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もしも虹が出ていたら

作者: 武田花梨

 河川敷で立ち止まる私の脇を、別の高校の制服を着たカップルがすれ違った。ずいぶんとはしゃいだ声をあげている。

「さっき虹が出ていたの。写真とったんだ」

「すげー。綺麗に撮れてる!」

 地面に落ちている紙パックジュースのゴミを踏みつけて去って行った。

 上ばかり見ていないで、ちゃんと地に足つけていけよ、と忌々しい思いで後姿を見る。

 人生明るくて、前向きな人が虹を見つけられる。私は虹に気がつけないタイプだ。

 人は人。気にしない。通学バッグから紅茶入りのマイボトルを取り出し、喉を潤す。すっかり冷たくなってしまっている。紅茶の香りに、川からの磯っぽいにおいが混ざる。冬の冷たい風に顔をしかめた。

 よし、やるぞ。サブバッグからマスクと軍手とゴミ袋とゴミ拾い用トングを取り出していると。

広瀬(ひろせ)さん、何してるの?」

 男の声で、後ろから声をかけられた。

 振り向くと、そこには一年八組のクラスメイトの狭山(さやま)くん。清潔感ある顔に、短めの黒髪。寒さのせいからか、頬を赤らめてこちらを見ていた。

「何って、ゴミ拾い」

 見られた、という驚きのせいか、寒さのせいか、口が上手くまわらない。先に狭山くんが口を開いた。

「ゴミ拾い? ボランティアやってるの?」

「ボランティアじゃないよ」

 説明しにくいので、言葉少なく返す。けれど、狭山くんは、まだ考えていた。

「じゃあ、町内会の当番とか?」

「私の家、もう少し向こうなの」

 だったら、なんで? という顔をされるが、こちらからは口を開かない。

 いい加減諦めてくれるかと思ったのに、狭山くんは「なんだろう」と考え始めてしまった。考えなくていいよ。ほっぺたそんなに赤いんだから、さっさと帰って温まれば良いのに。私、どうしたらいいのだろう。

 ようやく、狭山くんは顔をぱっと明るくした。

「わかった、功徳を積んでいるんだね!」

「えっ、なんでわかったの!?」

「嘘、当たったの?」

 ゴミ袋の乾いた音が響く。お互いに目を見開いて、顔を見合う時間が続く。当てるとは、当てられるとは。そういう驚きが、凍りつきそうな空気の間にゆるやかな風を通す。

「まさか、と思って言ってみたら」

「私も、言ってもわからないと思ったから」

 功徳を積む、とは、善行を働くこと。よいことをすること。

「功徳を積む、って仏教の教えだっけ? 広瀬さんは仏教徒なの?」

「結婚式は教会、お葬式はお寺、っていう典型的日本人です」

「うちもそう! へぇ、じゃあ、なんで?」

 なんでと聞かれて、さして仲もよくない狭山くんに教えるわけがない。ちょっと格好いいからって、世界が自分の味方だと思うなよ!

 いい男を忌々しく見ていると、さすがに狭山くんは空気を読んだ。

「言いたくなかったら、いいよ」

 へへ、と照れ笑いをする。

 こういう人には、なぜ功徳を積んでいるか説明したところで、理解は出来ないだろう。

「それじゃ」

 あっち行って、という意味をこめて別れの挨拶をしたが、狭山くんはなぜか私のゴミ袋を手に持とうとした。

「俺もやるよ」

 そんなことをしたら、功徳の取り分が減る! と、独り占めしようとする浅ましい考えが頭をよぎる。しかしそれは、よくないこと。

 人の親切はありがたく、笑顔で受け取ろう。イライラしてはいけない。

 強張る顔をどうにか笑顔に変え、私は「ありがとう」とゴミ袋を渡した。

 まさか、功徳を積む為の行為を、誰かと一緒にすることになろうとは。やだなぁ、と狭山くんの顔をちらりと見る。

 クラスで一番、というほど顔がいいわけでも、頭がいいわけでも、運動できるわけでもない。クラスで特別目立つ人でもないので、私自身彼の存在はあまり認識していない。

 万人に好かれるタイプだな、と思う。小綺麗な顔立ちだし、ハキハキと明るい話し方をする。きっと、先生受けがいい生徒だ。

 まずは紙パックジュースを拾う。「お菓子の袋のゴミが多いね」とか「漫画雑誌捨ててある! いけないんだぁ」と、色々リアクションもする。いつも無言で、顔をしかめている私とは大違いだ。濡れた漫画雑誌を、積極的に、素手で拾っていく。ためらいがない。

 来世はこういう人とお付き合い出来たらなぁ、とぼんやり思った。

「広瀬さん?」

 声をかけられ、慌てて顔をあげる。

「ごめん、素手だな、って思って。軍手、一つしかないから。片方だけでもつけて」

 自分の手にはめてない方の軍手を渡しながら誤魔化す。

「いいよいいよ、勝手に手伝うって言った訳だし。お気遣いなく」

 にっこり微笑む。並びのいい、白い歯がこぼれる。

「全部、ひとつのゴミ袋に入れていいの?」

「うん、家に帰ったら分別するから」

「徹底してるね」

 目を丸くする。ちょっと、呆れられてしまったかも。本当のことなんて言うもんじゃないな。はぁ、とついたため息で、視界が白くなった。そこに、狭山くんの申し訳なさそうな声が混ざる。

「ごめん、迷惑だったよね」

 ばつの悪い顔をされ、私は自分の行為を恥じた。

「違うの、迷惑ってわけじゃなくて……狭山くんとは話したこともないし、どういう人かもわからないし、その」

 言い繕う言葉が見つからなくて、私は口ごもってしまった。

「そうだよね。俺も広瀬さんとはあんまり話したことないのに、今思えば強引だったよね」

 じゃあ、どうして声をかけてきたの? と目線で返す。狭山くんはゴミ袋に、中身が入っていないことを確認した缶を入れる。そうしながら、うーん、と首を捻った。

「バッグから、色々アイテムが出てきて。何してるの? っていう好奇心かな」

 嫌味のない口調で、あっけらかんと言う。

「そうだよね、学校帰りに、ゴミ拾いグッズをあれだけ出してたら目をひくよね」

 最近無くしかけていた自意識が、急激に盛り返してきた。女子高校生が、真冬に、ゴミ袋とトングを持ってウロウロしている。なんと滑稽な姿なのだろうか。夏前からやっているが、その時は人の目が気になっていたのに。

 羞恥心が芽生え、今後の去就を考えだしてしまう。その様子を見てか、狭山くんはほがらかに、ゴミ袋を目の高さまで掲げた。私は少し見上げる形になって、狭山くんの言葉を待つ。

「こんな素敵なことをしているんだから、堂々としていいんだよ」

 目を見開いて、私は狭山くんの顔を凝視しまった。すると、狭山くんの顔がみるみる赤くなる。寒くて赤いのではない、と思う。見てはいけないと思い、慌てて視線を下げる。狭山くんもゴミ袋を下げた。

「クサいこと言っちゃったね。ごめん」

「ううん。ありがと」

 今の羞恥心と、先ほどまでの羞恥心。なんだか別のものに入れ替わったような。

 小学生のころ、五十メートル走で転んで足をくじいてしまった時の羞恥心。

 その後、女子児童からカッコいいともてはやされていた男性教師におんぶされ、保健室に連れて行かれた時の羞恥心。

 ふと、そんな記憶が蘇る。

「広瀬さんがこういう人だと知れて、なんだか嬉しくなったよ」

 目を細めて、私を見る。優しくて、包み込むような笑顔。嬉しくなった、とはどういうことだろう。どう反応してよいのかわからない。空気の足りない場所に閉じ込められたかのような気分で、狭山くんの顔を見つめた。

 狭山くんは、その空気に耐えかねたのか明るい声を出して歩みを進めた。

「よーし、じゃあどんどんゴミ見つけていこう! 俺もたまにはいいことしなくちゃね」

 遠くに飛んでいた意識が、冷たい風と狭山くんの声と共に戻ってくる。

 通学カバンを枯れたベンチに置き、狭山くんはどんどんと歩みを進めていった。

 置いていかれてなるものか、と、私もその隣にカバンを置き、後ろを追いかけた。いつもより足取りが軽い気がして、それが気恥ずかしかった。


 重たくなったゴミ袋を持ち、私はひとり帰路につく。狭山くんとは、河川敷で別れた。

 今日はゴミが軽いなーと思いながら住宅街を歩くと、見覚えのある後姿があった。正統派の、真っ赤なランドセルを使っている妹だ。ポニーテールが黄色い帽子から狭そうに飛び出ている。

(しゅ)()!」

 背中に声をかけ、急ぎ足で駆け寄る。朱織は私の声に振り向き、笑顔を見せた。

「お姉ちゃん、おかえり。あ、またゴミ拾ってきたんだ」

 笑顔を曇らせる。家の中に、誰のものともわからないゴミがある状況を、朱織は快く思わない。当たり前だけれど。ごみ収集の日にあわせ、家の中に置く時間を少なくするようにはしている。

「それより、病み上がりで大丈夫だった? ちょっと遅いんじゃない?」

 小学六年生ともなれば下校時間は高校生と変わらない。けれど、ゴミ拾いまでしてきた姉と変わらないのでは問題だ。

「ちょっと、友達の部活覗きに行ってて」

 バツが悪そうに肩をすくめる。

「ダメでしょ。寒いのに。昨日まで熱あったんだから、まっすぐ帰ってきなさい」

「うるさいなぁ。心配性はお母さんだけで充分!」

 私に似ず、大きな瞳を片方閉じ、べぇ、と舌を出す。その後、肩を竦めてにやりと笑う。

「ま、さすがに疲れたよ。今日は大人しく休みます」

 反抗したことへの照れ隠しか、ふんふん、と鼻をならして、私に背を向けて歩き出す。

「鼻歌なんて、能天気ね」

 朱織は、すぐに虹を見つけられるタイプだ。落ち込んでもすぐ前を見て、顔をあげて。私はいつも、朱織が見つけた虹を探していた。

「お姉ちゃんは、すぐ思いつめるからなー。社会貢献って言ってゴミ拾い始めるし。意味わかんない」

「いいことじゃない」

「でもさぁ、能天気なあたしのほうが運動できるし、友達多いし、モテるし。あ、ごめんごめん、傷つくよね」

 憎たらしく笑う。舌打ちしたくなる気持ちを抑えて、私は反論する。

「友達はいます。朱織みたいに誰とでも仲良くはしないだけで。それに、勉強は私の方が出来るもの。私が小六の時はテストで九十点以下なんて滅多にとらなかったんだから」

 あと、私の方が健康。

 それは、口に出して言えなかった。朱織は今年、ぜんそくの発作で小学校最後の修学旅行に行けなかった。

「でも、モテないのは事実でしょー」

 言葉につまる様子を見て、けらけら笑う。この世の春と言わんばかり。どこが疲れているんだ、この子は。

「それ以上言うと、ゴミの分別手伝わせるよ」

 明らかに機嫌を損ねた私に、朱織は取り繕うように言った。

「やだなぁ、姉妹のコミュニケーションだよ」

 少し枯れた喉の声を聞いて、私は何も言い返せずに黄色い帽子越しに朱織の頭を撫でた。

「手、洗った? なんか汚い気がする」

 憎たらしいけれど、可愛い可愛い妹だ。


 団地の四階にある家に帰り、着替えをしてからまた一階に戻る。外はすっかり薄暗くなっている。自転車置き場側にある共通の屋外手洗い場でゴミを分別しつつ、缶などは水で洗っていく。

 真冬の刺すような冷たい水に素手をさらす。週に一、二回とはいえ、冬場は辛い。

 顔をしかめながら作業を続ける。ぼんやりと、狭山くんの顔を思い出す。どうして功徳を積もうと思ったの? と尋ねられたが、答えられないよ、と息を吐く。家族にも、友達にも言っていない。

 功徳を積もう、と思うきっかけは、朱織だった。ぜんそく持ちの妹とは、今も同じ部屋で過ごしている。狭い団地の部屋、一家四人で暮らすとなると個人の部屋なんて持てない。

 ぜんそくの発作で咳が止まらない、ということはよくあった。子供の頃からそうだから、過剰に心配もせず、うるさく思うこともない。

 そのはずだったのに、今から一年前。受験勉強で気が立っていた私は、咳こむ朱織を部屋から追い出し、咳が収まるまでリビングで寝ていろ、と言ってしまった。

 その時の傷ついた顔は、鮮明に色づいたまま残っている。朱織は、少しでも咳が出たら自分から部屋を出るようになった。そうしてくれることを、ありがたいとすら思っていた。

 ずっと姉妹仲が気まずかったけれど、高校に合格してから、「ごめんね」と謝ることが出来た。

 だけど、いつ、また暴言をぶつけてしまうか。ずっと気がかりだった。テストが近づくと、苛立ちを抑えることが増えた。

 そんな時、ぼんやり見ていたバラエティ番組で、お笑い芸人が話しているのを聞いた。

『またネットで炎上していたな。前世での行いがよほど悪かったんだな。今世では、せいぜい功徳を積んでおけよ』

『なんだよ、功徳って!』

 そのような会話でその場は終わったが、私は始めて功徳を積む、という言葉を聞いた。インターネットで調べ、その言葉の意味を知った。もしかしたら、狭山くんも同じテレビを見ていたのかもしれない。バラエティも役に立つものだ。

 善い行いをすること。人の役に立つこと、その他にも色々書いてあった。

『イライラしない。笑顔でいれば、まわりも笑顔でいられる』

 これも功徳である。善い行いには、こういうやり方もあることに驚く。

 イライラしそうになったらこの言葉を思い出した。功徳は来世にも持っていける、キャリーオーバーシステムまであるというではないか。

 勉強しか妹に勝てない、すぐ当り散らす情けない姉も、来世には友達いっぱい、美人でモテモテで困っちゃうという人生を送れるかもしれないのだ。

 もちろん、朱織は来世、健康でありますようにと祈っている。

 下心が、積んだ功徳をどのくらい崩しているか。元々は妹の為のはずが、結局自分の為。なんと腐った根性だ。だから、来世への期待が止められない。

 仏教徒でもなんでもないけれど、おいしいどこ取りをできるのが日本人のいいところ。さすが八百万の神がいる国だ。

「お姉ちゃん、今日はやたら機嫌がいいね」

 冷たさも忘れて八百万の神様に感謝していると、いつの間にか一階に下りてきた朱織が、こちらをじっと見ていた。

「びっくりした。手伝えって言ったのは冗談だよ」

「好きな人でも出来た? 今日は足取りが軽く見えるから怪しいなって思って」

 瞬間、狭山くんの顔が頭に浮かぶ。ぶんぶん、と顔を横に振った。

「いないいない、好きな人なんか」

「いいじゃん、楽しそうなんだから。お姉ちゃんはもっと気楽に生きなよ。顔だって、楽しそうにしている分には私に似てカワイイんだし」

 心から、嬉しそうに笑ってくれる。ほがらかで、邪気のない素直な子。病気であっても、姉に酷いことを言われても、屈折したところはない。自己評価が高く、生意気ではあるが。

 私だって、出来ることなら朱織のように生きたい。

「朱織は、前世でいいことしてきたんだねぇ」

 ぼやくように言うと、ぽっかりと口を開けて、朱織は目を瞬かせた。

「へー。前世なんて信じてんだ」

 前世どころか、来世に相当期待している、とは答えられず、私は「早く部屋で休みなさい」と追い払った。



 学校への足取りは、軽くなったり重くなったり。

 昨日のことで、何か話すかな。

 いやいや、物珍しくて、声をかけただけ。それ以上のことになんてならない。

 片思いくらいなら、朱織も言ったように楽しい。今世では、彼の様な人とお付き合いなんておこがましい。

 期待したり、余計な落胆をしないようにしたり、感情に振り回されては整理する登校時間。私は深呼吸してから、教室に入った。

 つい、目で狭山くんを探してしまう。

 いた。前の黒板の横で、友達と笑顔で会話している。何を話しているんだろう。いつも、あの坊主頭の男子としゃべっている。

 あまり話したことがなかった、と言うわりに、私は狭山くんに対して詳しい。

 あの男子と仲がいいことも、教師の似てないモノマネで盛り上がっていることも、日直の黒板消しがいつも雑で、白い線がよく残っていることも知っている。大相撲中継を見ることが好きで、熱弁しては友達に引かれていることも。

 私、意外と狭山くんを見ていたんだ。

 そう気がついた瞬間、狭山くんは、目線を送る私に気づいて軽く手をあげてくれた。私はどう反応していいかわからず、クラスメイトなのにお辞儀をしてしまった。

 休み時間の度、チャイムと共に私は席をたち、友達の所で時間を潰した。ひとりでいたら、狭山くんに話しかけられるのを待っている自分を認めなくてはならない気がして。

 こんなことしなくたって、話しかけられることなんてないと言いながら、心のどこかで期待している。そうならなかったときの反動で、勝手に落ち込んでしまいそうだった。

 気持ちが落ち着かなかった一日を終え、私は帰り支度をする。恋って疲れるんだな。友達とおしゃべりをしすぎた後の、虚脱感に似た心地よさを感じていた最中。

「広瀬さん」

 過剰に驚いて顔をあげると、一日中避けていたはずの狭山くんがいた。

「今日は、ゴミ拾いするの?」

 まだ先生も教壇から降りてないのに! 早いって! 頭が混乱する中、私はびくびくしながら小さく首を振った。

「毎日はやらないよ」

 真面目に信仰深くやっているわけでもなく。ゴミ収集の日にあわせなくてはいけないし。

 狭山くんは、そっか、と残念そうに眉をさげた。

「じゃ、また明日」

 心臓がバクバクいっていると、ひと呼吸置いてから気がついた。

 もしかして、恋って早死するんじゃないの? なんて言ったら、また朱織にバカにされるんだろうけれど。


 翌日、また翌日も放課後に声をかけられた。鬼から最後まで逃げ切ったと安心していたのに、最後の最後で捕まってしまう。詰めの甘い小学生時代の鬼ごっこを思い出していた。

「今日もやらない」「今日は放課後、友達と遊ぶの」と断ると、狭山くんはがっかりしていた。そんなにゴミ拾いしたいのだろうか? 正直めんどくさい、と思う日も多いのに。

 そのまま、週末に入った。土日の二日間、会えないだけで、それだけで自分の価値が半減してしまったような気持ちになる。

 収集日にこだわらないで、ゴミ拾いすればよかった。そうしたら、また二人で。そこまで考えては、ベッドの上で転がり赤面。そして「バカな妄想を」と冷静になる。その繰り返しに、二段ベッドの下の朱織から「ガタガタうるさいんだけど、何してんの」とつつかれていた。

 待ちに待った週明け。話しかけてくれないかも。「なかったこと」になっていそうな先週の出来事に不安しかなかった。

 今日はゴミ拾いをする気満々で、ちゃんと準備してきた。狭山くんの分の軍手もある。必要ならマスクも渡せるように、新しいものを持ってきている。

 こちらから声をかける覚悟もある。さぁ! と、気合を入れていたのだが。

 帰りのホームルームが終わる頃には、雨が。しとしと降る雨は、止みそうにもなかった。すっかり浮かれていて、天気予報のチェックを怠るとは。雨の日にゴミ拾いをするわけにもいかない。大人しく帰ろう。友達はみんな部活で、ひとりだからチャンスだったのにな。とぼとぼと重い足取りで、昇降口へ。カバンの中から、入れっぱなしの折り畳み傘を取り出す。

「待って広瀬さん」

 狭山くんの声に、私は傘を落としそうになる。

 今日は雨だから声をかけてこなかったのに、こんなところで。完全に油断していた。

「今日は、雨だからゴミ拾いは……」

「違う、あの。俺、傘持ってきてなくて」

 だからなんだ、と言い返そうとして、その言葉の真意を理解する。薄紫色の傘をぎゅっと握りしめる。

「あの、傘はひとつしかないから貸すというわけには」

 狭山くんは、小さく体をガクッと揺らした。

「そうじゃなくて。あのー。一緒に、入れてもらえないかなって」

「はぁ。つまり、相合傘」

 言葉に出して、私は顔、いや耳まで熱くなる。何を言っているのこの人は。

 返答に困る。相合傘したいよ。でも、どうして。なんで私なんかと。こうして口ごもっていたら、狭山くんはきっと、ゴメンと謝って、強引だったねと引いてしまう。私は早く答えなくちゃ、と焦る。しかし、狭山くんは引かなかった。

 戸惑いが揺れる瞳を私に向けたまま、口を真一文字に結んで私の答えを待っていた。それでも何も言えない私の折り畳み傘を、強引に奪う。慣れない手つきで傘を開くと、私を見た。また、赤い顔。冷たい雨風のせいでもない、よね。

「功徳を積むと思って。一緒に、帰ろう」

 反射的に頷いて、狭山くんの隣に並んだ。

 功徳を積むことを盾にとられたら、断れないよ。

 心臓の鼓動が聞こえる中、狭山くんの言葉はない。ただ、雨が傘をなめらかにすべる音が、二人の空間に流れ続ける。あまり側に寄れないから、肩が濡れる。狭山くんも、濡れている。

 気まずい。大胆なことをしてしまったかな。そう思っていると、いつもの河川敷に着いた。狭山くんは足を止め、咳払いをしてから、意を決したように言葉を発した。

「広瀬さんが功徳を積もう、と思ったきっかけって、誰かに話してる?」

「ううん。本当の理由は家族も知らない」

 なぜそんなことを。でも、ようやく沈黙から解放され、私も息をつけた。

「教室でもこの話をしている所を見たことないから、そうじゃないかなって」

「よく見てるね」

 素直に感心して言ったつもりが、狭山くんは慌てた。

「ごめん、キモくないから! ずっと追いかけて見ていたわけじゃなくて。その」

 そこで言葉を切る。私のこと、見ていてくれているんだな。そういうこと言っても、嫌味でも気持ち悪くもないというのは、狭山くんの人柄。虹をすぐ見つけるタイプだろうな。

こっちだって、色々知ってる。

「理由、前は教えてくれなかったじゃない。どのくらい仲良くなったり、信用してくれたりしたら、俺に教えてくれる?」

「知りたいの? 大した理由でもないよ?」

 変わった人だな。呆れたように言う私に、狭山くんは違う違うと首を振る。その拍子に、傘についた水滴が、大きな粒となって地面にはじけた。

「理由を知りたいというより、この人になら言ってもいいっていう関係になりたいなって。友達にも言えないようなことを、俺に言ってくれるようになって欲しいなって」

「はぁ」

 意味が分からず生返事をする私に痺れを切らした様子で、狭山くんは少し声を大きくして言った。

「結構前から、広瀬さんのこと、面白い人だなって気になっててさ。この間、思い切ってゴミ拾いしている広瀬さんに話しかけた。もっと、知りたくなって。俺のことも知って欲しくなった」

「そんな面白いかなぁ。でも、私も狭山くんが面白い人だって知ってる。あの先生のモノマネ、似てないのによくやってるよね」

狭山くんの赤い顔を見つめ返す。傘を持つ手が、少し震えているような。

 私の回答に、狭山くんは一瞬呼吸を止め、それから深く息を吸った。そして、意を決したように私を見る。

「だからつまり、俺は、広瀬さんのことが好きなの!」

「はぁ。って。はあ?」

 生返事が、驚愕の返事に変わった。何言い出すんだこの人。凄く真剣な顔して。耳まで真っ赤にして。

「私が、面白いから好き? なんで? 狭山くんおかしい。そうかわかった、私の積んだ功徳をぶっ壊そうとたくらんでいるんだ。私が来世に功徳を持っていけないように、私が狭山くんのこと好きだって勘付いて、それを利用するんだ。俺みたいないい男と付き合えて、これで功徳を来世にキャリーオーバーできないな、ざまーみやがれって、笑うんだ!」

 早口で反論すると、狭山くんは目を丸くしたあと、大笑いした。

「面白くない! 何も! 笑わないで」

「そうそう、そういう所が面白いよ」

 面白い、って何を見ていたんだろう。ゴミ拾いでは飽き足らず、学校の花壇の雑草抜いていたら、調理部が育てていたハーブも一緒に抜いてしまい、先輩に泣かれたこと? イライラしないように無理してたら、笑いながら怒る人になって、友達に大笑いされたこと?

 どれかわからないけど、私の変な所を見て、好きだなんて言うんだ。変な人。

「功徳を積む理由も、俺のこと好いてくれてるってことも、なんとなくわかっちゃった。嬉しい」

 笑いながらそう言われて、私は自分が発した言葉の重大さを遅まきながら気がつく。

「違う! いや、違わないけど」

 ひたすら笑い終え、眦から涙をこぼす狭山くんは、落ち着いてからもう一度、私の顔を見た。

「俺がそんな悪い男だったら、きっと功徳は来世にキャリーオーバーされるから、安心してよ。ていうか、キャリーオーバーって。宝くじじゃないんだから」

 また笑い出す。私の性格が、どうやら狭山くんのツボに入ったらしい。どう反応していいのかわからない。いつの間にか、頭の上から傘が外れている状況になっていた。大笑いする狭山くんは、傘に構っていられないようだ。

 だけど、もう雨は止んでいた。少し日も射してきていた。

 空を見上げたら虹が出ているかもしれない。

 ずっと、虹に気がつける人になりたかった。でも、無理にそうならなくていいのかもしれない。

 空の虹を見るより、目の前で笑顔を見せる狭山くんのことだけを、私はずっとずっと見ていたい。





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[一言] 功徳を積んで来世でいいことたくさんキャリーオーバー!という、渋いのと景気が良いのが一緒になった広瀬さんの脳内が面白可愛かったです(*´∇`) 初々しい恋愛模様に、うずうずもだもだしてしまいま…
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