【1】
香り高い紅茶に、皿一杯の甘い菓子、花瓶に活けられた花から漂う香り、華やかな調度。
それらを囲む女性たちの色とりどりのドレスと、軽やかな笑い声。
そのただ中にいながらも、カフォラの気分は沈みがちだった。
彼女がいるのは、サン・フルーラ教会の窓の大きな談話室だ。
教会にやってきて三日目。この日の午前中は、教会への奉仕活動を兼ねて、女性陣だけのお茶会が催されていた。カフォラたち祝福の候補者と、過去の選抜者の女性が集まって、教会の紋章の刺繍をしながらお喋りに花を咲かせている。
その間、男性陣は撞球室で過ごしているはずだ。男女それぞれ、反対側には潜り込みにくい集まりとなっているため、カフォラとユージーンは各々の場で情報収集にあたることになる。
朝食後の別れ際、カフォラは新妻として「一人になるのは少し不安で寂しい」という素振りを見せ、ユージーンは夫として「後で迎えに行くから、他の皆さんによくしてもらうように」と軽く抱き寄せてみせた。そんなやりとりをしておきながらも、カフォラの本心は、今日は一人ずつの潜入で良かったと思っていた。
昨夜のユージーンとの気まずい衝突は、まだ何も解決していなかったからだ。
ほどなく戻ってきたユージーンと連れ立って夕食に行ったものの、それまでどおりの甘ったるい演技も、どことなくよそよそしい雰囲気になるのは避けられなかった。
夕食後、ユージーンは、従者に確認したいことがあると言ってしばらく部屋を不在にしていたが、カフォラの方は、さすがに部屋を抜け出すつもりはなかった。かといって他にできることもない。仕方なく、早々に寝室に引き蘢る。
一つしかない寝室だから、そのうちユージーンが来るのはわかっている。ベッドに潜り、ユージーン側に背中を向けて身を固くしているしかなかった。
やがて調査の手配を終えたのだろうユージーンも寝室に入ってきた。そんなカフォラを見ても何を言うでもなく、無言のままベッドの反対側に入る気配を感じた。
そうして会話のないまま朝を迎え、その後も任務に必要な最低限の言葉のみやりとりして部屋を出た。
今日の夜は、祝福の関係者全員が集まるパーティの予定だ。ターゲットへの接触は、そのパーティのときとする。だからそれまでに関係者の情報を少しでも集めること。それだけが今日の確認事項だった。それまでの密なやりとりと比べると、かなりあっさりとしている。
「お茶をもう少しいかが?」
穏やかな声を掛けられて、カフォラは手元から顔を上げた。
カフォラの手には、サン・フルーラ教会の紋章を刺繍しかけのハンカチがあった。女性たちの奉仕活動で用意され、教会関係者に配布されるものだ。
「そんなに真剣な顔をしなくても、もっとおおらかな気持ちで刺繍していただいて構わないわよ。少しくらい歪んでも、フローラはお怒りにはならないわ」
話しかけてくれたのは、選抜者のうちの一人だった。おっとりと微笑まれて、カフォラは頬を染める。
潜入時用の行儀作法研修の一環で、刺繍や編み物といった淑女の嗜みとされることを、カフォラも一応は知っている。だが、日常的に行っていないのでお世辞にも得意とはいえない。作業を手伝うことになって、なんとかボロが出ないようにと苦闘していたことを見抜かれたのだろうか。
「すみません。実は、刺繍はあまり得意ではなくて……」
「山奥では、繊細な刺繍なんてする機会がないんでしょう? 無理することないわよ」
相変わらず高慢なジュリエッタの声が割り込んでくる。それに、カフォラは内心の反発を抑えながら曖昧に微笑んだ。彼女に面と向かって反論したりするのは無駄だ。
「心配するほどの出来ではなくてよ。それよりも、他に何か気になることでもあるのかしら? ときどき手が止まっていたわ」
「いえ、別に……」
「愛しの旦那様と離れて寂しいのかしら? 朝の様子だと、とても仲が良さそうだったものね」
反対側から、別の女性の声がかかった。
「そんなことは……」
「あら、照れなくてもいいわよ。あんなに良くしてくれる旦那様ですもの。離れたら不安になるのは当然よね」
(いや、むしろ、別行動できてせいせいしてますからっ!)
心の中ではそう叫んでみたものの、口に出すわけにはいかず、カフォラは曖昧な微笑みを続ける。とりあえず、仲の良い新婚夫婦の演技がうまくできている結果だと思うことにした。
「でも、わたしたちだけでなく、皆さんも旦那様と仲睦まじいですよね」
恋人たちの守護聖人と言われる聖女フローラの特別な祝福を授かったと言うだけあって、過去の選抜者夫婦たちは皆、傍目にも充分に良好な夫婦関係に思える。
そして候補者であるあと二組の夫婦についても、控えめなマリアンヌとジョルジュはもちろんのこと、気が強いジュリエッタとアランも、それぞれに仲良さげである。
どちらの夫婦も、聖女の祝福に充分に相応しいのてはないだろうか。
(となると、決め手は何になるのかしらね。やっぱり実家の力かなぁ……)
その点では、カフォラたちは不利だ。それを覆せるほどの優位性を何かで稼がなければならない。
家の力に関係なく大司教に気に入られることはあるだろうか。彼への忠誠心を装うには……——ふと、質問の糸口がつかめた。
「あの……皆さん。例えばなんですけど、もし大司教様が出世なさって、他の教会に転属になったとしたら、聖女フローラの祝福はどうなるのでしょうか?」
カフォラの仮定に、ジュリエッタとマリアンヌがはっとした顔になった。二人とも、大司教レニエに対して大盤振る舞いでいた。だがもし大司教がこの教会からいなくなってしまったら、その気前の良さも無駄になるおそれがあるのだ。
けれども、過去の選抜者たちはその質問にきょとん、とした顔を返した。
「大司教様は他の教会には行かれないわよ」
「え?」
通常、教会の重職は、数年ごとに各地の教会の要職者が持ち回りで担当している。そして何箇所かで経験を積んだ人物が、中央教会の上位職に推薦され、さらに地位を上げていく。その流れでいけば、レニエもそのうちにサン・フルーラ教会から異動するはずだ。
「何十年も先の話はわからないけれど、でも当分の間はレニエ大司教様はこの教会の筆頭でいらっしゃるはずだわ」
「そうなんですか?」
「ええ。レニエ大司教様はかなりお若い年齢で大司教になられたから、さすがにまだ当分の間、これ以上の出世はないわ。縁故の強いこのサン・フルーラ教会で、中央教会での役職に相応しい年齢になるまで経験を積まれるそうよ」
「大司教様はとても優秀な方なのに、若すぎるという理由でなかなか出世できなかったんだけど、ご実家の縁が深いこのサン・フルーラ教会でようやくその能力に相応しい地位を得られたの。他の教会に行ってしまっては、またやっかみでアレコレ言う人たちが出てくるわ」
「この教会の大司教位なら、他の小さな教会をぐるぐる回るよりも格が高いものね。レニエ大司教様のお年を考えたら、あと十数年はサン・フルーラ教会にいらっしゃるんじゃないかしら」
「だから、当分はよけいなことを考えなくても、大司教様にお仕えしておけば良いのよ」
先輩たちの言葉に、マリアンヌたちは安堵の表情を浮かべて、再び他愛ないお喋りに戻っていった。
カフォラも納得した顔を見せておく。けれども、頭の中では思考を重ねていた。
(そんなに長期間この教会にいることが決まっているなら、教会を私物化しようと考えても不思議じゃないわね。フローラの祝福の仕組みも、レニエ大司教が自分のために構築したとみて良さそう。自分に忠実な取り巻きを育てるのが目的なのかしら……)
短期的にみたら、祝福で集められた若夫婦たちの力はそこまで大きなものではない。だが、数年経てば、家督を継いで各国の状勢に影響力を与える男女も出てくるだろう。
今は、そのための仕込み期間なのではないだろうか。
ようやくレニエの目的が推測できて、カフォラは少し気持ちが明るくなった気がした。
夜のパーティに備えて、その日の昼食後、カフォラとユージーンは情報の整理・分析のために、自室に戻った。
「まずは、支援要員からの報告を確認しよう」
つい先ほど、従者が携えて戻ってきた手紙をユージーンがテーブルの上に広げる。そこには、オルテン第九師団内で使われる暗号化された文字で、簡潔に要点が記載されていた。
それに素早く目を通すユージーンの整った横顔を間近で感じて、カフォラは少しだけ戸惑う。
昼食後も、昨夜からの気まずさが何ら改善したわけではなかった。ただ事務的に、任務を進めるためのやりとりを交わすだけだった。
だが考えてみれば、この方がカフォラにとってはやりやすいはずなのだ。
ユージーンにからかわれたり、彼の態度に嫌味を感じたりして、苛立つことはない。落ち着いて任務に関わっていられる。
過去の任務を振り返ってみても、誰かと組む場合は、仕事に必要なことだけをやりとりする、こういう遣り方が基本だった。それであれば、自分の本性を曝け出す必要もなく、なんの破綻もなく優等生のカフォラでいられた。
今回のユージーンとのように、感情を剥き出しにしてしまうことの方が、異例な状況だったのだ。
そう思うのだが、急にこんな風に事務的なやりとりのみになって、心の中のどこか一部が、わずかな寂しさを訴えている気がする。
そして、ユージーンの物静かな表情を窺ってみても、彼が今の状況をどう捉えているかは読み取れない。
(……きっとこれまで振り回されてきた反動で、落ち着いた状態に慣れていないだけだわ)
そう自分に言い聞かせて、カフォラは目の前の任務に意識を集中させることにした。
「やっぱり、教会の名前は表には出ていないか」
支援要員の調査によると、リオネルという名前の男を筆頭とする傭兵団は、ル・シェネの一般の傭兵斡旋業者に仕事の照会をしていたらしい。そして記録上は、貴族の要人警護の仕事を請けている。だが、業者の手元に残っていた依頼人の情報は、巧妙に偽装されたものだった。恐らく、大司教が傭兵を直接雇うという異例の事態を隠したかったのだろう。
「斡旋業者に依頼したり、傭兵を選んだりする部分で、ナダルが関わっていたのかしらね」
「彼も、曲がりなりにもオルテン第三師団長の息子さ。そのあたりのことには勘があるだろう。しかし、“契約期間は一年。その後も更新可”で依頼を出すとは、一般の傭兵を遣うにしては長期戦だな」
「そのことだけど……」
そこでカフォラは、午前中のお茶会で得た大司教レニエの経歴と、そこから導いた推測を説明した。
「なるほど。確かに、大司教がそれだけ一つの教会に留まることが予想されるのであれば、思惑のスパンも長くなっても不思議じゃないか」
「縁故や他者の嫉妬がらみじゃ、教会の正規文書に明記されてはないだろうけど。長く教会に滞在している女性たちの話だから、信憑性はそれなりにあると思うわ」
「そうだね。こういう話は、女性陣の話題の中じゃないと、なかなか出てこないものだ。君がいてくれて助かった」
率直にユージーンに称賛されると、カフォラはいまひとつ素直に受けきれない気がする。しかし今のユージーンは皮肉やお世辞で彼女をからかうほどの距離感で彼女に接してはいない。だから、純粋に誉められたと思おう。
そんなことを考えて、カフォラはあることに気が付いた。
(あぁ、そうか。今までよりも“壁”が厚くなってるのね)
これまでも、ユージーンと自分との間には一線が引かれている感じはあった。今はその線の上に、さらに壁が立ち塞がって、内側のユージーンとカフォラを隔てている気がする。
昨夕のカフォラの向こう見ずな行動に怒ってそうなったのか。あるいは、彼の内面を突いたカフォラの言葉に防壁を築いたのか。
原因はわからない。ただ、その壁があることで、カフォラとユージーンは、よそよそしくはあるものの波風立てずに話し合いを続けられている。
「僕の方の収穫は、残念ながらあまり芳しくない。昨日の喫煙部屋にしろ、今日の撞球室にしろ、男性陣の会話は目の前のことに集中しがちで、噂話が少ないからね。寄付金の話から教会の財務状況に振ってみたけれど、“祝福”の仕組みはサン・フルーラ教会とレニエ大司教、両方の資産から運用されているらしい、という程度だ」
「……昨日『もうちょっとわかってから』と言ってた件は、どうなの? 聖堂やお茶会でのみんなの態度がおかしかった理由について、何かわかったの?」
昨日はユージーンにはぐらかされた質問をもう一度するのに躊躇はあった。ユージーンの方も、少し言い淀んで、だが結局は口を開く。
「香炉に残っていた灰の香りしか確認できていないけれど、あの場で炊かれていた香は、催眠効果があるものだった可能性が高い。とはいってもそれほど強力なものではないし、体質によって効き方に差があるタイプの香だね。あとは、お茶会のときの紅茶にも同じ効果のある薬草が混じっていた可能性が高い」
「わたしも影響を受ける体質なのかしら?」
「君は少し眠くなった程度だろう? 室温も高かったし、そんなに影響はなかったんじゃないかな。他の候補者たちの方が、影響は大きそうだった」
「その香を使って、選抜者や候補者を操っているということ?」
「自我を奪うほどのものじゃない。もともと教会に傾倒していた人たちの後押しをする程度じゃないかな」
「とはいえ、今夜のパーティでもきっと炊かれるわよね。適度に外の空気も吸った方がよさそうね」
「そうだね」
気にかけていたことをようやく教えてもらったのに、カフォラの気持ちはすっきりとはしなかった。
ユージーンが壁を築いたからこそ、軋轢にならないように話してくれたのではないか。
つい、そんな事を思ってしまう。
「さて、そろそろパーティの準備を始めた方がいいかな」
「今夜のパーティまでに、明確な結論は出なかったわね。こうなったら、本当に祝福を授かる身になって、祝福の正体をこの目で見るしかないかしら」
「今夜のパーティが、おそらく候補者選定の山場だろうね。せいぜい仲睦まじい様子を披露するかな」
「……ええ、そうね」
それでその場の話し合いはひと通り終わった。一度も声を荒げることがなかったことに、カフォラは一抹の物足りなさを覚えつつも、それを理性で否定する。
(これでいいのよ。穏やかに済めば、優等生のカフォラのままでいられるんだから。今までの方がおかしかったの)
そうやって心の中の寂しさを押し込めてみたが、成功したのかどうかは、カフォラ自身よくわからなかった。




