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【3】

 会場に戻ると、室内楽団の演奏が歓談用のものからダンス用のものに切り替わるところだった。

 パーティ参加者は若い夫婦が多いだけあって、次々と踊りの輪が広がっていく。

「僕たちも行こうか。あ、確認するの忘れてたけど、ダンスは踊れる? まあ、苦手でも僕がリードするから気にせず……」

「踊れるに決まってるでしょ! わたしを誰だと思ってるのよ」

 わざとらしく気遣ってみせるユージーンを逆に引っ張るようにして、カフォラも踊りの波に加わった。

 けっして踊り慣れているわけではないが、身体を動かすことは得意なカフォラだ。研修で覚えた基本のステップを、音楽に合わせて組み合わせていくことで、滑らかにリズムに乗る。

「さすがだね」

 そう言うユージーンも、優雅に曲に合わせて足を運ぶ。こちらは時おり複雑なステップも組み合わせて、高度なダンスの技巧が伺える。踊っている他の夫婦と見比べてみても、ユージーンの足捌きはとても滑らかだ。

(何よ、なんだかんだ言ったところで、やっぱりパーティに慣れてるじゃないのよ)

 余裕の笑顔でカフォラをリードして踊るユージーンに、カフォラはいつものように競争心を刺激される。

 ジュリエッタ夫妻やマリアンヌ夫妻よりは息の合ったところを見せないといけない、という思いもあったが、それ以上に、ユージーンにリードされっぱなしでいることに我慢できない。

 カフォラは曲の旋律に耳を澄ませリズムに身を任せながら、ユージーンの手が触れている背中と指先に特に意識を集中させた。彼の手に力が入るタイミングを見越して、ほぼ同時に身体の向きを変える。

 カフォラにリードされたようになって、ユージーンの眉が軽く上がった。それからにこり、と唇の端が持ち上がって、カフォラを支える手の力が強まる。

 その次は、ユージーンの方が少しだけ早く動いて、カフォラのドレスの裾があでやかに翻る。

 そんなことを繰り返していくうちに、カフォラとユージーン、どちらがリードしているということもなくなってきた。ただひたすら、曲の流れに乗って、軽やかに足を運ぶ。

 いつの間にか、ユージーンとの優劣を競う気持ちは薄れて、曲調にぴったりと合わせて踊ることの気持ち良さの方が大きくなっていた。それに、自然とカフォラの顔に明るい笑顔が広がる。

 それを見て、ユージーンも楽しそうな笑顔をこぼす。

 けれど、踊ることに真剣になっていたカフォラは気付いていなかった。

 そうやって踊る二人の様子は、傍から見たらとても息の合った仲睦まじい姿だということに。

 そして、二人を見ていた大司教レニエが、傍らの司祭に何事かを素早く呟いたことも。

 やがて曲は終盤になり、踊りの輪は少しずつ動きを緩めていく。

 最後の一音に合わせて、カフォラたちはぴたり、と足を止めた。

「とても素敵なダンスだったね。君と踊れて、とても楽しかったよ、奥さん」

「こちらこそ、ありがとう、あなた」

 夫婦のフリを続けながらも、カフォラの上気した頬には、演技だけではない笑顔があった。

 弾んだ息が落ち着く頃、広間に拍手の音が響く。奥の方に腰掛けていた大司教レニエが、手を叩きながら踊りの輪に近付いてきていた。

「皆さん、素晴らしいダンスでしたね。夫婦ぴったりと息の合った様子は、きっと聖女フローラも感心されることでしょう」

 そして、三組の候補者夫婦を順に見やっていく。

「さて。パーティはまだしばらく続きますが、あなた方は、私と来ていただけますか。フローラの祝福を授かるのに相応しいかどうか、最後の確認をします」

 その言葉に、カフォラの気持ちがすっと引き締まった。隣のユージーンからも、ダンスでほぐれた気配が消える。

「まあ。確認って、何かしら……?」

「わたくしはどんなことでも気にならないわ。わたくし達はもう選ばれてるに違いないもの」

 不安そうに呟くマリアンヌと、去勢を張るジュリエッタ。だが、二組とも自分たちが選考から落とされるとは思っていなさそうだ。

 司祭に案内されるままに、三組はパーティ会場から足を踏み出す。

 パーティをしている建物と聖堂の円屋根のすき間から見える夜空には、星が綺麗に瞬いていた。ダンスで火照った身体に、外の空気は気持ちよい。

 が、屋外にいたのはほんのわずかな間だけだった。

 司祭を先頭に教会の中に入り身廊を進む。

 夜の教会はひっそりとしていて、ただ足音だけがコツコツと響く。ところどころに申し訳程度に置かれた蝋燭が、人々の影を長く引き伸ばしていた。

 やがて辿り着いたのは、聖堂の手前。身廊と区切るために低い柵が置かれているところで先導の司祭が立ち止まり、カフォラたちもその前に寄る。

 聖堂の中には灯りがない。ただ暗く、ぽっかりとした闇が溜まっている。

「ここで何をするっていうの?」

 ジュリエッタの上ずった声には誰からも応えはなかった。

「灯りを」

 後ろからやってきたレニエの命令に、聖堂内がふわりと明るくなる。

 カフォラは柵越しに聖堂内を覗き込んだ。天井付近を見上げると、昨日、円屋根の上から見つけた壁沿いの通路に、蝋燭を灯して回る何人かの影があった。

(傭兵……!)

 リオネル本人の姿は見えないが、彼の部下たちのようだ。

 警戒に眉をひそめたカフォラの肩が、ぐいっと引き戻された。

「暗いから気を付けて……それに、香が焚かれている」

ユージーンの胸元に抱き留められて、耳元で小さく囁かれる。その内容に、益々カフォラの警戒心は強まった。

 ユージーンに身を寄せながら、不安そうに手を口元に近付けて深く息を吸い込まないように注意する。

「あなたは大丈夫なの?」

「僕はこういうモノには耐性があるから」

 あっさりと返されて、カフォラは別の意味で眉根が寄った。

 耐性がある理由は、先ほど聞いたばかりのユージーンの生い立ち故だろう。

 だが、今ここでそれをどうこう言っても仕方ない。カフォラは目の前のことに意識を集中し直す。

「さあ、皆さん。フローラの祝福を授かるための最後の試練です」

 聖堂の柵の前に立ったレニエ大司教が、仰々しく両腕を広げた。

「この何日か皆さんの様子を見ていて、どの夫婦も十分に互いのことを想っているようだということがわかりました。また、教会と聖女フローラへ尽くそうという気持ちもよく伺えました。けれども、特別な祝福を授かるのに相応しいほどなのかは、残念ながら確信を持てていません」

「そんな! わたくし達の心を疑われるのですか!? 寄進も融資の話も、けっして嘘ではありませんのに!」

 ジュリエッタの抗議に、レニエは軽く首を振る。

「皆さんのお話はとてもありがたく思っています。けれども、不測の事態が起これば、人の心は揺らぐもの。どんな状況でも、教会と夫婦の愛に忠誠を捧げられるかはわからない。最後の試練として、それを確かめさせてもらいます」

「私たち夫婦は、どんなことにでも応えてみせますわ」

 マリアンヌがジョルジュと手を取り合ってそう言い切る。その表情が、何かに取り憑かれたように強張っていて、カフォラは違和感を持つ。

(香が強くなっている……?)

 聖堂から流れ出てくる空気に含まれる香りが鼻につく。手首に巻いたリボンに鼻を近付けて、香水の香りで中和を試みる。

「さて、準備ができたようだ」

 候補者たちに見せるつもりなのか、レニエは柵の前から退いた。

「ご覧なさい。聖堂の中心にある宝珠、あの中に聖女フローラの特別な祝福が収められています。それをご自分たちの手で獲得できれば、祝福はそのままあなた方のものとなります」

(どういうこと?)

 カフォラとユージーンも、他二組の夫婦も、柵の前に寄って聖堂内を覗き込む。そこに用意されていた光景に、目を見開いた。

「……何、あれ?」

 思わず、疑問が口からこぼれる。

 聖堂の天井から太い棒で吊り下げられている金色の宝珠は、人の頭よりもひとまわりほど大きい。昼間は天窓から差し込む陽光を明るく反射していた球も、今は弱々しく揺らめく蝋燭の炎にほの暗い輝きを返すだけだ。

 その宝珠に手が届くかどうか、という高さのところに、ロープで両脇を吊られた木板がぶら下がっていた。

(ブランコみたいね)

 形は確かに子供が遊ぶブランコに似ている。だが、吊り下げられている場所が普通ではない。

 どうやら、天井の窓近くにフックを付けて、そこに木板を支えるロープを通している。そしてロープの反対側は、通路にいる傭兵たちが支えている。さらに目をこらすと、ブランコにはもう一本ロープがあり、それはフックを通じて宝珠につながっているようだ。

 そういえば、天井際の通路にはロープや棒が置いてあったな、と思い出した。

「あれを使って、宝珠の中身を手に入れてください。まずはブランコに妻が座ります。夫がロープを引いてブランコを宝珠の高さまで持ち上げれば、宝珠に手が届きます」

「……持ち上げる、って、あんな高いところまで!? しかも宝珠を取ろうとしたら、縄から手を離さなければいけないじゃないですか!」

 ジュリエッタが上を見上げながら悲鳴のような声を上げる。

「夫が縄を持つ、って、途中で力尽きたらどうするんです!? ブランコに乗っている方は床に落とされてしまうわ!」

 マリアンヌもひきった顔になって後退る。

「どうして、こんな危険なことで、祝福を授かれるかどうかが決まるのですか?」

 カフォラも恐ろしげな表情で問いかける。それにレニエは自信たっぷりに答えた。

「危険だからですよ。教会に忠誠を尽くすには、難しい決断を迫られることもあるでしょう。その予行演習と思っていただければいい。そして祝福を手に入れるには、夫婦二人の協力が不可欠です。お互いの信頼度を量るのにもちょうど良いではありませんか」

(お互いの信頼……)

 その単語に、カフォラはつい引っ掛かってしまう。

 ユージーンとの気まずさは、先ほどのパーティで解消された。とはいえ、それと彼のことを信頼できるかどうかは別問題だ。

(ユージーン・ド・シオンを信頼して協力する……? 冗談じゃないわ!)

 それは、この任務を言い渡されたときから変わらないカフォラの気持ちだ。

 ちらり、とユージーンを見上げる。

 心配そうに宝珠とブランコを見つめているのは演技でしかないだろうが、彼が本心で何を考えているかは、その表情からは読み取れない。

「どなたからいきましょうか。そうですね……バーデン家夫妻はどうですか?」

 レニエから名指しされたマリアンヌは、ひっ、と息をのんで、いっそう後ずさった。

「む、無理です。私にはあんな高いところ。しかも、ジョルジュ一人で支えるなんて……!」

「おや、ご夫君を信頼できないと?」

「そういうわけでは……でも、だって、ジョルジュは普段はとても優しいけれども、いざというときの決断は鈍いし……」

「何だって!? 君は私のことをそんな風に思っていたのか!?」

「だって、だいたいあなたは、結婚式の準備だって……!」

「言わせておけば……! 君だって、大人しそうな顔しておきながら、我が儘なことをしょっちゅう……」

 そのままマリアンヌとジョルジュは険悪な口論を始めてしまう。

(意外だわ。人の良さそうだったこの二人がこんな風になるなんて)

 つい醒めた目で見てしまったカフォラだったが、他の人々も同様の感想を抱いたようだ。

「おやおや。一番有利な候補者夫婦だと思っていたのですが…… こんな様子では、祝福を受け取れる資格はありませんね。……連れて行け」

 レニエの最後の鋭い声は、いつの間にか彼の背後に控えていた傭兵に向かってだった。

(リオネル!)

 そこに立っていたのは、鋼色の髪の男。

 思わず身を硬くするカフォラには目をくれず、リオネルは部下達に指図してマリアンヌ夫妻を身廊から連れ出す。二人はいくらか抵抗しながらも、自分たちの言い争いに夢中なようだった。

「さて、それでは次は、カタローナ家夫妻にしましょうか」

 次に指名されたジュリエッタは、ごくりと唾を飲み込むと、沈痛な面持ちで一歩進み出した。

「……わたくしは」

「待つんだ、ジュリエッタ! 君がこんな危険な目に遭う必要はない!」

 そのジュリエッタの前に、アランが立ち塞がる。

「アラン。でも、やらなければ祝福は手に入らないわ」

「君に無茶をさせてまで、祝福は欲しくない」

「そんなこと言っても! 祝福が手に入れば、あなたの家督は安泰でしょう。弟たちの悪巧みに負けることもなくなるわ。あなたのために、わたくしは祝福が……」

「ありがとう、ジュリエッタ。君のその気持ちがあれば、聖女の祝福なんかなくても、きっと困難に打ち克っていけるよ。君には苦労を掛けるかもしれないけれど、一緒に歩んでくれるかい?」

「もちろんよ、アラン! わたくしを気遣って、わざわざ難しい選択をしてくれるあなたに、わたくしはずっとついて行くわ」

 そしてジュリエッタとアランはひしっと抱きしめ合う。

(……ずいぶんと芝居がかっているけど、でも、この夫婦も仲は良いのよね。似た者どうしというか)

 あれこれと嫌味を言われたので、カフォラはジュリエッタ夫妻に良い印象は持っていない。だが、仲睦まじさを疑う余地はない。

「互いを想い合うその気持ちはもったいないですが、自らいらない、と言う方々には祝福は授けられませんね。お二人もここでおしまいです」

 レニエの宣告に、傭兵たちがジュリエッタ夫妻を囲む。二人は感動に潤んだ瞳で大人しく傭兵たちに付き従って身廊から出ていった。残っていた司祭も付き従っていく。

 聖堂前に残っているのは、大司教レニエと、リオネルを始めとして傭兵が幾人か。そして、カフォラとユージーンの二人となった。

 レニエの細い眼が、見定めるようにカフォラたちに向けられる。

「では、最後にシオン家夫妻。あなた方はいかがですか?」

 

 

 

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