第一章 紹介
目を覚ましたら、死んでいた。
ということは、小説の中ではよくある展開だけど。
「っ!」
ロザリーは強烈な胸の痛みに目を覚ました。
(く……あ……あ……っ!)
あまりの痛みに声にならない悲鳴をあげた。
胸は切り裂かれたように痛み、頭がズキンと痛んだ。
「ロザリー! しっかりして、ロザリー!」
これはたぶん、お母さんの声。その悲痛の声はなんとか聞こえるけど、あまりの痛みに気が狂ってしまいそうになる。視界が白と黒と絶えず変わっていく。身体全体が燃えるように熱くて、もがきたいけど身体に力が入らず、ただただ意識の中で苦しくもがき続けた。
「お姉ちゃん!」
「ロザリー!」
妹の悲鳴のような声が聞こえて、お母さんの泣きじゃくる声も聞こえた。薄く目を開けると二人の悲痛の顔が見えた。
かすかに見える視界でそんな家族を見て、ひどく心が痛んだ。でも大丈夫といえる状態でもなく、とにかく頭の中は『痛い』という苦痛の感覚でいっぱいだった。
「なんとかできないの!?」
「いいえ、今となってはもう手遅れです。ここまで持ち続けたのが奇跡なのです」
「そんな……。何か方法があるでしょう!」
いつもは落ち着いているお母さんがヒステリックに叫んだ。
「私の大切な娘なのよ! 結婚前の、娘なのよ!」
痛い痛い痛い。しかし迫りくる激痛は引く様子を見せない。
「何でもするわ!」
堪えきれない。パニックに呼吸が不規則になって、息も上手くできなくなった。
もう正気ではいられない。
「お願い、生きて!」
もういっそ、殺して!
そして次の瞬間、すべてが楽になった。
すべての痛みはなくなって、息も楽になって、身体の制御もできる。視界も白黒することもなく、すっと吸う息は安定していて、あまりの幸せな気持ちに何もかも忘れて眠りたくなった。
どうせ疲れていたのだから、このまま寝てしまってもいいよね……。
もうこの幸福さえあれば何もいらない。ただ眠らせて……。
しかし、軽く眠りに入れたと思うと、穏やかな声が頭に響いてロザリーを起こした。
「起きて」
……何で? やっと落ち着けたのに。
どうせまだ朝じゃないでしょ……。
「起きて、ロザリー」
起きたくない……。お願いだから、もうちょっとこのまま。
「ロザリー」
嫌々ながら薄く目を空けると、見慣れない顔がのぞいていた。
マロン色の柔らかい茶髪は無造作に整えてあって、その肌は乳白色で明るく柔らかそうだった。男の顔にしては少し幼く見えて、そばかすが一層少年っぽさを表している。その表情はすこし不安そうで頼りなさそうといえばそうとも見えるけど、何よりも奇妙だったのが彼の目。ガラスのような青でもなく、木漏れ日のような緑でもなく、大地のような茶でも黒羽のような黒でもなかった。透明で、色がなかったのだ。
起きた瞬間でここまで観察できる程ロザリーは洞察力が鋭くない。絶対これだけのことを考えるのに最低は三分かかったと思う。ロザリーはぼんやりとした意識のまま彼をみつめ続けた。
「うーん。ほら、とりあえず起きて」
ただじっと見つめ続けるロザリーに不安になったのか、彼は手を差し伸べた。ほとんど無意識にその手をとって、起き上がろうとする。
でも思ったより軽く起き上がれた。まるで背中に支えるバネがあるかのように、重力がないみたいに……。
「って、え?」
起き上がったらそのまま上にふわりと浮いて、彼と並んだ。隣を驚いた目で見つめると、彼ははにかんだように笑った。
「浮いてる!」
思わず彼を指差して叫ぶと、
「自分もね」
と言われ、下を見る。
いきなりの光景に驚いてロザリーは、はっと息を呑んでそれを凝視した。
ベッドの上に身動きもせず寝ているのは、端正な顔の女の子。その顔には泥と血が拭い取られたような痕が残っている。目は両方とも静かに閉じられていて、無表情だからまるで人形みたいだ。その長い、ウェーブのかかった真珠色の髪はもっと血と泥で汚れていて、白いベッドのシーツもところどころ血に染まっていた。
このグロテスクな光景の、人物は。
「……私?」
ふるえる唇でつぶやいたその声は、ひどくかすれて聞こえた。
「うん」
彼は申し訳なさそうに言った。
「寝ているの?」
「……………」
「死んでいるんだ?」
「……うん」
すると、部屋のドアが静かに開いて、見慣れた人物が入ってきた。召使いのロランだ。
そこで初めてここが自分の寝室だと気がついた。
見慣れた、割と高価な家具と記憶と同じのアイボリーの壁紙、いつも寝起きした柔らかなベッド――。それなのにそこに当然と寝ている自分を見るのはひどく異様に感じた。
ロランはそっと足音もたてずにロザリーの身体に近寄り、そっとその頬に触れると目を少し涙になじませた。ロランはロザリーの兄貴分のような存在で、そんな姿を見るのはある意味衝撃的だった。
「ロラン……」
目頭が熱くなるのを感じて、おもわずロランの肩に触れようとすると、
「あ、やめろっ」
しかし彼の忠告もむなしく、ロザリーの手はロランの肩にそっと触れ、そしてそのまま二の腕あたりまで透き通ってしまった。
「!」
驚いて、腕を引っ込める。涙も引っ込んだ。
彼はそのままロザリーの腕をつかんで、彼の正面へと振り向かせた。
「ロザリー。君はさっき死んだんだ。今は魂だけだから、地球上のものには触れないんだよ」
言葉はただ耳を通り抜けたようだ。
理解ができない。ロザリーは首をかしげた。
「何を言ってるの……?」
そして、ロランに次いでまた一人、一人と見慣れた召使いたちが入ってきた。全員がなんとなくロザリーの身体を囲むように並んだと思うと、ひそひそ噂話を始めた。中にはその姿を見て泣き出す者もいた。
「お嬢さんの姿を見ると心が痛むな」
「駆け落ちをしようと家を出たら、そのまま殺されてしまうなんて」
「やっぱり奥様が決めた許嫁がよほど嫌で」
「そもそもご主人様が蒸発したのが」
「ねぇ、宝石が全部とられてるみたい」
「それはひどいな」
「これはあっという間に街に噂が広まるぞ」
「どうもみ消すつもりなんだ?」
「というかなんでもみ消すの?」
「警察沙汰にはしたくないとか。繊細な方なのよ、奥様は」
「確かにこれ以上の心労は危ないしな」
「とりあえず、お嬢さんの死体を」
『死体』という言葉にロザリーの身体は、電流が走ったみたいに反応した。顔にかあっと血が上る。……血があればの話だけど。
「どこに持って行くんだっけ?」
ロランが目をごしっとこすって立ち上がると、皆が一斉にロザリーの身体をシーツごと持ち上げた。そしてドアへと歩き出す。
「ち、ちょっと!」
「無駄だってば」
そう言って彼は、ついて行こうとするロザリーの腕をぎゅっと掴んだまま離さなかった。
「で、でも、私の身体がっ」
「死んでからは必要ないよ」
ずっと解けずにいた問題に、答えを突きつけられた感じだった。
そっか……。
自分の身体が運ばれて行くところを見送っていると、だんだん落ち着いてきた。
そっか、死んだんだ。
この状況を説明する、筋の通った回答だった。
なんか、あんまり身近には感じられないけど。でも、浮いていたり人を通り抜けたり。これが死んだということ――?
「落ち着いた?」
呆然とするロザリーの目の前で彼が手をひらひらさせた。
はっとして彼を見ると、苦笑していた。
「いいんだ。死んだ後って結構混乱するもんだし。ほら、ま、基本的に死後の世界って生きている人には、誰にもわからないもんだし、未知の世界というか…。特に苦痛で死んだ人はなかなか身体から離れないでずっと休もうとしたり、若く死んだ人は未練とかでひたすら魂のまま逃げようとするし……ってあれ、僕何言ってるんだろう」
てへへ、と彼ははにかむように笑った。
たぶん、安心させるために気を使ってくれてるんだと思う。
ロザリーがよっぽど混乱した表情をしていたんだろう。
「あなたは誰?」
とりあえず自分のベッドにふわっと腰掛けて、真っ先に思いついた質問をした。
……ちょっと不躾だったかな。
でも彼は控えめに、にこっと笑った。彼はいつも謙虚な笑い方をする。
「僕はジャスティン。〈星渡し〉をしてるよ」
「〈星渡し〉?」
首を傾げた。聞いた事の無い言葉だ。
「そう。簡単に説明すると」
ジャスティンはふわっと隣に座った。
「身体が死んだ魂は――」
ジャスティンは優しくロザリーの手をとって、上を指差した。
「――〈星〉が与えられて、天へ行くんだよ。そして、夜空に輝く星となるんだ。それがロザリー達人間の言う『成仏』。魂が完全に休まること。それで〈星渡し〉の仕事は身体をなくした魂に星を与えることなんだ」
「あれ、そしたら、亡くなったら空のお星様になるっていうのは本当だったんだ」
思わず率直な反応をするとジャスティンは、ははっと笑った。
「そうだよ。昔〈星渡し〉をしていた人が、死んだと思った人にバラしたんだけど実はまだ生きていた人だったって話。有名な話だよ」
あらためて自分が生きていた世界がどれだけ小さかったのかを思い知らされた。
本当に死後の世界ってあったんだ…。あながち、子どもの本とかファンタジーも間違っていない。
ジャスティンは続ける。
「そして、いわゆる『幽霊』はまだ星の与えられていないさまよっている魂か……〈星〉がない魂。僕は後者ね」
「え?」
驚いて聞き返すと、ジャスティンはバツの悪そうに笑った。たぶんしまった、口を滑らしたとでも思っているんだろう。
「えっと、まぁ、〈星〉ってのは結構貴重なもので。一人につき一つって厳しく決まっているんだ。僕の場合は……まぁ、うん、とにかく〈星〉がなくて……。星になる代わりに〈星渡し〉になったんだよ」
途中言いたくないのか、言葉を濁したけど別に気にならなかった。……深入りして聞く事でもないし。
「じゃあ、誰かがこういうのを全体的に管理しているのよね? 神様とか?」
「あ、えーと、そういう明らかな一人のリーダーはいなくて、年配の人たち…長い事魂でいる人達がまとまって、管理しているんだ」
ロザリーはへぇ、と感嘆の声を出した。
「そういう世界が本当にあったんだ」
「天へ行く途中で僕みたいなのにいろいろ会うと思うよ。ロザリーと同じ時に星になる人もいっぱいいると思うし。とにかく僕はこの〈星〉を渡して」
そしてジャスティンは肩からぶらさげていた茶色のトートバックの中を探った。
ロザリーはその姿をマジマジとみつめる。
ようするに『天の使者』なわけだけど、天使のわっかがあるわけでもなく、羽もないし、純白の服を着ているわけでもない。実際はもっとカジュアルで、普通に白いワイシャツをルーズに着てジーンズとベルト、肩からは使い古したような茶のトートバッグという身なりだ。ジャスティンはたぶん、同い年の十六〜十七くらい。
それに比べて、むしろロザリーの方が天使っぽい格好をしている。純白のウエディングドレスを着ているから。
あ、しまった。
「痛……」
殺された時の事を思い出してしまって、胸がズキンと疼いた。
無意識にその場所へと手を当てる。
刺された場所――胸の真ん中。左胸の心臓に直接刺されていたら、苦しむことなく即死だったかな……。セオドールの冷たい表情を見る事もなく……。
ひんやりとした緊張が身体を巡った。思わず身体がぎゅっとこわばる。
結局セオドールは結婚なんて嘘で……金目当てで……。
「あああっ!」
ドロドロいきそうだった回想は、ジャスティンの叫びでかき消された。
「な、何……」
「ないないないないな――――――いっ!」
ジャスティンはトートバッグを逆さにしたり、ワイシャツの裾をパタパタ振ったり頭を掻きむしったり、その場をくるくるせわしなく動いた。座っていたベッドの下をのぞいたり、窓の外を除いてみたりもした。
そしてガクっとうなだれる。
「………どうしよう」
「ど、どうしたの」
心配してジャスティンの顔をのぞくと、透明な目が申し訳なさそうにこっちを見つめた。
「ロザリーの〈星〉が、ない」
……えええ?