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【6】

 陽が沈むまでには、まだしばらく余裕がある。

 北側の中庭はそろそろ影が濃くなり始めてきたが、さっと様子を見る程度なら間に合うだろう。

(ユージーン・ド・シオンが戻ってくる前に、わたしはわたしがするべき、と思ったことをするわ)

 一人で歩きながら、カフォラは唇を噛む。

 ——聖堂の円屋根から降りてきたあと、カフォラとユージーンはいったん与えられた部屋に戻った。

 軽く休憩したところで、ユージーンだけが席を立つ。

「誰かいるかもしれないから、喫煙部屋を覗いてくるよ。あそこは君には入れないだろう」

 ル・シェネに限らず、喫煙は基本的に上流階級の男性のみの習慣だ。貴族男性が集う場所には、喫煙用の部屋が用意されていることが多く、その中で交わされる会話に重要なことが含まれることも多い。

 喫煙すると匂いが残り、潜入捜査等に障るので、ユージーン始めオルテン第九師団の団員には喫煙習慣はないが、情報収集のために喫煙部屋を利用することはあった。

 そして、ユージーンの言うとおり、女性であるカフォラには簡単に入りこめる場所ではない。

「じゃあ、わたしはその間に……」

「君はここで待っていて。もうすぐ夕食の時間だ。そろそろ女性が一人で出歩く時間じゃない」

「わたしだってのんびりしているわけにはいかないわ。調べなきゃいけないことはまだまだあるでしょう!」

「だからって、今からあの中庭に行っても誰もいない。やみくもに動いても意味がない」

「でも」

「焦ってもいいことはないんだ。経験的にね」

 その言葉に、カフォラの感情が一気に高まった。

「っ! たった二年しか違わないくせに、偉そうなこと言わないでよ!」

「第九師団に入ったのは二年差だけど、密偵としての経験はもっと長いよ」

「……え?」

 だが、ユージーンはそのことについて深く説明する気はないようだった。

「とにかく。先走って、無茶なことはしないように。いいね」

 そこで話を切り上げて、ユージーンはカフォラを残してさっさと出ていってしまった。

 けれども、カフォラは諦め切れなかった。

 自分の中の何かが、できるだけ早く行動すべきだと訴えている。そして、こういった勘には従った方が、これまでうまくいってきたのだ。

(何が意味がない、よ。自分だって目的があって喫煙部屋まで行くわけじゃないのに!)

 こちらの話を聞かずに進めるユージーンに、カフォラはまたしてもふつふつと苛立ちが湧いてくる。

(だいたいユージーン・ド・シオンにあれこれ指図されるいわれはないのよ。わたしたちは任務でペアを組んでるだけであって、立場は対等なはず。あいつ一人で何かわかったようなフリしてるけど、だったらわたしだって自分が気になることは自分で調べさせてもらうわ)

 密偵の行動は、いちいち誰かの指示を待つのではなく、状況に合わせて自分から動いていかないと務まらないことが多い。

 だからカフォラには、ユージーンに言われたとおり大人しくしているなんてことはできなかった。

 ユージーンが部屋を出てから少しだけは待つ。戻ってくる気配がないのを確認してから、カフォラも立ち上がった。

 ときおりすれ違う使用人たちには「夕食までのあいだ散歩してきます」とやり過ごす。来客用の部屋がある館を出てからは、誰とも会わずに目的の場所まで近付けた。

 そうしてカフォラがやってきたのは、昼間に円屋根の上でナダルや大司教たちを見かけた裏手の庭だ。

 彼らがすぐまたここに来ることはないだろうが、何か手がかりくらいは残っているのではないかと思う。

 地上から来てみると、予想どおりに人目を避けるのによさそうな庭だった。きちんと手入れされているが、植栽の背丈が高く、視線を遮っている。

(大司教たちも、まさか頭上から見られていたとは思わないでしょうね)

 カフォラは背後をふり仰ぐ。白大理石の優雅な円屋根は、ここからも良く見える。が、下から見ると天辺の露台はわかりにくく、あの上に人がいても気付かれないだろう。

(ナダルたちがいたのは、あのあたりか)

 下草を踏む足音を立てない歩き方で、カフォラは庭に入っていった。

 あまり人が訪れない庭なのだろう。植栽の手入れはされているが、ベンチや花壇などはない。ナダルたちが立ち話をしていたところにも、特段に変わったものはなかった。

 カフォラはそこで再び、聖堂の円屋根を仰ぎ見る。

(円屋根があそこだから、ナダルと傭兵が向かったのはあっちの建物ね)

 今いる位置からは、装飾が少ない同じような建物がいくつか見える。その中の一つに目星をつけてから、カフォラは次に地面を見回した。

(そういえば、髪飾りはどこに落ちてるかしら。この辺だと思うけど……)

 円屋根の上から投げ落とした髪飾りは、この場にいることを誰かに咎められたときの保険にしようというつもりだった。

(ああ、あれかな?)

 庭の片隅にきらり、と傾きかけた陽を弾くものを見かけて、そちらに近付こうとしたとき。カフォラの視界の一角で何かが動いた。

 カフォラはとっさに植え込みの陰に身を潜める。

(……ナダル!)

 件の建物の入り口から、複数の声が聞こえてきた。

 過去の選抜者たちだろう。男女入り混じった数人が連れだって館から出てくる。その中にナダルもいた。漏れ聞こえる会話から、これから夕刻の礼拝に行くようだ。

(どうする? ナダルに接触する?)

 カフォラは頭の中で素早く計算する。

 ナダルは今回の任務の重要なターゲットだ。この二日間でようやく姿を見かけたのだから、貴重な機会は大切にしたい。

 だか、今は彼一人ではない。

 偶然通りかかったフリをして話し掛けても、同行者たちにも知られてしまう。

(……いいわ。せっかくの機会だもの!)

 過去の選抜者に憧れる気持ちが強くて、話し掛けてしまったことすればいい。

 そう心に決めて、一歩踏み出す。

 けれどそのとき、カフォラに別のところから声が掛かった。

「そこで何をしている」

「……!!」

 掠れ気味の低い声は、怒鳴りつけるものではなかったが、相手を従わせる迫力があった。

 ぴくり、と肩を強ばらせて、カフォラは声の主に顔を向ける。

 庭の奥から出てきたのは、軽く武装した格好、広い鍛えられた肩幅や背筋、硬そうな鋼色の髪。円屋根の上で見かけた傭兵の隊長らしき男だった。

 こんなに近くに来るまで、カフォラに気配を悟らせない人物は珍しい。

 傭兵の腰に提げられた剣に視線を向け、カフォラは怯えた気配を纏ってみせた。いいところのお嬢様は、粗野な傭兵と接することなどほとんどないはずだ。

「あ、その……髪飾りを探しにきたんです……」

 両手を握りしめて、瞳を伏せがちにおどおどと答えるカフォラに、傭兵の男は目を細める。

「こんなところに落としたのか?」

「昼間に司祭様に聖堂の上をご案内いただいたのです。そのときにうっかり下に落としてしまって……」

 傭兵はそこで聖堂の円屋根を見上げる。何か言いたげに唇が動いたが、声は出てこなかった。

 それから、地上と屋根を二、三度見返して、地上の一点に目を止める。すっとそこに移動して、静かな動きで何かを拾い上げた。

「探し物はこれか?」

 硬そうな骨張った手が差し出したのは、小花の華奢な髪飾り。

「あ、この髪飾りです! ……あの、ありがとうございました」

 おそるおそるという態度を崩さないまま、カフォラはその髪飾りを受け取った。

(目線は鋭いし、動作は滑らかだし、なかなかに手強そうな傭兵だわ)

 よけいなことに勘付かれないようにしなければ、と内心で身を引き締める。

「もうすぐ陽が暮れる。早く旦那のところに戻るんだな」

 カフォラが候補者の夫婦の一人だということを、この傭兵は知っているのだろうか。

(午前の説話のときに、聖堂で顔を見られていたのかもしれないわね)

 先ほど円屋根の上から見て気付いた、壁際の通路を思い浮かべる。

 とはいえ、このまま素直に従ったのでは、この場所までやってきた意味がない。

「あの、あなたは教会の警備の方なのですか?」

「……まあ、そんなようなものだ」

「あちらの建物から、先ほど、何人かのご夫婦が出てこられました。あの方々は、過去に聖女フローラの特別な祝福を授かった方々のようですが、あちらの建物に、皆さま滞在なさっているのですか?」

「それを知ってどうする?」

「先輩方のお話をじっくりとお伺いできたら嬉しいな、と思いまして……」

「そんなに、“祝福”とやらが欲しいのか?」

「はい、もちろんです。他の候補者の夫婦も、同じ気持ちだと思います」

 髪飾りを握りながら、カフォラは傭兵を熱く見つめる。

 脳裏には説話や茶会のときのジュリエッタやマリアンヌの表情が浮かんでいた。冷静に見ればやや怯むほどの必死さが、彼女たちにはあった。それを真似したつもりだ。

 その視線を向けられた傭兵がどう思ったかはわからない。ふん、と鼻をならして、目を細められた。

「……熱心なことだ。確かにあの館には何組かの夫婦が滞在している。だが、許可なく立ち入ることはできない」

「そうですか……」

 いかにも残念、というようにカフォラは肩を落とす。

(とりあえず、ここまでか。でもあの館にナダルがいることは確認できたし、よしとするかな)

 見切りをつけたら、これ以上は長居する理由がない。

「それでは、失礼いたします。髪飾り、ありがとうございました」

 スカートの端を摘まんで軽く膝を折り、くるりと背を向けたところで、もう一度、傭兵から声が掛かった。

「おい。本当に、あそこから髪飾りを落としたのか?」

「え?」

「あの円屋根の上にいて、普通に髪から外れて落ちただけだったら、ここまで遠くに飛ばないはずだ」

 予想外の質問に、カフォラは足を止めて振り返った。

 傭兵の質問の意図を掴めなくて、カフォラはすぐには答えられない。

「本当に、髪飾りを探しに来ただけか?」

(……何か、怪しまれるようなことをした!?)

 北国の空を思わせる冷たい薄青色の視線が、カフォラの顔に鋭く突き刺さる。

 背中に冷たい汗が浮かんできた気がした。

(何て答える……?)

 顔には焦りを出さないまま、瞬時に頭の中でいくつもの回答を想定する。どれがこの状況を乗り切るのに最適か……

「どうした? 答えられないのか?」

「……っ」

 判断がつききらないまま、カフォラが口を開こうとしたとき。

「僕の大切な奥さんを、困らせないでくれますか」

 柔らかいが凜とした声が、二人の間に割って入ってきた。

 同時に、カフォラの肩がふわりと抱き寄せられる。

 その腕の主を見て、カフォラのもともと大きな榛色の瞳が、さらに大きくなった。

「っユージ、……あなた!」

(ユージーン・ド・シオン!! どうしてここに!?)

 その疑問には、答えはなかった。

「一人で出歩いたら危ないと言ったじゃないか。いくら教会の敷地内とはいえ、どんな相手に絡まれるかわからないだろう?」

 険を含んだ青紫の瞳が、ちらりと傭兵に流れる。

「客人に対して行儀の悪い兵士だね。傭兵かな? 名前と所属を聞いておこうか」

「……大司教猊下預かりのリオネルだ。貴方の細君が不審な行動を取っているから、確認したまでだ」

「髪飾りを探しに来たんだろう?」

「その髪飾りが、普通に落ちたにしては不自然だと言っている。そして落とした理由を細君は答えられない」

「ああ、それは……」

 険しかったユージーンの頬が、ふっと緩んだ。

 固唾をのんで成り行きを見ていたカフォラを、嫌な予感が包む。

「こういうことは、説明しにくいからね」

 肩にあったユージーンの手が、カフォラの背中にぐっとまわる。

 力強く抱き寄せられて、腕の中に閉じ込められた、と思ったときには、もう片方の手がカフォラの頬にかかる。

 一筋残していた濃茶色の髪がかき上げられて、露わになった耳たぶに長い指先が触れる。

 ひんやりした指の感触に、さわ、と背筋が揺れる。

 その耳許に、ユージーンの顔が近付いてくる。

 頬の上の方をユージーンの唇が掠める。

 それだけでは解放されず、さらにユージーンが顔を近付ける。

 このままだと、唇が触れ合ってしまう……! とカフォラは目をぎゅっと閉じる。そのとき。

「抵抗して」

 音にならないほどのごく小さな囁きが耳に届いた。

 深く考えている余裕はなかった。

「あなた……! 他の人がいるところで何を……!!」

 カフォラは腕を突っ張るように、身体を仰け反らせる。

 唇が重なる寸前で、ユージーンがカフォラから離れる。

 その拍子に、カフォラの頭にユージーンの手が当たる。

 もう一つ残っていた髪飾りが、弾かれて外れる。

 髪飾りは大きく飛んで、傭兵——リオネルの足元でかしゃり、と音をたてた。

「こんな風なやりとりの結果、髪飾りを落としたんですよ。状況を説明しにくいのはわかってもらえたかな?」

 まだ片腕でカフォラの肩を抱いたまま、ユージーンは余裕たっぷりの笑顔をリオネルに向けた。 

「ふん。仲が良いことで」

 リオネルは呆れたようにそれだけ告げると、長い身体を折った。足元の髪飾りを拾い上げて、ユージーンに差し出す。

「大切な細君なら、嫌がられるようなことはしなければよい」

「彼女は恥ずかしがりなんだよ」

 ひょい、と髪飾りを受け取ったユージーンは、それをそのままカフォラの髪に差し戻す。

「さて。それじゃあ僕らはこれで失礼させてもらう」

 それ以上は有無を言わせない態度で、ユージーンは踵を返す。つられてカフォラも向きを変える。

 今度はリオネルも引き留めることはなかった。

「もう陽が暮れる。暗い道には気を付けることだ」

「君に言われるまでもないよ」

 殺伐としたやり取りを最後に、カフォラはユージーンとともにその庭を後にする。

 自分たちの部屋に戻るまでの間、ユージーンは優しくエスコートする態度だった。

 だが、カフォラの指先を握る手には、いつも以上に力が入っていた。それは、逃げることも言い訳することも許さない、というユージーンの意思表示に思えて、カフォラは部屋に戻るまでの間に、どんどん気分が重くなっていくのを耐えていたのだった。




 与えられた部屋に戻り、扉の施錠を確かめてから、ユージーンはまだ入り口近くに立ったままだったカフォラに向き直った。

 ユージーンの背丈は男性の平均程度で、カフォラは女性としては背が高い方なので、二人の視線の高さにそれほど大きな違いはない。だが、今はずいぶん上から見下ろされているかのような威圧感があった。

「さて。僕があれだけ待て、と言ったのに、わざわざ出掛けていった理由から聞こうか?」

 ユージーンの顔からは、普段の優等生らしい微笑みは消えていた。腕を組み、ソファの背もたれに軽く腰を乗せてカフォラに向ける空気は冷たい。明らかに不機嫌だ。

 誰に対しても穏やかな態度を崩さないユージーンが、そんな応対を見せることは非常に珍しいのだが、カフォラにとってはそんなことはわからなかった。ただひたすら、優等生に詰問されている居心地の悪さと、なぜ立場が同じはずの相棒からそんなことを言われなければならないのかという苛立ちがあるだけだ。

「まさか、本当に落とした髪飾りを拾いに行っただけ、だなんて言わないよね」

 含みを持たせた口調に、カフォラの神経が逆撫でされる。

「だって……あなたが動いているのに、わたし一人で待ってるなんてできないわ」

「それで、調査対象の近くにいる傭兵に見付かったと。僕がいなかったら、どうなってただろうね」

 カフォラは反論できなくて、ぐぅ、と喉の奥で息が詰まる。拳を握り締めて、なんとか声を絞り出した。

「そ、それは、助かったとは思ってるわ。でも、できるだけ早く探った方が良いって、感じたんだもの」

「“感じた”? 君は勘だけで密偵の仕事が務まると思ってるの?」

「そんなわけないでしょ! 十分な下準備があってこそ、密偵の任務が成功することくらいわかっているわ」

「だったら、まだ何の調べもついていない今の段階で、のこのこ出歩いていったことがどれだけ愚かだったかわかるよね」

「……でもっ。あの館に、ナダルたちが滞在していることはわかったし、あの傭兵が大司教預かりなこともわかったわ。そちら方面から探れば、何か新しいことが出てくるかもしれないじゃない」

「それは確かにそうだけど、でも、それはあくまでも結果論に過ぎない。やっぱり、君の行動は軽率だったと言うしかないよ。君がいなくなったことに気付いた僕が後を追っていなかったら、どうなっていたと思う? さすがに捕まりはしなかったかもしれないけど、あの傭兵に眼を付けられたら、今後の任務にどれだけ影響があったと思うんだ」

「……それは……」

 滔々と正論を述べられて、カフォラは言い返せる台詞がない。

 ユージーンに指摘されるまでもなく、自分の行動が軽はずみだったと、冷静に振り返ってみればわかる。ユージーンへの対抗意識ばかりで行動を起こして失敗しかけたなんて、優等生としてのカフォラの名に廃るではないか。

 黙りこんでしまったカフォラに、ユージーンは溜め息をひとつこぼした。

「君一人だけが動いているのなら、君の好きなように行動したところで所詮は自分の責任だから構わないかもしれない。でも、今回は君と僕との共同任務だ。僕はもう少し待て、と言った。その僕の言うことを、君は信頼できなかった、ということだね」

 俯いていた頭に向かって吐き出されたその言葉に、カフォラの胸の奥がちりり、と引き攣れる。

——『どんな相手だろうと、一緒に何かを成し遂げるには、その相手を信頼するしかないわね』

 ル・シェネに来る直前に、孤児院の院長に言われたことが脳裏を過って、そして今ユージーンに言われたこととぶつかった。

 カフォラ自身、あのときの院長の意図を理解できていたわけではないけれど。院長の言葉と比べて、違和感が沸き上がってくる。

「信頼、ですって……?」

 カフォラは眼差しを険しくして、ユージーンを見上げた。

「偉そうなこと言わないで。何が信頼よ。そんなことを言うあなた自身はどうなの?」

「僕が何?」

 言い負かされていたカフォラが反論し始めたことに興味を持ったのか、ユージーンは組んでいた腕を解いた。まだまだ余裕そうなその態度に、カフォラは口調もいっそう険しくなる。

「あなただって、わたしの言うことを少しも聞こうとはしなかったじゃない。わたしだけに限らないわ。今回の任務以外に、普段、第九師団にいるときだってそう。いっつも穏やかそうな人当たりのいい優等生の顔をしながら、他人の話なんて真剣に聞いていないのよ。何でもできるあなたは、どうせ他人の力なんて必要ないとでも思ってるんでしょ。誰にでも同じ顔を見せてるのは、誰も信頼してないのと同じだわ。あなたこそ、わたしどころか、他の誰も信じてないでしょ!」

 そこまで一気に言い切って、カフォラは荒くなった息を吐き出した。

 それは、深く考えた末に出てきた言葉ではなかった。だが、カフォラの心の中でずっと感じていたものが、勢いに乗って形になって、今この場で表に出てきたのだった。

(そうよ。こいつは、誰も信じてなんかない。だからあんな風に誰にでも同じような態度でいられ続けるんだわ)

 カフォラのように、努力して優等生を演じているわけではない。ただ、周囲とはきっちり一線を引いて接している結果が、穏やかな優等生という態度に見えているだけだ。

 仮にも二人きりの任務を担当する相棒になったというのに、その一線はカフォラとの間にも引かれたままだった。それが疎外感となって、ずっとカフォラを苛立たせてきたのだ。

 しかし、いざ自分の中にあった腹立たしさの塊を口にしてみて、カフォラは後悔した。

(こんなこと言ったって、どうせユージーン・ド・シオンは何とも思うわけないのに……)

 虚しさが沸き上がってきて、カフォラは唇を噛み締めた。

(どうせ、また滑らかな舌で適当にあしらわれるんだわ)

 そう覚悟を決めて、何を言われてもいいように身構える。

 けれど、ユージーンからは、何も声が聞こえなかった。

 あまりにも無言が続くので、カフォラはそろそろと相手の顔を見上げる。

 目に入ったのは、何の表情も窺えない、ユージーンの姿だった。

 怒るでも馬鹿にするでも呆れるでもなく、ましてや穏やかな優等生の微笑でもなく。ただ、唇を少しだけ開けて、じっとカフォラを見据えている。

 あえて言えば、呆然、というのが近そうな瞳で見つめられて、カフォラの居心地が悪くなりかけた頃。

「——ごめん」

 聞き逃しそうなくらい小さい、掠れた声が耳に入った。

 その内容が、予想していたものからかけ離れていて、カフォラは何か聞き間違えたかと思った。

「……え?」

「……君の言うことは、間違っていない。確かに、僕は周囲を信じられていない。その僕が、君に信頼を求めるのは、おかしなことだね」

 淡々としつつも、どこか痛みを感じていそうな声音と表情だった。

 どう反応すればいいかわからずに、ただ見返していたカフォラに、ユージーンは取り戻した穏やかな笑みを見せた。だが、その眉根は、いつもと違って歪んでいる。

「とりあえず、君の言うとおり、あのリオネルという傭兵について、支援要員に調べてもらおう。夕食の前に、従者に話しておくよ」

 それだけ一方的に言うと、カフォラが何か答えるのを待たずに、ユージーンは部屋から出ていってしまった。

 一人、部屋に残されたカフォラは、閉められた扉をただ見詰めるしかできなかった。

(なんなの……どうして、そんなあっさりとわたしの言ったことを受け入れてるわけ? ユージーン・ド・シオンのくせに)

 カフォラが知っているユージーンは、あの程度のことを言われてもなんら堪えるようなことはないはずだ。

 彼はそういう人物なのだ、とずっと思っていた。

 それなのに、あんな反応をされるだなんて。

(……あんな顔をさせるつもり、なかったのに)

 とはいえ、他に何か言い様があったかどうかもわからない。

(わたしに、どうしろっていうのよ……)

 部屋に誰もいないのを幸い、カフォラはソファに足を引き上げて、その膝に顔を埋めた。

 そうして目許を押さえておかないと、自分もどんどん情けない顔になっていきそうだった。

 

 

 

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