気持ちは、喉の奥で飲み込んだ。
「それで、僕たち二人で、どのような形で潜入すればいいのですか?」
潜入捜査にあたっては、通常は現地の補助要員が事前の準備をしてくれる。滞在場所や潜入先への紹介状などの手配があるからこそ、第九師団員たちも円滑に密偵として相手の懐に入り込める。そしてその用意された役割になりきることが、まずは任務の第一歩だった。
「わざわざ二人で担当するいうことは、潜り込む先が二ヶ所あるということでしょうか?」
ユージーンの質問に、カフォラの心が少し明るくなった。
(そうよ! 二人別々の場所に潜入するのであれば、ユージーン・ド・シオンと顔を合わせる回数もきっと少ないはず)
それならば、たとえ宿敵と組まさせられても、なんとか耐えられそうな気がする。
それに考えてみれば、これは良い機会なのかもしれない。——今までこれといって差がつかなかったが、同じ任務に就けば、二人の能力の違いもはっきりするはずだ。ここでユージーンよりも自分の方が有能だということを明らかにしてやればいいのだ。
そう思って、カフォラはようやく新しい任務に前向きな気持ちになりかけた。
だが、それも長くは続かなかった。
オーベルリートに告げられた内容が、再びカフォラを暗澹たる気分に叩き戻したのである。
「いや、潜入先は同じだ」
「僕たち二人が同じところに? それは目立つのではないですか?」
「今回は二人の方が自然なのだ。そのために……ユージーンとカフォラには、結婚してもらう」
「……は?」
「……っけ、結婚っ!? わたしとユージーン・ド・シオンがですかーっ!?」
ユージーンは、優等生にしては珍しい、やや間の抜けた反応を返す。
だが、それを被い尽くす勢いで、カフォラの悲鳴のような声が師団長室の外にまで響いた——