畑の肉
あたし達は御先様のお膳を下げて、ようやく厨で賄いを食べる事ができた。火の神には枝豆ご飯の残りをおにぎりにして投げてあげ、私と兄ちゃんは茄子の味噌汁に枝豆ご飯のおにぎりに、味噌汁の出汁取った奴で作ったなんちゃってふりかけも一緒にふりかけていただいた。……はあ、鰹と醤油は相性いいのに、醤油がないのが辛い。
「ねえ兄ちゃん。ここってどうして醤油がないんだろ?」
「んー、おじさんも言ってたなあ。何でだろ。……んめぇ、出汁ってすごいな、味噌汁美味いわ」
兄ちゃんが味噌汁にぷはぁーと息を吐いていた所で「俺の分はあるかー?」と言う間延びした声が聞こえた。烏丸さんだ。また随分とへろへろしてるのは、現世で神社の掃除してたせいなんだろうか。
「おはようございますー……と言うより大丈夫です?」
「あー、すまんすまん。……俺にも賄いくれないか?」
「そりゃあ、まあ」
あたしがお釜のご飯をおにぎりにして差し出すと、がつがつと気持ちいい位に食べきってしまった。ありゃりゃ……。あたし達よりも後に来たのに、もう食べ終わっちゃったよ。烏丸さんは指を舐めつつ、「ご馳走さん。美味かった」と言ってくれるのにほっとしつつ、疑問をぶつけてみる事にした。
「あ、そう言えば烏丸さん。どうしてここには醤油ってないんです?」
「醤油? あー……神域は一番最初の巫女の食文化を反映してるせいかな」
「はあ……でもあたしら、八咫烏神社がいつからあるのか知りませんが、いつの時代の反映なんです?」
「現世で言う所の戦国時代だな」
「ぶっ……!?」
思わず喉を詰めかけたけど、どうにか吐き出さずに飲み下す。ええっと……。
「あたしもちょっと教科書読んだ位ですけど、確か豆腐とか醤油とかって、江戸時代からですよね」
「そうなのか?」
兄ちゃんに聞かれてあたしは頷く。あたしも専門家じゃないから全部はうろ覚えなんだけど。
「うん。前に蕎麦をどうやって食べてるんだろうって調べたら、江戸中期からは出汁につけて食べてたけど、それより前は塩で食べてたんだよ」
「そりゃ今だって塩で蕎麦食べるとこはあるが、随分と味気ないな?」
「まあ美味しい蕎麦だったら塩の方が薫りが分かるって言われてるけどさあ……。でも正直あたし、醤油もそうだけど豆腐。豆腐作りたいなあ。豆腐作ればおからも作れるし、湯葉も作れる。料理のレパートリーだって増えるのにな。醤油も欲しい。やっぱり今の日本食には醤油が一番合うって思うし。折角いい出汁が手に入ったんだからさあ……」
あたしがそう言うと、烏丸さんが「ふぅーむ」と腕を組んで考え込んでしまった。やっぱり言ってる事がおかしかったかしらん? そう思っておずおずと見上げたが、烏丸さんは「醤油はまあ、どうにかなりそうだなあ」と一言言った。それにあたしも兄ちゃんも思わず顔を見合わせる。
「え、でも醤油ってすっげえ作るの大変じゃなかったです?」
「いやいや、うちに杜氏が酒の面倒見て毎日作ってるだろ。同じように毎日醤油の面倒を見るんだったらできるぞ。たくさん付喪神に等価交換の材料を渡せるって言うのならな」
「むぅ……あたしが渡せるものなんて、賄い位っすよ」
「それで充分動いてくれるだろうさ」
むぅ……。あたしはそれを聞きつつ、おにぎりをむしゃった。うん、枝豆ご飯はやっぱり美味しい。枝豆があるって事は、大豆も取れるはずだ。畑を世話している付喪神に話をしてみよう。そうしよう。でも……。
「でも烏丸さん、醤油作るには大豆だけじゃなくって塩にもろみが必要なんですけど」
「うん、それは知ってる」
「あたしも流石にもろみなんてどうやって作ればいいのか。発酵だってさせないと醤油になりませんし」
「うん。まずはもろみ以外の材料揃えたら、杜氏のいる蔵に来い。それで後は手伝わせるから」
ん……ん……?
お酒作ってる場所で醤油作るの? それとも何かあるの? 兄ちゃんが「あんまり醤油たくさん作って万が一にでもうちの酒に不純物入ったら、俺が御先様に殺されるっす」と文句を言っているのに烏丸さんは笑っているだけだった。
か、考えがあるんだよね、多分……。
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朝ご飯が終わったので、兄ちゃんは蔵で酒の面倒、あたしはひとまず畑に出る。その周りには小さな付喪神達が野菜を収穫してるのが見えた。そう言えば、あたしは畑の野菜を使わせてもらってるけど、一体どこに付喪神達は野菜を持って行ってるんだろう。あたしがじっと付喪神を眺めていたら、つんつんと足元をつつかれた。思わず視線を下げてみると、小人みたいな付喪神がこちらをじぃーっと見上げてきた。もしかしなくっても、昨日助けてくれた子?
「なあに、どうしたの?」
しゃべった! この子しゃべれるんだ! 思わずバンザーイとしそうになるのを堪えつつ、あたしは頬を引っ掻く。
「あー……あたし、豆腐作ったり醤油作ったりしたいんだよね。だから、豆腐作るための大豆は今から水に漬けないと駄目だし、醤油のための大豆もたくさん欲しいんだけど、あたしもどれ位の量持って行けばいいのかさっぱりでさ」
つ、伝わるのかしらん……? あたしが恐る恐る膝を追って付喪神を見下ろしていたら、付喪神はこくんと頷いた。
「わかった、とってあげる。だからごはんください」
「あー……対価、ね。オッケーオッケー。後で賄いあげるね」
「まかない!」
付喪神が万歳と手をあげてくれたのに、あたしは思わず笑った。この子何て呼ぼう。小人だし、コロポックル……ころん。うん。最初にこけてたし、それも兼ねてころんと呼ぼう。
「じゃあお願いね、ええっと……ころんって呼んでいい?」
「おなまえ! うんっ!」
嬉しそうに笑うと、そのまま笠を取ると、そこにたっぷりと大豆を取って来てくれた。でもこれじゃあ豆腐を作るならともかく、流石に醤油作るのには足りないんじゃ。そうは思いつつも、ころんに頼んで厨に運んでもらい、ひとまず大きな瓶を探してきて大豆を入れ、井戸水に浸す。流石にこれは一日かかるよね。明日になったら様子を見よう。
それじゃあ蔵に行くんだけど。あたしはひとまず塩を持ちつつ、ころんと一緒に歩き始める。大豆足りるのかなあ? あたしがころんを見下ろすと、ころんはにこぉと笑った。
うーん、何とかなるといいなあ。蔵の方に近付くのは簡単だった。甘い甘いお米の発酵する匂いを探せばすぐに着く。商店街でずっと造り酒屋の前を通ってたんだから、楽勝だ。あたしがころんと歩いていると、蔵の前に烏丸さんが立っているのが見えた。
「烏丸さん、大豆持ってきました。ええっと、この子に頼んだんですけど」
「何だ、もう火の神以外も味方にしてたのか」
「いやこの子を拾って助けただけなんですけど。そもそも助けたって言うのも微妙な感じっすけど」
「まあ、鍬神だったらいいだろ。畑を耕すのが仕事の付喪神だからな」
そう言って笑う。
「それじゃあこじかに借りるか」
「えっ? 兄ちゃんに借りるって、何を?」